10.



「そういや就活は順調?」


 現在、二人はこの土地で就職活動をしながらアルバイトをしている。就職先が決まるまでは貯金を崩して、という生活でやっている訳がない。無理は禁物だからバイトはほどほどに、といいつつも掛け持ちのバイトを増やす高尾にこれ以上は増やすなと言ったのはまだ記憶に新しい。


「一応な。お前の方はどうだ」

「こっちもそれなりに。焦っても仕方ないし、ゆっくりやっていこうぜ」


 その台詞はむしろお前に言ってやりたいのだがと思いつつも緑間は「そうだな」と頷いた。体を壊したら元も子もないことくらいは理解しているようだから良しとしよう。これでも体調を崩してから気が付くということがなくなっただけ高校時代から進歩しているのだ。


「あ、そうだ」


 何かを思い出したように呟くと、高尾は体を起こして真っ直ぐに翡翠を見る。なんだか普通に休日を過ごしてしまっているが今日はただの休日ではないのだ。それなら何の休日かというと、年に二回。大学時代、唯一二人が都合を付けて会っていたその日。


「真ちゃん、誕生日おめでと」


 一度離れてそう言った高尾は、そのまま今度は自分から唇を寄せる。重なり合った唇から互いの体温が更に混ざり合う。それからゆっくりと離れると小さく笑った。
 そう、今日は七月七日。七夕である。また、緑間真太郎がこの世界に生まれた日でもあった。
 むしろ高尾にとってはそちらの方が重要だ。高校生の時からずっと祝っているから今年で八回目のお祝いだ。もう連絡を取って会いに行く必要はない。すぐ隣にその人が居るのだから。


「秀徳でお前に会えて良かった。生まれてきてくれてありがとう」


 沢山の言葉の中から大事なものを幾つか選び取って並べる。
 倒したいとひたすら練習していた相手と高校で再会した。認められたいと練習を続けていたらいつの間にか認められるようになっていた。それがとても嬉しくて、自分だけに許された緑間の隣はとても居心地が良かった。気が付いた時にはその大事な相棒に恋心を抱いてしまったけれどまさかの両思いで付き合うことになって、楽しい毎日が更に幸せな毎日へと変化した。
 大学生になってからは殆ど会わなかったし連絡も碌に取らなかったけれど、今はこうして一緒にいられることがとても幸せである。


「それはオレの台詞だ。ありがとう、和成」


 そう言って今度は軽く触れるだけのキス。何回するんだって、何回だってしたいのだ。この溢れ出る感情に底はない。その愛を向けられるのは純粋に嬉しい。それはそうだ、好きなのだから。

 こうして暮らすようになってから緑間は高尾を下の名前で呼ぶようになった。最初はちょっと照れくさかったけれどこの数ヶ月で大分慣れた。高尾の方は相変わらず“真ちゃん”と呼んでいる。
 緑間が下の名前で呼ぶのならそうした方が良いのだろうか。そんな話を前にしたのだが緑間は今のままで良いと答えた。だから高尾は今も“真ちゃん”と呼んでいる。
 出会った頃はそんな呼び方をするなと怒られたが、今となっては高尾だけの特別な呼び名になっていた。愛おしくその名を呼ぶ彼が緑間には愛おしい。たった四文字と五文字で幸せになれるのなんて随分と安いものである。二人にとってはお互いがそこに居るだけで十分幸せなのだ。


「今日はどっか飲みにでも行く? 誕生日くらいお金のことは気にしないでさ」

「いや、食事に行くよりもお前の手料理が食べたいのだよ」

「じゃあ今日はご馳走いっぱい作らないとな」


 買い物には行ってきたばかりだから材料は心配ないだろう。確か小豆もあった筈だよなと高尾は一人夕飯の献立を考える。
 この四年間は毎年誕生日に二人で食事に出掛けていた。だからこそ今年もそうするのかと尋ねたのだけれど、どうやらその必要はなかったらしい。言ってしまえばあれは二人が会う為の口実。誕生日に外食をするというのも悪くはないが、今は一緒に居る時間を大切にしたい。いつかまた誕生日に外食をする時が来たら、その時は昔を思い出して笑い話にでもしよう。


