面影て 6




 ぽかぽかとした気温の中、空を見上げれば白い雲がゆっくりと風に流れている。成長期なんてものはとっくに過ぎたけれど、年を重ねれば少しずつ変化していく。世界も自分も、ちょっとずつ変わっていくものだ。この一分一秒でも、時が動いているだけ変化は起こっている。


「時間が流れるのは早いものだな」


 そういえば十年くらい前にも同じようなことを思った。普段は時の流れなどあまり感じることはないけれど、久し振りにそれを感じた時だった。人というのは成長が早い。成長期となれば尚更だ。あんなに小さかった子どもがこんなに大きくなるなんて予想外だ。そりゃ成長期がくれば大きくなるとは思っていたけれど、それにしたって大きくなり過ぎじゃないかと思ってしまったのは記憶に新しい。
 こんな言い方をすると年寄りくさいかもしれないが、思ってしまったものは仕方がない。年齢的に若い分類に入りながらも、世間一般的なそれとは違った感覚を持っているのだから。


「ここ数年は新しいことばかりで新鮮だったな。大分慣れたけど」


 生活環境が変わると新しいことも多い。環境に慣れるまでは時間が掛からなかったけれど、今までとは違う新しいことを数年の間に沢山経験した。こんな転機が起こると考えたことはなかったが、結果的に自分にとっては良かったのだろうと考えている。自分の役目を果たす方法は一つではないと、何百年も過ごしてきて今更知った。
 生きていく環境も。生きている目的も。何もかもが変わった。それでも、毎日が楽しくて幸せに過ごせている。これが今の“普通”の生活だ。まだ時折これが普通なのかと思ってしまうこともあるけれど、これが普通で良いのだと思えるくらいには進歩した。


「こんなところに居たのか」


 聞こえてきた声に顔を上げれば、見慣れた姿がそこにあった。緑色の髪に翠の瞳、今ではすっかり大人になった彼。出会った頃はあんなに小さかったのにな、なんて思ってしまったのは先程まで考えていたことがことだったからだろう。


「真ちゃん、どうかしたの?」

「用がある訳ではないが、お前の姿が見えなかったから探しに来ただけだ」


 言われて何も言わずに出て来たんだったと思い出す。いや、ちょっと出掛けてくると声は掛けたけれどそれだけだ。とはいえ、緑間のことだから高尾がこの場所に居ることくらい御見通しだったのだろう。探しに来たと言いながらも疲れは見られない辺り、真っ直ぐにここに来たに違いない。
 とりあえず行き先を伝えなかったことを謝罪すると、謝ることではないと言われる。用がないと言っていたから、ただ単に高尾を探していただけなのだろう。それくらい今の二人の関係は近いものとなっている。あの頃からは想像も出来ないな、と高尾は一人心の中で思う。


「お供え物は持ってきたのか?」

「ちゃんとあげたから大丈夫だぜ」


 な、と高尾は手元に視線を落とす。そこには黄色いふわふわとした小さな生き物の姿。既に見慣れたこの生き物は、高尾と共にこの神社を守っていたという狐である。普段はお稲荷様として鳥居の傍に居るけれど、高尾が訪ねて来た時にはこうして姿を見せてくれる。
 神様の居なくなったこの神社だが、未だに高尾の後任を担う神は居ない。高尾が居なくなった分は、この狐達が神社の守り神として存在している。それだけでは力不足ではあるものの、なんだかんだでやっていけている。神社を守る役目を担っている緑間も居るし、高尾だって神という身分ではないにしても同じ志を持っているのだ。神が居なくなっても不安なことはない。


「慣れたものだな」

「長年の付き合いだしな。年数だけなら真ちゃんの何倍も多いぜ」

「少なかったらそれで驚くのだよ」


 可能性としてはなくもないけれど、単純に考えるのであれば緑間よりも長い付き合いをしているだろう。高尾がこの神社に数百年と過ごしていた間、一緒に神社を守ってきた仲間だ。神の力はあまりないけれど、この狐達もお稲荷様として役目を果たしている。人間が居ない時でも姿を見せることは少ないが、高尾にとっては数少ない友達でもあった。同じ神である火神達とはまた違った繋がり、それが神と狐の間にはある。
 とはいえ、それはかつての話である。今の高尾と狐の間にはそんな特殊な関係はない。これまでのまま友達という関係だけが残っているような感じだ。


「もうすぐお祭りの時期か。真ちゃん今年も踊るの?」


 お祭りとはこの村で長年続けられているお祭りのことだ。一年に一度のお祭りで村全体が盛り上がるこのイベント。その祭りの中で、緑間の家の者が舞を踊るというのもお決まりとなっている。元々は女性が踊るものなのだが、今代は女性が生まれなかった為に本家生まれで跡継ぎでもある緑間が役目を担っている。初めから踊りは上手かったけれど、何年も続けている今では慣れたものだ。
 その舞を高尾は毎年見ている。これまでは遠くから見ているだけだったけれど、近年は随分と近くで見るようになった。それはそうだろう。緑間と親しい間柄である高尾は、舞台袖からその姿を見ているのだから。


