「お前等…………」


 人気がないこの場所で、その声はここにいる全員に行き届く。静かに、低い声が響く。彼の目の前にいる人達は一歩後ずさる。けれど、それ以上は出来ない。


「いい加減にしろよ……」


 逃げることを許さないかのように、金の瞳が少年達を見た。








「どういうことですか」


 放課後の職員室。担任代理としてクラスにやってきた教師に尋ねる。
 それも今朝、この担任代理教師が「今日からこのクラスの担任になった」と告げたことから。生徒達の反論も聞き入れられず、結局そのまま有耶無耶のまま教師は教室を出て行ってしまったのだ。そのことを知るために、シルバーはここまでやってきた。


「何がだ?」

「クラス担任が来ない理由だ」

「君には関係ないことだ。それと、口の利き方には気を付けることだな」


 朝と同じように、何も答えてはくれない。関係ないことで全て片付けてしまう。けれど、それで納得が出来るはずがない。納得が出来ないからこそ、わざわざ職員室まで理由を聞きに来たのだ。


「担任は、昨日も諸事情で休みだった。今日も諸事情で、しかも今度は今日からアンタが担任ってどういうことだ」


 このクラスの担任は、昨日も休み。その時には、諸事情とはいえただ休みだと聞かされた。それが今日になったら、まるで担任交代のように話し出すのだ。説明がないにも程がある。担任代理の教師は、「色々あるんだ」とだけ言って、シルバーを帰そうとする。そのシルバーは、理由を聞くまでは帰るつもりはない。  説明もなく担任交代。いきなりそう言われて納得出来るわけがないのだ。けれど、その教師は「君達には関係ない」の一点張り。学校で決まってしまったものを生徒が変えることは困難だ。それでも、せめて説明をするくらいあってもいいのではないか。
 そう話していると、横から別の教師が口を挟む。


「そんなに理由が知りたいのかい?」

「理由も分からないまま、納得出来ません」


 そうか、と言って話そうとするのを担任代理の教師が止める。「これはあの先生の問題で」と、生徒へ説明をする必要がないことを訴える。けれど、いいじゃないですか。もうこの学校に来れるかも分からないのだから、と説得する。それにこの生徒になら教えても、とシルバーを見た。
 言われて、渋々ではあるが担任代理も説明を了承する。そして、その教師は説明をするべく口を開いた。


「キミのクラス担任のことだろ? あの先生はね……」


 全ての話を聞き終えると、シルバーは職員室を飛び出した。それから担任に会おうとして、彼の居場所を知らないことに気付く。その事実に舌打ちをしながら、どうしようかと考える。職員室に戻っても、流石に個人情報までは教えてくれない。
 そういえば前に「何かあった時は連絡しろよ」と言って、強引に連絡先を教えられたことを思い出す。携帯を取り出すと、学校の敷地内だということにも関わらずにボタンを押した。


『もしもし』


 電話が繋がり、聞き慣れた声にシルバーはすぐに用件を伝える。


「アンタ、今どこにいるんだ?」

『は? シルバー、だよな? 何で急にそんなこと……』

「話があるんだ。オレはアンタの家も知らないし、唯一知ってたのが前に教えられた携帯番号だけだ」


 だから早く居場所を、自宅の場所を教えろ。そう言いたげなシルバーの言葉に、ゴールドは言葉に詰まる。どうして急にそんなことを言い出すのか、と考えて一つだけ思い当たることがあることに気付いた。


『……お前、オレのことを誰かから何か聞いたのか?』


 ゴールドは、自分が休んでいる理由を生徒には誰一人教えていない。担任代理をすることになった教師を始め、他の教師達も理由を話していない。先程、一人の教師がシルバーに教えたことを除いては。
 もしもその予想が当たっているとしてもそうでなくても、どちらにしろ今のゴールドは生徒には会うわけにはいかない。だから『悪いけど、ダメだ』と、普段よりも若干低く落ち着いた声で答える。お前が何を聞いたかは知らないけど、と付け加えながら。
 それ以上何も言わせないようにしようとする様子は、シルバーにも分かった。でも、ここで引くわけにはいかない理由がシルバーにはあった。


「生徒だから、なんて良いだろ」

『良くないから言ってるんだよ』

「だったら、なぜその生徒のためにここまでするんだ」


 生徒と教師。それは学校の中で結ばれる関係。教師は生徒のために勉強面から部活面、協調性などについても教えていく。それが教師の仕事なのだ。
 教師が生徒のために何かをするのは、当然のこと。その中でシルバーが言いたいのは、“一人の生徒に”ということなのだ。


