――――ガタッ。
 やけに大きな音が聞こえた。そう思った次の瞬間には腕を掴まれた。周りにいた奴等の視線もオレの視線も全てソイツに向けられる。さっきの音はコイツかと理解するが、苛立っているように見える理由は分からない。


「シルバー?」


 名前を呼んでも返ってくるのは沈黙だけ。代わりに腕を引かれて、そのまま強引に教室の外へと連れ出された。








「おい、シルバー! どこに行く気だよ!!」


 教室を出て廊下を進んで行く。急にどうしたというのか、オレにはさっぱり分からない。今だって返事はない。
 階段に差し掛かる手前で「なぁ!」と声を上げると、「五月蝿い」と一言。シルバーはこちらを見ようともせずにただオレを引っ張る。本当、何だっていうんだ。


(屋上……?)


 どんどん階段を上っていくことから行き先を思い浮かべる。階段を最後まで上れば、辿り着くのは屋上だ。鍵が掛かっていようと開けられるから問題ないんだろう。
 遠くで始業のチャイムが聞こえる。だから教師に見つからない屋上なのか。でも、この雰囲気はただサボろうというわけではないだろう。何かある、その何かは分からないけれど。
 屋上に着くと漸く腕を放される。乱暴な態度は、おそらく今のシルバーの心情を表している。


「いきなり屋上に連れてきて、どういうつもりだよ」


 シルバーを見据えながら尋ねる。すると、やっとシルバーは声を発した。


「何があった」


 それは、いつもの声調ではなかった。普段よりも幾分か低い。銀色が真っ直ぐにこちらを見ている。


「何って、別に何も……」

「嘘を吐くな」


 嘘なんて吐いているつもりはない。そもそも、何に対してシルバーがそう言いたいのかがまず分からない。シルバーが怒りそうなことだと考えても、思い当たるものは何一つない。
 シルバーは、オレの何かを疑っている。そう思った次の瞬間には、シルバーの体が動いていた。


「ッ!?」


 ドアの側の壁に押さえられる。あまりにも唐突な態度にオレの思考はついていけない。
 ぶつかった体が痛みを感じる。肩に激痛が走った。正確には、右の肩と腕に。さっきまでシルバーが掴んでいたのは、左腕だった。


「まだ何もないと言いきれるのか」


 逃げることを許さないようにシルバーはオレを見る。
 何を怒っているんだろうってずっと疑問だった。けど、今の行動でシルバーの言いたいことはなんとなく分かった。  そう、シルバーは気付いていたんだ。いつ気付いたのかは分からないけれど、確実に。オレの右肩と右腕の怪我のことを。


「どうして」

「体育の授業、珍しく大人しかっただろ」


 数時間前の授業、それが体育だった。どういう話の流れか、ドッジボールをやることなって二つのチームに分かれて試合をした。シルバーとは別のチームだったけれど、だからこそ気付いたのかもしれない。
 大人しかった、と言われるほど動いていないつもりはなかった。ボールを避けることはいつも通りしていたし、逆もしなかったわけじゃない。攻撃よりもパスに回したけれど。それにシルバーは気付いていたというわけか。


「そんなの、普通は大して気にならないもんじゃねぇ?」

「お前は分かりやすい。それだけだ」


 分かりやすいって具体的にどういうことなのか。オレからすれば、普段どおりを装って体育の授業を受けていたわけだ。他のクラスメイトだって特に気にした風でもなく、それはいつもどおりに時間は流れていた。
 それなのにシルバーは分かりやすいと言う。気付かれるとは思っていなかった。それに、気付いたのはおそらくシルバーだけ。誰にも気付かれないと、気付かれるはずがないと思っていたのに。


「誰にも気付かれずに、いつもと同じように過ごすつもりだったんだけどな」


 こんな怪我、誰に知られるわけでもなくやり過ごそうと思ったんだ。制服は普通に着ているから、見た目では分からない。たかがその程度の怪我をわざわざ誰かに知らせる必要などそれこそないわけで。
 何より、心配をする奴がいるから。
 心配なんて必要ないのに気に掛ける友達も中にはいる。クラスメイトの誰より、シルバーには知られたくなかった。シルバーはオレが怪我をしたのを知れば、クラスの誰よりも心配をする。だから知られたくなくて隠すつもりだった。


「なんで、よりによって。お前に気付かれるんだろう」


 シルバーにだけは、そう思って学校に着たのに。オレの願いとは裏腹に事は進んでくれるらしい。誰もそんなことは頼んでいないというのに。出来ることならオレの願いが叶ってくれる方が嬉しい。それが無理だったのが現実だけど。


「お前にだけは気付かれないようにしよう、って思ってたのによ」


 そう、シルバーにだけは。絶対に気付かれないようにと。
 隠そうとするから逆にバレるのかな。そんなことはオレには到底分からない。


「オレにだけはとはどういう意味だ」

「そのまんま。だってお前、オレの怪我を知ったら心配するだろ?」

「当たり前だ」


 誰だって友達が怪我をすれば心配するだろ。そう言ったシルバーは間違っていないだろう。オレだってそう思う。どうして怪我したんだって聞いて心配するに決まってる。
 でもさ、それは友達の話。オレとシルバーは所謂恋人同士って奴で。ただの友達とはちょっと違う関係なんだ。


