夏のある日。気温は高く、まさに夏という気候。一歩外に出れば太陽が眩しい。
 この学校も例外なく夏休みへと突入していた。






 せっかくの夏休み。早速遊びに出掛けよう。
 と、言いたいところだけれど、世の中はそう甘くないらしい。長期休みを満喫するのではなく、長期休みを利用して補習を行うというのが教師側の意見。
 全く、面倒でしかない。みんなが遊んでいるのにオレは勉強だなんて。


「おい、ゴールド」


 呼ばれて「なんスか?」と顔をあげる。目の前には、担任が座っている。所謂マンツーマンで補習を受けているわけで。オレが何をしてもすぐにバレるような状況だ。


「さっさと解け。これくらい解けるだろ」


 これくらいと言われても、オレは補習を受けるような生徒であって。そう簡単に問題を解けるわけがない。
 否、正確には解けるわけがなかった。そう言うべきだろう。
 夏休みに行われる補習。それも予定では今日が最後なのだ。ここまで補習をマンツーマンで受けてきて、このレベルの問題なら解けるようになった。


「センセーが教えてくれないと解けません」

「嘘を吐くな」


 初日は先生も溜め息を吐きながらも教えてくれた。でも、今ではオレが問題を解けることくらい先生も分かりきっているのだ。分かっているからこそ、今解いているのはまとめの総合問題なのだ。
 補習の最終日。物事、やればできるっていうこと知った気がする。根拠はこの白紙のプリントの答えが分かっているという現状。


「嘘じゃないっスよ」


 本当に分からないですから。
 それこそ嘘を並べる。実際は先生の言う通りなのだ。でもオレは嘘を吐く。理由? そんなの簡単なことだ。


「これが終われば補習も終わるだろ」

 補習最終日だから。嘘でも吐かなければこの時間が終わってしまうから。
 だから解かないのだ。オレが問題を解かなければこの補習は終わらない。終わらせないためにも解かないのだ。


「補習なんてもの、早く終わらせたいだろ」


 先生の話に最早返答さえ億劫で、シャーペンを持つことすら止める。オレにやる気がないことには、流石に先生も気付いたらしい。疑問を浮かべながらも静かに名前を呼んだ。


「ゴールド、お前が解かなければいつまでも終わらないんだぞ」


 分かっている。だってこれは確信犯だ。先生には分からないだろうけれど。
 こんな風に思ってしまうなんて。それも先生のせいだ。全ては先生が悪いんだ。


「ゴールド」


 オレの顔を伺うように先生は呼んだ。黙っていては何も分からない。表情がそう物語っていた。
 このまま無駄に時間ばかり流れても仕方のないこと。暫くして、諦めたように口を開く。


「プリントは、解けません」

「嘘を吐いてどうする」

「解きたくないんス」


 そこまで言うと、先生は疑問を浮かべる。どうして解きたくないか、なんて。先生に分かるはずがないのだから。


「どうしてだ? 補習なんてさっさと終わらせたいだろ?」


 夏休み前。補習の話を聞いたオレは補習なんて嫌だと言った。あの時は確かにそう思っていた。正直、今だって補習そのものはは嫌だ。
 でも。補習は嫌だけど。


「オレがこのプリントを解いたら、補習は終わりなんでしょ?」


 当たり前の質問。先生は頷く。話の意図が分からないとでも言いたげな表情で。
 自分でもよく分からない。けど、オレの心はそう訴えている。終わりにしたくない、と。


「だから解きません」


 言いながら、自分でもおかしなことを言ってるなという自覚はあった。でも、本心であるのも確かだという自覚もある。
 困ったように先生はオレを見つめる。オレが言わなければやっぱり話は進まない。


「先生が悪いんスよ」


 ボソッと呟く。
 訳が分からないと言わんばかりの先生にオレは言葉を続けた。


「あの日、先生が。帰り際に、あんな表情をするから」


 単語ばかりが並べられる。最初はクエッションマークを浮かべていた先生。それも単語が続くうちに言いたいことを分かってくれたらしい。
 それを合っているか確かめるかのように先生は尋ねる。


「夏休み前のあの日のことを言いたいのか……?」


 先生の言葉にオレは頷く。
 そう。補習の説明を受けたあの日のこと。あの時からオレは何か変だ。理由は分からないけれど、先生のあの表情が忘れられないんだ。


「センセー、あれ確信犯でしょ?」


 あの時思ったことをそのまま言う。あれは絶対確信犯だと思っている。
 クラス担任との付き合いがどれくらいかって言われたら、このクラスに入ってから。否、正確にはこの学校に入ってからなのだから。


