三月に入り段々と温かくなってきた今日この頃。公立高校は卒業式を迎えていた。此処、秀徳高校も例外ではなく数時間に渡って式が行われた。卒業証書の名前を呼ぶ時点で涙を流すクラスメイト、在校生の送辞を聞いて泣き出した者も居た。
この高校三年間で得た沢山のモノ。友達やお世話になった先生、校舎との別れ。多くの思い出が詰まった高校で過ごす最後の日。
大切な親友と、特別な想い
「真ちゃん」
卒業式が終わり最後のHRも終わった後、高尾に声を掛けられて教室を出た。絶対に会えなくなるわけではないが、クラスメイト達は最後の思い出作りとして写真を取り合ったりしている。高尾も先程まではその中に混ざっていたが、どうやらもう良いらしい。
校舎内はどこも人が多い。生徒だけではなく保護者も集まっているのだから仕方がない。その中で高尾が向かったのは、比較的静かな一年の教室だった。懐かしい教室に足を踏み入れると、馴染みのある場所まで進んでこちらを振り返った。
「一年の時のこと覚えてる? この教室の此処で授業受けてたんだぜ」
その場所は、この教室を使っていた頃にオレ達が使っていた机だった。どんな偶然かは分からないが、オレと高尾は三年間クラスも同じで席も出席番号順を除けば離れた覚えがない。こうして考えてみると改めて凄いと思う。くじで席を決めているのに交換もせずによく席が離れなかったものだ。
この教室で授業を受けていた頃は、まだ互いのことをよく知らなかった。真新しい制服に身を包み、声を掛けてきたのは高尾の方からだ。あの頃は、まさかオレ達がこんな関係になるとは思ってもいなかった。同じ部活なだけあってこの先も付き合っていくのだろうとは思ったけれど、その程度の存在でしかなかった。
「お前はもっと授業を真面目に受けるべきなのだよ」
「今更言われてもオレもう卒業なんだけど」
今更も何も、何度も言っているだろう。そのまま言えば苦笑いで誤魔化された。ただ近いだけではなく前後ともなれば、こちらからは全て見えている。教師の目は誤魔化せてもオレからは授業を真面目に受けていないことなど丸分かりだった。すぐに後ろを振り返ったり授業中に寝たり、他にも挙げようとすれば幾つも出てきそうなものだ。
それからもあんなことやこんなことがあったと高尾は話を広げていく。四六時中一緒に居たのだから話題も共通している。逆に共通しない話題は殆どないのではないだろうか。周りが仲が良いと言ってきたり、常に一緒に居るよなと話していたのも強ち否定は出来そうにない。
「色々あったけどさ、高校三年間は凄く楽しかった。真ちゃんに出会えて良かったよ」
入学した頃から三年になり卒業するまでの様々な話をしているうちにも時間は流れている。校庭の方に目を向けてみれば、卒業生も下校を始めているようだ。オレ達に残された時間はあと僅か。
確かにこの高校三年間は色々なことがあった。小学校、中学校と通ってきたが、中でも高校生活は特別に感じる。それも高尾に出会えたからなのだろう。お前が居なかったのなら、これまでの学校生活と同じように特別な思い入れもなく過ごしたに違いない。
「オレ、真ちゃんの3P見た時からそのシュートを活かしてやりたいって思ってたんだ。その為にこの目を使おうって決めて、いつかは認められて一緒に日本一になりたいと思ったんだ」
前にも聞いたことはあったが、はっきりと言われるのはこれが初めてかもしれない。お前はオレのシュートを活かす為にも鷹の目を使い続けてくれた。その能力は、確かにオレに必要なものだった。
ただオレにボールを回してくれれば良い、勝てるのなら楽しい楽しくないなど関係ない。どうして昔はそんなことを考えていたのだろうか。高尾だってオレの考え方は知っていた筈だ。それでもお前はオレにパスを出した。オレがエースだからではなく、オレのシュートを活かすことが出来るからと。
別にやり直したいとは思わない。そうして積み重ねてきた時間によって今のオレ達が在るのだから。そう考えていた時期があったことは否定しないが、とっくに高尾のことを認めて日本一を目指していた。肩を並べて歩くことが出来る相棒と出会えたことは幸せだったのだろう。お前のパスを受けてシュートを放つことは、いつしか当然となっていた。