「オレ以外に踊る人が居ないのだから仕方がないだろう」

「それはそうだけどさ。まぁ、オレは真ちゃんが舞を踊ってるのを見るの好きだよ」


 舞用の衣装である着物を身に付けて、流れるように舞う。緑間の家の人達が踊るそれを見ることは、高尾にとっては毎年ある楽しみの一つだった。みんな綺麗な舞を見せてくれていたけれど、中でも緑間が踊るそれを高尾は好んでいる。緑間に言わせれば同じ踊りなのだから違いなんてないだろうといったところなのだが、同じ踊りだとしても人によって違いはあるのだ。
 そう話した高尾を緑間はじっと見つめた。その視線に気付いたらしい高尾は「どったの?」と顔を上げた。漆黒の髪に色素の薄い瞳、出会った頃よりも幾らか大人びた顔つきになったのはそれだけ年が流れたから。神としての長い寿命ではなく、人としての短い寿命の中でこれまでよりも早く成長をしたからだろう。


「なんなら、お前が踊ってみるか?」


 いきなり投げられた質問に高尾は大きく目を開いた。お祭りの舞がどういうものなのかを高尾はしっかりと理解している。それがこの村のお祭りでどれだけ重要なものなのか、誰でも良いというものではないことも知っているのだ。


「それは流石に冗談じゃ済まされないぜ、真ちゃん?」

「冗談で言っていない。お前だから言っているんだが」


 どういう意味か伝わっていないのだろうな。何でも分かっているようで意外と鈍いところがある。そういうところも高尾らしいけれども、伝わらないのなら伝えるだけ。そんなことは分かり切っている。
 そこまで考えて、緑間はすっと高尾の顎をすくうと距離を縮めた。そのままそっと唇を落とす。
 触れていたのは僅かな時間。すぐに離れたそこにはほんのりと頬を赤に染めた恋人。それを見て柔らかく微笑むと、緑間は先程の言葉の意味を高尾に伝えてやる。


「一緒に守っていくのだろう。これからもずっと」


 分かり易いように話してやれば、漸く意味を理解したらしい。
 祭りで舞を踊るのは緑間の家の者と決まっている。緑間の家の者であれば誰でも問題ない。大方決まっているとはいえ、代々受け継いでいるのだから当然踊る人だって変わっていく。そのシステムのことは緑間だって理解しているし、理解しているからこそ言っているのだ。冗談でもなく、本気でその言葉を告げた。
 この先もずっと一緒に守っていく。つまり。


「どこまで本気で言ってる……?」

「全部本気に決まっているだろう。こんなことで嘘は吐かない」


 これは疑っている訳ではなく、ただ確認がしたかっただけ。緑間がこんな嘘を吐く筈がないということは知っているし、それが本気の言葉であるということはその目を見れば分かる。
 だから、こちらも本気で答える。素直に気持ちを口にすることは得意ではなかったけれど、ここ数年で大分言葉に出来るようになった。とはいえやはり得意とはいえないが、気持ちを伝えることの大切さは分かっているから。


「守ってくよ、真ちゃんと一緒に。本当に良いんなら、踊っても良いよ。真ちゃんの舞が見られなくなるのは残念だけどね」

「元々は女性が踊るものだ。オレはイレギュラーだったのだよ」

「それを言うならオレも男なんだけど?」

「オレという前例があるのだから気にすることはあるまい」


 本来は女性が踊るものとはいえ、女の子が生まれなかったからという理由で緑間がやっているくらいだ。この先もそういった場合には男性が舞を踊ることになるのだろう。性別は今更気にするようなことではない。
 緑間の家の者ではないということが引っ掛からないといえば嘘になる。けれど、そこに込められた意味に気付いたから、それなら踊っても良いと高尾は思ったのだ。それが周りに認められるかはともかく、緑間のその気持ちは純粋に嬉しい。困難な道を歩いていることは百も承知だ。それでも、互いの気持ちが本物だからこうして付き合っている。


「それなら真ちゃんに教えて貰わないといけねーな。オレは踊れないし」

「お前なら見よう見真似で出来そうな気もするが」

「どうだろうな。でも、どうせなら真ちゃんに教えて貰った方がお得じゃん?」


 何が得なのか。それは勿論、緑間に教えて貰えるからだ。教えて貰っている時間は確実に一緒に過ごせるし、教えて貰うとなればすぐ傍に居られる。それに緑間が舞を踊る姿を間近で独占して見られるというのもお得だ。これも全部、高尾が緑間のことを好きだからこそ得なのである。
 何を馬鹿なことをと思いながらも、高尾がそんな説明をしてくれたお蔭で緑間は何も言えなくなる。そんなこと考えてはいなかったが、緑間だって高尾のことが好きなのは同じだ。仮に見よう見真似で出来たとしても、教えるという行為が得だと言った高尾の気持ちも理解出来る。それならば、こちらもそれに答えるまで。


