休み時間になった瞬間に騒がしくなる校舎内。談笑をしたり次の授業の準備をしたり、短い休み時間をそれぞれ有効活用している。
 そんな授業の合間の休み時間。ドタバタと廊下を走る音が聞こえたかと思えば、ガラッと勢いよく教室を開く音が聞こえる。


「おーい、クリス! 辞書貸してくんね?」


 度々尋ねてくる同学年の友人に、クラスメイト達も慣れたものだ。いきなりやってきては名前を呼んで用件を言う。そしてそれを聞いたクリスが溜め息を吐きながらもそれを出して彼に手渡す。今年、別のクラスになってから何度このやり取りが行われたのだろうか。


「もう、ちゃんと持ってこないとダメだって言ってるじゃない」

「しょうがねぇだろ。忘れちまったんだから」


 じゃぁ借りてくな、と言って廊下を走って行く後姿に大声で注意をする。だが色々な音が多い休み時間ではその声も他の音に掻き消されてしまう。もう、と本日二度目の溜め息を吐くと始業のチャイムが鳴り響いた。




隠さ





 授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り終えると、やってくるのは次の授業の準備をする為の休み時間になる。先程の科目の教科書を終い、代わりに次の科目の教科書を机上に出しておく。それから黒板の右端に書かれた日付を見ると、この後来るであろう人物を予想して席を立った。
 その予想通り、数分後にその人物は教室を訪ねてきた。


「クリス、あのさ」

「はい、これでしょ」


 全部を言い切る前に目的の物を差し出す。あまりにすんなりといくものだからゴールドは少し拍子抜けした。
 けれどクリスからしてみれば、もう分かり切っていることなのだ。最初はそういうのは忘れないように前日に、と説教されながらもどうにか貸して欲しいと説得していた。それが段々と説教をするのも言い訳をするのも短くなっていき、今となってはこうだ。あまりに借りにくるものだから、何曜日の何時間目に何を借りに来るのかまで把握してしまっている。


「アナタ、忘れないようにするっていう心掛けはないの?」

「オレだって忘れたくて忘れてるんじゃねぇよ。持っていかないとなって思ってたんだけど、朝になったら早く行かないと遅刻しそうだったりでさ」

「だから思い出した時に準備をすれば良いじゃない」


 それを後回しにするから忘れて、このやり取りをする羽目になるのだ。ついでに言えば、朝ももっと余裕を持って行動出来るように早起きをすれば良いのだ。そうすれば遅刻しそうになって慌てて登校する必要もなくなるというのに。
 クリスがそう話し出した様子に、ゴールドはこのままではまた長い説教になると悟る。それを回避するように「オレそろそろ戻らないといけないから」と言っては自分のクラスに向かって走る。だから走るなとも何度も注意しているのだけれど、というのはクリスの内心だ。


「あ、そうだ。今日放課後あけとけよ!」


 走りながら後ろを振り返り、一言大声で伝える。それだけを言うと再び行ってしまう。一体何なのかは分からないけれど、とりあえず放課後はあけておけば良いらしい。

 何度目かのチャイムが鳴るのを聞き終えると、時刻は午後四時を指している。放課後と言われただけでどこで何をするとも言われていない為、教室に残っていれば午前中にも会ったその人がやってきた。


「クリス、帰るぞ」


 どうやら放課後あけておくように言ったのは、一緒に帰る為だったらしい。ついでに昼間借りていた物を返され、二人で下駄箱まで降りていく。それから自転車置き場まで行くと、手を伸ばされる。どうすれば良いのかと見つめ返せば、ゴールドはクリスの手に持っていた鞄に視線を向ける。


「持ってたら乗れねぇだろ」

「そうだけど……やっぱり二人乗りするのね」

「当たり前だろ。細かいことは気にすんなって。押して帰るの面倒だし」


 元々自転車通学のゴールドとバス通学のクリスだ。一緒に帰るにはどちらかが普段と違う方法で帰るしかない。その結果、ゴールドの自転車に二人乗りをするという結論に至ったのだろう。
 何を言っても無駄だろうとクリスが大人しく鞄を渡すと、手前の籠の中に自分の鞄と一緒に入れる。それからポケットから鍵を取り出して自転車に乗る。本日何度目かの溜め息を吐いて、クリスはゴールドの後ろに乗った。


「もう一学期も半分くらい経ったんだな。そっちのクラスはどんな感じだ?」

「そうね。アナタが来ることに周りも全然気にしなくなったわ」


 考えてみて真っ先に思い浮かんだことを口にすると「なんだよそれ」と笑う声が聞こえる。それもほぼ毎日やってくるのだから周りだってまたかと慣れてくるのも当たり前だ。


「そういやさ、駅前に新しい店が出来たの知ってるか?」


 話を逸らすように出された話題。そういえば最近新しい店が出来たという話をクラスの女の子達としたのを思い出す。おそらくその店のことを言っているのだろう。一応噂は聞いたことがあるとだけ返すと、じゃぁ決まりだなと声が聞こえる。それで漸く一緒に帰ろうと誘われた理由を理解する。


