こんなんじゃダメだ。もっと、強くならなくちゃ。
 まだまだ足りない。オレは強くならないといけないんだ。


「行くぜ、バクたろう!!」


 そう。強くなるんだ。コイツ等と共に。少しの時間だって惜しい。早く修行をしないといけないんだ。
 けどその反面で、何かをしていないと落ち着かない。立ち止まっちゃいけないと思うし、立ち止まってなんかいられない。それはアイツの為であり、そのことを考えたくないオレ自身の為でもあった。








「はぁ……はぁ……」


 どれくらいの時間が経ったんだろう。東から太陽が昇ってきて、今は西に傾いている。それを薄らと頭の片隅で考えながら、額を流れる汗を拭う。
 ガクン、と膝が折れる。そんなに動き回っていた気はしないけど、足にきているんだってことは分かった。それとこれとでは話は別だけど。ゆっくりと体を持ち上げて、目の前のバクたろうに視線を向ける。


「まだ、こんなんじゃ全然……。次、行くぞ」


 こちらの様子を窺うバクたろう。その瞳が心配の色をしているってことに、オレは気付かないフリをした。オレはまだ大丈夫だ。この程度のことは、どってことない。心配しなくても平気だ、と目だけで伝える。もう、そんなことにわざわざ口を開くのも億劫だった。


「バクたろう、」

「ゴールド!!!」


 指示を出そうとしたその時、背後から声が聞こえる。高く透き通った声が誰のものかなんて、分かり切っている。そりゃぁ、同じジョウトの図鑑所有者だし、此処に一緒に来ているのはオレとコイツだけだから。そもそも、此処に来ることが出来たのがオレとコイツ――クリスしか居なかった訳だけど。
 仕方なく中断して、クリスの方を向く。走ってきたせいだろう、まだ肩が揺れていた。


「どうしたんだよ、クリス」

「どうしたも何もないわよ! アナタ、今朝も早くからずっと修行してるんでしょ!? ろくに休んでもいないのに、そんなに無理してどうするのよ……!」


 あーあ、これだから真面目なヤツは。別にンな気にすることじゃねーだろ。修行をするのは悪いことじゃねーんだし。むしろした方が良いに決まっている。その為にわざわざカントーのナナシマまでやってきたんだから。それにちゃんと休んでもいる。どいつもこいつも心配し過ぎなんだよ。
 そうは思ってもそのまま言ったら怒られるだろうことは目に見えてるから「大丈夫だから心配すんな」とだけ返しておく。すると途端に水晶の瞳が、キッとこっちを見つめる。


「アナタが無理してるのくらい、見てて分かるのよ。まだ時間はあるんだから少し休んだら……」

「時間なんてねぇよ。お前だって分かってんだろ」

「けど、このままじゃ」


 何と返したところで、怒られるのは避けられなかったらしい。だけど、いつまでもクリスのお説教なんて聞いていられない。だって、オレ達には時間がないから。時間があるなんて悠長なことを言っている暇はない。今は一分一秒だって無駄にしたくないんだ。
 クリスの言葉を無視して、オレはバクたろうに向き直る。後ろから聞こえる声も気にせずに、技の指示を出す。辺りはオレンジ色に染まっていた。



□ □ □



「オレは、自分のルーツを探しに行こうと思う」


 それはシルバーがオレの家に来た時に言ったことだった。そう言い出したシルバーは俯いていて、表情は分からない。ただ、コイツがそう決心するまでにはコイツの中で色々悩んだんだと思う。小さい頃に仮面の男に攫われて、それからはブルー先輩と一緒に男の元で過ごしていた。それからずっと復讐に生きていたコイツが、自分のルーツを探そうと決めるまでには色んな葛藤があっただろう。


「そうか。まぁ、良いんじゃねぇの」


 そう返したオレに、漸くシルバーが顔を上げた。いつもと変わらない銀色の瞳がこちらを見る。


「でも、当てはあるのか?」

「それは問題ない」


 当てがあるのかと心配したけど、当てはあるのか。一応、と付け加えられたけど、それでもコイツにとっては重要なカギに違いない。二歳だった幼いシルバーが記憶に残っていることは、少なかっただろう。だから、どんなに小さなことでもコイツにとっては大きなことなんだと思う。
 それなら、オレがとやかく言うこともない。シルバーが自分のルーツを探しに行くというのなら、笑って送り出してやるのが一番だろう。それがオレに出来る唯一のこと。


「いつ行くかってもう決めたのか」

「明日には行くつもりだ」

「それはまた急な話だな」


 でもまぁ、思い立ったが吉日っていう言葉もある訳だし。いや、シルバーがいつ決めたのかなんて知らないけど。細かいことはどうでもいーよな。


「気を付けて行けよ」

「あぁ」


 それがシルバーと交わした最後の言葉になるなんて、その時は思いもしなかった。





 ポケギアがやけに鳴り響き、嫌な感じがする。ずっと鳴り続けるポケギアに、やっとのことで通話ボタンを押した。そして、そこから伝えられた内容は信じ難いものだった。
 先輩達が、シルバーが……。
 ろくに通話の内容を理解出来ないまま、とにかく必要最低限の物だけを持って、オレは家を飛び出した。


