一つ、また一つ。指を動かしていく。慣れたような手付きで滑らかに動いていたかと思えば、途端に指が止まる。そんなことを繰り返しながらどれくらいの時が流れただろうか。静かな空間に響くように鳴り響く音。
 どこまでも遠くまで響いていく。そんな夕暮れ時。








 一日の授業も終わり、生徒達は下校をしたり部活に向かったりしていた。数刻前とは変わり賑やかになった校舎。また明日、という挨拶が多くの場所で交わされている。
 そんな光景を見ながら、シルバーはどこに居るかも分からない人物を探しながら学校を歩き回っていた。別にわざわざ探す必要などないのだが、いつも一緒に帰っている人物が居ないとなれば気になってしまう。特に約束した訳でもないのだから置いていっても良いのだが、なんとなくこうして探しに歩いていた。


「放課後になって大分経つが、アイツはどこに居る……」


 いつもであればサボっていてもホームルームには戻ってくる。それが今日はその時間になっても帰ってこないかと思えば、放課後になってもなかなか教室に現れない。鞄が教室にあるのだから帰っていないのは確かだが、彼の居そうな屋上や中庭には姿が見当たらなかった。
 こんなに探しても居ないのであれば、本当に帰ってしまおうかとも思う。けれど、ここまで探したのであれば逆にどこに居るのか気になる部分もある。それで各階を順に探しているのだが、全くどこに行ったのやら。携帯に連絡をしても何も帰ってこないのだからどうしようもない。


「メールをすれば普段はすぐ気付く奴なんだが」


 気付かないということは寝ているのか、それとも単純に気付かなかっただけなのか。前者の方が可能性としては高そうだが、アイツは寝てたとしても起きることが多い辺りどっちもどっちだろう。こうやって考えていても見つかるわけではないと、ひたすら足を進める。
 三階、二階、一階。上から順に降りてきているけれど未だに見つからない。本当にどこに居るのだろうかと思い出した頃、一つの風が通り過ぎる。それと同時に、ピアノの旋律が聞こえてくる。


(吹奏楽部、なら他の楽器の音もする筈だろう。それなら別の誰かか?)


 音のする場所は音楽室。普段なら誰かがピアノを弾いているで片付けてしまうが、何故か今日はそこで足が止まった。すんなりと心に響いてくる音。聞き心地の良いメロディに、自然と音楽室の前までやってきていた。
 誰が居るのかも分からない。入るのは止めておくべきだろうか。そう思いつつも、その音に呼ばれるようにシルバーは音楽室の扉に手を掛けた。


「あれ、シルバーじゃん」

「ゴールド?」


 そこには、この場所に居るのは不釣合いのような、先程からずっと探していたその人の姿があった。学校中探しても見つからないからどこに居るんだと思っていたところではあったが、まさかこんな場所に居るとは思わなかった。
 とりあえず、相手が友人であった為にそのまま音楽室に入る。辺りを見回してみるが、この教室にはゴールド一人しか居ないようだ。


「もう放課後だが、お前は帰らないのか」

「え、マジで!? いつの間にかそんな時間になってたのかよ」

「……気付いていなかったのか」


 考えてみれば普段からサボるゴールドが放課後になっても戻ってこない理由といえばそれくらいしかないだろう。かくいうシルバーもよくサボっているのだから人のことをいえるような立場ではないが。


「じゃぁ、そろそろ帰るか」


 放課後だというのにいつまでも学校に残っている理由はない。ゴールドは立ち上がると、開けっ放しになっていた窓を閉める。
 その様子を見ながら、シルバーはそういえばと気になったことを口にする。


「さっきピアノの音が聞こえてきたが、アレはお前か……?」

「あーピアノな。久し振りだから全然指が動かなかったけど、弾いてたのはオレだぜ」


 やはりというか意外というか。ここにはゴールドしか居ないからそうなのだろうと思う反面で、コイツがピアノを弾けるのかという疑問を抱いていたのが漸く解決された。さっき聞こえてきた音はゴールドが奏でていたもので間違いなかった。
 それにしても、あのゴールドとピアノ。これでも中学からの付き合いなのだが、ピアノが弾けるというのは初めて知った。あんな性格のゴールドに楽器を扱えたのか、と失礼なことを考えているのはここだけの話だ。


