三月一日、卒業式。
 在校生、教師、保護者、来賓。沢山の人が集まるこの日、オレ達は卒業生としていつもバスケをしていた体育館に足を踏み入れた。卒業証書を渡されて偉い人たちの話を聞いて、在校生からの言葉と卒業生の言葉。合唱を終えて退場までの数時間は本当にあっという間だった。
 涙を流すクラスメイトもいた。なんとか我慢していたけれど式が終わってから泣き出した子もいた。最後のホームルームでは担任まで薄らと涙を浮かべていて、全員で写真を撮った後はみんな友達と写真の取り合いっこを始めた。

 オレ達は後輩に呼ばれていたからそのまま校庭へ。泣いている後輩が多い中で新主将は涙を見せることなくオレ達を送り出してくれた。去年のオレ達もそうだったし、一昨年の先輩もそうだった。これもきっとそういうものなんだろう。
 泣きそうではあった。でも、ちゃんと送り出さなくちゃなって気持ちが大きかったんだと思う。オレがこれから引っ張っていくんだからしっかりしないとって。先輩達から部を任されたんだからとか思ったりして。今はもう送り出される側か。


「引退の時も泣いてくれたけど、今日も泣いてくれたな」


 後輩達と別れたオレ達はとりあえず場所を移そうってことになって開いていた部室にやってきた。一昨年はここで先輩に会わないようにしようとしたのに見つかったんだよな。そんな先輩からも卒業おめでとうなんてメールが来ていた。簡単なそれだけのお祝いがとても嬉しかった。ありがとうございますと返信しながら、先輩達はどんな気持ちで卒業していったんだろうと気になった。


「もうオレ達も卒業だぜ。真ちゃんよくボタン無事だったな」

「制服は最後まできちんと着るべきなのだよ」

「ぶはっ、真ちゃんらしーね!」


 そういうお前もボタンは全部無事だろうって?そりゃお前がそういう性格だと思ったからだよ。一緒に帰るのにエース様はちゃんとした制服着てるのにオレだけそんなんでもな。女の子には悪いけど断った。
 第二ボタンじゃなくても良いって言われても一応オレの制服だからオレに決定権がある訳じゃん?だから取られる前にその場を離れた。


「体育館が使えねぇから最後にバスケも出来ないな。こんなことならもっと早く1on1しとくんだった」


 後に後に伸ばしていたらこれである。卒業式の日で良いかと思ったけど、そういえば卒業式の後すぐには片付けないんだった。今思い出しても遅いけど、やっぱりやっておきたかったとは思う。オレの高校バスケのきっかけみたいなものだから。
 今からストバスまで行くのも有りかと緑間の言葉で気付いたが、それはそれでちょっと時間が掛かる。いや、時間は全然気にしてないんだけどそっちに行ったらもう学校には戻れない。それなら学校でやっておきたいことは今やっておかないとだ。


「真ちゃん、ストバス行く前にちょっとだけ体育館に行こうよ」

「体育館はまだ椅子が並んでいるだろう」

「良いから行こうぜ。本当にすぐだからさ」


 眉間に皺を寄せながらこちらを見ている緑間の腕を引いて体育館へ。やはりまだ椅子は並んでいる。けれど、こんな障害物なんて関係ないだろう。


「最後に一回だけ、スリー撃ってよ」


 片付けられていたボールの一つを持ち出して緑間に手渡す。後でも見られるけれど、ここでシュートを撃つ緑間が見たかった。同じバスケットコートでも思い入れが違う。高校三年間、ずっと見てきたこの場所でのシュートが見たかった。コイツのシュートなら体育館に並んでいる椅子なんて関係ないだろう。
 ボールを手にした緑間は、暫く手元のそれを見つめたが結局オレに戻した。一回でも駄目なのかよと尋ねれば、それは構わないと返ってくる。それならどうしてボールを受け取らないのか。答えはいとも簡単なことだった。


「お前がパスを出せ。そうしたら撃ってやる」


 そういうことか。パスくらい幾らでも出す。お前相手なら。
 元々そういう関係だしな。でもちょっと嬉しい。たかが一つのシュートを撃つ為だけにオレにパスを出せって言ってくれることが。お前がオレのパスを特別だと思っているとか夢じゃないかとも思ったぜ。オレはお前のシュートを特別に思ってたけど、緑間にとってもそうなんて欠片も思ってなかった。一月にあんなやり取りをするまでは。
 オレは少しだけ離れて数回だけボールをつく。跳ね返ってきたボールをキャッチすると、真っ直ぐに緑を見つめてそちらに向かってボールを放つ。狂うことなく緑間へと向かったボールはそのまま緑間の手の中に。受け取ったそれを綺麗なフォームで緑間は空高くへと放った。高いループを描きながら落ちていくボールはシュパッといい音を鳴らしながらネットを潜り抜けた。


