9.
「そういえばさ、真ちゃん二十二で結婚したいとか言ってなかった?」
コンビニの袋からアイスを取り出しながら近くに置いてあった団扇で扇ぎながら涼を取る。アイスの半分は緑間の手の中に渡る。一つ買って二人で分けられるというのはお得だ。二つ買ったとしてもそこまでの値段ではないけれど節約出来るところで節約するのは当然である。
……なんていうのは言い訳で、本当のところは二人でアイスを分けて食べたかっただけ。ついでに値段もお安くなってお得というのが正解だ。エアコンを付けないのは節約の為である。扇風機は単純に家にないだけだ。
とはいえ、夏を乗り越えるには必要になるだろうから近いうちには買いに行くことになるだろう。二人で家具を探しに行くのは楽しいものだ。今この部屋にある家具も近所のホームセンターで一緒に決めたものばかり。
これにしようか、でもこっちの方が良いんじゃないか。そうやって家具を決める僅かな時間に幸せを感じたりして。つい数ヶ月前までの関係が嘘のようだ。あんなに離れていたのに今では二人で居るのが当たり前に戻っている。
「よく覚えているな」
「まあな。あん時はあと二年で結婚する気かよってかなりビビったんだけどさ……」
シャリ、とアイスのいい音が耳に届く。やはり夏にはアイスだ。冷たくて美味しい。これを食べるだけでも少しだけ涼しくなった気がする。暑いのならまず離れろと思うかもしれないが、そもそもこの部屋はそんなに広くない。だからといってここまでくっつく必要もないけれど、それは本人達がそうしたいからしているだけだ。
不自然に言葉を切ったまま高尾はまた一口アイスを食べる。現在、高尾は二十二歳。緑間は誕生日を迎えて二十三歳だ。その話をしたのは高尾が二十歳になって初めて酒を飲みながら食事をした時のこと。あの時言っていた二十二歳は過ぎてしまった訳だが、だからこそその話を思い出したのだろう。
言うまでもなく緑間は結婚をしていない。あくまでも何歳までに結婚したいという話だったけれど、改めて思い出してみると気になる点が一つあった。
「真ちゃんはあの頃からオレと一緒に暮らそうとか考えてた?」
元恋人とはいえ当時は暗黙の了解でお互いにそのことには触れなかった。だからそれらしい話は一切なかったし、そんな雰囲気の発言もなかった。
けれど今になって思い返してみると、その結婚したい年齢というのは自分達がよりを戻した年齢と重なるのだ。ただの偶然とは考え難い。なにより緑間は自分達の未来のために準備をしていてくれた。二十二で結婚するとすれば大学を卒業したらすぐと言っているようなものだが、緑間はずっと高尾のことが好きだった。そして、大学を卒業したその後に珍しく連絡をしたと同時に告白をされた。
そうなるとこの考えも強ち間違ってはいないのではないかと思うのだ。当の本人はアイスを食えたようでゴミを袋に入れ、同じく食べ終わった高尾のゴミも受け取って一纏めにしているが。そのまま袋ごとゴミ箱に捨ててから漸く、自分を見つめている色素の薄い瞳を振り返った。
「ずっと考えていたと言っただろう」
「聞いたけど、あの時はそんな素振り全然なかったじゃん。オレもお前のこと好きだったけど」
好きではあった。どちらかといえば忘れようと必死になっていたけれど。そうしなければいけないと忘れようとして、忘れられなくて。
でもあの時、そう話すのを聞きながら緑間が誰かと幸せな家庭を持つことにどこか現実味を感じられなかった。胸にはズキリとした痛みが走り、だけどこれで良いんだと思うように言い聞かせていた。そうあるべきだと信じていたのは高尾自身だったというのに、それを素直に受け入れられない自分が嫌になった。
顔を背けて俯いてしまった恋人は一体何を考えているのか。どうせくだらないことだろうと解釈して、緑間は艶のある黒髪にそっと指を通した。
そうすることで少しだけこちらを振り向いた高尾に小さく笑い掛けると、そのまま額に唇を落とし、くだらないことは考えるなと暗に伝える。どうやらちゃんと伝えることが出来たようで、高尾は頭をそのまま緑間の肩に乗せた。
「オレは忘れることばかりに必死になってたけど、お前はずっとオレとの未来を考えてくれてたんだな」
「オレはただ、お前のいない未来が考えられなかっただけだ。それに、お前も忘れようとしてオレのことを考えていたのだろう?」
「ぶはっ、確かに考えようによっちゃそうかもしれねーな」
ポジティブすぎるだろと笑う高尾を見て、緑間も微笑を浮かべる。いつだってすぐ隣で笑っていたこの笑顔を失いたくなかった。
