面影




 暗いくらい闇の中。唯一の明かりは天で輝きを見せている星々と、真ん丸に光っているお月様。満月なだけあって今日は夜でも比較的明るい方だ。
 おまけに今日はこの地域の祭りが開かれているようで、提灯の明かりがぼんやりとそこら一帯を照らしている。年に一度だけ見られる光景を遠くから綺麗だなと眺める。大きな杉の木の上から見る世界を知る者は一人を除けば誰も居ないだろう。所謂秘密の場所というヤツだ。祭りの日にはこの場所から楽しんでいる村の人々を見るのがお決まりだった。
 今年もこのまま祭りは過ぎていくのだろう。そう思っていたのだが、時には例年と違う事態が起こることもあるらしい。視界に映った小さな姿は、おそらく祭りに来ていた子どもだろう。親と逸れてこんな奥まで迷い込んでしまったようだ。


「こんなところでどうしたんだ?」


 いきなり聞こえてきた声に少年はビクッと肩を揺らした。驚かすつもりなどなかったのだが、真っ暗な場所でいきなり声がしたら驚くのも無理はない。ごめんと謝罪をすると、こちらの姿を捉えてくれたようだ。そこで漸く目が合って、珍しい瞳の色に目を奪われた。まるで宝石のような輝きを持つ瞳。よく見れば色白で端麗な顔立ちをしている。
 あの、と遠慮がちな声が耳に届いてはっと我に返る。そういえば目の前の少年が迷子のようだったから声を掛けたのだった。


「えっと……お祭りに来てここに迷い込んだのか?」


 漸く本題に戻ると、少年はコクンと首を縦に動かした。やはりこの少年は迷子になってしまったらしい。祭りの行われているのはこの山にある神社だ。どこからか山道に進んでしまったのだろう。祭りの会場と違って月明かりしかないこの場所から、小さな子どもが一人で戻るのはほぼ不可能だ。
 神社も村の中にあるとはいえ、村とは幾らか離れた山中に在る。その先の山道といえば村人も殆どが足を踏み入れないような場所だ。だからこそ秘密の場所になるのだが、それは今はおいておこう。村自体が山奥にある小さな村で、お祭りでは今後の村の繁栄や作物が豊作になるように祈る。小さな村なだけあって村中が参加する祭りだから、きっとこの子も親と一緒に来ていたのだろう。


「じゃあ、オレと一緒に神社まで戻ろうぜ」


 正確には祭りも神社の近くで行われている。お祈りをする時こそ神社で舞が披露されるのだが、それ以外の露店は基本的に山の麓に並んでいる。これも歴史のあるこの村では古くから続いていることだ。
 神社には神様が存在している。
 それはこの世界のどこでも聞くことの出来る話だ。その神様に村の未来をお祈りする。時には人々が己の願いを伝えに訪れることもある。神頼みとは正にこのことだ。実際に効果は発揮されているのだから強ち間違ってもない。この神社にも神様が居るということだろう。だからこそ、神様の領域である神社では露店は開かれず、祈りを捧げる舞の時にのみ神社に立ち入るのだ。


「神社までの道は知ってるからさ。な?」

「君は……?」


 問われてまだ名前も何も言っていなかったことを思い出す。普通なら自己紹介というのは初めにするものだ。確かに疑問を抱かれても仕方がないかと納得する。
 少し遅くなってしまったが自己紹介をする。自己紹介なんてものは大体お決まりだ。とりあえずは名前を教えれば良いことで、何パターンもあるものでもない。


「オレは高尾和成。お祭りの時はいつもここで眺めてんの。ほら、あそこの明るい所が神社。ここから見る景色が結構好きでさ。お前は?」

「…………ボクは緑間真太郎」


 いつもの調子で自己紹介をすると、その勢いに押されたのか間を置いてから名前を教えられた。まあ名前が分かれば良いことなのでその辺は特に気にしない。単純によく喋る少年とそうでない少年の違いだ。この場所で祭りを見ていれば同じように迷子になった子を見掛けたことがある。色々なタイプの子どもが居るからこの程度は許容範囲だ。
 互いに名前も分かったところで今度こそ二人で神社に戻る道を歩き始める。逸れないようにと手を繋ぐのは、子どもだからこそ自然と出来ることだ。


「真ちゃんは、親と一緒にお祭りに来たの?」

「……真ちゃん?」

「うん。その方が呼びやすいから」


 ダメ? と確認してみれば、迷うように瞳を揺らしながらも数秒後には好きにしろと認めてくれた。それから先程の質問の答えを話してくれた。やはりよくある祭りに来て親と逸れてしまったという話らしい。祭りにはよくあることなだけに予想通りだ。
 逆にそれ以外の理由があるのならどんな理由があるだろうか。大人でさえ滅多に入らない山。子どもなら興味本位で入って来ることもあるかもしれない。否、この山は神様の場所だから近付いてはいけないと教えられているのだからそれはない。子どもの好奇心には計りきれないものがあるから、それでも入ってくる子どもが居ないとは言い切れないが。それでも、今まで迷子以外に言いつけを破って山に入った子どもは居ない。