「似合わないな」

「ウルセーよ。やってたのは昔の話だって言ってんだろ」


 確かに久し振りと言っていたのだからそういうことなのだろう。習い始めたきっかけなんて覚えていないけれど、多分親とかそんなんじゃないかとゴールドは話す。なんでも幼稚園の頃のことらしく、覚えていないというのも無理はない。それから小学生の頃は続けていたらしいが、中学に入る時に合わせてやめてしまったらしい。
 二人が出会ったのは中学に入学した時だったのだから、丁度その時期と重なっていたのだろう。シルバーが知らないのも当然だ。


「どこでサボろうかって歩いてたら鍵開いてたからさ。なんか懐かしくてな」


 そう言いながらそっと鍵盤に手を乗せる。もう何年もやっていないといっても、昔やっていただけあって思い入れがあるのだろう。そうでもなければ、開いている音楽室に入ってピアノを弾いたりなどしない。
 だが、それだけ間が開いていれば当然ブランクはある。頭では分かっていてもなかなか指が動かずに上手く弾けなかったというのが現状だ。


「弾いてなかったから指が動かないのなんてのは当たり前なんだけどよ」

「そんなに言う程でもないと思うが」

「お前が来た頃には少しは感覚戻ってきてたからな」


 少し動かすだけでも慣れてきて弾けるようになってくるものだ。そうはいっても、習っていた頃よりも結構腕は落ちていて指が縺れてしまったりするけれど。
 それでもピアノという楽器を弾いたことのないシルバーからすれば、それなりに弾けていたのではないかと思う。その綺麗な音に呼ばれるようにこの音楽室にやってきたのだから。


「もう弾かないのか?」


 窓を閉めて鍵盤も閉じ、帰る支度をしているゴールドに尋ねる。そんなことを言われるとは思っていなかったのか、驚きの表情を見せた。なかなか戻らないから探しに来たことくらいは分かっていたが、そう言われるのは予想外だ。


「まぁ、そうだな。もうやめちまって大分経つし。何、そんなにオレの音が気に入った?」


 最後は冗談交じりに尋ねるが、これもまた意外なことに「そうかもしれないな」なんて返ってくるものだから調子が狂う。J−POPなどの音楽はそれなりに聞くとはいえ、音楽の授業をまともに受けていないのはお互い様。こういうことに興味があるとは思わなかったと思ったままに口にすれば、別に興味がある訳ではないと返される。それはつまりどういうことかなんて、言い出したのは自分なのだからすぐに気が付いた。


「お前、ホント馬鹿じゃねーの」

「自分で言っておいてそれを言うか」

「だって、お前。いつもならただ気になっただけとか適当に返すだけじゃん」


 何で今日はこんな流れになってるんだよ。そんなことを思いながら、もうさっさと帰ろうと教室を出ようとして不意に足を止めた。どうしたのかと疑問の色を含めた銀色が見守る中、ゴールドは先程閉めた鍵盤をもう一度開いた。


「今から帰るのも五分後に帰るのも同じだろ。弾いてやるよ」


 恥ずかしいことをさらっと言うなと思ったけれど、少なからず嬉しいと思うところもある。久しく弾いていなかったけれど、何年も続けていただけあって弾いてみれば楽しいものだ。それを好きと言ってくれる人が居るのなら、その人のために引くのも悪くない。
 珍しいゴールドの反応に、今度はシルバーが驚かされる。普段ならあのままさっさとしろと先に行って、強引に照れ隠しをするというのに。だが、もう一度あの音を聞けるということは純粋に嬉しくもあった。