「ゴールド……?」


 勢いよくドアを開けたりしたら普段なら怒られるだろうけど、今のオレにはそんなことを気にしたりなどする余裕はなかった。激しいドアの音に、クリスがこちらを振り返り確認するように名前を呼んだ。
 そして。


「クリス……これは…………」


 俯いたクリスの言いたいことは、嫌でも分かった。数十分前に切羽詰まった声で連絡をしてきたのは、クリスだった。オレもそれを聞いてここまで飛んできたんだ。
 信じられない、そんなことがあるはずない。
 そう思っていたのに、それならこれは何なのか。分からない、分かりたくない。頭の中がぐるぐる回る。信じられないような現実に、目を背けたくなる。


「うそ……だろ……。こんなことが………」


 ある訳ないって言いたい。でも、目の前の光景がそれを許してくれない。
 どうしてこんなことになったんだ。その問いの答えは、後にオーキド博士が説明してくれた。原因は不明で、カントーの図鑑所有者である先輩達四人とシルバーが石になってしまったと。助ける方法はまだ残っていると言われたけど、オレはどこまで話を聞いていたのか分からない。全部聞いたはずだけれど、あまりにも衝撃的な出来事に頭に入らなかったんだと思う。


「シルバー……」

 その夜、今日は研究所に泊めてもらうことになったオレとクリスはそれぞれ部屋を借りていた。だけどオレは部屋を出て、例のアレのある場所に居た。
 触れてみても手には冷たさしか感じられない。今まであったはずの温かさなんてどこにもない。石になってしまったんだから、当然といえばそうだろう。でも、ついこの間までは一緒に居て話していたんだ。コイツは自分のルーツを探しに行くって、あの日がオレとシルバーの会った最後の日。
 他の先輩達とは、久しく会っていなかった。だけどこんな形で会いたくなんてなかった。そんなことを言ったってどうしようもないと知っているけれど、どうしてもそう思ってしまう。


「お前、なんでこんなことになってんだよ……」


 答えが返ってくることはない。誰も居ない部屋に静かに響くオレの声。
 あの後どうしたんだ? お前は自分の親に会うことが出来たのか? なぁ、答えてくれよ。本当は聞こえてるんだろ? なぁ、シルバー。


「畜生…………!!」


 他に人が居ないから、留めることなく頬に雫が零れた。クリスと会った時、博士の話を聞いた時、あまりにもな出来事に泣きそうになるのをなんとか堪えていた。
 でも、今は、今だけは。頬をとめどなく涙が伝う。



□ □ □



 気が付くと、辺りは闇に包まれていた。あれ、オレはどうしたんだっけ。確かクリスがやってきて、それでもオレはバクたろうと修行を続けようとして。その先の記憶がない。どうやら気を失っていたらしい。
 それにしても、またあの夢か。オレはアレから度々アイツの夢を見る。それがこの夢だったり、アイツが消えてしまう夢だったり。要はこの事に関する似たような夢ばかりを見てるってことだ。
 あの後、結局オレは一晩中そこに居た。気が付いた時には太陽の光が部屋に差し込んでいて、朝になったんだと知った。泣いてばかりはいられない、助けられる方法があるなら一刻も早く助けたい。そう思って此処に来て、今は何日が経ったんだろう。


「気が付いた?」

「クリス…………」


 岩陰からやってきたのは、やっぱりクリスだった。心配しているような、だけど安堵しているようだった。


「クリス、オレ」

「無茶しすぎよ? ちゃんと休みなさいってあれ程言ったのに」


 それだけ言って、クリスは隣に腰を下ろした。腕を見せてと言われて差し出せば、手際よく包帯を取り換えてくれる。いつの間に怪我なんてしたのか、さっぱり覚えていない。この包帯もオレが気を失っている時にクリスが巻いてくれたのだろう。
 一通りの手当てを終えて、救急箱を横に置く。それから、クリスは視線を宙へと投げた。


「アナタが倒れてから一日が経ったわ」

「一日……そんなに経ってたのか」

「昨日の夕方に倒れたの、覚えてる? ポケモン達もみんなアナタを心配しているわよ」


 記憶の最後は夕方だった気がしたけど、その日の夜ではなく一日経っていたんだな。随分と長い時間、休んでいたらしい。手を動かしてみても普段と変わらなそうだ。足の方も疲労は大分取れたように思う。これならもう大丈夫そうか。


