オルディスの地下遺跡を出たクロウはそのままオルディスの街を歩く。たかが一年では大して変わり映えもないかと思ったが、あの内戦で皇族に不敬を犯したということでカイエン公は公爵位を剥奪されたらしい。だが街並みは以前と変わらず、人の数も流石は帝国で二番目に大きいと言われるだけのことはある。
 この一年で起こったことだが、まず帝国の内戦はあの帝都決戦で終結へと向かったらしい。それからクロスベルの併合が行われ、革新派と貴族派も上手いこと折り合いを付けたことになっているようだ。俺と同じ起動者である後輩は《灰の騎士》として英雄と呼ばれ、内戦のきっかけとなったはずの鉄血宰相は今も尚生きているらしい。


(オルディーネが言おうとしたのはこのことか……)


 そりゃ言い辛いよなと思う。俺は元々鉄血を討つことだけを考えて生きてきたし、オルディーネと出会った時も俺の目的はただ一つだった。そして漸く倒したと思っていたヤツが生きていたなんて、言えなくても仕方がない。でもお蔭で何かあるんだろうなという心構えは出来ていたからまだ良かった。信じられないけどこれが現実らしい。あの化け物みたいなヤツは本当に化け物なんじゃないのかとさえ思う。少なくとも普通の人間でないことだけは間違いないだろう。


(要するにゲームに負けたのは俺の方だったんだな)


 心臓を打ち抜いても死なない相手にどうやって勝てば良いのか。その方法は全く思いつかないが、鉄血が生きているからといってもう一度ヤツを討とうとは思わない。というより、あれで死なないのなら物理的に攻めたところで無意味だ。
 鉄血が生きていることに何も感じないといえば嘘になる。だが俺はヤツにゲームで一度負けた。このままヤツを放っておけるかと言われたら今はまだ気持ちの整理がつかないが、それでも正面突破は不可能だと分かっているんだ。助けてもらった命を捨てるような馬鹿な真似はしない。


「とりあえず必要なモンを買って出発するか」


 このまま暫くはオルディスで過ごしても良いけど、パッと見た感じここはあまり変わらないように感じる。そうなるとオルディスには正直長居したくない。
 オルディスは昔からクロウが何度も出入りしている街だ。ある程度顔を知られていることと《蒼の騎士》だと知られていることはイコールではないが、ここでは色んなことをやっていただけに面倒なことが起きる前に離れるのが得策だろう。貴族連合の《蒼の騎士》だと持て囃されてはいたが、実際にクロウが出向く時は大抵オルディーネに乗っていたから意外と顔は知られていないのだ。当時は意識していなかったけれど、お陰で普通に街中を歩けるのは助かる。


(トワに会うにしても居場所が分からないんじゃ探しようがねぇし、ここからならまずは西部を回るか)


 今のところの目的はトワに会うことと今の自分に世界がどう見えるのかを知り、自分に出来ることをしながらこれからのことを考えることだ。前者がすぐに出来ることでないとすれば、後者の目的を果たしながらその手掛かりを探すのが良いだろう。いずれは東部も回るにしても西部に居るのならまずは西部だ。


(体力も落ちてるし手持ちのミラにも限りはある。やっぱ街道を歩くのが良いよな)


 時間は掛かってもこのままでは色々と不味い。普通の人間は戦闘能力なんてなくても生きていけるとはいえ、クロウにとってそれは必要なものだ。何か起きてからでは遅いし、それだけは早めにどうにかしておきたい。ここは戦闘の勘を取り戻す為にも街道で魔獣と戦いながら次の街を目指すのが良さそうだ。


「よし、行くか」


 一通り必要そうな物を買い揃えたクロウは街道へと出る。わざわざこの時間から出発することもないかもしれないが、どうせこの先は野宿だって多いだろうし気にするほどのことでもない。それに夜でしか取り戻せない勘もある。焦っている訳ではないがこの時間に出発することにも意味があるのだ。
 いつかまたこの街を訪ねることは必ずあるだろう。オルディーネがこの場所に居る以上、何年後になるかは分からないが必ずここに戻ってくる。
 ――だから、その時まで。
 そんなことを考えながら、クロウは海港都市オルディスを後にするのだった。



□ □ □



 街道に出れば魔獣に遭遇する。街灯の傍の整備された道を行けばそれほど心配もないが、戦闘の勘を取り戻す為だからわざと道を外れて魔獣を討伐する。次々現れる魔物を大方片付けたところでふうと一息吐きながら、クロウは今の自分の状態を改めて実感した。