『別に、どの生徒にだってオレは変わらねぇよ』

「他の生徒よりもオレのことを余計に気にしてるだろ」

『自意識過剰だって。みんな同じだ』


 否定するゴールドに、シルバーも「違う」と更に否定をした。そこには、ちゃんとした根拠もある。


「他の教師にも言われてるだろ」

『他のって……お前、一体何を聞いたんだよ』


 あくまで自分だけの意見ではないことを伝える。他の教師が誰を指しているかは、ゴールドには分からないけれど。
 そこまで話を聞いて、ゴールドは一つ溜め息を吐いた。


『で、今どこにいるんだよ』


 諦めるように、ゴールドは尋ねた。これ以上、何を言ってもシルバーが引く様子がないのは分かった。それならば、直接会って話す方が良いだろう。『本当はいけないんだけどな』とゴールドが呟くと、「今更だろ」とシルバーが返す。それには『お前がしつこいからだろ』と話す。  電話越しに話す会話は、いつもと変わらないものになっていた。またあとでと電話を切ると、二人で会って話すべく、シルバーはゴールドの元へと向かった。





 □ □ □





「それで、話したいことってなんだ?」


 いつも通りに話す。それが逆に、言うのに戸惑う。けれど、そのためにここまで来たのだ。シルバーは、ゴールドのことを見て口を開く。


「アンタ、職員会議で相当揉めたらしいな」

「揉めたっつーか、いい加減他の先公の言い分に耐えられなくてな」

「それで揉めたのか」


 別に揉めたんじゃねぇよ。
 そう言っても、揉めたということで片付けられる。揉めたのではなく言い争いになったのだとゴールドが言えば、つまりは揉めたのと同じことだとシルバーはまとめる。ゴールドからすれば、それは何か違う気がするのだが。


「それで、更に生徒にも手を出したんだってな」

「あー……あれは偶然……」


 何が偶然なんだろうか。
 そもそも、その行動自体に偶然があるのかさえ分からない。言葉の意味が全く分からずに、何が偶然なのかとそのまま問う。


「偶然会っちゃって」

「誰に」

「えっと、アレだ。その原因」


 その原因、と視線が訴える先にあったもの。それに気付いて、シルバーはなんとなく分かってしまった。ゴールドの言おうとしていることが。
 呆れるというかなんというか。「アンタ、馬鹿だろ」とつい漏らしてしまうほどに。


「馬鹿ってな……。仮にもお前の担任ではあったんだけど?」

「過去形なのか?」


 今も担任だというのに、過去形にするのはおかしい話だ。けれど、ゴールドは困ったように笑った。


「オレには、お前が何をどこまで聞いたかは分からない。でも、多分。この学校を辞めることになるだろうからな」


 これだけの問題を起こしてしまった。問題を起こしてしまった時から、ゴールドは分かっていたのだ。おそらく自分がここで動けば、それに伴って学校を辞めなければならないと。分かっていたけれど、それでも動いてしまった。
 その理由は、目の前の生徒。シルバーにこれ以上、傷ついて欲しくないから。
 ここ数日に起こした問題の理由をシルバーは知らない。それでも、その内容や先程の言葉から理由は明白になっていた。


「オレ一人のために自分の職を捨てるなんて、やっぱり馬鹿だろ、アンタ。教師にも、生徒を通して保護者にも喧嘩売ってどうするつもりだ」

「喧嘩じゃなくて、現状のこの学校の問題を提起したんだよ」


 問題提起なら、もう少し違う方法があったのではないのだろうか。何もこんなやり方で問題提起をすることはなかった。

 昨日学校を休んだ理由は他の教師と揉めたから。いつまでも生徒間での問題を放っておくことに、意見をしたこと。
 今日学校を休んだ理由は、生徒に暴力を振るった、とまではいかないが。話し合いというほど穏やかではなかったけれど、その時に軽傷では在るものの生徒に怪我をさせてしまったからだ。

 以前からそのことを職員会議で訴えてはいたが、全然聞き入れてもらえなかった。けれど、加減を知らない上級生からの一方的な喧嘩は、減るどころかエスカレートするばかり。
 流石に耐えれなくなって、言葉遣いも荒く感情的になってしまった。数日自宅謹慎するように言い渡され、所用で出掛けた先で例の上級生を見つけてしまったというわけだ。


「そういうのは、問題提起にならないと思うんだが」

「頭が固い奴等ばっかりだから、それしかなかったんだよ」


 どちらも、そこまでするつもりはなかった。だけど、何度言っても聞き入れない教師には、つい言いすぎてしまった。
 偶然会ってしまった生徒には、注意だけにするつもりが、あまりにも好き放題に言うものだから手を出してしまった。


「まぁ、結局はオレがまだ浅はかだったんだよな」


 どうなるか分かっていながらも、行動に移してしまった。いくら他の教師が聞く耳を持たない態度でも、生徒が何を言おうと。感情的にならないようにしなければならなかったのだ。それでも行動に移してしまったのだから、最終的にゴールドが悪いということになってしまうのだ。


「分かっていたことだし、もうやっちまった後だからどうしようもないからな」


 処分はちゃんと受けるし、退職しろと言われたのなら退職する。その覚悟は、既にあった。
 でも、と繋がれる言葉。ゴールドには、心配なことが残っていた。


「お前が傷つくのをこれ以上見たくなかった。でも、オレのせいでお前がこれ以上酷いことをされたら」


 それが何より心配なんだ。
 ここで終わりにしたいからと、はっきり訴えた。けれど、ここで問題を起こしてしまったことが原因で、逆に上級生が今まで以上に何かを言ってくるかもしれない。そうしたら、無意味どころか、逆にシルバーを傷つけることになる。


