夏といえば。
 そう尋ねられて思い浮かぶものは何だろうか。学生であれば夏休みという長期休暇を挙げるかもしれない。遊びに行く場所という点では海なんかもそうだろう。山と答える人も居るかもしれないが、海に入れるのは夏だけだ。他にも夏の風物詩である花火やお祭り、食べ物ではカキ氷やスイカ辺りは出てきそうだ。
 とまぁ、ここまで色んなものを挙げてきた訳だが現実は楽しいことばかりではない。そう、例えば夏休みに出される大量の宿題とか七月に入って早々に行われる期末テストとか。


「あー……暑いし分かんねーしやってらんねぇ」


 ゴロンと寝転がって不満を口にすると、すぐ傍から溜め息を吐いた音が聞こえる。夏なんだから暑いのは仕方ないと言われても、暑いと感じることに変わりはない。一応扇風機は動いているもののそれだけでは暑さはしのぎ切れない。
 クーラーが付いていれば快適なのにななんて思いながら、そこまでではないだろうと言われるのが分かり切っているので止めておく。快適な空間でやる方が捗ると思うのだが、そうしたらもっと勉強をやらなくなるだろうと言われるのだ。そんなことはないと言い切れないだけにどうしようもない。


「もう、さっきからそればっかりじゃない」

「んなこと言ったってしょうがねーだろ。お前は暑くねーのかよ」

「扇風機があるじゃない」


 これで涼しいなら暑いなんて言ってないとは思うだけに留めておいた。わざわざこれ以上怒らせる必要など全くない。大体、自分達は喧嘩をする為に一緒に居るのではないのだ。
 それならば何の為に一緒に居るのかといえば、それは例の期末テストが近いからだ。そう、テストまで一週間を切っている。


「大体さ、何で公式なんて覚えなくちゃなんねぇんだよ」


 当然、公式を覚えなければ問題が解けないからだ。それくらいのことは分かっている。けれどそういう話ではない。こんなややこしい公式を覚えて問題を解いたとして、こんなものは一体どこで使うというのか。もしかしたら必要な場面に遭遇するかもしれないが、足し算や引き算、掛け算に割り算辺りを覚えておけば大丈夫ではないかとゴールドは思うのだ。


「必要だからに決まってるでしょ」

「その必要性が分からねぇんだよ。それに世の中テストが全てじゃねぇだろ」


 屁理屈ばっかり言わないでよ、とクリスはまた溜め息を吐いた。必要性が分からなかろうが、テストが全てでなかろうが、自分達にはテストが迫っていてそれが少なからず成績に関わってくるのは事実だ。文句を言う暇があるのなら公式の一つでも覚えた方がゴールド自身の為でもある。当の本人がこれだから先程から全然進んでいないけれど。
 テスト前だからと勉強を教えているのにこれではクリスがここに居る意味がなくなってしまう。クリスはゴールドに勉強を教える為にやって来たのだ。これならいっそ帰っても良いだろうかと思う反面、そうしたら絶対に勉強をやらない上にテストも散々な結果になることだろう。自業自得といえばその通りだが、つい世話を焼いてしまうのは何でだろうか。


「やらないのならそれでも良いけど、それで補習になっても私は知らないわよ」


 勉強をやりたくないのなら止めるのはゴールドの自由だ。ただし、期末テストで赤点をとったとなればその後に補習が待っている。更に、その補習後の再テストでも点数がとれなかったら夏休みを返上して学校に通うことになる。
 それらを踏まえてやらなくても良いというのなら、別に強制をすることでもない。今日はこれで勉強を終わりにするというのも選択肢の一つとしてここにある。テストまでの残り数日と、テストが終わってからの長い間。勉強をする時間でいえばどちらを選択するべきなのかは考えるまでもないだろう。


「つってもよ、公式使っても解けないんだけど」

「それはアナタが途中で間違ってるからでしょ? 公式は合ってるもの」


 どうやらゴールドも今勉強をする方が良いということは分かってくれたらしい。まだやる気はそこまでないようだが、とりあえず勉強を再開するようだ。やはり夏休みが勉強で潰れるのは御免なのだろう。
 とはいえ、宿題は出されるのだから勉強はやらなければならない。最終日に纏めてなんてことはないようにして貰いたいとはクリスの心の内だ。先に釘を刺したところでそうなるだろうことは予想出来るけれども。それくらいきちんと自分で終わらせて欲しいところである。


「これがこうなら、こっちもこうなるのか?」

「ええ、そうよ。そうすればここも素直に計算できるでしょ」

「んー……確かにな。ややこしいことに変わりはねぇけど」

「文句ばかり言わないの」


 クリスの説明でなんとか問題を解いていく。数学は公式を覚えてしまえば後はそれを使えば良いだけなのだ。そこを理解出来たのなら大丈夫だろう。応用問題となると少し不安もあるが、基本問題をきちんと押さえていれば赤点の心配は要らないだろう。
 そのまま問題を一通り解き、数学の勉強は一度終わりになる。期末テストは数学を含めた五教科に加えてその他の強化もあるのだ。数学ばかりやっている訳にもいかない。いくら数学は出来るようになったところで他が何も出来ないのでは仕方がない。