「やっぱ凄ぇな、お前のシュート」


 キラキラした光の軌道がオレの目にまだ残っている。これをずっと追いかけてきた。初めて見た時は驚きと感嘆と。噂には聞いていたけれど本当にこれが人間業かよと思い、同時にただ凄いと思った。容赦のないシュートに心を折られる者がいる中でオレは心を惹かれた。
 次会ったらコイツを倒してやるって、高校ではまさかの同じチーム。そこで見るお前のシュートは何も変わってなくて、いや、以前よりも数段パワーアップしていた。見る者の心を引き寄せるシュート。練習中、試合中、何回見たかも分からない。オレのパスを受け取ってからそのまま撃つ姿も何度も見た。オレのパスでこのシュートが放たれてるんだなとか思ったりしてさ。
 今もオレはこのシュートに惹かれている。緑間の撃つこのスリーが好きだ。誰にも真似出来ない緑間の武器。オレにとっては特別なシュート。全ての始まり。


「オレ、中学でお前とやってなかったら秀徳に来てなかったわ」


 バスケは好きだ。だから続けていたとは思う。けど、こんな強豪を選んだかは分からない。中学が弱小校だったからそれなりのところでやれれば良かったのかもしれない。当時のオレが何を考えていたかなんて正直もう覚えていないけれど、確かにあの試合はオレの高校選択のきっかけだった。
 緑間に負けて倒してやりたいと思った。その為には強豪に進学するしかなかった。普通の高校では緑間と当たるところまでは行けないだろうから、行くなら強豪だって考えた。そこで見つけたのが秀徳高校。自分の学力なんて気にしたこともなかったけれど、勉強にも力を入れている秀徳の偏差値が合格圏内だった時は出来て良かったと本気で思った。お蔭で引退してからも勉強よりバスケに力を入れられたしな。


「真ちゃんが秀徳選んだのは強豪だったから?」

「それもあるが、他の学校よりも秀徳が良いと思ったからだ」


 他の学校というのはスカウトに来た学校のことだろう。東西南北、色んなところからスカウトが来ていたに違いない。何せ帝光中のキセキの世代だ。どこの学校も喉から手が出るほど欲しがっただろう。その天才達は全員バラバラの学校に進学して全員が三年間の内に優勝を収めた。しっかり結果を出している辺りも凄いところだ。
 でも、そんなキセキの世代も今はそれぞれの学校のエース。キセキの世代なんて肩書もあるけれど、本人達はもう中学のままの彼等ではない。緑間もキセキの世代のシューターではなく、秀徳のエースでありシューターだった。他の奴等もみんなそう。それぞれが今の学校に馴染んでいる。
 個人プレーばかりの天才達。それが今ではチームプレーをするようになって新しく結果を残した。オレ達が中学生だった頃は誰が予想しただろうか。キセキの世代が入ってきてソイツ等中心になると思われていたのは事実だ。実際に中心でもあったけれど、当初の意味と今の意味では大きく違っている。


「そういうお前はどうして秀徳を選んだのだよ」

「そりゃお前を倒す為っしょ。弱いところ行ったって当たる前に負けてちゃ話になんねーもん」

「それが今ではオレの相棒か。世の中何があるか分からないものだな」

「本当にな。ま、これも運命ってヤツ?」


 ただの偶然か運命の巡り会わせか。どちらにしても出会えたこの奇跡には感謝している。
 もしオレ達が別の学校だったとしたら、オレは緑間に勝つ為にひたすら練習をしていただろう。とにかく倒したい一心で試合に臨んで、実際に勝てたかどうかは分からない。勝てなかった可能性も十分にある。
 でも、オレ達は敵としてではなく仲間として高校で出会った。最初は何でって思った。けれど、こんな唯一無二の相棒に出会えるなんてそうそうない。ここまで自分と相性の良いシューターとは初めて出会った。本当、お前と一緒のチームにならなかったら気付かなかったぜ。色んなタイプの選手が居るけれど、オレはもう緑間以上の選手に出会うことなんてないんだろう。実力もそうだがオレ自身と相性が良いという意味で。


「よし! ストバスに行くか。1on1しようぜ?」


 ここから出ていくのは名残惜しいけれど、限られた時間の中ではそうも言っていられない。三年間ありがとう。毎日部活でお世話になった体育館に心の中で呟いてオレ達はこの場を後にした。三年間世話になった体育館、校舎、校庭。もう今日で最後なんだなと思いながら帰り際に一度振り返ってその光景を脳裏に焼き付ける。毎日が楽しくて充実していた三年間だった。