「和成」

「ん?」

「好きだ」

「……オレも好きだよ、真ちゃん」


 触れ合った指先には小さなリング。高価な物ではないけれど、店先に並んでいたそれをじっと見ていた高尾に緑間が購入した物だ。いずれはちゃんとした物を買うからと渡されたそれを高尾は家に居る時間はずっと付けている。本当は外でもつけていたいけれどそういう訳にもいかないので、外ではチェーンに通して首から下げるようにしている。
 自分だけ貰うのはと思った高尾は緑間に同じものを渡した。というより、高尾が見ていたそれは元々ペアリングだった。「欲しいのか?」と言われて一度は断った物をそれでも緑間は買うと言い、それなら半分出すからと折半で買うことになったのだ。最初は出さなくて良いと言われたけれど、オレだって恋人に買いたいと思うんだと主張をしたら丸く収まった。

 今は安い物しか買えないけれど、それでもこのリングは二人を繋ぐ大切な物だ。こういうのは値段ではなく気持ちが大事というがまさにその通りだ。緑間が買ってくれたそれを高尾はとても大切にしている。それはまた緑間も同じだ。
 ちゃんと生活も安定したら、その時はもっとちゃんとしたリングを送りたい。それはこのリングに不満があるのではなく、大切な人への贈り物としてちゃんとした物を渡したいという意味である。それも目に見える愛の形の一つなのだろう。


「真ちゃん、何か食べたい物ある? お汁粉は作るつもりだけど」

「そうだな……オムライスか」

「了解。ケチャップで愛の言葉でも書こうか?」


 冗談で言ってみたのだが、案外これが肯定で返ってくるのだ。調理実習の時に悪戯でやろうとした時には無言で頭を叩かれたのだが、それは場所が場所であったのだから当然だろうと緑間は主張する。
 とはいえ、普段から同じ部のエースへの愛を冗談交じりに叫んでいた高尾がそんなことをしたところで周りはいつものこととしか思わない。冗談でお前等本当はデキてるんじゃないのかと友人に言われたことはしばしば。勿論否定した。肯定してもはいはいと流されたのだろうが、変に誤解されても困るからそういうところでは冗談も言わなかった。

 付き合う前も付き合った後も、学校での二人はずっと変わらなかった。ごくたまに、二人だけの時は恋人らしいこともしたけれど片手で足りる数だ。
 それだけ二人は恋人という関係を隠していた。まるで世界から隠れるように。実際、今も隠れて暮らしているようなものだ。
 ――――でも。


「せっかく一日中一緒に居られるんだし、たまには出掛ける?」

「出掛けたいのか?」

「うーん……さっき外出たら暑かったよな…………」

「オレはお前と居られればそれで良い。出掛けたいのなら付き合うが」

「やっぱ良いや。今日は真ちゃんと二人きりで過ごす」


 久し振りに休みが重なったのだからと何より優先するのは相手と一緒に過ごすこと。出掛けるのも悪くはないが、今日はただ一緒に過ごせればそれで良い。特別なことをしなくても当たり前に一緒に居られる時間が二人にとっては幸せなのだ。
 世間からは隠れて暮らしているようなものだとしても、今はこうしてすぐに触れられる距離にいる。大好きな人と一緒に居られることこそが一番の幸せ。だから、たとえどんな苦労があったとしても二人で暮らすこの日常さえあればそれで良い。お前さえいてくれればどんなことでも乗り越えられるから。


「真ちゃん、これからもよろしくな」

「ああ」


 触れていた指先をそっと絡めて顔を上げた高尾はほんのりと頬を朱に染めながらふにゃりと笑う。頬が赤いのは夏の気温のせいだろう。空いている方の手で軽く頬に触れてやれば「真ちゃんの手って気持ちいね」と自分の手を重ねた。高尾よりも低めの体温もそうしていればすぐに熱を持ってしまうが、それでも暫くそうしていたのはただ単に触れていたかったから。
 暑いと言いながらも触れたいと思うのは別。触れることで確かめ合えることがある。そうして隣にある存在を確かめ合うのだ。

 もう決して離れない、と。

 大切な人と共に、この先もずっとお前の隣を歩いて行きたい。
 お前の居ない未来なんて想像出来ないから。








「あ、真ちゃんは今度いつ休み?」
「明々後日だったと思うが」
「じゃあまた家具とか見に行こうよ。こっから夏本番だし」
「お前は休みなのか?」
「明々後日は午前中だけ。終わったらすぐ帰って来る!」

たとえ世間が認めなくても、オレ達は二人で歩む未来を選ぶ。
それがオレ達にとっての幸せだから。









「六畳一間緑高企画」様に参加させて頂いた作品でした。