「これはマジでヤバイな……」


 魔獣に遅れを取ることはないが戦っていると体が鈍っているのを痛感する。勘を取り戻すのはそう掛からなくとも体力を戻すにはある程度の時間が必要そうだ。そればかりは地道にいくしかないと分かっているが、こちらはひと月くらい掛かるかもしれない。そうこう考えている最中にも新たに魔獣は現れる。視界の端にその姿を捉えるとクロウはすぐに銃を構えた。
 クロウの獲物は二丁銃と双刃剣だが双刃剣は古代の遺物だ。古代の遺物を普通の人間が持っていることはまずない為、双刃剣はオルディーネの所に置いてきたのだ。あれを使うのはまたオルディーネと共に戦う時が来た時。だがその日は来ない方が良いのだろう。世界が平和ならそれが一番だ。


「とりあえずここら一帯は片付け終わったか」


 疲れたと感じるのも体力が落ちているせいだ。以前なら疲れたと思ってもここまでではなかったはずである。士官学院に入る前、いや起動者になるよりも前だろうか。ここまでの疲労を感じたのは。
 はあ、と溜め息を吐きながらなんとなしに空を見上げる。西の空に傾いた太陽の傍にはきらきらと輝く一番星。考えてみれば星をゆっくり眺めたのはいつ以来だろう。トワ達と見たのは覚えているんだが、その後はどうだったかと考えても思い出せない。全く見ていないということもなかったと思うが、なんだか物凄く久し振りのように感じる。


(暫くは体力を戻すのが優先だけど、俺も自分の道を探さないとな)


 後輩達にああいった手前、自分もいつまでも立ち止まったままという訳にはいかない。その為に各地を回ることに決めた訳でもあるが、俺にも道は見つけられるんだろうか。正直ジュライが帝国に併合されてからは一つの目的の為だけに生きてきたからその先のことなんて考えもしなかった。まあそれもこれも含めてこの旅の中で何かを見つけられれば良い。


(その時は祖父さんにも会いに行くかな……)


 最後に会ったのは故郷を捨てたあの日。あれ以来一度も顔を出していないどころかそもそもジュライにも特別実習での一件でしか帰っていない。何をやってるんだって怒られたり呆れられたりするかもしれないけど、それは自分が選んだことだから甘んじて受け入れよう。その上でこれからのことを話せたら良い。
 ――と、考え事をするのはまた後にしよう。時間は有限だ。休むのはこれくらいにしてもう少し頑張ろう。そう思った時だった。


(えっ…………)


 不意に、風に靡く亜麻色が瞳に映った。見慣れた制服姿ではなかったけれど、それでも見間違うはずがない。そして、気が付いた時には叫んでいた。


「トワ!!」


 大声で叫べば向こうも気が付いたらしい。歩き始めていた足を止め、こちらを振り返った彼女の瞳は大きく開かれた。それからゆっくりと、驚きを隠せない声で俺の名前を呼んだ。


「クロウ、くん……!?」


 どうしてこんなところに居るのか。それは分からなかったけれど、やはり彼女はトワで間違いなかったらしい。間違う訳もないが、記憶の中の彼女よりもなんだか少し大人びたような気がする。
 立ち止まったままのトワの元へ歩き、目の前まで辿り着いたところで彼女は驚きを隠せないまま確認するように尋ねた。


「ええっ!? クロウ君、だよね……!?」


 死んだと思っていた人間がいきなり現れればこういう反応にもなるだろう。だけど。


(ああ、本当に。今度は夢でも幻でもない、本物なんだよな……)


 そう思いながらクロウは小柄な彼女を抱き締めた。その温かさからやはりこれは現実なのだと実感する。自分が生きているということはとっくに理解していたが、ずっと会いたいと思っていたその人に触れて改めて実感した気がする。俺は今、ここに居るんだって。
 そして、理解出来たからこそ伝える。伝えなければいけないことが俺には沢山ある。特に彼女には。今更何を言ったところで過去は変わらないけれど、それでも言わなければいけない。


「…………悪ィ」

「クロウ君?」

「謝ることじゃねぇのは分かってる。けど、謝らせて欲しい」


 本当に悪かった。ずっと騙していたことも、オルキスタワーの件も、約束を守れなかったことも。士官学院を制圧した時のことや彼女達を裏切ったこと、他にも色々と。
 謝って済むことでもなければ今更何を言っているんだって話だ。でも俺は一度も彼女にちゃんと謝っていなかったから、それが自己満足に過ぎなくても謝らずにはいられなかった。


