新しい学校に入学して早数ヶ月。期末テストが近付いている今、ゴールドは頭を悩ませていた。その原因は、刻一刻と迫ってきている期末テストそのもの。
 今回のテストで赤点を取った者は夏休みに補習を行うという話を担任がしたのはテスト期間に入ってすぐのことだった。普段はお世辞にも授業を受けているとは言い難く、宿題の提出率はそこそこ。一月程前の中間テストでは、赤点にはならない程度の点数。誰がどう見てもこのままでは貴重な夏休みが潰れる可能性は高い。
 さて、それを回避するためにはどうすれば良いだろうか。自力で勉強なんて難しい。かといって、勉強をしなければ点を取ることは不可能。散々悩んだ挙句、ゴールドは携帯電話を開いた。








「全く、何をしている」


 開口一番に怒られた。だがそれも無理はない。いきなり電話をしてきたかと思えば、勉強を教えてと言い出したのだ。それが昨日の晩の話。
 とりあえず家の中に上がると、テーブルを挟んで向かい合わせに座る。ゴールドが勉強をするにはどうしたら良いかと考え抜いた末に出した結論は、目の前の彼に勉強を教わるということだった。ダメ元で頼み込んでなんとか見て貰えることになり、彼の家を訪ねたのが数分前。そしてこの台詞である。


「何って言われても、赤点取りそうで大変なんだよ」

「それはお前の自業自得だろ」


 シルバーの言うことは尤もだ。今までしっかり授業を受けていれば、こんなことにはならなかっただろう。全てはゴールドが悪いのだから、シルバーが協力をしてやる筋合いはない。
 そもそも、二人は別の学校に通っているのだ。どうして同じ学校の生徒ではなく自分を頼ってくるのだとシルバーは言いたい。それに対しては、頭良いし教えるのが上手いからという答えが返ってきたが、他校となればやっている勉強内容が違うなんてよくあることだ。どう考えても効率が悪い。


「クリスは同じ学校だろ。オレよりクリスに聞けば済む話だと思うんだが」


 クリスというのは、二人の幼馴染。高校に進学する際にゴールドとクリスは同じ学校に進んだが、シルバーは別の学校を受験した。だから今までは一緒に居ることが多かったけれど、高校に入ってからは会うのはこれが初めてだ。連絡を取り合うことはあれど、それぞれの学校生活があってなかなか会えなかったのだ。
 先程のゴールドの主張を聞く限り、シルバーでなくクリスでも十分適任だ。クリスは成績も良く、中学生の頃はシルバーと二人に勉強を教えて貰うことも少なくなかった。


「いや、クリスに聞いたら絶対怒られるじゃん」

「オレなら怒らないのか?」

「そうじゃねーけど……。まぁ、クリスとは色々あんだよ!」


 強引に話を終わらせる。これ以上追及されても答えに困るからだ。どうしてクリスに頼まなかったのかといえば、頼めない理由があるからに他ならない。他校であるシルバーは知らないが、この数日に色々あったのだ。
 色々といっても、ゴールドがクリスに頼んで宿題を写させて貰ったりノートを借りたりだ。テスト後のノートチェックは幾つかの科目であり、これが意外と点数配分が大きかったりする。その為に取っていない部分のノートは借りて写させて貰うしかなかったのだ。クラスメイト達も同じように何人かがノートの貸し借りをしている。それを全部クリスに頼んだ結果、勿論怒られたが何とか借りることは出来た。それで更に試験勉強もなんて話をしたなら、今度は何を言われるのか分かったものではない。


「とにかく、勉強教えてくれよ」


 もう他に頼める人は居ないと、ゴールドはシルバーを頼ったのだ。クリス以外にもクラスメイト等選択肢はあったけれど、その中でもやっぱり幼馴染を選んだ。他校生とはいえ、頼れる友人であることに変わりはないのだ。
 シルバーは溜め息を一つ吐いて、それから「さっさと教科書とノートを出せ」とだけ言った。それを聞いてゴールドは「ありがとう、シルバー!」と飛びつくものだから、さっさと引き剥がして「良いから準備しろ!」と声を上げた。

 広げられたノートはまだ綺麗で、幾らか使われているらしいが真新しいように見える。その使われている部分というのが、数日前にクリスに借りて写した分だったりする。つまりは、本当に使い始めたばかりのノートなのだ。
 テストの範囲を確認すると、早速テスト勉強に取り掛かる。ゴールドに勉強を教えながら、その合間でシルバーも自分の勉強をしている。飲み込みは良い方なのだから、真面目に授業を受けていれば直前に苦労することはないだろうと思うのは幼馴染達だ。それでも本人が取り組まないのだから、いつもこうなるのだが。


