あの方みたいな立派な人間になるのよ。礼儀作法を身に付け、知性を高めるんだ。
五月蝿い五月蝿い。礼儀、作法、知性? そんなものは知らない。有無を言わさず身に付けさせられるモンにはウンザリだ。
もう、聞き飽きた。あの方のようにいずれはアナタが国を引っ張っていくのよ、なんて。
一寸の光に羽ばたいて
「王子は居ないか!?」
勢いよく開けられた扉。派手な音と共に入ってくる一人の男。それに驚くこともなく「見ての通りですが」と返せば、舌打ちをして男は慌ただしく出て行った。いつからか見慣れてしまった光景だ。全ては、王子が居ないのが問題である。
男を見送ると、静かになった部屋で溜め息を一つ。それから、先程男が出て行った扉を潜った。
「城内が騒がしいのですが、いつまで此処に居るおつもりで?」
「そうだな。一生此処に居るのも有りかもしれねぇな」
「ご冗談はお止めください」
青い空の下、木が生い茂る森の中。若い男達の会話が聞こえる。冗談という言葉に対して、本気だったんだけどという声が漏れた。それには本日二回目の溜め息を吐いた。
「馬鹿なことを言わないで下さい」
「それはお前の方だろ」
「何が」と問えば「別に」と短いやり取り。言いたいことなら、分かりきっている。これが初めてではないのだから。もう何度目かなんて覚えていない程に。
「いい加減自分の身分を弁えろ、王子」
「騎士様の方こそ、いい加減分かってくれても良いんじゃねーの?」
どちらも同じように相手に話す。内容は見た目と変わらないような口調だが、呼称は一般的とは言えない。
そう、この人物こそが先程探されていた王子なのだ。そしてもう一人は、王子に仕える騎士。この国で重要な立場の人間だ。
「また怒られるぞ」
「知るかよ。オレが居ようが居まいが大して関係ないって知ってるだろ」
「そういう問題じゃない」
「そういう問題だって。それに、どっちにしろオレは怒られると思うぜ」
それは自業自得だろう。けれど、その言い分も強ち間違っていないのも事実だ。ただし、許されるかは別だが。
「お前が王子という立場が嫌いなのは分かっている。だが、お前は王子だ」
「お前までそれを言うのかよ、シルバー」
起き上がった金色が、銀色を見つめた。真剣な眼差しにシルバーは目を逸らせない。
本当は分かっている。だけど、シルバーの立場では言わざるをえないのだ。たとえそれが地雷だと知っていても。
「オレにはオレの義務があるんだ、ゴールド」
「それは大変だな。せいぜい頑張れよ」
「ゴールド」
繰り返し名前を呼ばれ、「何だよ」と口調を荒げた。鋭くて冷たい金。その奥で揺らぐ悲しみを含んだ瞳。
ゴールドはいつからか度々城を抜け出すようになった。その理由をシルバーは知っている。ゴールドの周りで年が近いのは、シルバーだけだった。二人は小さい頃からの幼馴染みなのだ。いつの間にか、それぞれの身分で立場は違ってしまったけれど。
「言いたいことがあるなら言えよ。用がないなら戻れ」
王子。それがどういう立場なのかは皆が知っている。ゴールドは次期王。それも遠くない未来になることだろう。それは皆が知っていること。けれど、その反面を知っている者は少ない。色々な物を背負って生きていくそれは、簡単なことではない。
最後は命令形で言い放ったゴールドを、シルバーはじっと見詰めた。それから暫くして、腕を伸ばした。
「オレとお前は王子と騎士、それ以外の何でもない。だが、お前の言いたいことは分かっている」
敬語を使わないのは、ゴールドがそれを嫌うから。友とまで敬語で話すのは御免だ、という理由でシルバーは大概タメ語で話すようになった。本当はいけないのだが、王子がそう言うから二人きりの時だけ。
この国は、というよりこの世界はといった方が正しいかもしれない。表向きの顔と裏の顔が存在している。そこに何があるのかをゴールドは知っている。
王子という立場で背負うもの。その全てはシルバーには分からない。けれど時々溢される言葉を聞いて、何より一番近くに居てゴールドの本心は分かっている。
「……悪ィ。お前にも立場があるよな。本当はこんなの意味ないって分かってる。それに、お前のことも」
「別に構わない。お前の言い分は尤もだろう」
「そうだと良いんだけどよ、段々分からなくなる」
何が正しくて、何が間違っているのか。その境はあやふやだ。そうせざるをえない理由があることもある。人によって考えだって違う。それをどちらかに分類するのは難しいことだ。
ゴールドの考え方は、そのうちの一つでしかない。現時点で、王やこの国の考えとは相容れない。全く別の考えを持っているからこそ、変わらぬ関係が続いている。
