遠くで聞こえるざわめきなんて気にせず、空を流れる雲に視線を向ける。雲は自由気ままに広い空に浮かんでいる。自由で良いよな、なんてぼんやり考えてみる。だけど自分が行きたいのと違う方向の風に乗ったら、全然違う場所に辿り着く訳で。それはそれで大変なこともあるのかななんて思ったりもして。
まぁ、自然のものである雲に思考とかそもそもないだろうという話は置いといて。つまり何が言いたいのかといえば、オレは今日この場所に来たくなかったんだ。そんな好き勝手が許されることはなく、それでも悪足掻きでこんな所には来ているのだけれど。
キンコンカンコーン。鳴り響くのは始業の合図。各教室で「起立、礼」と号令が掛かっていることなど知らずに、オレは屋上でのんびりと過ごしていた。
お年頃の悩み
今頃は一時間目の授業が始まっているだろう。屋上に居るオレは勿論サボりだ。それは良くないんじゃないかって、オレ的には問題ないから良いってことで。教師に言ったならすぐにでも怒号が飛んできそうだが、生憎、此処にはそんな人物は存在しない。
ガチャン、という重い扉の音が聞こえる。これは屋上のドアが開けられた音だ。今此処に来るだろう人物は、ある程度予想は出来ている。
「こんなところで何をしている」
頭上から降ってきた声に、やっぱりお前かと思う。顔を上げれば、予想通りの銀色とがっちり目が合った。
「見ての通りだぜ。ってか、お前も似たようなもんだろ」
授業のある時間に屋上に来ている。それも、これが初めてではなくよくある光景だ。オレがサボるのと同じように、コイツもよく此処でサボっているんだ。だから今回もそうだろうと思ったんだけど、どうやら少し違うらしい。
「それもあるが、お前を連れて来いと言われてな」
「オレをね…………」
サボるにはサボるらしい。けど、その後の言葉だ。オレを連れて来いなんていう奴は限られている。教師辺りはもうオレやコイツがサボるのは諦めているし、クラス委員も教師より注意はしてくるものの同じくだしな。
というより、今日。わざわざコイツにそれを頼むような奴は、オレの頭に浮かんでいる奴等ぐらいだろう。
「朝は一悶着やったらしいな」
続けられた内容に、オレは思わず溜め息を吐いた。頼むついでに喋ったのか、アイツ等は。まぁ、頼むとなればそうなるのが自然な流れだよな。別に聞かれて困るようなことは何一つないけど。
さて、今朝何があったのか。それは、どこにでもある兄弟喧嘩という奴だ。否、兄弟喧嘩というレベルのことは全くしていない。ただのくだらない問答を繰り広げていただけのこと。
『兄さん、今日サボる気じゃないよね?』
朝起きてまず言われたのはこれだった。学校に登校する時は一緒って訳じゃないけれど、基本的な生活習慣は同じ。だから起きるのも朝食の時間も同じである。登校も一緒の時だってあるし兄弟の大半は一緒だけど、オレは面倒でサボろうと遅くに家を出ることも少なくない。
では、どうしてこんな話になるのかといえば、今日はサボる理由があるからだ。ぶっちゃけ、オレ以外にも今日はサボりたいと思っている奴は多いと思う。現に、ここにも居る訳で。
『だったらお前もサボれば良いだろ』
『そういう問題じゃないよ』
新学期といえば始業式から始まるのはお決まりだ。ついでに新年度になれば、最初のうちにやることはやっぱり決まっている。いきなり休み明けの実力テストなんてのもこの間やったばかりだ。他に何があるって、これは学生であれば小学生でも中学生でも、そしてオレ達高校生もやる行事。喜怒哀楽がはっきりと分かる行事だ。
『別にサボろうが何の問題もないだろ。だから良いんだよ』
『いや、問題あると思うんだけど。だって後で調べに行かなくちゃいけねぇじゃん』
『そうそう。それこそ面倒なんだから、サボるのは止めるべきだと思うんだけど』
ここまでの流れで大方分かるかもしれないが、今日は所謂健康診断の日。身体測定に始まり視力検査その他諸々が行われる。その辺の内容は日付が違えど、どの学校でも必ず新年度になれば行われるだろう。中には欠席した場合は後で自分で医者に行けなんていう面倒なものまである。
『とにかく、お前等はさっさと行け』
このままでいつまでもこんなやり取りを続けるつもりはない。早いところ話を終わらせようとしたけど、それで食い下がるような奴等ではなかった。全く、誰に似たんだよ。そういうトコは頑固なんだよな。第三者に言わせれば、オレも同じなのかもしれないけれど。
結局それだけでは引いて貰えず、遅刻ギリギリの時間まで兄弟で揉め合っていた。最終的にどうなったかって? 諦めてオレが此処に居るのがその答え。
「アイツ等が聞き分け悪いんだよ」
「お前も大概だと思うが」
