「オレは兄さんのことが好きだ」


 そう言った弟はそのままオレにキスをした。突然のことに驚いて、一瞬何がどうなのか頭が回らなくなった。
 だけど、翡翠の目が真剣にこちらを見ていたから本気なのは分かった。好きもそういう意味の好きなんだろう。オレを気遣ったわけでもなく、本当にそう思って告げている。信じられないけれど、これは確かに現実だった。


「……えっと、真ちゃん」

「信じられない、と言うのか」

「そうじゃないんだけど」


 けど、何て言えば良いんだろう。言葉が出てこない。
 だって、まさかこんな展開になるなんて誰が予想出来ただろう。ここまできたらちゃんと伝えようと決めたけれど、伝えたところで駄目だと思っていたのだ。それでもあんなことをした手前、何も言わないわけにもいかないからと覚悟を決めた。それがこんなことになるなんて。
 一体、彼はいつから自分を好きになったんだろうか。こちらの気持ちがバレていて、というわけではないだろう。でもそれなら何で。いや、何でと聞くのは筋違いか。


「ごめん、ちょっと待って。予想外過ぎて頭がついてかない」


 どうしてこんなことになったのか。違う、これからどうするかだろうか。昨日のことをちゃんと話そうと思うまでも一日近く掛かって、それも結局弟の方から切り出してくれた。予想外過ぎる展開に少しばかり時間が欲しくなるが、この場でそれは駄目だろう。それくらいのことは分かる。でもほんの少し、整理する時間だけ欲しい。


(真ちゃんがオレを好きだったなんて、そんな都合の良い展開)


 あるわけない。けれど現実にはそれがあった。全然気付かなかったけれど、弟も自分のことをそういう意味で好きになっていたらしい。
 それでこれからどうすれば良いのか、どうしたいのか。ここでそれを告白したということは、弟はそれを選ぶだけの覚悟をしたのだろう。多分、昨晩の出来事でオレの気持ちにも気付かれていたんだと思う。あんなことをして、それでも好きだと言ってくれた。


(オレは、この手を取っても良いのか……?)


 伸ばされたこの手を素直に取って良いのか。ここは兄として弟を正しい道に導くべきなのか。
 ……なんて、弟を好きになってしまったオレに説得力も何もない。好きになるのに理由なんてない。気が付いた時には落ちていた。両思いだったことに素直に喜んでも良いのだろうか。


「兄さん」


 弟の呼ぶ声に顔を上げる。真っ直ぐな翡翠がこちらの答えを待っている。透き通るような綺麗なそれがずっとオレを映してくれれば良いのに、とか馬鹿みたいなことを思ったこともあった。兄弟としてでも傍に居られるのならそれで十分だった。好きな相手と一緒に暮らすのは色々と思うところもあったけれど、やっぱり一緒に居られるのは嬉しくもあって。
 どう答えるべきかなんて知らない。兄としての立場なんてあってないようなものだろう。それと恋愛は別物だ。その恋愛対象がどうとかいう話はもう置いておこう。やっと、胸の中にあったこの気持ちを言えるのだから。


「好きだよ、真ちゃん。何でオレを選んじゃったんだとも思ったけど、正直今凄く嬉しい」

「兄さんだから好きになったのだよ」


 そんな言葉をどこで覚えてきたのか。でも、それを嬉しいと思ってしまったのだからこっちも大概だ。母さん達にはとてもじゃないが言えない。大学進学を理由に兄の元へやった弟がこんなことになるなんてどこの親に想像出来るのか。まあでも。


「ありがとう、真ちゃん」


 オレが言えばきょとんとした顔でこちらを見られた。これはオレが言いたかったから言っただけ。だから理由は言わなくても良いだろう。その代り、今度はこちらからそっと唇を寄せて触れるだけのキスを落とした。


「昨日のことをなかったことには出来ないけど、ここからまたよろしくな」


 ここをまた新たなスタート地点として、これからもずっと。ただの兄弟としてだけではなく、これからはそういう意味でも。一生伝えることのない、伝えてはいけないものだと思ってきただけになんだか不思議な感じもするけれど。
 知らないうちに両思いだったらしいオレ達にとって、なんだかんだで昨夜のことは丁度良いきっかけになったらしい。だからといって酔ってあんなことをするのはやっぱり最低なことだけど、諦めずに伝えてみるというのも大切なことなんだなと思った。まあ、相手が真ちゃんだったからだけど。


「そのことなら気にしていないと言っただろう。オレの方こそこれからもよろしく頼む」


 大学に通っている間はここに住まわせてもらうのだから、と真ちゃんは言った。確かにそういう話になったから彼はここに居る。
 けど、別に兄弟なんだからそんなことは気にしなくても良いんだ。事後連絡で思うところもあったが、それでも彼を迷惑だと思ったことなんて一度もない。むしろその逆と言っても良いくらいだ。ま、好きだったから困ることがなかったとは言わないけれど。


「大学を卒業してからもお前がここに居たいなら居ても良いんだぜ?」

「その時は二人で暮らす部屋を一緒に探す、というのも良いと思うんだが」


 一人暮らしの為に探したこの部屋ではなく、二人で暮らして行く為の部屋を新しく探す。そんな言葉が弟から出てくるとは。
 きっと卒業してからではなく、社会人になったらという意味なんだろう。大胆というかなんというか。これは一枚上をいかれたな。今の部屋に不満があるわけではないんだろうけれど、そういうのも有りかもしれない。


「分かった。お前が卒業したら一緒に探しに行こっか」


 まだ先の話だけど、と言えば弟は笑って「兄さんと一緒だからすぐなのだよ」なんて返した。全く、本当にどこでそんな言葉を覚えたんだか。オレも真ちゃんと一緒に過ごしたこの数ヶ月は今までより早く感じていたから言いたいことは分かるけれど。


「兄さん」

「ん?」

「これからはずっと、一緒に居たい」

「ああ、オレも同じだよ」


 離れていたのはオレが大学進学をしてから真ちゃんが大学進学をするまでの五年間だけ。たかが五年、人生という大きな枠で見れば短い時間だろう。それでも中学生活や高校生活、それぞれで過ごす三年という時間よりも二年も長い。オレ達にとってその五年は長かった。
 決して五年間の中で会わなかったわけではない。それでも、これからはずっと一緒に居たいとそう思う。離れる理由ももうないのだから、あとはオレ達の意思だけ。オレ達がお互いにそう思っているのなら、これからも一緒に居られるだろう。きっと。







(兄としてだけではない。二つの“好き”はどちらも受け入れてもらえた)
(だから、これからはそういう意味の好きを伝えながら傍にいよう)


(好きだったんだ、あの頃からずっと。兄弟だけど好きになってしまった)
(兄弟でも、男同士でも。進む先が茨の道だとしても、二人でなら進んで行ける。だから)


二人で一緒に歩いて行こう。
支え合って。助け合って。愛し合って。

だって、オレ達は兄弟だから。