ガラッとドアを開ければ挨拶をする。ざわざわと騒がしい教室で自分の席に着くまでに何人とも挨拶を交わしていく。何の変哲もない、いつも通りな朝の始まり。
 ただし、隣の席の者だけは怪訝そうな顔を見せた。








 休み時間は常にクラスメイト達の声で賑わっているのがこの教室だ。それこそ静まり返った時には、何かがあったのではないかという程だ。
 相変わらずの賑やかさの中で、漸く自分の席までくると鞄を置いて席に着く。その時に、隣の人物が眉を顰めたのを確認する。とりあえず、朝の挨拶を投げかけるが返事はない。代わりに、別の質問が飛んでくる。


「どうしてお前がここに居る?」


 単刀直入な言葉に、思わず豆鉄砲でも食らったような表情になる。だが、言葉の意味が分からない訳ではない。


「やっぱ、お前には隠せないか」


 言いながら笑みを浮かべる。どうして同じクラスメイトにそんなことを言い出したのか、という答えは簡単なことだ。他のクラスメイトは騙せても、どうやら幼馴染みにはバレてしまうらしい。元より、隠せるとも思っていなかったが。


「それで、ゴールドはどうしたんだ」


 早く答えろと言わんばかりに、先を促す。先程からクラスメイトが挨拶をしたと思っているのは、ゴールドの振りをしている人物。つまりは、ゴールド本人ではないのだ。
 それに気づいているシルバーが、その理由を知りたくなるのも無理はない。そう思うと、大人しく答えを口にする。


「簡単なことだぜ? ゴーが来れないから、代理」

「お前、自分が欠席になるぞ」


 代理と言った彼に、シルバーは真っ当な答えを返す。だが、当の本人はさして気にした風ではなく、「だよな」と相槌を打った。
 それで良いのか、と呆れながらゴールドの代理である兄弟に尋ねる。


「良くはねぇけど」

「なら、自分のクラスに戻れ」

「しょうがねぇじゃん」


 一体何が。これだけでは、意味は伝わらない。それは、本人も分かっていたようで、その説明を付け加えた。


「ゴーが行くって聞かねぇんだから」


 出てきた言葉に、シルバーは増々意味が分からなくなる。この兄弟に頭を悩ませることは良くあるが、今回もそれに含まれるらしい。
 ちなみに、代理の兄弟なのにクラスメイトにバレなかった理由は簡単だ。その兄弟が瓜二つの双子だったからだ。
 行くと言ったゴールド。けれど、来たのは双子の兄弟。その真意は何だというのか。


「行かせれば良かっただろ」

「良くない」

「お前が無駄に欠席日数を増やす必要がどこにある」


 正論な意見を述べるシルバー。聞いた話をまとめれば、わざわざ代理を立てる必要はないのだ。
 否、そもそも代理という考えが要らないのだ。似た者同士でしか成り立たないそれは、可能な人間が少ない。部活の代理などならまだしも、こんな代理は大多数の人間には不可能なことなのだから。


「ゴーのためだから」


 告げられた言葉は、似た者兄弟だからこそ。そこに何かがあるだろうことは、シルバーにも理解出来た。こんな言い方をする時に、何もないことなどないのだから。


「何があったんだ」


 単刀直入に問う。真面目な声色に、彼は小さく笑った。


「心配なんていらねぇよ。ただ、熱が出てる癖に学校に行くっつー馬鹿が居ただけ」


 ここにきて、漸く代理の意味が分かった。何とかは風邪を引かないというが、それはまた馬鹿な話だ。熱が出ていても、あの性格が素直に休むとも思えないのも事実だが。
 だからこそ、代理なのだろう。説得をする時の様子が、目に浮かぶようだ。苦労したことだろう。けれど、疑問は残る。どうして代理が必要なのか。シルバーは、その疑問をそのままぶつける。


「それでも、お前が代理をする必要はないんじゃないか?」

「あー……それがな……」


 そこで一端、声が途切れる。この兄弟の間で、どんなやり取りがあったというのか。それに気付いたのか、徐に言葉を連ね始める。


「今日の放課後、生徒会があるだろ?」

「あぁ」

「HRもあるしさ」

「まぁ、そうだな」

「だから、居ないと困るだろ」


 誰が、とは言わない。言う必要がない。会話の途中で、その意図をシルバーは理解したのだから。


「ゴールドが居なくても、何とでもなる」

「酷ェな、シルバー」


 不思議な会話が展開される。否、これが先程シルバーが抱いた疑問の答えなのだ。この言葉の一つ一つは、本人が今朝言ったことに違いないのだろうから。
 けれど、この様子ではやはり代理は必要がないように思える。生徒会もHRも、長を支える役は何人も居るのだ。勿論、指揮を取る中心人物は必要だが、ゴールドが居なくても回らない訳ではない。