「そっか、悪かったな。色々ありがとよ」


 それだけを言って、膝に手をついて立ち上がる。これだけ休んだなら十分だ。さっさと修行の続きをしないと。
 しかし、立ち上がろうとしたした時。クリスがオレの腕を掴んだ。反射的にクリスの方を見るが、クリスはこちらを見ようとしない。ただ、腕を掴むのに力が入っていて、僅かに震えていることに気付いた。クリス、と名前を呼ぼうとした時、彼女の小さな声が耳に届いた。


「どうして、そんなに無茶ばかりするの……?」


 別に無茶なんてしていない。
 そう答えようとしたのに、それが形になることはなく、クリスは言葉を続けた。


「アナタ、自分の体のことを分かっているの? こんな風に修行を続けていれば、また倒れるわよ」

「今回は悪かったよ。だけど、オレには時間がねぇんだ」

「そうやって無茶する方がよっぽど時間を無駄にしているわよ!」


 声を上げたクリスは、同時に顔を上げた。そして気付いた。水晶の瞳に、透明な膜が張っていることに。今にもその瞳から涙が零れ落ちそうだった。


「無茶ばかりしてたら、出来るものも出来ないと思うの。まだ時間はあるんだから、もっと自分を大切にして……」

「ごめん。ごめんな、クリス」


 その場に片膝をついてしゃがみ、掴まれていない方の手で頬にそっと触れた。流れてくる雫を優しく拭う。
 オレは、何をやっていたんだろう。シルバーや先輩達の為にも、早く究極技を習得しなければならないのは事実だ。けれど、目の前のクリスを悲しませるのは違う。オレにもクリスにも、今はお互いしかないんだ。それを分かっていたつもりで、オレは何も分かっていなかったのかもしれない。
 後から後悔したって遅いだろう。でも、間違いに気付いたからには、もう同じ過ちを繰り返したりはしない。


「オレ、シルバー達のことばっかで頭がいっぱいで、自分のことやお前のことを考えてなかった。こんなんじゃ、いつまで経っても究極技を取得なんて出来っこないよな」

「ゴールド……」

「アイツを助ける為にも、また明日から頑張らないとな。バクたろうも修行ばかりじゃ疲れちまうからよ」


 一日。短いようで、長い時間。その間、クリスはずっとオレのことを心配していたんだろう。目の下に薄らと隈が出来ている。もしオレが逆の立場だったら、きっとクリスに同じことを言ったと思う。いつ気が付くのかと心配している時間は、とても長かっただろう。
 決められた期限の中での究極技の習得。クリスはもう究極技を習得していて、早くしなければと焦ってばかりだった。そんなオレにとって、一日は短過ぎる。
 だけど、クリスの言う通りだ。焦って無茶し続けて、どうやって究極技を取得出来るというのか。オレが無茶をすれば、バクたろうだって一緒に無茶させているって気付けなかったのは、トレーナーとして失格かもしれない。ちゃんと休む時は休んで、究極技の修行をするのが一番の近道だって、漸く気が付いた。


「ありがと、クリス。もう無茶なんてしねぇよ。んでもって、究極技を必ずものにしてみせるぜ」


 言って笑えば、クリスも小さく笑みを零した。こうやって笑い合うのも、なんだか久し振りな気がする。ちょっと前まであった普通が、一つの出来事で全部なくなってしまっていた。本当はまだ此処に残っているって、どうして分からなかったんだろう。
 オレは別に一人じゃない。クリスだって居るし、ホウエンに居るっていう図鑑所有者の後輩達もこれから協力してくれる。オレ達は全てを失った訳じゃないんだ。


「やっぱり、アナタは笑っている方が似合うわね」

「何言ってんだよ。それはお前だろ」


 せめて、これ以上何も失わないように。この笑顔だけは守っていこう。
 クリスが掴んでいた腕を引けば、そのままオレの方に倒れこむ。胸の中で、クリスが慌てている様子を見ながら、構わずに反対の手を背に回してギュッと抱きしめる。


「もう夜も遅いんだし、ちゃんと寝ろよ?」


 昨日はオレのせいであまり睡眠も取れなかっただろうから、今日はゆっくり休めば良い。反論なんて聞かないぜ? オレも一緒なら文句なんてないだろ。


「ゴールド、アナタね……!」

「どうせオレとお前しか居ないんだから気にすることはねーだろ。良いから寝ろって」

「…………もう」


 大人しくなったクリスを見てオレは空を見上げた。空には星が輝いて、月はもう真上を通り越そうかというところ。星も月もこんなに綺麗だったんだ、なんて思った。クリスに視線を落とせば、どうやら眠ったようだった。
 オレ達にはまだまだやらなければいけないことが沢山ある。でも、クリスと一緒ならなんとかなるだろう。後輩だって居るんだ。オレ達は、先輩とシルバーを必ず助け出す。
 改めてそう決意し、オレも意識を手放した。傍にある温もりがとても心地良くて安心する。今日は良い夢が見られるかもしれない。

 唯一の光を見つめ、その光に向かって歩んで行こう。
 いつか、その光を掴む日を目指して。










fin