「なんか、本当。オレはいつも何やってもダメだよな……。一番酷いのは、きっとオレだよな」


 ごめんな、シルバー。守ってやりたいのに、守ってやることが出来なくて。  弱弱しくなっていく声が紡ぐ。その声が、今のゴールドの気持ちをそのまま反映させているようで。教師に何を言ったことより、生徒に手を出してしまったことより。こんな状況になってしまってまで、シルバーを心配している。
 そして、そのせいで苦しんでいる。シルバーはここに来たのは、決してゴールドを苦しませようとしたわけではない。


「だから、何でアンタが謝るんだよ」


 ポツリ。透明な雫が流れ落ちた。一つ。また一つと、溢れるように流れ出す。


「アンタが謝る必要は、どこにもないだろ……!」


 涙が零れ落ちていく光景。
 二人だけの部屋で、己のものでなければそれは必然的に相手のもの。今まで、といってもまだ一年も経たない付き合いだけれど。彼の涙を見たのは、これが初めてだった。


「アンタは、オレのためだけに自分の仕事も何もかも捨てて……。担任だからって、それだけの話なのに」


 ふわ、と温かいものが包む。


「泣かせたいわけじゃないんだ。お前に辛い思いをして欲しくないんだ」


 そっと、頬を流れる涙を拭う。それから、優しく撫でるように輪郭をなぞる。


「謝るとまたお前に怒られそうだけど、ごめん。オレは、お前が普通に楽しく学校生活を送れれば、それで良いんだ」


 謝ることは怒られたけれど、それでも謝らずにはいられなくて。言葉を通して気持ちを伝える。自然と、抱きしめた腕に力が入る。


「担任だから、生徒だから。そうじゃないんだ。オレは、お前が、シルバーが大切だから守りたいんだ」


 伝えられる本当の気持ち。ずっと思っていた。けれど口にすることは出来なかった。
 でも、今。ここでなら伝えても良い気がしたから。否、泣かせてしまったからこそ、ちゃんと伝えなければいけないと思ったのだ。


「お前は、オレが守るから」


 叶うことなら、これからも。
 そう言い切る頃には、流れていた涙が止まっていた。代わりに、シルバーは小さく微笑んだ。


「アンタ、どこまで馬鹿なんだよ」

「また馬鹿って……。もう、馬鹿でも何でも良いけどよ」

「本当、馬鹿だ」


 それ以外には言いようがないとでも言うように繰り返す。ここまで言われて、ゴールドも否定をすることを止める。
 けど。
 続く言葉に耳を傾ければ、優しく笑って。


「そんな先生のこと、嫌いじゃない」


 だから、絶対に辞めるな。
 ゴールドは、驚いてシルバーを見た。その表情は、おそらく確信犯だ。
 もうすぐ一年になろうという付き合いの中で、初めて、先生と呼ばれた。担任であり体育教師であり、他の生徒達からは先生と呼ばれた。だが、一人だけ先生と呼んだことのなかった生徒がいた。それが、シルバーだ。
 教師を辞めるなと言われても、この学校を辞めることになるかは他の教員達が決めること。ゴールドが決められることではないけれど。


「それなら、そうなることを願ってくれよ。そうすれば、せめて今年はお前のクラス担任でいられるからな」


 まだどうなるかは分からないけれど。これ以上の問題を起こされるよりも前に、辞めることになるかもしれないけれど。
 それでも、シルバーが願ってくれれば。少しは何か、変わるかもしれない。


「ああ、願ってやるさ」


 この一年間。否、卒業まで。ずっとクラス担任でいられるように。そう願う。
 まだ一年にも満たないこの関係をこんなところで止めたくはない。初めて出会えた、信頼できる教師。せっかく出会えた、大切な生徒。
 こんなところで終わりになどしたくないと、二人は思う。


「ありがとな、シルバー」


 たった一人の教師のことをそこまで思ってくれて。
 そう話すゴールドに、シルバーは思う。それは、こちらの台詞だと。ありがとうと感謝を伝えたいのは、シルバーの方なのだ。ここまで一人の生徒のために行動をしてくれて。
 だから伝える。ありがとうを。


「オレの方こそ、ありがとう」


 言葉にしなければ伝わらないから、はっきりと形にして。ゴールドは微笑んで、銀色の瞳を見つめた。


「オレは絶対、お前を守るから」


 守ると決めたんだ。大切だからこそ守ると。ゴールド自身の手で守ると決めた。
 それを聞いたシルバーは、金色を見つめ返して。


「期待してる」


 優しく抱きしめて、思いを伝えて。温かな空気は、心も温かくしてくれる。

 まだこれから先もずっと一緒にいられますように。卒業までの間、ずっと。
 そして、絶対にキミを守るから。何があったとしても。

 オレにとって、キミの存在はとても大切なんだ。










fin