「オレはお前の考えは正しいと思う。上は皆やむを得ないと言っているが、他にも方法はあるだろ」
「あぁ。それに、必要以上に税を取るなんて間違ってる。要らない争いまですることはないしな」
そう、これがゴールドの考え。今の国の方針は、全体的に改善すべき点が幾つもあると思っている。当然、そんな意見は否定されるばかりだが。
ゴールドが城を抜け出す理由は、生まれてからずっと続く王子としての教育が嫌になったのが始まり。それからこの国の現状を知って、何とかしようと一度は脱走をしなくなった。けれど、ろくに話を取り合って貰えない国のお偉いさんの言い分にウンザリして、また城を抜けるようになったのが今だ。
「やっぱり、王子なんだな」
「はぁ!? どういう意味だよ」
「別にそういう意味ではない。ただ、国のことをちゃんと考えているんだなと思っただけだ」
シルバーが言えば、ゴールドはきょとんとした。それから目を細めると「人を何だと思ってるんだよ」と一言。「ゴールドはゴールドだろ」と返せば、フイと視線を逸らされた。
これだから、コイツは。
内心でそう思いながら、視線の向かう先は青い空。流れる雲を追いながら、ゆっくりと口を開いた。
「大した理由なんてねぇよ。そう育てられただけだ」
「だが、お前の傍に居ると分かる。確かに育てられたからというのもあるかもしれないが、実際に国のことを考えているのにはお前の意思があるだろ」
色々なことを教え込まれて育ってきた。そこで覚えた知識等は沢山あることだろう。けれど、そう考えられるのはゴールドが国のことを思っているからだ。
そうでなければ、本当にどうでも良かったのなら、そんなことさえ考えることはしないだろう。脱走だって、見つかる範囲で逃げるのでなく本気で逃げるのであれば見つからないくらい遠くに行けば良いのだ。それをしないのはつまり、ゴールドがこの国に対して思うところがあるから。
「何より、お前はこの国に居る。それが証拠だ」
その言葉に、金色が開かれた。それから、次の瞬間には口元に弧を描いた。
「お前には敵わねぇな、シルバー」
シルバーの言う通り、なんだかんだ言いながらもゴールドはずっとこの国に居る。逃げるのはシルバーが見つけられる範囲内だけ。
王子という立場にウンザリしているのは事実。この国のやり方が気に入らないのも事実。だけど、ゴールドはそれでも国から出ていくことだけはしないのだ。
「考えてみれば、オレはずっとこの国から出てないんだよな。王子なんてものにも国にもウンザリで、逃げ出したいって思ってるのに。お前に見つかると分かって此処に居るんだよな」
「自覚してなかったのか」
「普段はあまり考えてねぇしな。単純に嫌だから脱走してるだけ」
それもそれでどうなのか。探す方の苦労も考えてくれ、と言いたくなってしまうような言い分である。おそらく、言葉にしないだけで本当はそれだけではないのだろうけれども。
「おい、シルバー」
「何だ」
名前を呼ばれて返す。その何でもないやり取りを昔のように、こうやって日常に出来れば良いのに。そんなことを頭の片隅で思いながら、ゴールドは口を開く。
「お前は、いつまでオレについてきてくれる?」
一体その言葉が何を意味するのか。何も言わないけれど、シルバーには分かっている。伊達に幼馴染をやってはいない。
「いつまででもついていくさ」
あなたの望む限り。どこまででもついていきますよ、王子様。
そう言って笑みを浮かべた銀色に、つられるように口角を上げた金色。幼馴染だったあの頃、それから王子と騎士である今。シルバーがゴールドのことを分かっているのなら、その逆だって同じである。
「これからもよろしく頼むぜ、騎士様」
「仰せのままに」
交わった双方の瞳。そこに通じ合う二人の心。
立ち上がったゴールドが「戻るか」と言えば、「戻るのか」とシルバーが尋ねる。それに返ってきたのは不敵な笑み。どうやら、何かを割り切ることが出来たらしい。その先は言わずとも。
今後、この国はどうなっていくのか。今の王と次期王である王子の相容れない意見に、この先がどうなるかなんて誰にも分からない。まだこの国の未来は真っ白だ。
それを作っていくのがこれから。今の国を変える為に、ゴールドは前に進む。その隣には、シルバーが居る。
幼馴染。王子と騎士。
さて、その次は何だろうか。それはまだ分からないけれど、これからもずっと一緒に。関係が変わろうとも、二人は変わらずに隣に並び歩んで行く。
新しい国と共に。
fin