「君は」

「和成ね」

「……和成はいつもここにいると言ったが、親は心配しないのか」


 名前のやり取りだけで数回キャッチボールをしているのは気のせいではないだろう。呼び方なんて通じれば何でもいいといえばそれまでだが、なんとなく訂正をしてみた。特に呼び方に拘りなんてものはなかった為、言われた通りに訂正をして遮られた言葉を最後まで口にした。
 その疑問が生じるのは当たり前だ。自分は親と一緒に来ているし、この祭りには村の殆どの人々が参加している。自分と同じ年頃の子どもなら当然親と共に来たのではないかと考える。子どもが一人でこんな場所に居るとなれば親は心配しないのだろうかというのは正論だ。


「ウチの親は結構自由だからな。こんくらい全然平気」


 そういうものなのか、とは思ったがそういうものなのだろう。家庭事情については詳しく知らないが、深く追及することでもない。どうせ今夜限りの出会いだ。同じ村にいればまた会う可能性も捨てきれないが、早々会えるものではないだろう。
 それからは他愛のない会話を繰り広げた。とはいっても、殆ど一方的に喋っていたようなものだ。質問されれば答えたりするものの、大体は相槌を打ちながら話を聞いていた。どこから話題を思いつくのだろうかという程にどんどん話を振ってくる。


「真ちゃんは何かお願いしたいこととかある?」


 唐突な質問だったが、今日と云う日には相応しい問いでもある。尤も、村の大人達は豊作や村の繁栄を祈る為に祭りを開いているのだが。
 神様にお願いをする祭りと聞いた子どもがこんな話をしてみても怒られたりはしないだろう。小さな願いも、もしかしたら神様が叶えてくれるかもしれない。というのは流石に都合が良すぎるかもしれないけれども。


「いきなり願いと言われても……家族の健康とかか?」

「ぶはっ、まんまじゃん!」


 テンプレすぎる回答に思わず吹き出せば、隣から笑うなと怒られる。ごめんとまた謝罪をして、許してくれたのか呆れたのか。溜め息が零れたのはおそらく後者だろう。
 まあでも、真ちゃんは優しいんだね。
 その言葉は心の中にだけ留めておいた。まだ出会って間もないけれど、彼の優しさはなんとなく感じていた。どの話も適当に流しているようで、相槌を打ってくれているということはちゃんと聞いてくれているのだろう。時折交わす会話で彼の性格を垣間見ることが出来た。


「そういう和成は、どんな願いをしたいのだよ」

「オレ? んー……、また真ちゃんに会えますようにとか?」

「…………馬鹿じゃないのか」


 人が真面目に考えたというのに馬鹿は酷くないだろうか。これでもお願いとしては成り立っているのだ。次なんてものがあるかも分からない出会い。だからこそ一期一会なんて言葉があるのだ。次が保障されていないからこそ今時間は大切であり、叶うのなら次を望みたくなってしまった。それもこの時間を楽しいと思ったから故の願いである。
 それが叶うかどうかは神様の気紛れに委ねるしかない。


「提灯の明かりの方に真っ直ぐ進めば神社に着くぜ」


 話しているうちに神社の近くまで戻って来ていたらしい。時間とはこんなにあっという間に流れるものだったのかと気付かされた。

 この一言を最後に、二人は別れた。

 そして再び杉の木の枝に腰掛けると、先程近くで見たばかりの提灯を見下ろす。改めてここからの景色の方が好きだなと思う。正しくは、これくらいが丁度良いなと思っているのかもしれない。


「緑間、真太郎か…………」


 数十分前に聞いた名前を復唱する。
 緑間という名は聞いたことがある。この村が小さいからというのもあるかもしれないが、ちょっと有名な名前なのだ。悪い意味ではなく、神社を管理している家が緑間という名だと記憶している。その為、毎年開かれる祭りで舞を踊るのは必ずその家の者だ。他にも神社の管理をしているというだけあって年に一度、供え物を持っていったり掃除をしたりということもしている。


「もしかしたら、本当にまた会えるかもな」


 くすりと笑みを零して祭りを見守る。
 来年も作物が元気に育ちますように。村の平和が続きますように。村の繁栄も祈られていたか。それと、来年は病気が流行らないようにでも願っておこうか。
 小さな灯が最後の炎を燃やすその時まで見届けると、すっと立ち上がる。そのまま闇に溶けるように姿を消した。