「日本一になれた時は本当に嬉しかった。真ちゃんと一緒に一番になれたんだって。真ちゃんはこの目のことを気にしてたけど、オレは自分の選んだ道を後悔してない」
気にしない方が無理だろう。お前のその目は、徐々に光を失っているのだから。
いつか、お前がこの選択を後悔する日が来るのではないかと不安だった。高校でやるバスケは人生の一部でしかない。その為に選んだ道によってお前は光を失う。
やはり止めておけば良かったと思う日が来るかもしれない。今は後悔していなくても、何十年後かにあの時と後悔する日が来ないとは言い切れない。それでも、今のお前がこの選択を後悔していないと思えるのなら良かった。
「そういえば言ってなかったけど、この目のことが分かったのは一年の秋ぐらいだったんだよね」
笑い交じりに知らされた真相に驚く。オレが話を聞いたのは二年の夏頃。気付き始めたのはそれよりも前だが、一年の秋にはもう知っていたというのか。どうして今になって話したのかと問えば、やっぱり隠しておくのは気が引けたからということらしい。
言わなくても分からないことだというのに、こういうところは高尾らしい。隠したりしないからと言ったことを気にしているのだろう。別に怒ったりはしないというのに。それでも、そう思って教えてくれたことは嬉しいと思う。些細なことでも話しておこうと思ってくれたのだから。
「高尾、お前の目は」
「まだ大丈夫。見えてなかったらまず学校に来れないって」
それはそうかもしれないが、お前の視力は随分下がったのではないのか。お前は視力に関することは話さないできたが、話さないということこそ異変が起こっている証だろう。普通に生活出来ているのはコンタクトの力だ。それも合宿中ずっとつけているわけにもいかないからと、偶然知ったようなものだ。目のことを周りに隠しているだけあって合宿も上手い具合に隠れてやり過ごした結果、オレ以外の誰にもバレることはなかった。
どんなにいつも通りを装っても、時々本音は垣間見える。オレの前では取り繕わないようにしているからという要因を除いたとしても、時折見られる表情に心中を察することも少なくない。オレは小さな頃から視力が悪かったから高尾の感じているものは分からないが、そんな悲しげな顔はして欲しくない。コイツの置かれている状況を考えれば無理もないが、オレはお前が辛いと感じているのに放っておけない。
「ありがとね、真ちゃん」
たった一言。そこに含まれている意味を全て理解することは難しい。だが、その声色が。表情が。高尾の言おうとしていることを伝えていた。
どうしてお前はそう一人で完結してしまうのか。自分の言いたいことだけを言って、人の答えなど聞かずにこうだろうと決めつける。分からないというのなら、何度でも繰り返すだけだ。
そろそろ帰ろうと言って机から離れ足を進めた高尾の腕を掴み、そのまま逆の手を顎に添える。そして何かを言われるよりも前にその口を塞いだ。
「真ちゃん、何を」
「一人で考え過ぎるなと前に言った筈だ」
大きく目を開き、なんとかそう発した高尾の言葉を遮って伝える。一人で考え過ぎるなと言っているのに、分かっていないわけではないのだろうがその性格は簡単には変わらない。これは仕方のないことでもあるのだろうが、そのままで良いとは言わない。
無理して笑ったところで、そんなことは分かっているのだ。お前の嘘に騙されてやったのは、前にこれと同じことを言った時までだ。辛そうに笑うのを見るくらいなら、ありのままを見せてくれた方がよっぽど良い。
「お前はずっとオレに人事を尽くしてくれた。今度はオレがお前に人事を尽くす番なのだよ」
徐々に失われていく視力を恐れているのだろう。大丈夫だと答える時、それは自分にも言い聞かせているのだろう。後悔をしていないという言葉に偽りはないのだろうが、失明することを心の奥底では怖がっているのだろう。
この高校生活。バスケでお前はオレの為に力を使い続けてくれた。ずっと人事を尽くしてくれていた。だから、今度はオレがお前に人事を尽くす。
あの日、お前から話を聞いた時から考えていた。オレがお前にしてやれることはなんなのか。オレに出来ることなど限られている。その中で出来ることをしてきたが、それはあくまでもその場の応急処置に過ぎない。