「期末って教科多すぎて嫌になるよな」

「アナタが嫌なのはテストじゃない。中間テストなら良いって訳じゃないでしょ」

「……まぁ、細かいことは気にすんな」


 細かくもないのだが、突っ込んだところで流されるのだろう。今は勉強に取り組む気になってくれただけで良いことにする。それもゴールド自身の為であるものの、いちいち気にしていたらやっていられない。


「なぁ、テスト終わったら夏休みだよな」


 右手でシャーペンを動かしながら唐突にゴールドは尋ねる。それに疑問符を浮かべながらも「そうね」とだけクリスは答えた。
 七月に入り夏休みも近くなってきているこの状況で、ゴールドならテストよりも夏休みだという思考になっているとばかり思っていた。というより、間違いなくテストよりそちらのことばかり考えているだろう。それをわざわざ確認したのにはどういう意図があるのか。意図も何も、夏休みの話題といえば宿題などそっちのけで遊ぶこと以外にはないというところまで辿り着く。


「夏休みに遊ぶのは自由だけど、今はテストが先よ。それと、遊んでばかりじゃなくて宿題も毎日コツコツとやらないと――――」

「んなこたぁ分かってるよ!」


 分かっているのならちゃんとやって欲しいとクリスが思ったことは言うまでもないだろう。それなら夏休みがどうしたのよと先を促すと、ゴールドは何やら含みのある笑顔を浮かべた。


「テストで赤点とらなかったら一緒にどっか遊びに行こうぜ?」


 なんてことはない、よくある遊びのお誘いだ。この言い回しからすると、赤点をとらなかったご褒美という意味だろうか。別に出掛けるくらいいつでも付き合うが、ご褒美というには目標があまりにも低すぎないだろうか。赤点といえば今やっていることをきちんと覚えることが出来さえすれば回避出来るレベルだ。そういう誘い方をするのなら、もっと目標を高く持ってもらいたいところである。


「どうせなら百点取ったらくらい言ったら?」

「無理なこと言ったってモチベーション上がらねぇだろ」


 いきなりこんなことを言い出した理由はそれらしい。それだけでモチベーションが上がるというのなら幾らでも、とは流石にクリス自身にも予定があるのだから言えないが。遊びに行くくらい改まらなくても付き合う。それでやる気になってくれるのなら教える側のクリスとしても助かるというもの。
 だが、百点ではないにしてもやはり赤点では目標が低い。遊びに行く分には点数など関係なくてもいいのだが、この場合はそういう問題ではないのだろう。けれど、それにしたってせめて八十点くらいにはならないものだろうか。
 言えばゴールドはうーんと考える仕草をしながら体育ならいける気がすると言った。体育は得意分野なのだからそれこそ八十点は苦労せずとも取れるだろう。全教科とは言わないが今勉強をしている教科から選ばなければ意味がない。


「アナタの得意科目だと勉強も何もないじゃない」

「つったってよ、八十点なんてそうそうとれるもんじゃねぇんだけど」

「だからよ。そうね、今やっている数学で八十点なんてどうかしら?」

「数学!?」


 それは無理じゃね、と言いたげな視線を向けられる。けれどそれくらいでなければご褒美にはならないだろう。基礎はちゃんと出来ているのだから落ち着いて解けばきっととれる点数だ。応用問題もこれから挑戦してみればなんとかなるだろう。
 クリスがそう話すと、ゴールドはまた唸りながら暫くして「分かった」と頷いた。


「その代り、オレが数学で八十点を取ったらデートだからな!」

「デ、デートってアナタね……!」


 ただ遊びに行くという話だった筈がいつの間にかデートにすり替わっている。とはいえ、二人は所謂恋人という関係なのだから出掛けること一つにしてもデートといえばデートである。
 頬を赤く染めたクリスに「だってそうだろ?」とゴールドは楽しげに笑っている。楽しみにしてるからなと続けたゴールドに、それなら早く次の問題も解きなさいよと声を上げた。はいはい分かってるよと適当に流しながらも、ゴールドは端から順に計算式を解いていく。この調子で続けることが出来れば、おそらく八十点を取ることも可能だろう。それが良いことなはずなのに、素直に応援出来ないのは先程のゴールドの発言のせいに違いない。


「やっぱ夏なら海か?」

「もう、それはテストで点数が取れたらよ!」

「ご褒美、期待してるぜ」


 絶対わざと言っている。そう確信しながらも今は真面目に勉強をしていることだけを評価しておこう。テストの結果が出るのはまだ先のことだ。その時のことはまた考えることにして、クリスも自分のノートを開いてペンを走らせる。

 さて、今回の期末テスト。
 結果がどうなるのかはお楽しみ。







(絶対八十点取ってやるからな)
(ご褒美にデートなんて、本当に八十点を取ったらどうしよう)