「何を弾くんだ?」

「希望があれば聞くけど、学校だから譜面もないし有名なモンならそれなりに出来る程度だぜ。先に言っとくけど、久し振りだからあんま上手く弾けねぇからな」


 そうは言われても、分かるものなんて授業で聞いた曲やよく流れているような曲ぐらいしかない。お前が弾きたいもので良いと伝えれば、それじゃぁと頭に浮かんだその曲を演奏する。指がしなやかに動き、それぞれの音がハーモニーを生み出す。遠くで壁越しにくぐもって聞こえていた音が、透き通るように響いてくる。
 流れるように鍵盤を奏でていく様子に見惚れていると、名前を呼ぶ声に反応が遅れる。一曲を弾き終わるまでの時間はこんなに早いものなのか、とシルバーは初めて感じた。


「どうだった?」

「あぁ、良かったと思う」

「そうか。ちょっと詰まったけど、大体こんなもんだろ」


 そう言って微笑むと、今度こそ鍵盤を閉じる。時計に目をやればそろそろ部活以外の生徒の下校時間になりそうな刻を示していた。早いところ音楽室から出なければ、見回りに来た教師に何を言われるか分からない。これはさっさと教室に戻って荷物を持って帰った方が良さそうだ。


「待たせて悪かったな。先公が来る前に帰ろうぜ」


 椅子から降りたゴールドに合わせて、シルバーもドアに向かう。それから教室に立ち寄って鞄を持つとそのまま下駄箱へと向かい家路につく。

 オレンジ色に染まった空の下、二人並んで帰る姿はいつも通りの光景。


「ゴールド」


 そんな中で呼び掛ければ、何だよと金色が振り向く。何ら変わりのない日常の帰り道。もう五年の付き合いになるけれど知らないこともまだあるのかもしれない。互いに色んな一面を見てきたけれど、他にも知らない意外な一面を持っているのかもしれない。
 今日はその内の一つを知ることが出来た。そして、知ったからにはそれで終わりというのは勿体ない。あんなにも綺麗な音を奏でるのだから。


「またいつか弾いてくれないか?」


 ピアノをやめてから弾いていなかったというけれど、シルバーはあの音が好きになっていた。だからまた聞きたいと思ってしまう。
 一方、言われた方のゴールドは目を大きく開いて銀を見詰める。


「別に良いけど、久し振りに弾くと結構酷いもんだぜ?」

「そんなことはないと思うが。オレはお前の音が聞ければ良い」


 またそんなことを、とはゴールドの心の中で呟いた言葉。だが、それを嬉しいと思ってしまう辺りオレもオレかと考える。


「シルバーがピアノにこんなに興味持つをは思わなかったぜ」

「オレはお前がピアノを弾けるとは思わなかった」

「似合わねーって言うんだろ。オレだって分かってるよ」


 音楽室に来た時にシルバーの言っていた台詞を思い出す。それはゴールド自身も分かっている。好きでやっていたわけじゃない、と言わないのはなんだかんだでピアノが好きだからだろう。多分親がやってみないかと提案したんだと思うけれど、ちゃんとしたきっかけなんてもう忘れてしまった。けれど、好きでもなければ続けることなんて出来ないのだから。
 そのようなことを考えていると、隣から「いや」と否定の言葉が紡がれる。


「ピアノを弾く姿は様になっていた」


 突然言われた言葉に、暫くの間を置いてからゴールドは「そうかよ」とだけ返した。数分でそんなに変わるものなのか、という疑問はシルバーからしてみればおかしなことではない。
 音だけを聞いてそれが彼のものだと知って変わった組み合わせだと思った。だが、実際に弾いている姿を見たら合っているなと感じた。ただそれだけのことだ。


「じゃぁ、今度お前が家に来た時に弾いてやるよ。譜面はまだ残ってたと思うから、そん時は希望も聞けると思うぜ」

「あぁ、楽しみにしている」


 そう約束を交わして笑みを零す。それからコンビニに寄って買い食いをしたりしながら家に向かい、近所まで来たところで「また明日な」と手を振って別れた。いつも通りの帰り道。




 心に響く音に呼ばれて辿り着いた音楽室。その音をまた聞きたいと思った。
 奏でた音が風と一緒に届いた。その音が好きだと言われた。


 沢山の音色のメロディが重なって奏でるハーモニー。そこから広がる僕らの世界。


 お前の音が聞きたい。その指が奏でる音が好きだから。
 お前のために弾いてやるよ。この音が好きだと言ってくれたから。










fin