10.



 好き。すき。スキ。
 頭でその単語を反響させながら意味を考える。好きと一言で言っても、ライクの意味とラブの意味がある。普通に考えれば、ライクの意味で受け取るべきなんだろう。
 でも、それをこんなに真剣に、寒いのを我慢しながら外で待ってまで伝えに来るだろうか。まずライクの意味であるなら、わざわざ言わなくても……。


「えっと、真ちゃん。その、好きっていうのは……」

「友達としてではない。そういう意味で好きだと言っている」


 つまりラブの意味で好き、ということらしい。
 まさか告白されるとは思っていなかったから驚いた。男友達と会って告白されると思う人間もそういないだろうけれど、予想外の出来事過ぎて頭が追い付かない。


「だからオレはお前にここに居て欲しいのだよ、高尾」


 好きだから。本当なら大学を出て仕事が安定してからといいたいところではあったが、それでは遅すぎる。高尾は普通の人ではなく、ここに留まる理由もない。その選択権は高尾自身にある。そして、それを選ぶのが二十歳になった時。
 何を選ぼうとそこは高尾の自由だ。けれど、何も伝えずに高尾が居なくなってしまったら。そう思ったら、今伝える以外に緑間の選択肢はなかった。高尾がどちらを選ぶかは分からなかったけれど、伝えないままでは後悔する。だから伝えに来た。


「…………オレは」


 告白をされるなんて思いもしなかったけれど、緑間が本気で言っていることくらい分かっている。それならこちらも本気で答えるべきだろう。まだどうするかもはっきり答えを出していなかったけれど、どのみちそれも決めなければならない。


「にゃあ」


 そんな時、静かな部屋の中に猫の高い猫の鳴き声が響く。
 その声に二人は同時に振り返り、高尾はしまったという顔をしたがもう遅い。隣の部屋からやってきたらしい黒猫には緑間も見覚えがある。


「高尾、お前は今も……」

「違う! それは違うから!!」


 あれはまだ二人が高校生だった頃。この猫に緑間は振り回され、高尾もこの猫が彼に迷惑を掛けていたのだと知った時は驚いたものだ。それは人間嫌いだった高尾がその感情を切り離して作り出したもので、その時に高尾が魔法使いであることを知ったのだ。
 その猫の人間嫌いは知らぬ間になくなっており、高尾自身も人間が嫌いではなくなっていたから全ては元に戻ったはずだった。けれど、その猫は今もまたここにいる。


「コイツはあの猫だけど人間嫌いはとっくに克服してるから! コイツがここに居るのはまた違う理由」


 どうやら同じ猫であるのは間違いではないようだが、理由まで同じというわけではないらしい。よく分からないが本人がそう言っているのだからそうなんだろう。つまり人間嫌いとは別の理由で、また猫がここに居なければならない理由が出来たということか。


「何かあったのか」

「そういうわけでもないんだけど……」


 気まずそうに視線を逸らしながら、高尾はこの状況をどうすれば良いか必死に考える。
 ちなみにこの猫が部屋の中にいるのは、外に出して以前のように人に迷惑を掛けることがないようにだ。高尾の一部であっても猫として命があるからには自由にさせてやりたいが、それであのようなことを繰り返すよりはこの方が良いだろうという判断した為である。


「にゃあ、にゃあ」


 一方、例の猫はといえば相変わらず緑間に懐いている。本当に緑間が好きだなと眺めている高尾だが、その胸中は穏やかではない。緑間も緑間で、やはり猫は苦手なのか追い払いはしないもののどうすれば良いのかと困っているようだ。


「おい、高尾」

「あー……ほら、こっちに来い」


 そう高尾が呼んでも黒猫は全く気にせず緑間の傍にいる。あの時もそうだったな、というよりあの時より酷くなっているよなとは高尾の心の内だ。これでも高尾の一部であるのは変わっていない。


「……お前は未だに嫌われているのか」

「嫌われてねーよ。ソイツが真ちゃんを好きすぎるだけで……」


 あ、と顔を上げるが遅かったらしい。翡翠の目がどういう意味だと問い掛けてくる。こんなはずじゃなかったというのに、全くどこからおかしくなったんだろうか。
 言葉に悩んでいるらしい高尾を見ながら、緑間は視線を足元に落とす。猫は今でも嫌いだが、やはりこの黒猫だけは大丈夫らしい。その理由なら四年前に緑間の中で答えは出ていたわけだが。