「……クロウ君、わたしは謝られるようなことなんて何もされてないよ?」


 だから顔を上げて、とトワは俺の背に回した手で優しく背中を叩いた。謝られることはされていないなんてことはないだろうと思うが、トワが本気でそう思っていることくらいクロウにも分かった。どうしてそんな風に言えるのか。その答えは彼女に聞かなくてもなんとなく予想が出来た。
 暫くして、クロウはゆっくりと腕を解いた。離れた黄緑色の双眸は優しげな色を浮かべている。どうして、なんて聞かないけれど。


「トワ、俺は――――」

「クロウ君は謝ることないよ。だからそんな顔しないで?」


 こちらの言葉を遮ってトワは言う。
 そういえば、あの不思議な世界でもトワは俺の言葉を遮ってテロリストのリーダーでも貴族連合の《蒼の騎士》でもなく、同じ士官学院の友人だと言ってくれた。俺が捨てたものを彼女はしっかりと拾って、それをまたこちらに返そうとしてくれる。


「もう全部終わったんだよ。帝国の内戦も。アンちゃんもジョルジュ君も、みんな元気にやってるよ」


 あくまでも士官学院時代の友人として接してくれる。否、トワにとっての俺は同じ士官学院生のクロウ・アームブラストだったんだろう。内戦が始まってからもずっと。それは多分、直接俺を追い掛けてきたⅦ組の連中やゼリカやジョルジュ。もしかしたら他のヤツにとってもそうだったのかもしれない。
 帝国の内戦は終わった。クロウが裏でテロ活動をしていたことも貴族連合の一員として動いていたことも、それらは全部過ぎ去った過去。終わったことなのだとトワははっきりと言い切る。


「…………敵わねぇな」


 俺が帝国解放戦線のリーダーで貴族連合の《蒼の騎士》だったことは紛れもない事実だ。しかし、それを言うのなら士官学院生だったことも確かに事実なのだ。自分の経歴を隠し、いざという時の足掛かりとして潜入した場所ではあったけれど、あそこで過ごした一年半ほどの時間は確かに存在していた。目の前の彼女が友人かと聞かれれば、俺は否定など出来ない。嘘だ偽りだなんて言っても、全てをそうとは言い切れないことぐらい分かっていた。


「……帝都であったこと、お前も大体は知ってるんだよな」


 遠くの空を見つめながら、ほぼ確信を持って尋ねればトワは頷いた。帝国の内戦が終わるほんの少し前、帝都での最終決戦の話だ。
 煌魔城での最後の戦い。リィン達と一緒に戦ったあの時、俺はオルディーネと共に致命傷を負った。とても助かるような怪我ではないことは俺自身も分かっていた。


「別に悔いはなかったんだ。鉄血を討つっていう目的は果たしてたし、その結果がこれっていうのも因果応報だろ」


 その鉄血と同じ場所に負った致命傷を見た時、こういう運命だったんだなと冷静に受け止められた。これで終わりなんだと素直に受け入れて、未練だって何も残していないはずだった。
 だけどそれは違ったのだと、俺はあの不思議な世界を体験して自覚することになった。ついでにそれはオルディーネにもバレていたらしい。自分では何もないと思っていたのに、そんなに分かりやすかったかと思う。これでもポーカーフェイスにはそこそこ自信があったんだけど、それだけ彼女の存在が俺の中で大きかったということだろうか。


「……夢を見たんだ」


 この世に未練はないと思っていたんだけどと前置きしてから告げる。あれを夢と言って良いのかは分からないけれど、俺が今ここで生きていることを踏まえて考えればあれは夢だったんだろう。何もない真っ白な空間。そんな不思議な世界に突然放り出されて。


「その夢で、お前に会った」


 言えばトワは驚愕の表情を浮かべた。それからすぐにトワも同じことを口にする。


「わ、わたしも見たよ! クロウ君に会う夢!」

「えっ?」


 トワの言葉に今度はこちらが驚かされる。まさかトワが自分と同じ夢を見ていたなんて思いもしなかった。だがトワはついさっきその夢をみて、起きてここへ来たら今度は本物のクロウに会ったのだと戸惑いながらも説明してくれた。
 あの夢をトワも見ていた? そんなことが本当に有り得るのか。そういったことには詳しくないがまさか、そう思ってクロウは慌ててトワの話を止めた。


