医者が何を言ったのか、一瞬分からなかった。頭の中の全ての機能が停止したかのように感じた。それ程までに衝撃的な言葉だったんだ。でも、オレにその選択肢を受け入れることは出来なかった。


「それだけは出来ません」


 オレの言葉を聞いて医者は「しかし!」と声を上げた。だけど、こればかりは譲ることが出来なかった。  自分でも何を言われるかなんとなく分かっていた。最初はちょっと変な気がする程度で此処に来たけれど、目の前で深刻そうに机に広げられた書類に目を向けられれば嫌でも分かってしまう。これは自分が思っている以上に大きな問題なのだと。言い辛そうにしている医師の横顔を見ながら、その先に出てくる言葉を想像してはこれからどうするかを考えた。
 そして出した結論がこれだった。この選択肢が正しいかなんて分からないし、オレ自身の未来を考えれば間違っているのかもしれない。それでも、オレにはこれを選ばずにはいられなかった。








 ズキリ、と目の奥が痛む。この感覚をオレは知っている。僅かに顔が歪んだものの、いつも通りを装いながらコートの上に立つ。
 今は試合中だ。自分のやるべきことをやらなくちゃいけない。オレは持っていたボールを緑間にパスした。それを受け取った緑間は、ブレのない綺麗なフォームでシュートを決めた。それからも鷹の目を使いコート全体を把握しながらパスを回し、オレ達秀徳の勝利で試合は終了した。


「あー……しんどい…………」


 体育館の外、人目に付かない木陰に一人佇む。先輩には一言声を掛けたから暫く戻らなくても大丈夫だろう。とりあえず、今はこの目を休めて痛みが引くのを待つしかない。そう結論付けるとゆっくりと瞳を閉じた。
 こうなった時は目が疲れているんだからちゃんと処置して休まないといけないとはいえ、これから学校に戻らなければいけないんだ。広い視野を遮断することで少しは回復するから、それで学校までは何とか持つだろう。


(ちょっと使いすぎたなぁ。でも、使わないと勝てなかったもんな)


 手を抜くとかそういう話じゃなくて、この目をどれくらい使うかっていう話だ。試合自体はいつだって全力だけど、その中でこの目をどう使っていくかはいつも調整している。今日は午前中に学校で練習、午後から此処で練習試合。しかも相手はそこそこ名の知れている強豪とくれば、鷹の目は必要不可欠な能力だった。だからつい使いすぎてしまった。練習中はもう少しセーブすべきだったかな、と今更思っても仕方がない。
 高校に入ってからこうなったのは今回が初めてじゃない。その度にこうして適当な処置を済ませて、いつも通りに部員達の元へ戻る。長時間居なくなる訳でもないし、普段通りを装えば変に疑われることもない。だからこのことはオレ自身しか知らない。


(頭痛もするし、今日は家に帰ったら大人しくしてよ)


 大人しくも何も、そもそもこういう時に何かをしようという気は怒らないのだけれど。誰だって具合が悪いのに、無理をしてまでゲームをしようとか思わないだろう。それと同じだ。この目のことは家族も知っているから、一言先に話しておけば特に何か言われることもないだろう。


「…………高尾?」


 不意に頭上から声が聞こえる。聞きなれたその声にぱっと目を開くと、一気に視界が明るくなって反射的に目を閉じた。それからゆっくりと目を開くと、そこには見慣れた人物が経っていた。


「真ちゃん、こんなトコでどったの?」

「それはこっちの台詞なのだよ」


 どうして真ちゃんが此処に居るのかは分からない。時間はまだ大丈夫な筈だから、呼びに来たってことはないと思う。なんとなく外を歩いていたら偶々見つけたとか?それにしても此処は人目に付かないような場所だ。
 いくら考えたところでその答えは見つかりそうにない。オレが答えれば真ちゃんも答えてくれるだろうということで、まずはこちらが質問に答えることにする。


「オレは試合も終わったから、ちょっと外の空気でも吸おうかなって思って。向こうは人が多いから此処に居たってワケ」


 即席で作った理由にしては、それなりに筋は通っているだろう。目のことで誤魔化すことは結構あったから、こういうのは得意なんだ。ついでに体調が悪い時にもそれなりに誤魔化せる。……後で怒られることもあるけれど。
 でも、ポーカーフェイスも得意だし基本的に気付かれることはない。全部これまでの人生で身に付けてきたものだ。続けて真ちゃんはと尋ねれば、予想外の理由が飛び出してきた。


「お前の姿が見当たらなかったから、わざわざ探しに来てやったのだよ」

「へぇー真ちゃん優しいね。オレが居なくて寂しかった?」

「別にそういう訳ではない!!」


 まさか真ちゃんがオレを探しに来たんだとは思わなかった。いつもオレの方が付き纏っているようなもので、どちらかといえば邪魔だ鬱陶しいなんて言われるくらいだ。だからそんな言葉が出て来るなんて予想外過ぎる。けど、真ちゃんがオレを探しに来てくれたっていうのは素直に嬉しかった。オレばかりの一方通行じゃないんだって分かった。茶化しちゃうのはご愛嬌ってことで。


「エース様に心配されちゃうとはねー」

「だから違うと言っているのだよ!」


 照れんなって。今のオレが言える立場じゃないけれど。本当、これだからコイツと一緒に居るのが好きなんだ。一緒に居て退屈することはないし、色々と楽しいんだよな。
 周りはよく一緒に居られるななんて言うけれど、オレからしてみればなんで真ちゃんの良さが分からないんだろうって思う。一見真面目かと思えばおは朝の占いは絶対でラッキーアイテムを必ず持ち歩く変人で、プライドは高いし偏屈で我儘なんだけれど、純粋で努力家。クラスも部活も、登下校まで一緒にしている相棒のことをオレはそれなりに理解しているつもりだ。相棒って思ってんのはオレだけかもしれないけど。ツンデレだけど不器用なだけで本当は優しいってことも知ってる。


「わざわざ探しに来てくれてありがとね。心配しなくても出発時間までには戻るから安心して」


 実は、まだ目の痛みが残っている。試合が終わった時よりはマシになったとはいえ、もう暫くは休みたいっていうのが本音だ。こうして真ちゃんと話しているお蔭で、気分は大分良くなったんだけどな。一人で居ると無駄に色々考えちゃったりするからさ。真ちゃんが来てくれて良かった。何より嬉しかったしね。
 でもオレは皆の所には戻らないし、かといって真ちゃんを付き合わせる訳にもいかない。だからそう言ったんだけど。


「お前は戻らないのか?」

「オレはもうちょっと此処に居る。だから真ちゃんは先に戻っててよ」

「それなら、お前が戻るまで居てやる」


 あっさりとそんなことを言い出すものだからつい反応が遅れた。思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。そんなオレを見ては眉間に皺を寄せて「何だ」と尋ねてくる。いや、何だも何もいつものツンデレはどこにいったんだよ。


「明日は雨が降りそうだね」

「どういう意味なのだよ」


 そのまんまの意味、とだけ答えれば一層皺が濃くなった。だけどこんなのは慣れっこのオレは特に気にもせず、そういえばさといつも通りの会話を投げ掛けた。
 その後もオレ達は時間までずっとこの場所に居た。控室に戻るころには目の痛みも殆ど引いていて、これも真ちゃんのお蔭かななんて思った。