「どうしてそう思う?」

「センセーともう二年目っスよ? 分かりますって」


 この学校に入学をしてからの付き合い。クラス替えもあったけれど偶然にも同じ担任に当たったのだ。
 二年間。短いようで、互いに性格を知るには足りる時間だ。全てとまではいかないけれど、大方分かっているといっても過言ではない。


「確信犯、といえばそうだな。だが、それとお前が問題を解かない理由との繋がりは何だ?」


 口の端を上げて問う。
 センセー、絶対分かってて言ってる。オレの反応を見て楽しんでる。
 あー……なんつーの? オレってセンセーに振り回されてねぇ? それか遊ばれてる。


「問題を解かないのは解きたくないから、って言いました」

「その理由は?」

「センセーなんだから、生徒の気持ちも分かるでしょ!」


 それも確信犯なんだから。分かっててやってる先生にその理由を教えて貰いたいくらいだ。


「オレは心理学は専門外だ」

「心理学関係ないと思うんスけど」

「とにかく、お前が答えれば良いわけだ」


 それってズルくないっスか?
 なんか上手いように言われてるよな。教師って立場を利用してる、みたいな。教師ってズルいな。否、シルバーセンセーが、かな。


「……センセーって、ズルいですよね」

「そんなことはない」

「あるから言ってるんスけど」


 そうやって自分の立場を利用するなんて。そもそも、ズルいと思っていなければその言葉は出てこないと思うんだけどさ。
 でも、先生はオレの言葉なんか気にせずに話を進める。


「仮にオレがお前の気持ちを察しても憶測でしかない。結局はお前が話すしかないんだ」


 だから言ったらどうだ、って。それは尋ねるというより強制だよな、となんとなく思う。
 押し引きを繰り返したところで最後はどうせオレに回ってくる。となれば、言うしか選択肢は残されていない。


「…………何度か言ってますけど、これを解いたら終わりじゃないっスか」

「だからオレは解けと言った。夏休み前の発言からも、早く終わらせたいのだろうと思ってな」

「思ってましたよ。夏休み前のあの日あの時まで」


 でも。時は流れているんだ。あの時と今のこの瞬間では違っているんだ。まだオレ自身でさえはっきりとは分かっていないけれど。
 だけど、オレのこの気持ちに偽りはないと分かっているから。


「今は、嫌なんです。補習が終わるのが。だって、補習が終わったらセンセーと一緒にいられるのも今日で最後じゃないっスか」


 二学期になればまた毎日のように会えるけれど。せっかくの夏休みに、会えるのはもう今日で最後だなんて。
 最初とは間逆のことを言ってるとか、何でそんな風に思うんだろうとか。自分でも疑問はあるけれど。それはきっと、いずれ分かることなんだと思うから。嘘ではないこの気持ちの答えは、いつかオレにも分かる日がくるはず。


「オレはまだこの夏休み、センセーと一緒に過ごしていたいんです」


 具体的には何も考えていないけれど、例えば海とかに出掛けたりして。色んなところに出掛けて、沢山の思い出を作りたい。
 だって、夏休みだぜ? せっかくの夏休みを思い出いっぱいの素敵な日々を送りたいって誰でも思うだろ。オレはその思い出の中に先生と一緒の時間を記録したいって思う。


「ゴールド」


 顔を上げると先生の顔がすぐ近くにあって。そのままそっと唇が触れた。


「とりあえず早く終わらせろ。補習が終わらなければ夏休みも何もないだろ?」


 笑みを浮かべた先生はあの時と変わらずに。
 一方、オレは先生を見たまま固まっている。センセー、今何した?
 その答えは、未だに残る唇の感覚ですぐに分かったけれど。ここ、学校だぜ? それ以前に先生だし男だし、つーかもうどっから突っ込めば良いのかも分からねぇ。
 でも、先生は分かっててやっているよな、ということだけは理解できて。


「やっぱり、ズルいじゃないっスか……」

「気のせいだろ。それで解くのか?解かないのか?」


 解くか解かないかって。要は補習を長引かせるか終わらせるかの選択肢。
 何でも分かっててやってくる先生ってやっぱりズルい。オレってどれだけ先生に振り回されれば良いんだよ。別に振り回されるのが嫌とは思わないけど。
 どっちにするかって問われて、答えなんてもうここまできて分かってると思うけれど。質問されたのだから答えを出す。


「解くに決まってるじゃないっスか。夏休みはまだまだ残ってるんですから」


 そう答えると、置いてあったシャーペンを再び手に取る。問題を回答するべく文字を書き連ねていく。白紙のプリントはあっという間に埋まっていった。



 早く全部の解を導き出して楽しい夏休みへ。僕らの夏休みはここがスタート。
 楽しい思い出を沢山。色んなものを見つけて楽しんで、最高の夏休みに。

 それから、この気持ちの答えも探して。

 オレとセンセーの夏休みは、始めの一ページを刻む。










fin