人生山あり谷あり、なんて言葉がある。生きていれば色んなことがあるし、苦労をすることだってある。そんなことは誰に言われなくたって分かっているつもりだ。その中でどうするか考えて、自分なりに歩いてきたと思っている。
 バスケの強豪校、秀徳高校に入学してキセキの世代の一人――緑間真太郎と出会った。初めてあの3Pシュートをこの目で見た時の感覚は今でも忘れられない。オレは、コイツの力になりたいと思ったんだ。コイツの武器であるシュートはオレの目と相性が抜群だった。コート全体を見渡すことの出来る鷹の目、それがオレの持つ能力だった。
 そのお蔭で、この秀徳バスケ部の一年レギュラーになることが出来た。オレが出したパスを受けて放たれる、綺麗な弧を描くシュートが好きだった。もっと力になってやりたい、コイツを活かしてやりたい。そして、皆で勝利を勝ち取っていきたいと思っていた。

 だが、現実は酷く残酷だった。


「君、バスケをやっているんだよね?」


 深刻な面持ちで確認されて、オレは静かに頷いた。薄々感じていた、だけど認めたくはなかった。重い空気が部屋に流れている。
 そして告げられた言葉に、時が止まったかのように感じた。むしろ、本当に止まってくれた方が良かった。そうすれば、このままずっと楽しく過ごせただろう。明日も明後日も、たった一つのボールだけを追い掛けていたに違いない。








 いつからだっただろう。自分の目の特殊さに気が付いたのは。多くの者を視界に捉えることが出来るこの目には、結構助けられている。だけど、昔は力を制御出来なくて目の使い過ぎで倒れたこともあった。とはいってもそれは小さな頃の話で、日常では必要以上に使わずに一般人と同じくらいの視野を保つことで解決された。
 だから普段のオレの視野は他の人と大差ない。使うのは必要な時、主に部活の時ぐらいだから問題ない。偶に使いすぎて目に痛みを感じたり頭痛がしたりもするけれど、生まれてこの方ずっと付き合っているんだ。どう対処すれば良いのかくらい分かり切っている。


「真ちゃん、お疲れ」


 今日も一日の部活が終わり、更に自主練習をしていたエース様と一緒に体育館に残っていた。自分で決めたノルマを達成するまで絶対帰らない。だからこそ試合では外さないし、あんなシュートが打てるのも納得だ。こうした努力を身近で見ているからこそ、天才とは名ばかりでないことをオレ達バスケ部員は知っている。


「次の土曜日は練習試合だってね。どう?」

「どうもこうも、オレは人事を尽くすだけなのだよ」


 予想通り過ぎる答えに「真ちゃんらしいね」と笑えば、お前もしっかり人事は尽くすべきだと怒られた。はいはいと返事をすれば本当に分かっているのかと睨まれる始末だ。そんなことはオレだって十分承知いる。
 着替え終わって鍵を閉めてからは二人で自転車置き場に向かった。お決まりとなっているジャンケンは、本日も結果は変わらず。鞄を籠に押し込むと、自転車のペダルに足を掛けた。


「あ、真ちゃん。国語のノート貸してよ」

「何故オレがお前にノートを貸さなければいけないのだよ」

「オレ、ノートとってなかったから」


 火曜日の一時間目の授業は国語。ノートをとるのが面倒だった訳でも、黒板の字が読めなかった訳でもない。普段はオレだってちゃんとノートくらいは取っている。ならば、どうしてノートを借りたいのかというと、真ちゃんの言葉通り。


「寝ていたお前が悪い」


 寝ている間にノートをとるなんて器用な真似は出来ない。朝練の後で疲れていたからついうっかり眠ってしまった。それが一時間目。クラスも同じで席は前後、オレが寝ていたことくらいは余裕でバレている。逆に気付かれていなかったらその方が驚きだ。
 ノートをとれなかったのもオレが寝ていたからであって、真ちゃんの言うことは正論だ。だけど、それだとノートチェックの時に点数が引かれる為、同じように授業中に寝ていた生徒は大概テスト前に周りからノートを借りている。まだテストには早いとはいえ、その時に借りておいた方が不自然にならないから。適当に読み流す教師は心配要らないんだけど、国語担当の教師は端から端までしっかりチェックするタイプだ。


