「それじゃぁ、真ちゃん。また明日な!」


 それだけ言ってくるりと体の向きを変える。オレもさっさと帰らないとなと思いながら一歩踏み出した。
 けれど、それ以上足を進めることは不可能だった。




ばど 





「真ちゃん……?」


 オレの左腕を掴まれて、自然とオレは足を止めた。滅多にない行動にオレは疑問を浮かべる。何か言い忘れたことがあったとか?いや、それなら後でメールでも送って来るよな。それか声を掛けて用件だけ言えば済む話だし。わざわざ引き留める必要なんてどこにもない。
 だとしたら、他にどんな理由があるだろうか。色々と考えてみるけれど、それらしい答えは見つからない。こうなれば、本人に直接聞くのが一番だ。


「早く家の中に入った方が良いぜ。それとも、何か言い忘れたことでもあった?」


 疑問をそのまま投げかける。まさか本当にリアカー取りに行けとは言われないよな?それは流石にキツいんだけど。今から戻るにしても、朝取って来るにしても厳しいものがある。でも、それは冗談だっていう話になってた筈だから違うか。


「高尾、お前大丈夫なのか?」


 漸く返ってきた言葉は、これもまた疑問形。どういう意味なんだろうと思いつつ、聞かれたからには答えるべきだろう。


「別に大丈夫だけど、何で?」

「いや、大丈夫なら良いのだが……」


 真ちゃんにしては珍しく歯切れが悪い。引っ掛かることがありそうだけど、それが何かはオレには分からない。どうしようかと考えるけど、何も言わないってことは今すぐにということではなさそうだ。それなら、その話はまたにして今は一刻も早く家の中に入るべきだろう。雨は弱まることを知らずに降り続いているのだから。


「ほら、こんな所で立ち話なんてしてたら風邪引くからさっさと家に入れって。何かあったら連絡してよ」


 離された腕に、今度こそ帰ろうと「またな」と挨拶をした。いつも通り短い返事を聞いて、家に入っていくのを見送った。これで、後はオレも家に帰るだけ。
 そのつもりだったのに、一際大きな音が耳に届いて思わず足が止まる。少しは納まったかと思ったのに、まだこの辺りに雲は残っていたらしい。むしろさっきのは軽くて、こっちの方が激しいんじゃないかとさえ思う。稲妻があっちで光ったかと思えば、向こうでも光ってるよ。光ったってことは当然、数秒後に雷の轟きが聞こえる。
 いくらか遠のいたんじゃないかって思ってたんだけどな。本当嫌になる。何がって、もう色々と。


「…………全く、お前は何をしている」


 この場で聞こえる筈のない声に、オレは勢いよく振り返った。そこには、先程別れたばかりの相棒の姿。何で、と口から零れる。だけど、オレの言葉なんて気にせずさっきと同じように腕を掴むとそのまま引っ張られる。


「え、ちょっと、真ちゃん!?」

「黙るのだよ」

「いや、そんなこと言われても、オレも帰らなきゃだし」

「雨宿りするのだろう」


 あー、そういえばそんなことも言ったな。学校を出る時だっけ。でもあの時、真ちゃんに思いっきり拒否された気がするんだけど。そりゃぁオレからすれば有り難い話だけど、やっぱり迷惑じゃないかとかそういう考えが先にくるワケで。
 でもと口にすると、五月蝿いと一喝された。こうなったら、このままお世話になるべきなんだろうか。少なくとも、真ちゃんは雨宿りして行っても良いって言ってくれてるんだよな?それなら、たまにはオレが甘えても良いんだろうか。


「雷が怖いならそう言えば良いのだよ」

「別に怖いワケじゃねぇよ! ただ、ちょっと苦手なだけで……」

「どちらでも大して変わらないと思うのだが」


 意味合いは多少違うけど、真ちゃんの言うように大して差がないというのも間違いではないだろう。家に入ると、両親は仕事で家には居ないと教えてくれた。それからとりあえず着替えろと言われ、ついでにシャワーを浴びろと洗面所に押しやられた。オレより真ちゃんの方が先に入るべきだろと言い返そうとしたけれど、そんな暇は全くなかった。
 諦めてシャワーを借りて、それから濡れた制服を着る訳にもいかないからと真ちゃんの服を借りた。身長差がある分、真ちゃんの服は少し大きかった。オレも平均以上はあるんだけどな、なんて思いながら袖に腕を通した。


「真ちゃん?」

「あぁ、高尾か」


 先に案内して貰っていた部屋をそっと開けると、とりあえず着替えたらしい真ちゃんはノートや教科書を並べていた。そういえば明日までテスト期間だった。
 本当、何事にも人事を尽くしてるよな。授業も真面目に受けてるし、宿題もしっかりこなしていて、テストの成績も良い。最初の二つは当然のことだろっていう話かもしれないけど、部活に励む高校生は色々と忙しいんだ。それをいうなら真ちゃんも同じだって、そんなことは気にしちゃいけない。