高尾が本気で別れたいと思っているのならそのまま友達でいるつもりだった。だが緑間が高尾を好きなことはそれとはまた別の話で、緑間は自分のためにお金を貯めることにした。今後どのような未来が待っているのか分からないにしてもお金があって損をすることはない。
「真ちゃんって意外とオレのこと好きだよな」
意外か、と透き通るような翡翠がすかさず問うた。その反応に少し考えるようにしたのち、高尾は「そうでもないか」とつい先程の言葉を訂正した。高校時代もこちらからの言葉が多かっただけで両思いであることははっきりしていた。身長差のせいもあるが大抵キスをしてくるのは向こうからだったし、とは言わないけれど。
「お前は案外奥手だな」
「案外ってなんだよ。お前だって積極的ってほどでもないだろ」
そうして欲しいのかと聞かれても困るのだが、とりあえず遠慮するとだけ答えておいた。好きにして良いと言ったなら何をするんだろうか。多少気にはなったがそこに飛び込む勇気はない。相手が緑間なのだから気にするようなことはないだろうけれども、というのはそれで失礼かもしれないが。
呼ばれてそちらを向くと優しくそっと唇が触れ合った。こういう時、身長が高い方が有利だよなと思うのだ。有利という言い方は変かもしれないが、身長差があるだけこちらからは届き辛い。けど、この身長差が嫌という訳でもない。昔は少しでも縮まれば良いと思っていたが、今となってはこれが丁度良くもある。
「あのさ、真ちゃん」
二人で暮らし始めて三ヶ月とちょっと。初めての土地で初めてのことばかりで、最初は戸惑うこともあったけれど今ではこの生活にも慣れてきた。
いくら大学生の間に溜めたお金があるといっても生活するのに必要な物を揃えるのに使って残りも多くはない。かといって少なくもないが、何があるか分からない状況では貯蓄はしておくに越したことはない。部屋も家賃の安いところを探して見つけた六畳一間のアパート。平均身長以上ある大人が二人で暮らすには少し狭いけれど、この程度の狭さは問題ないし二人一緒ならそれだけで良かった。荷物も最低限の物を鞄一つ分しか持っていなかったので収納に困ることもなく、この空間でそれなりに快適に暮らしている。部屋が狭い分、必然的に二人の距離が縮まってむしろこの広さで良かったと思うことも実はあったりする。
「前にまだ少しだけ、色々と考えちまうって話しただろ?」
迷っていた訳ではない。だけど世間のこととかを全く気にしないというのも難しかった。今でも二人の関係を周りには隠しているけれどそういうことではなく、相手の将来のことを気にして本当に良いのかと思ったりした。緑間も高尾も二人で居ることを望んでいて、それが二人にとっての幸せなのだからこれで良いのだとは分かっていたけれど、それでも考えずにはいられなかったといえば分かりやすいだろうか。
「ああ。だが、それはある意味当然のことだろう」
「けど気にすることでもないだろ? あの時はまだ無理だったんだけど、やっぱりオレはお前と一緒に居られる今が幸せだって思うんだ」
距離を置いていたからこそ余計にそう感じるのかもしれない。当たり前だった存在がいない生活というのは、自分で想像していたより遥かに辛いものだった。
辛いという表現が正しいのかは分からない。何かが物足りなく、ただ漠然と時間が流れて行くような感覚。足りないのはお互いの存在だったのだが、こうして一緒に暮らすようになってその大きさを改めて実感した。一緒に居られるだけで幸せで心が満たされる。大げさに言っているのではなく、たとえ苦しい生活だとしても幸せに感じる。
「それはオレも同じなのだよ」
「今更だけどさ、オレのことを好きでいてくれてありがとう」
一度は別れたけれどそれでも変わらずに思いを寄せてくれていた。そして一緒に歩いて行こうと手を差し伸べてくれた。ありがとうと感謝を伝えたいことは他にも沢山ある。
だが、緑間にしてみれば何を言っているんだという話だ。こっちは高尾への気持ちが忘れられなかっただけで、この関係は高尾も緑間を好きでいてくれたから成り立っている。お礼を言うのはこちらも同じだ。
「礼を言われるようなことではない。お前は何かと考えすぎだ」
「そんなことねーよ」
「あるから言っているのだよ」
ごちゃごちゃと余計なことまで考えるなと注意されて、渋々と頷いた彼はちゃんと分かっているのか。そういう時はこちらで気にしてやれば良いけれど、考えすぎて余計な心配までするところは直れば良いのにと思う。よく見える目というのも時には厄介なものらしい。
少しは人を頼れと言っても分かっていると返されるのみ。逆にお前も人のことを頼れと言われるからそういうところはお互い様なのかもしれない。
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