「これで、数学は終わりか?」

「範囲はここまでだって言ってたから、これで大丈夫だと思う」


 その範囲を誰に聞いたか、なんていうのは最早言わなくても分かるだろう。注意をしながらもなんだかんだで教えてくれる幼馴染の彼女だ。
 一つが終わったのなら次の教科に取り組む。シルバーとゴールドが一緒に居られる時間は限られているのだ。余計なことをしている時間はない。また新しい教科書とノートを開いては、シルバーは丁寧に一つずつ説明を始める。ゴールドもそれをしっかり聞きながら問題へと取り組んでいった。


「やっと終わった……!」


 此処に来たのは太陽が真上にある頃だったというのに、その太陽も今や大分西の空に沈んでいる。家が近いから時間の心配はしていなかったが、随分と長い時間勉強をしていたようだ。


「シルバー、ありがとな。お蔭で赤点は回避出来そうだぜ」

「そうか。テストまでに忘れないようにな」

「流石にオレもそこまで馬鹿じゃねぇよ」


 パタンとノートを閉じて体を伸ばす。期末テストの科目は一通りやり終えた。あとはテストまでに自力で勉強をすればどうにかなるだろう。これでもしも赤点を取ったなら、シルバーやクリスに申し訳ない。ノートを貸してくれたり勉強を教えてくれた二人の為にも、ちゃんとした点数を取るように頑張らないとなと心の中で決意する。


「最初から授業を聞いていれば、毎回こんなことにならずに済むと思うんだが」

「だから、それは言うなって。教えてくれるのがお前等だから分かるんだからよ」


 それもそれでどうなのだろうか、とはシルバーの心の声だ。彼のクラスを担当している教師が聞いたらなんと言うだろうか。だが、逆に言えばシルバー達が教えるのが上手いということでもある。それは悪い気はしないとはいえ、毎度毎度では頼られる方の身にもなれと言いたい。同じ学校に通っているクリスは結構苦労しているのではないだろうかと、この場に居ない幼馴染の苦労を考えて同情する。


「あまりクリスに迷惑を掛けるな。それと、テスト勉強を見るのも今回だけだからな」


 まだ一年の一学期だったから良かったものの、これから先はどんどん内容も違ってくるだろう。現時点でさえ全く同じという訳ではないのだから。そういう意味で言えば「分かってるよ」と返事が来た。それでも同じことが起こりうるだろうとは思うが、ゴールドも自分なりに努力はするだろう。
 そんなことを考えていると「あ」と、小さな声が漏れた。何だという目で金色を見つめれば、そういえばさとゴールドは話を切り出した。


「シルバーって別に視力悪くねぇよな?」


 唐突な質問にまたいきなりだなと思いながら、これのことかと言えばコクンと頷かれた。どうしてそんなことを聞くのかというのは分からなくもないが、何も言わないから気にしていないと思っていたのだ。
 中学の頃まではシルバーは眼鏡をしていなかったが、今は眼鏡を掛けている。それを今になって聞いたのは、先程までは勉強のことで頭が一杯だったからだ。視力が悪くなったのならそれもおかしくないかと思いながら、気になったものは聞くのが早いと尋ねたのだ。


「…………そうだな」


 何やら含みのある言い方に疑問を浮かべるが、シルバーは口角を持ち上げるなりそっと眼鏡を外した。初めて見る友人のその動作にドキッと胸が鳴る。それが何かは分からないが、見慣れた顔が徐々に近付いてきて考えている余裕なんてなかった。
 予想外の行動にシルバーと名前を呼ぶものの動きは止まらず、逃げられないように腕を掴まれる。そのまま額と額がくっつくのではないかという程の距離まで二人の顔は近付いた。その間も、胸はドキドキと高鳴るばかり。


「この距離でないとお前の顔もはっきりとは分からない」


 銀色の瞳と金色の瞳。双方の瞳が今までにないくらい間近な距離でぶつかり合う。見慣れている筈なのに、なぜか視線を逸らすことが出来ない。じっと見つめられて、どうすれば良いのかと頭はぐるぐる回る。
 暫くして、シルバーは腕を離すと元の位置まで戻った。初めと同じ距離、いつもと同じ距離。それに戻ったというのに、頭は未だに混乱している。とりあえず何がしたかったのかと視線を向ければ、シルバーは楽しそうに口を開いた。