「そのお店に行ってみたいなら、先にそう言えば良いのに」

「だから今言っただろ。まぁ、行きたかったって訳でもねぇんだけどな」


 そんな風に話すゴールドにクリスは疑問を抱く。それなら他の理由があるということだろうか。確かそのお店はスウィーツが売りのカフェだった筈だ。ゴールドは甘い物は好きだったと思うけれど、それは先程否定されているから違う理由なのだろう。
 あれこれ思考を巡らすもののなかなか答えに辿り着かない。ヒントがこれだけしかないのだから、答えを見つけるのが難しいのも仕方ない。それに気付いたのか、ゴールドは分かりやすいヒントを挙げる。


「お前、この間の大会。勝ったんだろ?」


 それを聞いて全ての答えが揃った。クリスは先週の休みに部活の大会があり、そこで優勝をすることが出来た。だからそのお祝いに、ということなのだろう。
 素直に言えば良いのに、とクリスは小さく笑みを零す。クラスが別で話すことも少なくなり、大会のことを知っていたのには少し驚いた。けれど、どの部活でも大会があったり優勝したという話は自然と耳に入ってくるものだ。ゴールドもそうやってこのことを知ったのだろう。


「ありがとう、ゴールド」

「せっかくだし、お祝いにな」


 続けて「たまには良いだろ」と尋ねられて、「そうね」と微笑む。祝って貰えることも嬉しいけれど、こうやってゆっくり話す機会は減ってしまったから久し振りにそういう時間が出来ることにも嬉しさを感じる。ゴールド本人には黙っておくけれど。


「あ、そういや明日国語あったな。また辞書借りに行くから」


 信号待ちで止まりながら、思い出したことをつい口にする。明日の授業の持ち物を思い出すことまでは良いけれど、最後のそれは如何なものだろうか。


「思い出したんだったら、自分で家から持って来れば良いじゃない」

「家まで覚えてるか分からねぇだろ」

「そういう問題じゃないでしょ。それなら、私がメール入れてあげるわよ」


 流石にメールで明日の持ち物を送って来られたなら、ゴールドもいくらなんでも気が付く。そうすれば、メールを見てすぐに準備が出来て忘れる心配はない。
 しかし、ゴールドはクリスの提案を断る。それだとまた忘れるでしょ、と言うクリスの意見は正論だ。けれど、それで素直にお願いすることが出来ないのには別の理由があった。


「覚えてたら持ってくるからそれで良いだろ」

「良くないわよ。授業の為に必要なんだからちゃんと持ってこないと」


 適当に誤魔化そうとしても、クリス相手にこの手の話で誤魔化すことは不可能だ。真面目な学級委員タイプに何を言っても勉強なんだからとこちらが負けるに決まっている。
 何と言えば良いか言葉に迷い、ゴールドは諦めて口を開く。


「あーもう! だから、持ってきたらお前に借りることなんてなくなるじゃん」


 それはそうだろう。自分で持ってきているのにわざわざ借りる必要などないのだから。話の先が見えず、つまり何が言いたいのかと水晶の瞳が訴えている。それに戸惑いながらも、意を決して答える。


「クラス別だから、そうでもなきゃお前に会うことねぇだろ」


 金色が振り返り、二つの瞳が交差する。予想外の言葉に、クリスは思わず顔が熱くなる。それを見たゴールドもふいと前方に向き直ると、信号が青になったのを確認するなり再びペダルを漕ぎ出した。
 今まで何度言っても曖昧な返事だけ。毎日のように何かを借りに来る。それに対してちゃんと持ってくるように言っていたけれど、まさかその裏にこんな理由があるとは思いもしなかった。
 どちらともなく黙ってしまい、進んで行く周りの景色。もうすぐその店に着くだろうという頃、その沈黙をゴールドが破った。


「その、忘れたらお前のトコに借りに行くから」


 真っ直ぐ前を見たまま、すぐそばのクリスだけに聞こえる程度の声で言われる。その声に、クリスは回していた腕を少し強くギュッして。


「忘れたらよ?」


 こんなことは本当は間違っているのだろうけれど、つい許してしまった。どんな理由であれ忘れるのはいけない筈だけど、借りて使えるのだったら授業に支障はないと考えておこう。


 毎日のようにやって来ては、次の授業で必要な物を借りに来る。そして授業が終わるとそれを返しに来て。そんなやり取りをいつも繰り返す。

 ――今日もまた忘れたの?
 ――しょうがねぇだろ、忘れちまったんだから。

 そこに隠された本当の理由は二人だけの秘密。
 あまり会うことのない別のクラスだからこそ、このちょっとしたやり取りの時間を大切に。

 それは君に会うための口実。










fin