 暫しじっと猫を見つめ、その間も猫は緑間を見上げて鳴いている。猫は得意ではないけれど、恐る恐る手を伸ばして頭を撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細めた。
 そのまま今度は抱き上げてみると、大人しく膝の上に乗ってくれた。最初こそお互い嫌いだったのは間違いないが、あの時出した答えは間違いでなかったと考えて良さそうだ。そして、目の前の高尾の反応と猫の態度を見ると……。


「高尾、お前はどうしてこの猫と一緒に居る?」


 それが高尾の一部であるからなんて答えは求めていない。もっと根本的なところの話だ。
 以前は人間嫌いだったはずの猫は緑間に懐いており、猫が嫌いなはずの緑間は黒猫を膝に乗せている。こんな光景を見られる日が来るとは思わなかった、と高尾はそれらを瞳に映す。猫の感情が変わったのは高尾が新しく魔法を使ったからだが、この猫があの時のままだったとしても人間嫌いではなくなっていたのだから状況は同じだっただろう。

 そんなことを思っていた時。高尾はふと、あの時は分からなかった緑間の言葉を思い出した。
 この猫は一つの命を持って生きているけれど高尾の一部でもある。そのようなことを聞いてきたあれはそういうことかよと、今更気付かされる。


「…………どうするか、悩んでたんだよ」


 覚悟を決めた高尾はゆっくりと話を始める。それを聞いた緑間が「ここに残るか戻るかを、か」と尋ねたのには首を縦に振って肯定を返す。
 さっきはああ言ったけれど、もう誤魔化すのも無理だろうと諦めた。誤魔化した理由は、そこにソイツがいるのと同じ理由だと言えば分かってもらえるだろうか。


「人間嫌いはオレの勘違いだったって高校ン時に気付いた。それで、二ヶ月ぐらい前だったかな。修業としてここで暮らすのは終わりになるからどうするか考えとけって言われたんだ」


 ここでも世話になっていたその人に。どうするかはお前の自由なんだからと言われて、考えて。ここに来る前ははっきりしていたはずの答えが、今は全然出てくれなかった。
 答えが出るまでここに残っても良い。でもここにいてどうするのか。ここでやりたいことがあるわけでもない。戻ってやりたいことがあるわけでもなかったけれど、魔法使いの高尾が生活しやすいのは向こうだ。


「その時になったら考えるって昔言ったけど、いざ考えてみたら意外と決まらなくてさ」


 どちらを選ぶか。自分はどうしたいのか。それを考えるのに、どうしても頭に浮かんでしまうことがあった。
 それが邪魔だった――とはいわないが、冷静に考えるにはこうした方が良いかと思い、高尾はある魔法を唱えた。その魔法というのが、ここに来る時にも使った自分の感情を切り離すもの。

 高尾は一度息を吐き、それから緑間を真っ直ぐに見た。邪魔だったわけではないけれど、冷静に考えられないくらいに気持ちが揺れてしまったその感情。小さかったはずのそれは徐々に大きくなり、ここに留まる理由にもなりかねないくらいのものとなっていたそれ。
 既にそこにいる猫が証明してしまっているけれど、それは――――。


「……好きだったんだよ、お前が」


 それを残る理由にしたくなくて、高尾はまた自分の一部である猫を生み出した。一方的なその思いだけで残っても仕方がないから冷静に考えようと。


「だからソイツがここに居る」


 黒猫と一緒に居る理由はそれだけだ、と高尾はほんのりと頬を朱に染めながらも言い切った。こんなことになるはずじゃなかったのに、と呟いたのも二人だけの部屋では相手に届く。
 そんな高尾を見た緑間は、そっと猫を下ろした。今度はただ静かに見上げる猫を一度見た後、その大きな腕は高尾を包み込んだ。


「それは、オレの良いように受け取っても良いのか?」


 何に対してなんて愚問だろう。好きにしろとだけ答えた高尾は何かを小さく唱えて、緑間の背に自分の腕を回した。


「結局、真ちゃんが好きだからで残るのか」

「嫌なのか?」

「……嫌だったら残らねーよ」


 二ヶ月も悩んだんだぜと冗談で口にすれば、もう悩む必要はないから安心しろと言われた。こんなに近いのは高校の時以来かもしれない。懐かしい温かさが心地良い。
 そっと体を離して二つの視線が絡み合うと、どちらともなくそのまま唇を寄せた。その部屋にもう黒猫の姿はなく、心は幸せで満ち溢れた。


「好きだよ、真ちゃん」







ぼくのせかいのふたりのひとは、とてもしあわせそうにわらっていた。