1.
オレは猫が嫌いだ。アイツ等は気紛れで何を考えているのかも分からない。それが猫を嫌いとしている理由だが、嫌いになったきっかけはまた別にある。おそらく猫を嫌いな人間にはありがちな理由だろうが、前に猫に引っかかれたからというのがきっかけだ。それでも好きだというような奴は本当に猫が好きな奴ぐらいだろう。
そんなわけでオレは猫が嫌いなのだが、どうもアイツ等は人の邪魔をしたいらしい。猫は人間の言葉を話さないから実際はどう思っているかなど知ったことではないが、少なくともこの黒猫は。
「お前、どこから……!」
ガタンと立ち上がった音に驚いたのか、その猫は慌てて逃げ出した。その様子に舌打ちだけを零して、緑間は猫が踏んだリモコンを手に取ってテレビを付ける。当然だが消えていた間も番組は放送されていたわけで、この数十秒ほどの時間を見逃してしまった。
一体どこから入ってきたのか。しかもよりにもよってこのタイミングでテレビを消すなんて、と思ったところで犯人は逃げた後だ。ラッキーアイテムは昨日の時点で分かっているから良いものの占い結果は謎のまま。
とはいえ、朝練もあるのにのんびりもしていられない。仕方なく食べ終えた朝食の食器を片付けながら学校へ行く支度をするのだった。
□ □ □
「おはよー真ちゃん」
朝、家を出たところでいつものように高尾に会う。こちらも短く挨拶を返したところで高尾は不思議そうに緑間を見る。その視線に気が付いて「何だ」と問えば「何かあったの?」と疑問で返された。相変わらずよく気付く奴だと思いながら、緑間は今朝の出来事を話した。
「猫に邪魔されておは朝の結果を見損ねたのだよ」
「猫? あれ、真ちゃんちって猫飼ってなかったよな?」
「どこからか知らんが勝手に入ってきたのだよ、アイツは」
今度会ったらただじゃおかないと呟く相棒に高尾は「そんなに怒るなよ」と笑う。たかが猫がやったことだろうと。きっとその猫だって悪気があってやったことではない。たまたまそこにリモコンがあって、たまたま電源ボタンを押してしまっただけだ。
しかし、それをたかがと片付けられないほど緑間にとってのおは朝占いは大きかった。下手をしたら命に関わるのではないかというレベルであの番組の占い結果が表れているのだから。
「悪気があろうとなかろうと関係ない。アイツのせいでおは朝が見られなかったのだから――」
「だから落ち着けって。おは朝ならオレも家出る前に見てきたからさ」
ここに居ない猫に怒っても仕方がないし、猫がやったことくらい許してやれよと高尾は話す。それから今日のかに座の順位は九位だったと教えてくれた。結果は『ちょっとしたハプニングが起こるかも? だけど何があっても許してあげるのが吉』と言っていたとか。
正にそのハプニングのせいでおは朝が見れていないわけだが、要するにあの猫のことを許してやれということだろうか。些か腑に落ちないが「おは朝もこう言ってるんだし」と高尾は笑っている。コイツはこの状況をおもしろがっているだけだろうが、占い結果がそうだったのなら許すほかないだろう。
「全く、朝から碌なことがないのだよ」
「でも猫のこと許してやったんだからもう大丈夫じゃね?」
「今日の結果は九位だからな。そう楽観視するのはよくないだろう」
そういうものかと高尾は思うが、緑間がそう言っているのだからそういうものなんだろう。何も言われていないということは大丈夫なんだろうなと思いつつも、ラッキーアイテムの有無を聞いてみるとそちらはばっちりのようだった。これなら命の危険性はなさそうだ。
占い一つで命の危機まで心配するのはどうかと思うが、この男に対してはそこまでの影響を与える占いだから仕方がない。よく当たる占いとして凄いを通り過ぎて恐ろしいぐらいだ、とは口にしないけれど。
「まあラッキーアイテムもあるなら学校行くか。今日こそは負けないぜ?」
「そう言っていつも負けているのは誰だったか」
だから今日こそ勝つって言ってるだろ、とお決まりのジャンケンをする。結果は、言うまでもないかもしれないが緑間の勝ち。今日も連勝記録と連敗記録を更新中だ。
当然だと笑みを浮かべる緑間に「次は勝つからな!」と言いながら高尾は自転車のサドルに跨った。リアカーの方に乗りながら「無理だとは思うが精々頑張れ」とだけ返すと「絶対いつか負かしてやる」と言うのが聞こえた。
果たして、卒業までにそんな日は来るのだろうか。少なくとも高尾はその日が来ることを信じているけれど実際はどんなものか。
「本当、何でこんなにジャンケン強いんだよ」
「人事を尽くしているからに決まっているだろう、馬鹿め」
「ジャンケンなんて運だろ!?」
運も実力のうちという言葉もある。だが、それ以前にジャンケンは運だけの勝負ではないという見方もある。どちらにせよ、この結果を見ていると緑間は運も味方につけているような気はする。
けれど、ジャンケンに百パーセントの勝利はないはずなのだ。卒業までの長い時間で見れば一回くらい勝てる可能性は十分あるはずだ。目標が小さいと思うかもしれないがまずは一勝というやつだ。
「いいからさっさと漕げ」
「はいはい、分かってますよっと」
言い終わるのと同時に高尾は右足のペダルを踏み込む。そういや今日何か宿題あったけ、と後ろに尋ねれば数学ぐらいだろうと答えられて「え、あれ今日だっけ?」と聞き返す。授業があるのだから今日までだろうと当然のように言えば、その台詞でなんとなく察してはいたがやはり忘れていたらしい。
おそらく断られるだろうなと思いつつも「真ちゃん」と呼べば、まだ何も言っていないというのに「宿題くらい自分でやれ」と断られた。本来はそうするべきだとしても、授業はもう今日なのだが。言っても自業自得だと返されるだけ。
「あとでおしるこ奢るから頼むって」
「前にもそう言って人の宿題を写しただろう」
「あ、おは朝だって困っている人が居たら助けてやれって言ってたし」
「適当なことを言うな」
人が結果を知らないのをいいことに、と緑間は溜め息を吐く。あ、と言った時点で明らかに今思いつきましたと言っているようなものだ。本当の結果も知らないが、大まかな結果なら高尾自身がさっき言っているのに何の意味もない。嘘を吐くのならその時点で吐かなければ無意味だろう。とはいえ、緑間にとってのおは朝がどれだけのものか知っている高尾が嘘を吐くわけもないのだが。
「……次は貸さないぞ」
理由は何であれ、今日は高尾のお蔭で順位と結果を知ることが出来たのだ。そのお礼というわけでもないが、これくらいのことはしてやるかと緑間が折れる。
「マジで!? サンキュー真ちゃん!」
するとすぐに高尾が後ろを振り返って言うものだから「いいから前を向いて運転しろ」と注意をする。それを聞いて今度は前を見たまま「あとでおしるこ奢るな」と先程の約束を繰り返した。
別におしるこは良いのだがと思ったけれど、変なところで気にする奴だからここは黙って頷いておいた。その分はまたどこかで返せば良いだろう。
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