「それだけの代理なら、お前もお人好しだな」

「ゴーの頼みだし?」


 思いったままに形にすれば、代わりに何かを含んだような言い方が返ってくる。何だと言いたげに視線を向ければ、その口は単語を型どった。


「実技」

「は?」


 漢字にしてたった二文字。あまりにも短い単語を聞いて、反射的に聞き返す。


「今日、あるじゃん」


 言われれば、納得する。もう時期にやってくる学期末では、体育の実技テストがあるのだ。テスト中ではなく授業中に行われるのが、この体育実技だ。
 そう、このクラスのテスト前の体育は今日。当然、実技テストも今日になる。


「だから、休んでられねぇし」

「追試があるだろ」

「せっかくの半日を追試の為に潰したくないからな」


 追試は授業外とはいえ、実技にかかる時間はそれほどないだろ。全く、馬鹿げた話だとシルバーは思う。


「やっぱり、お人好しだな」

「オレだって、やりたくて代理なんてやらねぇよ」


 ましてや、テストの代理など。いくら容姿だけでなく成績も大してどころか殆んど変わらないとしても、テストは反則だ。いくら大事な兄弟の頼みでも、すぐに聞き入れられるものではない。
 しかし、結果として代理をやっているのだ。ズルだと分かっていても、譲れないことがあったのだ。


「追試受けろってオレも話したぜ? 生徒会とかも大丈夫だから気にすんなって」

「それで? あの馬鹿は何て言ったんだ」

「別に大した風邪でもねぇんだから、行く。酷くなったら、早退でもするからよ。……ってな」


 呆れて何も言えない、とはこういうことを指すのだろう。そう思うには十分であるような内容である。これがゴールドなら言いかねないと思える辺り、どうしようもないが。


「ゴーの奴、全然引く気がなくてさ。オレが代わりに行くってことで、強引に納得させた」


 最初は休むようにただ説得していた。けれど、横一線のままの状況に諦めて提案したのが代理役だった。それでも随分と揉めたけれど、風邪で高熱を出している奴を行かせる訳にもいかなかった。
 だから、代理として今ここに居るのだ。漸く分かった代理の意味に、シルバーも納得をする。これで良いとは思わないが、この兄弟のやり取りを考えてみればこの結論になるのも不思議ではない。


「お前も大変だな」

「アイツがもっと素直だったら良かったのにさ」

「仮にそうなったら、ゴールドではない気もするが」


 シルバーの言葉に、「確かに」と笑う声が重なった。いくら朝から苦労したからといって、すぐに説得出来たのならそれこそ心配してしまいそうだ。
 そんな会話をしていた所で、学校中にチャイムの音色が響いた。同時に、担任が教室にやってくる。


「そんな訳だから今日は宜しくな、シルバー」

「バレなければ良いがな」

「お前等以外にはバレねーよ」


 お前等、と言ったのはシルバー以外にも一人。ゴールドではないことを見破れる人物が居ることが予想できるからである。シルバーと同じ幼馴染に。
 それを読み取ったシルバーは「早めに行った方が良いんじゃないか」と助言をする。考えてみれば、後でバレて説明をするのでは相当何かを言われそうだ。先に話したとしても同じような気もするが、言わずにバレるよりかはマシだろう。そう結論付けると、後で説明をしようと心に決める。
 教師が一日の予定について話すのを聞きながら、視線は窓の外に向ける。夏を目の前にした空は、青く澄んでいた。



□ □ □



 冷たい。
 頭の片隅でそんなことを思う。それから徐々に意識が覚醒していく。重たい瞼を空ければ、真っ先に見えたのは見慣れた天井だった。


(そっか……アイツに休まされたんだっけ……)


 休む必要なんてない。それに嘘はなく、自分では大丈夫だろうと思った。いつもより少し体が重い気はしたけれど、その程度。わざわざ休むほどではない。
 けれど、それを許さなかったのは双子の兄弟。朝から口論をしていたことを思い出す。今日は色々とあったから行くと言ったけれど、最後は押し切られてしまった。それで諦めて家で過ごしていた訳だが。


(これじゃぁ、ゴーにも止められる、か)


 天井を見上げたまま、自分の一日を振り返ってそう思った。
 朝のことは、ちゃんと覚えている。けれど、それから後のことは記憶にない。全くない訳ではないのだが、ないと言って問題はなかった。それも、今までずっと寝て過ごしていたのだから。
 ゆっくり体を起こすと、何ら変わらない部屋が映る。近くにあった時計を見て、思わず苦笑いを零した。窓に視線を向ければ、オレンジ色が見えていた。


「やっと起きたんだな」


 ドアを開ける音の次に聞こえたのは、馴染みのある声。制服姿をしている兄弟の手には、ゴールドを看病する為であろう物が幾つかあった。鞄は部屋の端に置かれている様子から、帰ってきてそのまま看病をしてくれていたらしい。


「悪いな」

「全く、自分の体調くらいちゃんと把握しろよ」


 ゴールドの傍にやってくると、腰を下ろす。言葉自体は文句を言っているものの、その表情は怒っている訳ではなさそうだ。おそらく、謝罪の言葉に含まれた意味も理解してくれているだろう。あえてその意味を言わないのは、それでも伝わると分かっているからだ。
 同じ金色を持った瞳が交わる。何もかもがそっくりだと言われる兄弟。一卵性双生児である二人が似ているのは、おかしなことではない。


