起こったことは変えられない。その上でこれからどう付き合っていくか。それを選ぶのは自分達だ。今のままの関係を続けるか、それとも別の道を選ぶのか。何を選ぶにしてもまずは話をしなければいけない。碌に話も出来ずにこのまま関係が崩れて行くだけなんて嫌だ。
 朝から出掛けている兄も一度は帰ってくるだろう。ここで待っていれば必ず兄には会える。だからそこで話をしようと友人と別れて真っ直ぐ家に戻った。
 そこに兄の姿はなかったけれど、待つこと数時間。ガチャ、と玄関が開く音がしたかと思うと暫くしてリビングにその人はやってきた。


「……ただいま」


 やっぱり気まずいのか、それでも兄はそう言って帰ってきた。だからこちらも「お帰り」と返す。
 リビングに入ったところで立ち止まった兄は何かを言いたそうにしながらも、結局何も言わずに「今から夕飯作るな」とキッチンへ向かった。まあ時間的にはそんな時間だ。昨日のことがなければいつも通りともいえるかもしれない。


(兄さんも昨日のことは覚えているんだろうが)


 話をしようとは思ったんだろう。だけど言い出せずにとりあえず夕飯を作ることにした。それくらいのことは見ていてすぐに分かった。
 誤魔化されてそのまま離れることになるかもしれないと思っていただけに、この兄の反応には正直安心した。たとえ誤魔化されても話をするつもりではあったが、兄もその気でいてくれた方がやりやすい。兄は話が上手いから昔から口ではあまり勝てないのだ。


(とりあえず、夕飯を食べてからか)


 兄が夕飯の支度をしているところを眺めながら、どうやって話を切り出そうか考える。話をするつもりでも切り出しづらいことに変わりはないだろうから。そしてこちらの気持ちを伝えよう。
 手際よく作り終えた夕食を並べる手伝いをしながら、同じテーブルで一緒に出来たばかりのご飯を食べる。普段は何かしら兄から話を振ってくるが、その兄が何も話さないこともあって今日の食卓は静かだった。テレビを付けることもなく、静かなまま夕飯を食べ終える。


「兄さん」


 食器を片付けて風呂に入って、寝るまでに時間があったとしても話をするタイミングなんてこちらから作らなければなくなりそうなものだ。夕飯を食べている最中も兄は何かを言いたそうな、気まずそうな表情をしていた。これ以上、時間を引き延ばすことは無意味だろう。
 そう思ってオレは兄を呼んだのだが、一瞬肩を揺らした兄はすぐにこちらに頭を下げた。


「真ちゃん、ごめん!!」


 何に対しての謝罪か、は聞かなくても良いだろう。まだ何も言っていないのだが、兄にも昨日のことを放そうとしていたことは分かっていたらしい。この状況で分からない方が難しいかもしれないが。


「オレ、昨日は飲み会があってかなり酔ってて……いや、そんなの言い訳にしかならないけど。本当、ごめん」


 とにかく謝らなければいけないと思っているらしい兄は謝罪を繰り返す。そんなに謝る必要はないのだが、仮にオレが逆の立場だったらやっぱり謝っただろう。相手がどう思っていたとしても酔った勢いであんなことをしてしまったのなら。謝らずにはいられないと思う。


「兄さん、謝らなくても良い」

「でもオレ、弟のお前に最低なことしただろ」

「酔っていたのだろう。別にオレは兄さんを最低だとは思わないのだよ」


 それはオレが兄さんを好きだからかもしれないけれど、そうだったとしてもオレがそう思っていないことは事実だ。だからそんなに謝る必要もないし最低だとも思わない。それよりも。


「……兄さん、一つだけ聞きたいことがある」


 謝罪は必要ない。ただ、気になることが一つだけあるのだ。あれが酔っていたからだということはオレにも分かっている。酔った勢いでキスをしてしまったということも。
 だが、たとえそれが酔った勢いだったとしても兄にもその気があったからこそあんな行動を取ったのだと思う。誰かと間違えたわけでもなければ、誰でも良かったわけでもない。それはオレの中でほぼ確信しているが、その時の兄が酔っていただけに確認しなければ真相ははっきりしない。

 何、と聞き返す兄を真っ直ぐに見据える。もう後には引けない。けれど、こんなチャンスも二度と来ないだろう。今ここではっきりさせて、それからこの気持ちを伝える。そう決めたんだ。


「兄さんは、オレのことが好きなのか?」


 問えば、兄は僅かに視線を落とす。それだけで答えは分かったけれど、オレは兄が答えるのを待った。数秒ほどの時間を置いてから、兄はこちらを見ないままその答えを口にする。


「…………好きだよ、ずっと」


 兄弟としてではなく、そういう意味で好きなんだと。兄はそう言った。


「男同士だし兄弟だし、五歳も離れてるけど。オレは前からお前が好きだった」


 それで昨日は、と申し訳なさそうに言ってまたごめんと謝られた。だから謝らなくても良いと言おうとして、その謝罪の意味が先程とは少し違うことに気が付いてやめた。兄の謝罪は昨日のことも含んでいるのだろうが、それよりも今言った言葉に掛かっているようだった。弟を好きになるような兄でごめん、と。
 兄弟なのに、同じ男なのに。こんな気持ちを抱いてごめんと兄は言う。本来なら抱いてはいけない感情だから。そんな間違った感情を持ってしまって、向けてしまって、ごめんと謝りたかったのはオレとて同じだ。

 昼、黒子に会った時に言われたそれはその通りだった。兄が話を避けた理由なんてすぐに分かった。この関係が崩れてしまうことを恐れた。一緒に居られるただそれだけで良かったのに、昨日のことが原因でもうそれすら出来ないと悟ったから。考えればすぐに答えは出た。
 そして、兄の気持ちはオレが一番よく分かっていた。兄が弟を好きになるのも弟が兄を好きになるのも、それから考えることは同じだろう。兄の話すどれもがオレの考えたことのあるものばかりだった。


「本当は言うつもりもなかったんだけど、もう遅いしな。真ちゃんは優しいからそう言ってくれるけど、お前が嫌ならオレは――――」

「兄さん」


 答えを決めつけてしまうのも仕方がないのかもしれない。だけど、オレは兄さんと全く同じ気持ちを抱いていたんだ。それを伝えないうちに勝手に自己完結されては困る。オレだって、ずっと前から兄さんのことが。

「オレは兄さんのことが好きだ」


 胸を苦しめるこの気持ちを伝えてしまいたいと何度も思った。けれど伝えてはいけないものだと口にはせず、それでも兄と一緒に居たいから大学進学と同時に親に相談したのだ。
 隠し続けなければならない秘密。そう思っていたけれど、こういうきっかけがあって、更には兄も自分のことを好きだと言ってくれるのなら。もうこの気持ちを告げても良いだろう。いや、ちゃんと伝えるべきなんだ。言葉がなければ相手の気持ちなんて分からないのだから。







 

(好きだったのはオレも同じ。だから、ここで終わりなんて言わないで)
(オレは兄さんと一緒に居たい)