「ちょっと待て! お前も俺の夢を見たのか……?」

「う、うん。ただの偶然だと思うけど、さっきの今だからビックリしちゃった」


 偶然、とその言葉を呟くように口にする。同じタイミングで二人の人間が同じ夢を見るなんてこと、確率でいえばかなり低くとも有り得ない話ではないのだろうか。トワは偶然だって言うけれど、それは本当にただの偶然なのか。あの夢が本当に同じ夢で、見ていた夢が繋がっていたなんて話……。
 そこまで考えてクロウは頭を横に振る。いくらなんでも非現実的すぎる。ここは物語の中の世界じゃないんだ。普通に考えればただの偶然、それだけのはずだ。
 そう考え込んでいるところに「クロウ君?」とトワの呼ぶ声が聞こえる。それで我に返ったクロウは一旦この件について考えるのは止めにする。


「まあそれは置いておくとして、俺はその夢でお前と話をしたんだ。死んだはずの俺がどうしてと思ったけど、お前と直接会うのは士官学院を制圧して以来だったからな」


 自分で裏切るようなことをしたとはいえ、制圧した士官学院でトワと会った時は罪悪感とかそういった感情が胸を占めた。勿論表には出さず、淡々と必要なやり取りだけをしたことは今でも覚えている。
 結局、トワと直接会ったのはそれが最後になってしまった。だから夢の世界でもトワに会えたことは正直嬉しくもあった。だがそんな風に思う自分に勝手なヤツだと呆れたりもした。言えばそんなことはないとトワは否定してくれたが、普通に考えれば誰がどう聞いても自分勝手な話だ。けど。


「あの時、最後にお前に会いたいと思ったんだ」


 未練はないと言ったが本当はあの時――帝都での決戦を終えた時。死ぬ前にもう一度だけトワに会いたかったと思ったんだ。それが無理だということは分かっていたけれど、そう思うだけなら自由だろうと思いながら意識を手放した。
 それがどうしてか気付いたら不思議な場所にいて、そこにトワがいた。そこで会った彼女は記憶の中の彼女と同じで、これは夢か何かなんだろうと理解して色々なことを話した。どんな形であれ、最後にトワに会えて良かったと本気で思った。


「夢でお前に会った俺は、本当にこれで終わりなんだと思った。今度こそ未練も何もないと思ったんだけど、最後の最後で俺はお前に手を伸ばしちまった」


 けれど伸ばした手は届かず世界は光に覆われ、次に気が付いた時にはオルディスに居た。そこで一緒に居たオルディーネに色々と話を聞いて、自分の道を探すのとトワに会う為に旅に出ることに決めた。こんなに早くトワに再会出来るとは思いもしなかったが、思わず再会してすぐに抱き締めてしまったのはそういうことだ。


「どうして……?」


 どうして自分に手を伸ばしたのかと、トワはそう言いたげな視線をこちらへ向けた。何度も何度も否定ばかりしてきた俺が、何で最後にトワに手を伸ばしてしまったのか。
 その理由は単純で、ただ見ていられなかったから。俺がトワを無理に笑わせてるんだって思ったら止まらなくなった。何かを押し込めるような顔をして、泣かないように必死で涙を堪えて、なんとか見せられたような笑顔に胸が痛んだ。その上で最後に「またね」なんて言われたら、そこで「さよなら」なんて出来なかった。気が付いたら名前を呼んで、彼女に手を伸ばしていた。なぜなら――。


「大切だったんだ、俺にとっても」


 自分の使命を忘れてまでこの手を伸ばすことは出来なかったけれど、それは学院生として過ごしていた中での本当の気持ちだ。トワがクロウを大切だと言ったように、クロウもまたトワが大切だった。これは偽りようのない真の気持ち。


「……まあ、それで生き返って真っ先にお前のとこに来たってワケだ」


 本当はそうしたいと思いつつも居場所が分からなかったから地道に探すつもりだったのだが、真っ先に考えたのは紛れもなくトワのことだった。それから生き返ったなんて言い方をしたけれど、正しくはオルディーネのお蔭で生きていたんだけどと補足しておく。オルディーネが居なければクロウは今ここには居ない。全ては《蒼の騎神》のお蔭だ。


「死んだと思ってたヤツがいきなり現れて驚いただろうけど、そういうことだから生きてるらしいんだわ。気付いたら生きてるわあれから一年経ってるわで俺もまだ理解が追い付いてねぇんだけどな」