「熱は?」

「多分、もう平気だと思うけど」


 起きてから体温を測ってはいない為、曖昧な返事になる。だが、朝よりか楽になった感覚があるのだから、下がっているのだろう。
 その答えから数秒程経った頃、コツッっと小さな音が鳴る。一体どこから聞こえた音なのかといえば、二人の体温が交わる額からだった。手を伸ばせば届く距離にあった体温計を使わずに、何とも古典的な方法である。


「大分下がったみたいだけど、今日一日は安静だな」


 額を話して言われた言葉に「分かってるよ」と投げやりな声が返ってくる。ここまできて、今更どうこうしようとする気はないようだ。もう時間も遅いのだ。ゴロンと寝転がれば、天井と隣で小さく笑った兄弟が視界に入る。


「そういえば、シルバーとクリスが散々言ってたぜ」

「なんだよ、バレてんじゃん」

「仕方ないだろ。アイツ等は騙せねぇよ」


 尤も、クリスには自分から話したのだが。二人が今日のことで色々と言ってきたのは事実だ。シルバーはまだ良かったが、クリスに至っては案の定何をやっているのかと怒られる羽目になったのだ。


「ゴー、明日行ったらクリスに相当怒られるの覚悟しておいた方が良いぜ」


 それを聞いた途端に、嫌そうな顔をする。誰も好き好んで怒られたい人など居ない。けれど、これは怒られても仕方がないことだろう。
 今日の時点で、クリスの話の矢先はあの場に居なかったゴールドに向けられていたものが殆どだった。そして、それは次に登校した時に繰り越しで本人が聞かされるだろうという勢いだったのだから。


「なんとか避けられねぇかな……」

「無理じゃねぇの。相手はクリスだし」


 あの幼馴染から逃げるのは困難なことだ。そんなことは、これまでの経験で良く分かっている。それでも避けたいと思ってしまうが、諦めて覚悟を決めるしかないだろう。明日やってくるだろう出来事を想像して、考えを中断する。
 そんなゴールドの様子に、大変そうだと他人事に思う。けれど、言いたいことの半分くらいはおそらく今日話しただろうから、そこまで長引かないだろうと結論付ける。
 それから話を変えるべく口を開いた。


「実技も受けといたぜ。他にもゴーが言ってたのはやっておいた」

「あぁ、ありがとな」


 生徒会辺りは良いにしても、実技テストは最後まで悩んだが約束してしまったからと受けておいたのだ。教師にバレることもなければ、実際にどちらが受けても運動神経の良い二人の結果は同じなのだ。
 ゴールドがお礼を言うと、微笑みを返した。本当に良いのかと思った部分もあったが、それでゴールドの体調が回復したのなら何よりだと思うのだ。


「あ、そうだ。アレもやっといたから」


 付け加えるように言われた言葉に、ゴールドは驚いたようだった。それは抽象的な言葉だったが、しっかりと通じていた。
 一度目を閉じて、ゆっくりと目を開ける。


「気付いてたのか」


 それには「ゴーのことだしな」とだけ言われた。元より隠し事などしていないが、この兄弟には何でもお見通しのようだ。
 まぁ、それはオレも同じか。
 そう心の中で思いつつ、ゴールドは目の前の双子を見た。良く似てると言われ、度々仲が良いと言われる二人。むしろ仲が良すぎると言われる二人にとって、互いの存在は掛け替えのない兄弟であり、もう一人の自分のようでもある。それ程までに、相手のことを理解している。


「ありがと、ゴー」


 もう一度、感謝の言葉を口にする。それに対して、「今度は自分でやれよ」と幾つかの意味を込めて言われたのには「あぁ」と頷いて答えた。


「早く治せよ」


 使えなくなった冷却シートを外したりと、テキパキと作業を終わらせた最後に発した言葉。それと共に落としたのは、軽く触れるだけのキス。


「うつるぞ?」

「大丈夫だって」


 何も根拠はないけれど。大分治っているとはいえ、風邪に油断は禁物だから。早く治って欲しいと願いを込めた、ちょっとしたおまじない。


「もしゴーが風邪引いたら、今度はオレが看病するよ」

「それなら安心だな」


 うつっていなければ良いと思っているのとうつっていると思っていない二人の会話は冗談交じりである。もしも本当にうつったとしてもこの言葉に偽りはないのだ。その時は立場が入れ替わるだけのことだろう。二人にとっては、その程度の認識ではないのだ。


「何か食べるか?」

「あー……昼も食べてなかったしな」

「なら今から作ってくるから、ちゃんと寝てろよ」


 それだけを言うと部屋を出ていく。ドアが閉じられるのを確認すると大人しく瞳を閉じた。次に二人が会うのはもう少し先のこと。

 似た者同士の双子の兄弟。それはまるでもう一人の自分。
 具合が悪いと言うのなら君の代わりになって一日を過ごそう。早く君が良くなることを祈って。

 金色を持った少年達がまた元気に一緒に過ごす日々は、すぐにやってくるだろう。










fin