「おい、しっかりしろよ!」
必死に声を掛けるが返事はない。体についた傷が彼の怪我の酷さを物語っている。名前を呼びながら体を揺すっても目を覚ます気配がない。
離れたところから聞こえた声に戦っている相手を見る。このままでは負けてしまう。何もしなければ目の前の相手に二人共やられてしまう。
そんなことは出来ない。負けたくない。もし自分がここで負けたら、こんな奴の好きにさせてしまうことになる。それだけは絶対に嫌だ。コイツのためにも、それだけは絶対にさせるわけにはいかない。
全身の力を引き出して一気に相手に向かった。
この世界のために。友のために。
僕等の絆
この世界には幾つかの世界が平行している。例えば、この世とあの世。あの世の中でも天国という世界と地獄という世界。このように幾つかの世界が同じところを平行して存在していることがある。
その中の一つに魔法を使う人の住む世界――人間界でいう魔法使いの住む世界がある。その世界で暮らす人々は魔法を学び、魔法を普段の生活や人助けに使う。
魔法使いの多くは自分達の世界で暮らしているが、全員が全員そうしているわけではない。人間界に修行のために行ってみたいという者、人助けをしたいという人もいる。彼等は許可を取ることで人間界へ行くことが許される。それからずっと人間界で暮らすのか、それとも一定期間の滞在で戻ってくるのかは様々だ。
人間界へ行く許可を取ってこの世界を飛び出した今日もまた青年が一人。この世界へとやってきた。
「ここが人間界か。思ってたより普通なんだな」
生まれて初めて足を踏み入れた人間界。辺りをぐるりと見回してみたがそれほど変わったものはなさそうだ。
人間界というだけあって自分のいた世界とは随分と違うものかとも思ったけれど、どうやら思ったような極端な違いがあるわけではないらしい。すれ違う人々を見ても自分達とあまり違わない様子に意外と普通だというのが第一印象だ。
人間界に来たはいいけれど、これから一体何をしようか。
正直な話、何をするかを考えて人間界に行きたいと言い出したわけではないのだ。だからといって理由がなくてただ遊び感覚で人間界に来たのでもないけれど。とりあえずは人間界というものを見て回ってみるべきだろうか。
「オレのいた世界にはないものもあるけど、本で読んだ通りなんだよな……」
ここに来る前に読んだ本を思い返してそんな感想を抱く。人間界についての本を読んだのに現実がその本と全く違っていても意味はないのだが、まさかここまで正確なものだとも思っていなかった。折角人間界まで来たというのに楽しみが一つ減ったような感覚だ。何も知らないのも困るだろうと自分で読んだのだからそう思ったところで仕方がないけれど。
この様子だとこれ以上見て回ったところで特にこれといった発見もなさそうだ。適当に寝床を確保してから人間界にきた当初の目的のために動くことにしよう。そう決めて歩き出そうとした時だった。
「あれ、キミってこの辺の学生?」
誰かに声を掛けられたと気付いてすぐにそちらを振り向いた。そこには自分よりも幾らか背の低い男の姿。どうやら声の主は彼らしい。見た感じ、年は自分よりも幾つか下だろうか。
いきなり話しかけられてどうするべきかと少しばかり悩む。話しかけられれば、というより質問されたのなら答えるのが普通だろう。それはどこの世界でも共通していえることだ。だが、人間界で初めて人と話すから何と答えれば良いのか考えてしまった。といっても、時間にしたら三秒にも満たない程度だ。
「この辺じゃないけど、学生だよ」
「どこの学校なの?」
「お前には関係ないだろ」
一応、学生であることは事実だ。これでも現役の高校三年生なのだから。
それなら学校はどうしたのかといえば、ぶっちゃけていえば学業をそっちのけで人間界に来ている。勿論、人間界に行くにあたって許可を取ったりと必要な手順はしっかりと踏んでいる。学業以上に今やるべきこと、やらなければいけないことが見つかったからこの世界にいる。
だが、学校を退学したわけではなく今でも在籍していることにはなっている。そのやるべきことが終わったらおそらくまた学校にも通うだろう。形としては短期留学のようなものになっているはずだ。
だから彼の質問の答えを持っていないわけではない。しかし、どこの学校なのかを答えられない理由もあるのだ。
魔法使いが人間界に行く時の決まりとして、自分達の存在を知られてはいけないというものがある。もしも魔法使いの存在を知られてしまったなら、その者に関わる全ての人の記憶からその者を消して元の世界に帰らなければならない。ただし、一人だけには知られても構わないという変わった例外もあるが、どうしてそんな例外があるのかまでは知らない。そういうルールなのだ。