 普通では考えられないことでもそこに騎神が関わっているのなら話は別だ。クロウでさえ分からない騎神のことはトワにも分からないが、それでもトワは友人を助けてくれた《蒼の騎神》に心から感謝した。クロウもトワと会いたいと願ってくれていたというが、それはトワにしたって同じ。叶うのならもう一度彼に会いたかった。夢で彼に会えただけでも本当に嬉しかったがそれが現実になるなんて、オルディーネには感謝してもしきれない。


「そうだったんだ。でも、クロウ君はこれからどうするの?」

「暫く旅に出るつもりだ。色々と考えたいこともあるしな」


 考えたいこと、という言葉に疑問を浮かべるトワにああと肯定を返しながらクロウは空を見上げた。いつの間にか一番星の他にも無数の星が空に浮かんでいる。
 その空を眺めながら、これからのことを色々なものを見て自分なりの答えを見つけたいとクロウは答えた。何をすれば良いのか、何をするべきなのか。旅に出てその答えを探したい。各地で様々なものを見て、多くのことを知って。そうした上で自分の道を見つけたいと思っている。
 そう話すクロウにトワも「そっか」と寂しそうに、けれど自分の道を決めている友人に嬉しそうな笑みを浮かべながら相槌を打った。


「じゃあ暫くは会えなくなるんだね」

「そういうことになるな。大陸を見て回って、その答えが見つかったらまた会いに来る」


 それがいつになるかは分からないけれど、その時が来たら必ず。


「今度は、絶対に守るから」


 ――この約束を。
 そう言ってクロウは小さく笑みを浮かべる。もうあの時のように約束を破ったりはしないと、そんな風に話すクロウを見て、トワもつられるように微笑んだ。


「クロウ君が会いに来てくれる時には、わたしも自分の考えを答えられるようにしておくね」

「おう、楽しみにしとく」


 けどまあ、トワならすぐに答えを見つけられるだろう。しっかり者の彼女に心配なんて要らないことは分かりきっている。
 だからそう続けたのだが、それを聞いたトワは少しばかり驚いたような顔をした。もしかして何か迷っていたんだろうか。けど、それでも彼女ならちゃんと自分の道を見つけられるだろう。それは士官学院で同じ時を過ごしてきた仲間として言い切れる。


「……わたし、待ってるね」


 暫しの間を置いてトワは言う。いつかやってくるその日を、自分が選んだ道の先で待っていると。だから、そんな風に続きそうなそれにクロウも答える。


「ああ。待っててくれ」


 約束したその日を。その時は……。
 そこまで考えていやと思い直す。それはその時が来てからにしよう。一年後か、二年後か。いつになるか分からなくともその日は必ずやってくるのだ。今ここで口にするべきことではない。その時が来たら、今度はこの気持ちもきちんと彼女に伝えよう。


「それじゃあ、そろそろ行くね」


 そういえば長いこと立ち話をしてしまった。太陽も完全に沈んでしまったし、まだ話をしたい気持ちもあるがこの辺りが切り上げ時だろう。何ももう会えない訳ではない。これからは会おうと思えばいつでも会えるのだから普通に別れの言葉を告げる。


「心配要らねぇだろうけど、気を付けろよ。何なら送って行ってやろうか?」

「もう、子供じゃないんだから大丈夫だよ」

「いや、そうすりゃもう少し一緒に居られるだろ?」


 クロウの言葉にトワは「あ」と声を上げ、それから慌てて「ええと」と黄緑色の瞳を揺らしながら次の言葉を探した。その姿に思わず笑い声を漏らすと、目の前の彼女は勢いよく顔を上げた。


「そんなに笑わなくても……!」

「悪ィ悪ィ。送ってくからそれでチャラにしてくれ」


 な? と言えばトワは顔を赤くしたまま「じゃあ、よろしくお願いするね」と答えた。からかいがいがあるというか、相変わらずの反応を見せるトワに自然と笑みが浮かぶ。そしてやっぱり思うのだ、好きだなと。その言葉を今は伝えることはしないけれど、その時がきたらちゃんと伝えよう。
 そう思いながら歩き出したクロウの隣をトワも歩き始める。何でもないやり取りをしながら彼女が笑う顔を見てこちらも笑う。いつから彼女を好きになったのか、なんて今更考えることでもない。遠くない未来、彼女とこうして一緒に歩けるように今は前に進んで行こう。

 そしてこれからも、彼女と共に。










fin