「冗談だ。別に視力は下がっていないから、この距離でも十分見える」


 それを聞いて、漸くシルバーにからかわれたのだと理解する。そこから段々と思考も落ち着きを取り戻していった。冗談にしたっていきなり何をするんだよ、と思いつつもゴールドは次いで出てきた疑問を口にする。


「なら、何で眼鏡なんて掛けてるんだよ」


 尤もらしい質問を投げかける。視力が下がっていないということは、その眼鏡には度が入っていないのは明白だ。今時はおしゃれで眼鏡を掛ける人も少なくないが、シルバーがそういうタイプでないことくらいは分かっている。だから尚更その理由が分からないのだ。
 だが、シルバーからの答えは簡単なもので「その方が都合の良いこともある」というものだった。それがどういう意味かなんてゴールドにはさっぱり分からなかったが、そっちの学校で何かしらあるのだろうということにしておいた。
 テーブルの上に乗せられていた眼鏡にシルバーが再び手を伸ばすと、ゴールドがまた小さく「あ」と言ったのが耳に届いた。それを聞いて、伸ばしかけた手を止める。


「今度は何だ」

「あ、いや。また眼鏡掛けるのかって思っただけ」


 それがどうしたというのか。そのまま声に出せば、別にどうしたっていう程のことじゃないんだけどとはっきりしない。いつもなら何でも言うのに珍しいなと思いつつ、先を促せば予想外の言葉が出てきた。


「見えるなら、そのままでも良いんじゃねぇ?」


 確かに、シルバーが眼鏡を掛けるのは視力の問題ではない。掛けないでも生活に何の支障もない。ゴールドがそのままの方が良いと言うのならそれでも構わない。眼鏡は見慣れていないからだろうかと思いつつ、試に理由を尋ねてみる。答えても答えなくてもどっちでも良いとは思いながら返事を待つと、ゆっくりながらゴールドは喋り出した。


「しなくても見えるんだろ?それなら、そのままの方が良いっつーか……」


 曖昧に話した後、やっぱ何でもないと言ってゴールドは顔を背けた。自分の中でも良く分かっていないものを言葉にしようとしたのが無理な話だったのだ。シルバーもなんとなく理由は予想出来ていたからそれ以上は追及せずに、眼鏡は少し離れた場所に置いてあったケースの中にしまう。
 それから時計を見れば、もう六時を回っている。それをゴールドに伝えると、何やら慌てたように時間を確認した。一連の動作にちょっとした疑問を抱きながらも、シルバーは気にせずにそろそろ帰った方が良いんじゃないかと話をする。ゴールドもそれに頷くと、教科書やノートを一気に鞄に詰め込んだ。


「今日は本当にありがとな、シルバー」

「次からは授業も真面目に受けろ」

「…………努力はする」


 その間は何だと言いたかったが、努力する気があるのなら良いことにしておく。「またな」と手を振った幼馴染を見送ると、シルバーは家の中へと戻る。
 一方、幼馴染と別れて家に帰っているゴールドの内心は未だに胸のドキドキが続いていた。こんなことになったのは初めてで、自分はどうしたんだろうと戸惑う気持ちが心を占めている。


(何でこんなにドキドキしてんだよ)


 相手が可愛いギャルや美人の姉ちゃんならまだしも。相手は幼馴染で、しかも男。あの場はなんとか普通に会話をしたつもりだけど、変だったりしなかったよなと今更ながらに心配になる。でも、そんな素振りも見られなかったから大丈夫だろうということにしておく。
 だが、これが何なのかは分からないままだ。女の子と遊んだりする時とも違う感覚。今まで体験したことのない感覚の正体が掴めない。


(あー……もう、何なんだよ!)


 一向に収まる気配のないこれはどうしたら良いのか。一人で思考を巡らせるものの、答えなんてそう簡単に見つかるものではない。あれこれ考えながら、ふと浮かんだことに思わず足を止めた。けれど、それはないだろうと否定をして再び足を進める。それはない、それだけはないだろうと。
 だけど、いくら考えてもそれ以外の答えは見つからない。むしろ、一度そんな風に考えてしまったからか他の考えが出てこない。


(まさか、な)


 たった一つの正しいかも分からない答え。もし仮にそうだったとして、これからどうしていけば良いのか。そう考えている時点で、驚きながらも納得している自分が居るということに気が付く。
 ああこれはもうダメかもしれない、なんて思いながらゴールドは空を見上げた。

 高校生になったばかりの彼等の物語は、まだ始まったばかり。
 空には一番星が光り輝いていた。










fin