どういう意味だ、とは声に出さなかった。これまでの付き合いで出てくる言葉を予想することは難しくない。っつーか、それはお前も似たようなもんだろと思ったのは内緒だ。まぁ、引けないこともあるっつーのは分かるけどな。それに今日が含まれるのかといえば、オレ的には入らないけどオレの兄弟的には入っていたらしい。流石にそれくらいは分かったけど、納得してないから屋上に居る。
「別にそこまで嫌がることはないだろ」
予想通りとも言える言葉。どうせアイツ等から聞いて呼びに来たということは、そう言われるだろうとは思ってたよ。でも、それはお前だから言えることであって。
「良いよな、お前みたいな奴は」
「何がだ」
「そのまんまの意味」
相変わらずクエッションマークを浮かべている奴に、つい溜め息が漏れる。
どうしてオレが今日休もうとしてたかって、それは身体測定をサボろうとしたからに他ならない。男女問わずこれが嫌だと感じている人は少なくない筈だ。ほら、色んな意味で。
え? オレの場合? んなもん、決まってんだろ。男子高校生で身体測定が嫌だっていえば何が嫌なのかなんて絞れるだろ。本当、コイツみたいに背が高けりゃ何の気兼ねもないよな。低身長ってこと、これでも気にしてんだよ。兄弟で一番上だけど、身長は一番下なんだぜ。まぁ、皆似たり寄ったりだし全員同い年なんだけどな。
「あー……マジでサボろうかな」
「オレはお前を連れに来たんだが?」
それは最初に聞いた。でも、すんなりはいそうですなんて言う訳ないだろ。そんなにすぐはいって言えるなら朝から喧嘩を始めたりしない。後が面倒だからという理由で諦めて学校には来たけれど。
身長がコンプレックスになっているのは、オレの弟にも共通している。だからアイツも身体測定なんていう行事は嫌いだったりする。それでもサボる訳にはいかないからと諦めているんだ。こういう言い方をするとオレがガキみたいだけど、身長が高い奴は良いんだよ。二センチも差があるなら分けろと言いたい。兄弟で平均にすれば一センチくらいは伸びるだろう。これから絶対に伸びる予定だけどな。
「お前の身長オレに寄越せよ。そうすれば少しはマシになるし」
「無理だ。仮にそれが出来たとしても渡す訳がないだろ」
「オレ等の仲じゃん。そんだけあるんだから少しくらい減っても問題ないだろ」
言えば普通に問題ありだと返された。そりゃぁ身長が低くなるなんて嫌だろうけど、そうすればオレの気持ちもちょっとは分かるんじゃねーの? こういうのは同じ悩みを持った奴にしか分からないよな。
そんなことを話していると、携帯が着信を知らせてきた。どうやらメールのようだが、開かなくても差出人と内容は分かる。この状況でメールなんてしてくるのは兄弟以外にいない。
「時間だ。さっさと行くぞ」
どうやら向こうにもメールは入っていたらしい。ウチのクラスまで順番が回ってきたようだ。マジでサボろうかとも思うけれど、流石にこの行事でサボると後が面倒過ぎる。仕方なく立ち上がると携帯を胸ポケットに入れる。
「シルバー、放課後なんか奢ってよ。サボらねーから」
「何故オレがそんなことをしなければいけない」
そりゃ、やっぱり身長が高いから。勿論そんな傲慢な意見は却下された。冗談で言ったんだけどな。まぁ、そんなのはコイツも分かってるだろうけど。
「いつかお前の身長越してやる」
背が小さくならなくとも、それなら少しはオレの気持ちが理解出来るだろう。その為にはあとどれだけ身長が伸びなくちゃいけないんだろうと思ったが、なんとかなるだろう。高校生っていえばまだまだ成長期だ。これから急に背が伸びるってことも有り得ないことじゃない。
「やれるものならやってみろ」
「絶対抜いてやるからな」
そんなことを話しながら屋上を後にする。それは何年後になるだろうか。それはまだ分からない。けれどいつかそんな日が来たならば、その時は身長のことを聞いてやろう。
教室に戻ると兄弟に揃って「あれだけサボらないでって言ったじゃん」と怒られた。戻ってきたんだから良いだろと適当に受け流して、そういえばさといつも通りの雑談に流れを変える。初めこそまともに聞かないことに不満そうにしながらも、結局すぐにいつもどおりに話を始めるのだ。それがオレ達兄弟なんだ。
(ちゃんと戻ってきたから良いだろ)
(途中でこっそりサボったりしないでよ?)
(分かってるよ。オレだって面倒事はゴメンだし)
(それなら良いけど)
こっそりそんな会話もしていたが、いつも通りだ。会話の内容が正しいのかなんて声に出してないからオレには分からないけれど、コイツ等の考えていることくらいならすぐに分かる。逆もまたしかりだけど。
高校を卒業するまでの目標は、シルバーの身長を追い抜くこと。さてと、その為にもどうすれば良いんだろうか。地道に身長が伸びるのを期待して待つことにしよう。
fin