「それはそうなんだけどさ、そのせいで評価下がって部活に支障とか出したくないし」

「自業自得なのだよ。大体、お前の成績ならその程度で支障になるとは思えん」

「オレのこと買い被りすぎだって。それにしたって、もしもがあったら困るじゃん。な、頼むよ」


 まず寝ている時点で点数なんて引かれているんだろうけど、その分こういうところで確実に点を取っておかないともしもの可能性があるのだ。それこそ寝なければ良いって話なんだけど。
 必死に頼み込んで、最終的には溜め息を吐かれたもののノートを貸して貰えることになった。ありがとうとお礼を言ったら、それよりも早く漕げなんて言われた。けど、これも照れ隠しみたいなものだ。なんだかんだで、真ちゃんは優しいんだよな。


「そうだ、真ちゃん! 今度休みの日にどこか遠くに行かない? ほら、海とか」

「この季節に海など行く馬鹿が居るか」


 海の季節といえば夏。現在は暑さも和らいできて過ごしやすい季節になった秋。当然海になんて入れないし、こんな季節に海に行こうなんて言い出す奴はまず居ないだろう。
 それならどうして海なのかといえば、偶々思い付いたからであってそれ以外の理由はない。オレはどこに行くかではなくて、一緒に行くという方に重点を置いている。つまり、場所なんてどこでも良かったりする。


「海は例えだから、どこでも良いけどさ。たまには良いっしょ?」

「別に出掛けたい場所もないのだよ」

「んなのどこでも良いじゃん。新しく出来た水族館とかさ。オレが真ちゃんと遊びに行きたいだけだし」

「そんなことに時間を割くくらいなら、バスケの練習をする」

「つれねーな。本当、熱心だよね」


 それも真ちゃんらしいけどさ。バスケに対していつも真剣で努力を怠らない。他の部員だってそれは同じだけど、人一倍の練習をしているんだ。だからオレは、この偏屈なエース様のことが好きなんだ。
 たまには高校生らしく出掛けたりもしてみたいとは思ったけど、オレ達にしてみればバスケが一番だ。休日でもバスケのことばっかり考えていたりするし、どんだけバスケ馬鹿なんだって話だけど好きなものはしょうがない。好きじゃなければここまで熱心になんてなれない。


「バスケの話してるとさ、バスケしたくなるよな」


 部活でハードなメニューをこなして、居残り練もした後だけど。体力なんてそこまで残っている訳じゃないのに、なんでか無性にバスケがしたくなることがある。それは試合を見た後だったり、とにかくバスケがやりたいって気持ちが溢れる。間違いなく今の生活の中心にあるのはバスケだ。それはきっと、オレに限らず真ちゃんだって先輩達だって同じだろう。


「また明日になれば朝からバスケをするだろう」

「まぁね。でも、真ちゃんにもそういう時ってあるでしょ?」


 ほぼ確信しながら尋ねれば、やっぱり肯定が返ってきた。以前は楽しい楽しくないでバスケなんてやってないって言ってたけど、今はちゃんと楽しんでやっているんだろうな。これだけ近くに居ればそれくらいの変化には気付いている。時折見せる笑みがその証拠。
 バスケで手を抜くなんて出来ないし、このチームのメンバーで試合に勝ちたいと思う。そんなのは中学の頃だって同じだったんだけど、なんていうか、今のチームはオレにとって特別なんだ。だからこそ、余計にそう思う気持ちが強くなる。


「次の試合、絶対勝とうぜ」

「当然なのだよ」


 沢山の星が光り輝く空の下。オレ達はバスケへの真っ直ぐな気持ちを語った。
 何の変哲もない日常が幸せで、ずっと続けば良いのになんて空に浮かぶ月を眺めた。オレ達の高校生活はまだ序盤。これから三年になるまで、こんな毎日がずっと続いて欲しいとそう願う。