「まだ大丈夫ということは、いずれ見えなくなるのだろう。そんなことはオレが絶対にさせん」
「そりゃ、出来るなら失明なんてしたくないけど、オレの場合はもう…………」
「だからさせないと言っているのだよ」
医者にも言われていることくらい知っている。失明をするのは避けられないことなのだと。だからこそバスケに能力を使い、いずれくるであろう闇の世界で生きていくことを覚悟しているのだろう。光を取り戻すことは出来ないと決めつけて。
そもそも、それが間違いなのだ。世の中にはどうしようもないこともある。失明した場合、再び光を得るなどそうそう出来るものではない。けれど、百パーセント出来ないわけではない。現代の医療では、闇の世界を光で照らすことだって可能である。
お前にその覚悟があるのなら、今後また光の世界に戻って来れる。今までお前がオレに手を差し伸べてくれたように、次はオレがお前に手を差し伸べる番だ。お前の光が永遠に閉ざされることなんてオレがさせない。
「オレがどこに進むかは知っているな」
「医学部、だよね?」
進路希望調査の時に話したことは覚えていたようだ。バスケ界では天才プレイヤーと呼ばれていたが、オレは高校から先でバスケを続けるつもりは最初からなかった。親が医者ということもあり、そっちの方面に進むつもりではいた。具体的なことは考えていなかったが、初めは親と同じ道を専攻するのだろうとぼんやり思っていた。
けれど、ある時からその考えは変わった。オレには何も出来ないと思っていたが、医療の道に進むのであれば出来ることはある。それに気付くと、親にも話をつけて自分の進む道を決めた。オレにはまだ、高尾にしてやれることがあるのだ。
「そうだ。だから待っていろ。オレがお前の目を必ず治してやる」
医療系に進むにしても、親の引いたレールをただ走ることはないのだ。同じ人を助ける仕事なら、大切な人を助けたい。どうせ医療の勉強をするのであれば、お前の光を取り戻す為に勉強をしてやりたい。
お前はただ笑っていれば良いのだ。お前には、笑顔が似合うのだから。
「うそ……だろ…………」
「こんなことで嘘など吐く必要がないのだよ。お前は信じていれば良い。バスケと同じようにな」
信じられないと言いたげだが、オレはこの道を進むことをとっくに決めていた。こんな性質の悪い嘘など吐く筈もないし、オレが嘘なんて吐いたことがあったか。余計なことは考えずに、コートの中でシュートが入ると信じていたのと同じように信じていれば良いのだ。
医者になるまでには時間が掛かるが、お前が信じて待っていてくれるのなら必ずオレが治してやる。オレの為に使ってくれていたお前の目は、オレの手で光を取り戻させる。お前一人を闇の世界に残したりしない。オレは何事にも人事を尽くす。
「そんなこと言われたら、オレ、本当に信じちゃうよ?」
「信じろと言っているのだよ。余計なことは考えるな」
話しながら瞳に薄らと涙が浮かんでくる。その雫が零れ落ちるまでそう時間は掛からなかった。卒業式という一大イベントに男女問わず泣いていた者は多かったが、コイツは涙を見せずに笑って過ごしていた。最後は笑って別れる方が良いからと言って。だが、それももう限界のようだ。
「真ちゃんのせいだからな。オレ、ずっと信じて待ってる。だから、」
言い終わるより前にオレは高尾を腕の中に引き寄せた。無理して喋る必要はない。お前の言葉はしっかりとオレに届いているのだから。泣きたいだけ泣けば良い。
オレはお前の傍に居るから、不安にならなくて大丈夫だ。お前を一人にはしないから、オレが医者になるまで待っててくれ。
それから高尾が落ち着いた頃には、下校をしなければならない時間になっていた。
荷物を手に持って校舎を出ると、いつもの自転車置き場まで歩いて最後のジャンケン。――をするつもりだったのだが、最後だからと自転車を押しながら歩いて帰ることになった。
「別にオレ涙腺弱いわけでもないんだけどさ、真ちゃんの前で泣くこと多くない?」
「これからもオレの前でだけ泣いていろ」
「何だよ、ソレ!」
