「……これ、全部やるんですか」
「当たり前だ」
分かってはいたけれどそうでなければ良いと淡い希望を持って尋ねてみる。けれどやはり答えは予想通りだった。目の前にある書類の山を眺めながら一体どれくらい掛かるんだろうなとぼんやり考えるが、答えなんて出るはずもなく。代わりに「さっさとしろ」と怒られて仕方なく手元の紙と向き合う。
とりあえずその紙に書かれている文章に一通り目を通すことから始める。次にすることはこの前教えてもらったから分かっている。一枚、また一枚と地道な作業だ。
「先輩はよくこんなこと出来ましたね」
「それがお前の仕事だ」
「そうですけど、オレあまりこういうのは得意じゃないんスよ」
得意だろうと不得意だろうとやらなければいけないからやる。これが己の仕事なのだから当然だ。それくらいのことはゴールドも理解しているから、こうして話しながらも手は動かしている。
グリーンからしてみれば無駄口など叩かずに作業をしろと言いたいところではあるが、目の前の後輩相手にそれは難しいだろうか。これでも付き合いは長い方だ。学年は違うけれど高校に入る前、中学も同じだった。その時からの付き合いだからそれなりの長さにはなる。
「アイツ等もお前にデスクワークは期待していないだろう」
「これでも頑張ってるんスけど」
ここで出てきたアイツ等というのはゴールドと同じく次期生徒会のメンバーであり、やはりそれなりの長い付き合いをしている彼の友人のことだ。授業でさえまともに聞いていないようなゴールドがこういうことは苦手だということぐらい知っている。必要な仕事はやってもらわなければ困るがそこまでの期待はしていないだろう。
別にゴールドだってそれは分かっているし期待されても困る。だが、ゴールドも自分なりに努力はしている。努力をしても結果にならなければ意味がない、という言葉は実際彼なりに頑張っているようだから飲み込んでおく。
「それが終わったら次はこっちだ」
慣れた手つきで次々と指示を出してくれる先輩はありがたいようなそうでもないような。いや、これだけ丁寧に教えてくれるのはありがたいことだ。しかし、苦手なものはやはり苦手でどうにもならない。面倒だという気持ちがあるのはこの先も変わらないのだろう。それでもやるけれど。
「先輩はこういうの得意そうですよね。慣れるのも早かったんスか?」
「別に普通だ。お前よりはマシだったと思うが」
後ろの一言は必要だったのだろうか。言われなくても自分とは比べ物にならないだろうことは分かっている。
容姿端麗、成績優秀、更に運動神経抜群と全て取り揃えている前生徒会長。そんなグリーンに勝てる要素などどこにあるのかさっぱりだ。生徒会長に勝ち負けもなければ、そういう面だけで選ばれるものではないことも知っている。
それでも、前会長と比べられることはこれから出てくるんだろうなとは思う。そういう時、たとえ色んな面で負けていたとしてもゴールドにも生徒会長としてやれることはある。それこそが会長に選ばれた理由にあるのだが、自分に出来ることを精一杯やっていれば自ずと結果もついてくるだろう。
「一先ずここにある分を終わらせたら次に移るぞ」
そう言って近くの椅子に腰かけた先輩に短く返事をしてペンを走らせる。まだ覚えて日が浅いこともあり、早いといえるようなペースではないけれど、それでも一つずつ間違いのないように進めて行く。終わったプリントはグリーンがチェックし、もし間違いがあった時は指摘してその場で直す。
こんなやり取りをするのも今日で三日目になる。他の役員も少しずつ新しい生徒会役員へと仕事を引き継いでいるが、やはり会長の仕事は教えることが他の役職よりも多い。もっとも、ゴールドがデスクワークを苦手としていることも理由の一つになっているのだが、こればかりはやって覚えてもらうしかないからひたすら数を重ねているわけだ。
「引き継ぎ期間が終わったら、これ全部オレ一人でやるんスよね……」
徐々に覚えていっているとはいえ、これを一人で捌ききる自信は正直なところない。副会長達も手伝ってくれるというのは分かっているのだが、本当に大丈夫だろうかと思ってしまう。やり始めればいずれは慣れるのかもしれないが、現状では無理だろうと思う気持ちが多いのもまた事実だ。
「お前だけで処理するわけではない。そういうことは考えず、まずは覚えることに専念しろ」
