新年度の始まり。新入生の入学。新任教師の就任。
二年生に進級した新たな一年間が始まった。
キミを守りたい気持ち
放課後というにはもう随分遅い時間だ。オレンジ色に染まっていた空も太陽が沈むのと同時に段々暗くなってきている。東の空は昼間の明るさなど残っていない。
そんな時間に保健室の明かりがついている。教師が残っていることくらいは別に不思議なことではない。でも、今ここには教師以外に一人の生徒も一緒にいた。
「まったくよぉ、何度保健室にやってくるつもりだよ」
周りには治療するために出された救急箱が置いてある。消毒液やら絆創膏などが手の取りやすい位置に出されていて、一つずつ順番に手当てをしていく。
手当てをされている方の生徒は、教師の方を見ようとせず俯いたまま。本当は治療なんて必要ないと思いつつも、やらなければ後でこの教師が五月蝿いことは分かっている。だから、こうして大人しく手当てを受けているのだ。
「またこんなに怪我して……」
所々にある傷を見ながら言えば、銀色の目は少しだけ教師を見た。
「別にしたくてしてるわけじゃない」
「そりゃそうだろうけどよ、結局怪我してるのはお前だろ?」
誰も好き好んで怪我をしたりはしない。それならばなぜ、この生徒、シルバーはこうして保健室にお世話になっているのか。それは数時間ほど前に遡る。
授業も終わり帰ろうとした所で呼び止められ、シルバーが校舎裏に呼ばれたのは放課後の出来事だ。シルバーは普段も特別悪いことをしてはいない。ただ、赤い髪に銀色の瞳という容姿を生まれつき持っているシルバーは、何かと上級生に絡まれることがある。本人にとっては不本意であるが、何かと理由をつけて喧嘩を仕掛けてくる上級生は、卑怯にも必ず数人のグループでやってくる。一人や二人程度ならなんとかなるものの人数が多くなれば、体格差からしてもシルバーの方が不利であった。
それからどれくらい経っただろうか。怪我をしたシルバーを教師のゴールドが見つけて、この保健室まで連れてきた。そして、今に至るというわけだ。
「教師の立場上、手を出せなんて言えねぇけど。何でこうあるんだろうな」
シルバーがゴールドに連れられて保健室に来ることは、今回が初めてではない。もう既に何度もあることなのだ。それなのに、学校で問題として上がってこないものをどうにかするのは難しい。なぜ問題にならないのかといえば、他の教師が気付かないというのもあるけれど、それ以上に教師達が厄介事にわざわざ首を突っ込もうとしないのだ。その辺はこの学校の性質上とでも言っておこうか。簡単に説明すれば、その生徒達を注意した後の親達の攻撃が半端ではないのだ。
それでも、ゴールドは職員会議でこのことについて訴えたことはあるのだ。だが、結局他の教師には相手にされずに流されて終わってしまったというのがこの学校の現状だ。
「向こうも懲りないっつーんだから面倒だしな」
「なぁ」
話しながら手当てをしていたら、シルバーに声を掛けられる。その声に「何だ?」とだけ返せば、言おうか迷っているのか視線が動いている。少しして銀色は金色を真っ直ぐ見つめると、シルバーはゆっくり口を開いた。
「なんでアンタは、いつもオレの手当てをするんだ?」
投げかけられた疑問に、ゴールドはきょとんとした。手当てをする理由など、決まっている。
「なんでって、お前が怪我してくるからだろーが」
「放っておけばいいだろ。保険医でもないのに」
「保険医じゃなくても、それ以前にオレはお前の担任だっつーの」
そんなこと、気にすることじゃないだろ。
ゴールドがそう言い切ると、シルバーもそれ以上は言わない。ゴールドが自分のことを心配しているということは、気付いている。保険医のいない保健室に連れてきて、その保険医の代わりに手当てをする。体育教師だからか治療の基本知識は持っていて、いつも手際よく手当てをしてくれる。
怪我をしている人を手当てするのに、沢山の理由が必要だろうか。答えは、ノーだろう。怪我人の手当てをするのは当然のこと。他の教師がどうであろうと、ゴールドはそう思っている。
「放っておけって言われて、それこそ放ってなんかおけるかよ。ほら、終わったぜ」
幾つか合った傷はどれも適切に手当てが施されている。出していた救急道具を箱の中に順に戻していく。全部しまい終わると箱を閉じて、元の場所に片付ける。
椅子に座ったままのシルバーを見て、ゴールドも先程まで使っていた椅子に座る。俯くシルバーに、ポツリと「ごめんな」と言えば、下を向いていた顔が上がる。その表情は何で謝るんだとでも言いたげだ。
「オレに力があれば、お前が傷つかずに済むのにな」
オレが弱いからお前を助けてやることが出来ない。
そう続けたゴールドをシルバーはただ見つめた。今年から新任でやってきたゴールドは、何を言った所で相手にしてもらえない。まだ慣れていないから分からないだろうけど、といって聞く耳すら持って貰えない。