「今年のお祭り、楽しみにしているのだよ」


 そう言って笑みを浮かべた緑間に、高尾も微笑みながら頷いた。本当に実現できるのかという疑問は、心配せずとも緑間がどうにかするのだろう。それで良いのかという点も問題はない。緑間は既に家を継いで現当主でもある。そんな彼が言うのなら、どうにでもなるというものだ。
 勿論、立場的な力だけではない。ちゃんと認められた上で、緑間と共に神社を守っているのだ。大学を卒業してからこれまで、色々なことがあった。大変なこともあったけれど、二人だったからこそここまで来れた。


「真ちゃん、大好きだよ」


 ふわりと笑って告げた言葉はとても温かい。なんとなく今、伝えたいなと思って零れ出た言葉。一瞬驚いた表情を見せながらも、すぐに優しく告げられたのは同じ意味を持つ言葉で。


「オレも好きだ、和成」


 言葉にしなければ伝わらない。言葉にすることに意味がある。
 言葉が全てとはいわないけれど、この二人にとって言葉が持っているものは大きい。生きている時間が違うのだから、その分価値観だって違う。そもそも同じ人間ではないのだから考え方も違う訳で。そんな溝を埋めるのに手っ取り早いのが言葉だっただけ。加えてその性格的にも、言葉というものがどれだけ重要かということは二人は分かり切っている。
 そのまま自然と触れ合う唇。先程とは違い、深く。お互いの体温が交じり合うくらいの口付け。ここまでくるのにどれだけの時間が掛かったのだろうか。長かったような気もするし、短かったような気がする。そんなことは、今この関係があるのだから今更どうでも良いけれども。


「オレ、真ちゃんに出会えて本当に良かったよ」

「またいきなりだな」

「ちょっと昔のこと思い出しててさ。ありがとね、真ちゃん」


 感謝はしてもしきれない。お前が居なかったら、オレは今も一人で神社を守り続けていただろう。人と関わることもなく、友人達ともある程度の距離を置いて。ただ自分の役目を全うして生きていたに違いない。こうして笑っていられるのも、幸せな日々を送れるのも、全ては緑間が居てくれたから。
 変わった、というよりは戻っただけだ。高尾の友人達は今の彼をそう表現するだろう。感情豊かでコロコロ表情を変えながら良く喋る友人の姿に安心したのはここだけの話。


「それをいうのなら、オレも感謝しているのだよ。お前が居なければ真っ直ぐにこの道に進むこともなかっただろう」

「そんなことねーよ。オレが居なくたって真ちゃんなら真っ直ぐ進んだよ」

「いや、お前が居たからだ。ありがとう」


 自分が家を継ぐということは幼い頃から分かっていた。周りがみんなそう言っていたから。ただ漠然とそう思っていたのが変わったのは、高尾と出会ったからだ。彼の為にしてやれることを探して、一緒に守っていきたいと思うようになって。高尾に出会わなかったとしてもこの職に就いたのだろうが、出会えたことによって世界が大きく変わった。
 もしも二人が出会わなかったとしても、二人の道は変わらなかっただろう。高尾は高尾で神としての自分の役目を、緑間も神社を守る者としての役目を果たして過ごしていただろうことは容易く想像出来る。それが出会えたことによって変化が起こった。
 共に居たいと思える相手、傍に居られるだけで幸せに思える。そんな相手に巡り会えたのは、かけがえのないことだ。この出会いに感謝して、この相手とこれからも歩んで行く。


「オレはそろそろ戻るが、お前はどうする?」

「ならオレも行く。仕事するなら手伝うぜ」


 今から約二十年前のあの日。森の中で偶然巡り会った二人。小学生になったばかりの緑間と、幼い姿に変化をしていた高尾と。無邪気に笑って話していた彼の言葉が切っ掛けで彼の存在が気になった。叶うことのないだろうと思われた些細な願いは、いつの間にか双方が抱く願いとなっていた。
 こっそり再会を果たしたのは十二歳の時。ちゃんと再会をしたのは十六歳の時、これは少しばかり強引であったけれどそうでもしなければ高尾は会ってくれなかったかもしれない。それから十八歳の時に事件が起こって、二十歳になって出会った自分達は同い年の人間同士で。一緒の大学に通って過ごした日々は新鮮だった。


「今日の分は残り少ないから大丈夫なのだよ」

「そう? じゃあ夕飯の支度でもしようかな」


 何か食べたいものある? なんて尋ねれば、お前が作る物なら何でも良いなんて回答が返って来て。なら楽しみにしててね、と会話を続けるこれが今の日常だ。
 二十二歳で大学を卒業してから四年。二人が何の進路を選択したかなど説明する必要はないだろう。卒業してからずっと、二人は共にこの神社を守り続けている。神社を守ることこそが、二人の役目なのだ。そして、二人で守っていくことこそが、二人の選んだ道。
 それはこの先も変わらない。十年後、二十年後、その先の未来もずっと。

 お前に出会えて良かった。毎日幸せなのはお前が隣に居てくれるから。
 ありがとう。そして、これからも宜しく。
 二人でならどんな困難な道も進んで行ける。これからも隣に並んで歩いて行こう。










fin