「分かってますけど、グリーン先輩のようにはいかないだろうなと思って」
「オレのようになる必要はないだろ」
確かに前生徒会長というのは一番身近な見本かもしれない。だからといって、グリーンのように何でもテキパキこなせるようになる必要はない。仲間と助け合いながらやっていけば良いだけの話だ。グリーンだって一人で何もかもしてきたわけではない。
と、言ったところでそれくらいのことは本人も分かっているのだ。それならどうしてわざわざ言葉にしたのかという話だが。
はあ、とグリーンは溜め息を一つ。
「そういうことを気にするようなタイプではないと思ったが」
前置きのように言われたそれに、全く気にしないのは無理だろうと答えるのはおかしなことではない。それも生徒会長という肩書が肩書なだけに。
それならどうして生徒会長になったのかといえば、理由は幾つかあるが大体は生徒会選挙の時に話した通りだ。それで全部というわけではないが、話すと長くなるからその辺は置いておこう。とにかく、会長になったのにはきちんと理由もある。
「お前はお前に合ったやり方をすれば良いだけだ。オレと比べても性格も何も違うのだから意味なんてない」
正論を述べる前会長に返す言葉もない。分かっていて口にしたのはこう言って欲しかった、というわけでもない気はするけれど。
それならゴールドはどうしてそんなことを言ったのか。
ゴールドとてグリーンを困らせるつもりで言ったのではない。本当にただ思ったことが口から出ただけだ。特に深い意味はない、とは言い切れないけれどグリーンの言いたいことは分かる。理解もしている。ただ、なんとなく。こうして一緒に生徒会の仕事をしながらふと思ったのだ。
「先輩と一緒に生徒会の仕事が出来るのもあと少しなんスよね」
ぽつり、呟くように零れたそれに何を当たり前のことを――と思ったが、ゴールドがそう言ったことでグリーンはなんとなく理解した。
言葉にしないと伝わらないというがその通りだなと思いつつ、寂しいのかと問えばそうではないけれどと返ってくる。それが本音かどうかは定かではないが、生徒会を引退する先輩に対して思うところがあるのは他の新役員も同じだろう。ゴールドの場合はそれだけでもないのだが、やはりそれも理由に含まれているのだろう。
「グリーン先輩、何であと一年遅く生まれなかったんですか」
「そんなことオレに言われても困る」
ここでも正論を言っているのはグリーンだ。そこまで言うのならお前があと一年早く生まれれば良かっただろうと言い返せば、無駄なことだと分かったのか溜め息で返ってきた。言う前から無駄だということくらい分かってはいたのだろうが、どうしても縮まらない年齢差が時々もどかしくなるのだ。
……とはいえ、それはゴールドだけの話でもなかったりするのだが。こちらは直接言ったことがないから彼は知らないだろう。そんなことを言うキャラではないから言うつもりもないが、今は手を休めている暇などないわけで。
「いいからさっさと終わらせろ」
くだらないことばかり言うなと一蹴すると、不満そうにしながらも「はーい」と止まっていた手が再び動き始める。
こんな会話をしているのも他の役員がいないからこそだ。珍しく二人だけだったわけではなく、他の役員は既に帰った後というだけの話である。元々やることも多くはなかった上に、その大半を前会長がコイツにやらせると引き受けたのも理由の一つだ。
「ゴールド」
真面目に作業をしている隣で名前を呼べば、手を止めずに返事だけが戻ってくる。その様子に小さく笑みを浮かべて珍しく、グリーンの方から提案を投げ掛ける。
「全部ちゃんと終わらせたらコンビニでアイスくらい奢ってやる」
言えばすぐに「マジっスか!?」と食いついてきた。全部終わらせたらだと念を押せば、分かりましたと少しだけ作業スピードが上がった気がする。全く現金な奴だと思いはしたが、それもゴールドらしいといえばゴールドらしい反応である。
近くにある窓へと視線を向ければ、太陽が徐々に傾いている。空一面が夕焼けに染まるのも時間の問題だろう。流石に暗くなるまでには帰れるだろうと考えながら、グリーンもまたゴールドが終わらせた書類を確認していくのだった。
新旧生徒会長
(グリーン先輩、これで全部ですよね……?)
(ああ、よくやったな)
(よっしゃ、それじゃあ早く帰りましょうよ!)
(戸締りくらいきちんと確認しろ)