数刻前まで泣いていたとは思えないくらい高尾は盛大に吹き出した。本当に表情がコロコロ変わる。見ている分には面白いが、一応ここは路上である。少しは周りのことを考えろと言う代わりに「高尾……」と名前を呼べば、だってと言いながらも笑いを抑えようとはしているらしい。コイツの笑いのツボは相当浅いのだろう。小さなことでもすぐに笑い出すのだから。
なにもそこまで笑うことはないだろう。大体、お前がオレの前で泣くことが多いのは部活関係のことで涙を見せることが多いからだろう。それをいったらこちらも同じなのだが、わざわざ言うことでもない。まあ、本当にオレの前だけで泣けば良いと思っていないわけでもないが。
「でも、何で真ちゃんはそこまでしてくれるの?」
唐突に投げられた疑問にどう答えるべきか悩む。明確な答えはオレの中に出ているが、それを言っていいものか。
いけないことであるとは分かっている。オレがそれを口にしたら、今の関係が崩れてしまうのだろうから。お前が幸せならそれで良いから、この想いは墓場まで持っていくつもりだ。これは友人としてお前のことが大切だから選んだ道。
そう答えれば良いのに悩んでしまったのは、引っ掛かっていることがあるからだ。あの時のお前の反応は……。
「高尾、オレもお前に出会えて良かったと思っている。それに色々と感謝もしている」
何を言っても離れることなく傍に居てくれた。文句を言いながらも仕方がないと笑って。部活に限らず隣に居るのが当たり前で、高校生活を振り返ってみてもお前との思い出ばかりが浮かんでくる。
周りは人を天才だなんて言うが、高尾の方がオレよりも上な点は幾つもある。コミュニケーション能力が高く、空気を読んで上手く周りに合わせ、些細な変化にもよく気が付く。運動神経抜群で成績優秀、女子からの人気も高く明るい性格でムードメーカーのような存在でもある。
高尾の良いところを挙げようとすれば、幾らでも出てくる。コイツと違って、それを面と向かって言ったことは数える程しかないだろうけれど。周りの奴等がお前のことを好きだというのは分からなくもない。
「お前と過ごした高校三年間は充実していた。この先も、お前が隣に居てくれたらと何度も思った」
進路が違うのだからそれは無理だと知っている。会えなくなるわけではないが、四六時中一緒に居たこの三年と比べれば確実に会う頻度は減る。数ヶ月に一回、一年に一回でも会えば良い方になってくるのだろう。年月が流れれば流れるほど、その関係は薄くなっていくに違いない。
オレ達の間にはバスケという繋がりがあったが、高校を卒業してからのオレ達には何の繋がりもなくなってしまうのだ。高校時代の友人という名の関係以外に繋ぐものはない。普通の友人以上の関係ではあると思ているが、それでもそこまでの関係だ。
「ずっと隠しておくつもりだったんだが」
「真ちゃん……?」
オレが足を止めると、つられるように高尾も足を止めた。真っ直ぐな視線が、その瞳が。お前の全てが大切で、相棒や友人という立場を壊してまで気持ちを伝えるべきではないと思っていた。
けれど、その考えも間違っていたらしいと気付いてしまった。あの時お前が見せた反応は、オレの勘違いでないのならこの想いと同じ。どうしてそこまでするのか、その答えは。
「お前が好きだからだ、高尾」
友人としてではなく、恋愛の意味でお前のことが好きだ。伝えるつもりなどなかったが、お前も同じ気持ちかもしれないと気付いた今。オレ達の間に何もなくなってしまう前に伝えてみようという気になった。隠し事をしない、という言葉のもとに。
高尾は驚愕に目を見開いたが、数秒後。柔らかな笑みを浮かべながら優しげな声色で答えた。
「オレも真ちゃんが好きだよ」
他の言葉は何もいらない。交わす必要がないから。互いの気持ちは既に通じているのだ。
そう、あの教室でのキスによって。
本日、高校を卒業したオレ達はこの先別々の道を歩んで行く。それぞれが自分の選んだ道に向かって進む。
その間は会うこともなくなるのだろうが、オレは必ずお前の光を取り戻す。その時まで信じて待っていてくれ。この先も二人で歩けるように。
大切な人との未来を守りたい。そして、大切な人と未来を築いていく。
その時が一日でも早く来ることを信じて。今この時を共に過ごす。
fin
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