「誰がやったんだ」

「は?」

「オレの怪我が、故意的にやられたものだって知ったら、お前は多分そう聞く」


 目の前のシルバーが固まる。
 だけど、おそらくシルバーだってそれを予想していただろう。右肩と右腕、どこかにぶつけて怪我をしました。なんて軽くいうような怪我ではないから。骨折のような酷い怪我まではいかないけど。


「大丈夫。ちょっと喧嘩しちまっただけだから」


 出来るだけ普通に、平然を装って話す。気付かれてしまったものは仕方ない。だからせめて、あまり心配を掛けないように。
 失敗したな、と言ってから思ったけど。シルバーの瞳はオレから外れない。その色を見ればコイツの考えくらい分かる。


「何だよ、オレのこと信じてねぇの?」


 確実に疑われていると分かっているから逆に尋ねる。シルバーは頭が良いから常に先に回らないといけない。とは言っても、なかなか上手く行かないんだけどな。
 さて、この質問にどう返ってくるか。勉強は嫌いだけどこういうのは苦手じゃない。口で勝負するのは得意な方だ。


「お前を信じない訳ではないが、さっきのは嘘だろう」

「それって、結局疑ってるんだろ?」

「そうじゃない」

「ならどういう意味だよ」


 シルバーが何を言いたいかを分からない訳じゃない。でも、ここで引いちゃいけないことくらい分かってる。
 性格が悪い? そうかもしれない。だけど、ここは引けないんだ。


「答えろよ、シルバー」


 あーあ、ヤな奴だな、オレ。友達を無くす典型的なパターンってヤツ?
 でも、オレにとってコイツは大切な奴だから。変な心配は掛けたくない。


「……オレは、お前が大切だ」


 重なる気持ち。予想もしていなかった返答にオレは呆気に取られる。
 何でそんなこと。
 口にはしていないのに、何故かシルバーはそれを答える。


「好きだからな。心配をするのも当然だろ?」


 嗚呼、何でコイツは。
 見事に裏を取られた。こっちが優勢になったと思ったのに、また逆転かよ。最初に劣性だった分、取り戻したのにな。


「馬鹿。だから心配掛けたくないんじゃんか」

「どっちが馬鹿だ」


 オレが馬鹿だって言うのかよ、酷ェな。シルバーからみればどうせ馬鹿だろうけど。だけど、勉強の出来る出来ないじゃなければ、お前だって馬鹿だよ。そんな理由を持ち出してくるなんて。
 何でオレはこんな奴が好きなんだろう。否、違うな。コイツだからこそ好きになったのか。心配するのもさせたくないのもお互い様、か。


「シルバー、ごめん。それからありがと。でも今回のことはもう平気だから」


 とりあえずは片付いた。だから問題はないはずだ。怪我は大したことないし、放っておけば時期に治る。
 それに、きっとお前とオレの立場が違ったら。オレはシルバーと同じように思うし、同じことを言うだろうから。
 だから。


「これからはもう隠したりしねぇよ。その代り、何かあった時はお前も」

「ああ、分かっている」


 もう隠し事はなしにしよう。隠したところで気付かれるのがオチだって分かったし。
 さてと。話は終わったけど、授業は半分も過ぎてるしこの時間はこのままサボりだな。今更戻ってもしょうがねぇから。


「シルバー?」


 あとどれくらいだろうと時計を確認しようとしたところで、シルバーがそっとオレに触れた。それがあまりにも優しく触れるから、どうしたのかと声を掛ける。
 けれど返事は返ってくることなく、代わりに暫しの沈黙。疑問に思いつつもう一度名前を呼ぼうかと思ったところで、銀色の瞳とかち合った。


「……痛むか?」


 たったそれだけの言葉だけど、シルバーの言いたいことは伝わった。シルバーが触れているのは、さっき壁に押さえつけられた右肩と右腕。
 ああ、なんだ。そういうことか。
 その行動から見えるシルバーの心に、オレはつい笑みを零した。そんなオレにシルバーは不思議そうにこっちを見ている。


「そんくらい大丈夫だっつーの。心配性なんだよ、お前は」

「だが、痛かっただろう。すまなかった」

「もう良いって。オレも悪かったし」


 怪我なんてそこまで酷くもないし、どっちもどっちなんだ。シルバーが謝る必要なんてない。
 けど、そうだな。どうせ残りの時間はここに二人っきりだっていうのなら。その優しさに触れていたい、と思っても良いかな?


「ありがとう」


 シルバー。好きだよ。
 ぎゅっと抱き着くと、シルバーは優しく抱き返してくれた。それから「オレもだ」と声が返ってくる。小さく呟いた言葉はしっかりと届いたらしい。



 隠していたのは、大好きなお前を心配させたくないから。
 隠されても、気になって心配してしまうのはお前が大好きだから。

 その心は同じ。だから、これからは隠し事はなしにしよう。
 どちらもお互い様なのだから。










fin