「シャワーと服、ありがと。今度洗って返すな」


 一先ずそれだけ言って、入れ替わるように真ちゃんは部屋から出て行った。正しくは、シャワーを浴びて来いって行かせたんだけど。いくらもう乾いたからって言われたって、それで良いなんて言えない。オレが先に使わせて貰って、この家に住んでいる真ちゃんがそれは可笑しいだろ。
 それからオレは暫くの間は一人。家に来たことは何度もあるけど、部屋まで入ったのは初めてだ。第一印象は真ちゃんらしいと思った。余計な物なんて全然なくて整頓されている。そういえば、おは朝のグッズはどうしてるんだろう。ふと疑問に思ったけど、きっとどこかにあるんだろうなと片付ける。

 どれくらいか経った頃に、真ちゃんは部屋に戻ってきた。多分、あまり時間なんて経ってないだろう。


「無理をしてまで、この雨の中帰る必要はあったのか?」


 戻ってきてから最初に言われたのは、そんな質問だった。やっぱりそうくるよな、と内心で思いながらオレは口を開く。


「いつ止むか分からなかったし、それならさっさと帰った方が良いかと思って。あのまま雷も収まってくれれば良いなと思ってたんだけど、まさかあそこまで酷くなるとは思わなかったんだよ」


 オレが雷が苦手だって話はしたから、聞かれるだろうとは思っていた。だから、オレは思っていたままのことを話した。酷くなるか収まるかどちらかだろうとは思ったけど、それがあんなになるとは予想外も良いところだ。しかも、真ちゃんにバレるなんて。


「それはそうかもしれないが、あの状態で家に帰れるとは思えないのだよ」

「だから、あんな酷くなると思わなかったんだってば! オレだって高校生だし、いくら苦手でもある程度は大丈夫だしさ」

「今回はそのある程度を超えていたのだな」


 正論を言われては、何も言い返すことが出来ない。そんなオレを見ながら、大きな溜め息が零れた。今回はオレが迷惑を掛けたんだし謝るべきだよな、と考えて謝罪をしようとした時。どうして先に言わない、と呟かれた声が聞こえてきて、つい「え」と聞き返してしまった。
 だって、そんな風に言われるとは思わなかったから。どういう意味だと翠色の瞳を見つめると、ゆっくりと口が開かれた。


「分かっていれば、学校に残るなり何かしら方法があっただろう。少なくとも、今よりはマシな状況になっていたと思うのだよ」


 続けられた言葉にぽかんとした。いつもオレばっかり話し掛けたり気にしたりしてるから、こんな話になるなんて全く思ってなかった。これって。


「真ちゃん、オレのこと心配してくれてる?」


 思ったままに口にすると、別に心配なんてしていないとすぐに否定された。それからオレは部活のレギュラーだし何かあったら困るとか、そんなようなことを話していた。
 並べられていく言葉に、オレは思わず笑いが零れた。そう話していたって、それがどういう意味かなんてことはオレには分かっている。なんたって、ウチのエース様はツンデレだから。


「たまには素直になっても良いんだぜ」

「別にそういう訳じゃ……」

「はいはい、分かりましたよ」


 適当に受け流せば怒気を含ませた声で名前を呼ばれた。そんなのはスルーして、オレは別の話題を振る。


「それよりさ、これから勉強するんでしょ? それならオレに教えてよ」


 明日の科目が広げられているのを指して言えば、また溜め息を一つ吐かれた。なんか今日は溜め息をやたら吐かれてる気がするけど、気のせいってことにしておこう。


「お前は、勉強は出来る方じゃなかったか」

「んー……でも、真ちゃんに聞くと分かり易いし。たまには二人でテスト勉強ってのも良いだろ?」


 ポジション柄頭を使うことは多いし、勉強は出来ないって程ではない。どちらかといえば出来る方だけど、学年一位からすれば他は全部下だ。ちなみにその一位は真ちゃんなのだから、分からないことがあれば聞くことが出来る。一人で勉強してもあまり続かないし、どうせなら教えて貰いたいっていうのがオレの意見。真ちゃんからしてみれば自分の勉強に集中出来ないって話かもしれないけど、こういうのも友達としては有りだろ?もしも真ちゃんに分からないことがあったとして、オレに分かることもあるかもだし。
 そんな風に提案してみると、少し悩むようにしながらも「分かったのだよ」と了承して貰えた。続けてそれならすぐに始めるぞなんて言われたけど、テスト期間なんだからそれも良いか。必要な物を出して、早速テスト勉強を始める。


「あ、そうだ」


 ノートを広げたところで、まだ言っていなかった言葉を思い出した。さっきはそれよりも先にやることがあって言いそびれていたんだった。


「真ちゃん、ありがとな」


 お礼を述べると、目の前ではクエッションマークを浮かべて「何のことだ」と尋ねてくる。それに対して「色々と」とだけ答えると、ますます分からないといった表情をされた。そんなことよりこの問題をやろうぜと促せば、それ以上追及されることなくオレ達は勉強に戻った。
 オレ的には色々とありがとうって言いたかったんだけど、本人はそう言われることをした覚えはないみたいだ。それでも、オレが言いたかったから言っただけ。今も窓の外では雷が鳴っているけど、カーテンのお蔭であの光は見えない。音は聞こえているものの、すぐ傍に真ちゃんが居てくれるから全然気にならない。あれこれ話しながら、笑ってこの一時を過ごしている。



 人間、苦手なものなんて誰にだってあるだろう。
 だけど、隣に真ちゃんが居てくれればオレは大丈夫なのかもしれない。










fin