「関係ないって、そうだけどさ……」
「大体、オレとお前は初対面。オレはお前の名前だって知らないのに、何でそんなことを教えなくちゃいけないんだよ」
言っていることは間違っていないだろう。自分達は初対面。それも偶々この道端で会ったというだけの間柄だ。そんな相手に何か質問されたところで礼儀正しく全てに答えてやる義理はない。それは人間界だって同じはずだ。
それに対し、相手はきょとんとした表情を見せたかと思うとすぐに納得したように「あ、そっか!」と笑った。続いて「ボクは孫悟天」と名乗り、もう一度こちらの名前を尋ねた。
……どうやら彼は名前を名乗らないからいけないと相手は受け取ったらしい。名乗って欲しいという意味で言ったわけではないのだが、もう訂正しようとする気さえない。向こうが名乗ったのだからこれくらいは答えてやっても良いかとこちらも名乗ることにする。
「トランクス。これで気が済んだかよ」
望み通りに答えてやれば、人の話など聞いていない様子で「トランクスくんか」と繰り返した。コイツと話しているとキリがないような気がする。このままここにいたところで別の質問をされるだろうことは予想に容易い。そうなると厄介だ。こちらには答えられないことも多い。それなら早くここから離れるのが一番だろう。
そう結論付けてトランクスがこの場を離れようと足を踏み出すと、すぐに「待ってよ!」と悟天が後ろから着いてくる。本当に何なんだコイツは、と思う反面で人間界の奴はみんなこんな感じなのだろうかという疑問を抱く。けれどさっきまですれ違った人達がこうでなかった辺り悟天がそういう性格なだけかと思い直す。
「何なんだよ、お前は!」
いつまでも着いてくる悟天にそう言って立ち止まる。何か用事でもあるのか、とは聞くまでもない。さっきの今で出会った相手にどんな用事があるというのか。
一方、振り返った先の漆黒はどうして怒鳴られたのか分かっていない様子でトランクスを見ている。何だも何も、悟天がトランクスを追い掛ける理由など一つしかない。
「だって、ボクはトランクスくんと話したいんだもん」
「さっきも言ったけどオレ達は初対面だろ。よくそんな奴と話したいなんて言えるな。お前変わってるだろ」
「そうかな? でも、初対面だからっていうかトランクスくんだからだよ」
また変なことを言い出すものだから「は?」と思わず素っ頓狂な声が零れた。初対面だからではなくトランクスだからとはどういう意味なのか。お互いのことなど名前以外に知らないような相手に言うことではないような気がする。
人間界では初対面だろうとそうやって人と関わっていくものなのか。そう考えてもみたが絶対に違う気がする。というより絶対に違うだろう。それもやはり悟天だからと考えるのが妥当だ。コイツといると疲れる気がするのは気のせいではないのかもしれない。
「あのさ、やっぱりお前って変わり者だろ。初対面なのにオレだからって」
「本当だよ。よく分からないけどそんな気がする」
「……何かお前と話してると細かいことはどうでもよくなってくるな。そういえば、お前って何歳なの?」
「ボク? 十七だけど」
その答えを聞いた途端「十七!?」と聞き返してしまった。突然大きな声を出したからか悟天は一瞬ビクッと驚いたようだった。それから「トランクスくんは?」と同じことを質問されて「十八」とだけ答えると、悟天もトランクスと同じような反応をした。
「トランクスくん、もっと上だと思った」
「オレもお前が一個下だとは思わなかったよ」
まさか相手が自分と一歳しか違わない相手だとは予想外だ。年が近いだろうとは思ったけれど一つしか違わなかったとは。年齢は見た目だけでは分からないものだとしみじみ思う。
「ねぇ、どこかで話さない? ボク、トランクスくんともっと話したい」
だから何を話したいんだよと言う気にはならなかった。面倒だからではない。
「いいよ。オレもお前に興味が出来たから」
そう、初対面だというのに自分と話をしたいなんて言い出す相手に興味が沸いたから。別に時間がないわけでもない。それなら少しくらい話をしても良いかと思ったのだ。
トランクスの答えに悟天は嬉しそうに笑う。そんな悟天を見ながらゆっくり話すなら場所を移そうと近くに見えた公園に入った。
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