「他の先公は後が怖いからって動こうとしない。ここは学校だから生徒のことを考えるのが一番なはずなのに、自分達のことを一番に考えて行動する奴等ばかりだ」
他の教師の言うことを聞かずに行動を起こそうにも、新任という肩書きはなかなか思うように動くことが出来ない。だから、怪我をするシルバーをこうやって手当てをしてやる以外に出来ることがないのだ。 自分の無力さが嫌になる。怪我をしたシルバーを見る度にゴールドは思う。
「アンタが思い悩むことじゃ……」
「オレは、お前が傷つくのを見ていたくないんだ!」
シルバーの言葉を遮って、ゴールドは言った。たった一回や二回ならまだしも。否、それでも良くはないけれど。何度も続いているのをただ見ているのが歯痒くて。
「今のオレの立場からして、ソイツ等と喧嘩するわけにはいかねぇ。それこそ生徒を殴ったなんて言われたら大問題だ」
教師が生徒に暴力を振るった。そんなことがあった時は、どんな処分をくらうかは分かったものではない。その保護者を始め、続くように他の教師達も声を揃えて同じようなことを並べるのだろう。おそらく、この学校を辞めなければならなくなるのは間違いないだろう。
そこは、感情に流されて行動をするわけにはいかない。一人の生徒のために他の生徒に手を出したのでは意味がない。分かっていても、それとそう思ってしまうこの気持ちは別物だ。
「一人の生徒も守れないような、こんなダメな先公でごめんな」
そこまで言い終えたゴールドは、あまりにも悲しそうな表情をしていて。「どうしてアンタがそんな顔をするんだ」と言いたくなった。けれど、それ以上に言わなければいけない言葉があると思うと、金色を見つめて声を発する。
「アンタは、オレがこの学校で出会った教師の中で、一番良い教師だと思う」
そう話すシルバーの頭には、この学校の他の教師達の姿が過ぎる。二年生のシルバーが上級生に絡まれることがあったのは、一年の頃からだった。だけど、担任を始め教師達は見て見ぬ振りをずっと続けていた。そんな教師に何を言っても無駄だと、シルバーも何も言いはしなかったけれど。
それが二年になって、新任のゴールドが担任になってから世界は変わった。相変わらず上級生はやってきたが、そのことについてゴールドは真剣に考えてくれた。今まで誰も相手にしなかったのに、この教師だけは違ったのだ。
「オレは、アンタがこの学校に来てくれて良かった」
生徒のことをちゃんと考えてくれる教師。表面上は、勉強で分からない所を見てくれたり部活できちんと指導をしてくれたりと、どの教師も当てはまることだろう。だけれど、こういう面で本当に生徒を見てくれる教師がこの学校にはいなかった。
最初は新任だから、だとシルバーも思っていた。でも、毎回気にかけて心配してくれるゴールドの姿に、本当に心配してくれていることに気付いた。自分のことをこんなにも心配をして、真剣に考えて接してくれることに、少しずつ教師に対する考え方を変えさせられた。
だから、そんなに謝らないで欲しい。十分ゴールドのその気持ちは伝わっているから。
シルバーから言われる言葉は、どれも初めて聞くものばかり。他の教師には、一人の生徒に構いすぐだとか放っておけば良いと言われ。シルバー本人にも手当ては必要ないなどと言われて、自分のやっていることはただのお節介でしかなく迷惑なだけだろうかと考えたこともあった。
だけど、シルバーの口から直接そんなことを聞けるなんて思いもしなかった。その言葉が嬉しくて、一人で悩んでいた心が救われた気がする。
「嫌われてはいないんだな、オレ」
「最初から嫌いだとは思っていない。始めはしつこい奴だと思ったが」
「思ったのかよ。っつーか、お前、分かりづらい」
そう言いながら微笑む。やっと、二人の距離が一歩縮まったようだ。まだ一年間は漸く半分の折り返し地点に迎えるあたりだ。話してくれたシルバーは、少しではあるがゴールドに心を開いてくれたのだろう。その事実に、人のことを考える気持ちはちゃんと伝わるものなのだと感じる。
手当てをして話しているうちに、もうオレンジ色はすっかり消えてしまった。暗い夜空が広がるのを確認すると、もう時間が遅いことは考えずとも分かるというもの。
「さてと、そろそろ帰るか。送ってくから、行こうぜ?」
こんな時間に生徒を一人で帰すわけにはいかない。そう思って席を立ちながら尋ねる。
そっとゴールドが手を伸ばせば、シルバーは戸惑いながらもその手を掴み返してくれた。
「それじゃぁ、行くか!」
二人で一緒に保健室を出る。電気と戸締りを確認して歩いていく。やっと、一歩踏み出せた道を守りながら、他愛のない話を繰り広げて。
しつこい教師。気になる生徒。
四月からの関係はまだまだ始めのうち。やっと一年の折り返し地点を迎える短い付き合い。でも、少しずつ変わっていく関係。心を開いていける相手になっていく。
この気持ちが変わっていくのに気付くのは、まだもう暫く先のこと。
fin