 学校を出たオレ達は一番近くのストバス場まで移動する。誰もいないコートの上に二人。バスケットボールを取り出して学ランと鞄をまとめて端に置いておく。こうやって対面するなんていつ振りだろう。


「スリーは禁止にするか?」

「お前に抜かれた瞬間終わるもんな。でもありで良いぜ。フェアじゃねーだろ?」

「オレはどちらでも構わん。何だったらお前もスリーを撃たなければ良い」

「それとこれとは違うだろ。やるなら対等にやりてーの」

「それなら良いが、後悔するなよ」

「油断してると痛い目見るぜ?」


 勝負は十本先取した方の勝ち。デフェンスとオフェンスは交互。
 勝てる自信はあるかと聞かれたら正直ない。でも一本も取れないかといえばそうでもないと思う。緑間にはスリーっていう圧倒的な攻撃力があるしディフェンスの腕もかなりのものだ。
 それでも、一本も取れないということはないと思っている。三年間コートの中でチームを見てきたんだ。少なからず緑間の動きについては分かっている。逆もまた然りだろうけど、その点はオレの方が上だという自信がある。ずっとこの秀徳でポイントガードをやってきたんだから。

 一瞬でも気を抜けば緑間は容赦なくスリーを撃ってくる。当然だが外れない。遠慮も何もあったものじゃないが、ここで手加減されても嬉しくもない。
 スリーを禁止にしなかったのはそれを含めて緑間だから。オレに鷹の目を使うなっていっても緑間には本当か分からないし、二人ともスリーを禁止にしてもオレと緑間のスリーではそもそもの価値が違う。だからスリーも禁止にしないで1on1をすることにした。
 オレは緑間真太郎とやりたかったから。スリーを禁止にしたら緑間であっても緑間ではないだろ。それでは意味がない。オレがかつて倒したいと思っていたのはキセキの世代ナンバーワンシューターといわれていた男だ。

 まぁ、オレのバスケはパスが基本のチームプレー。そもそもポイントガードは自分で点を取りに行くようなポジションでもない。そんなことを言い出したらキリはないし言い訳がしたいんじゃない。
 パスとシュート。それぞれ得意としている分野が違う。こうやって面と向かってやりあったところで、勝っても負けてもオレ達は今更何も変わりはしない。お互いそれくらい分かっている。

 でも勝ちたい。ずっと倒したいと思っていた。追いかけて、追いつきたいと思った。お前の隣に並べる存在でありたかった。対等でいたかった。


「次で最後だ」

「まだ終わらせねーよ!」


 お前を倒す為だけに練習して、お前と勝つ為に練習して。中学の時とは正反対だ。
 でもこれで良かった。お前と秀徳で出会わなければ、オレはお前の努力も知ることが出来なかった。ただの天才、そう思っていただろう。毎日遅くまで残って練習してることなんて知らず、天才は凄いよなとか勝手なことを並べただろう。緑間のことを何も知らないのに。他校生が知る訳もない。

 だけどオレは同じ学校になってそれを知った。お前の努力も、勝利する為に多くの験担ぎを実践して勝とうとするその姿勢も、いつだってバスケに真剣だってことも。全部秀徳に来てから知った。お前が楽しそうにプレーするようになってオレは嬉しかった。中学の時は勝っても全然楽しそうじゃなかったから。自分の居場所が見つけられたなら良かった。
 なんていうと偉そうに聞こえるかもしれないけど、オレはこの高校三年間。間違いなく誰よりも一番緑間の傍に居た。だからこそ分かる。オレもこんなに楽しいバスケは初めてだった。


「よっしゃぁ! 油断大敵だぜ、緑間?」

「……どちらにしてもお前はあと一本で終わりだ」

「そう簡単にはやられねぇって」


 オレはお前に出会ってバスケが変わった。世界が、人生そのものも変わった。多分、このシュートに出会っていなければオレは高校でもそれなりのバスケしかしてこなかったと思う。
 バスケは好きだし、オレはオレなりに全力でやっていた。でも、緑間と出会ってから変わった。それまでだって十分練習していたつもりだったけれど練習量は一段と増えた。周りにはどうして引退したのにそんなに熱心なんだよと何度も不思議がられた。今のオレがあるのはお前がいたお蔭だ。

 走って追いかけて、ただがむしゃらに進んで。ひたすらバスケをしていた三年間。振り返ってもバスケのことばかり思い出して、それ以外の日常にもいつだってお前がいて。それがオレの高校生活だった。
 入学式の後、見つけた後ろ姿に声を掛けた。卒業式を終えて、隣にいるのが当たり前になった奴とこうしてバスケをしている。初めから終わりまでバスケしかやっていない。でもまぁ、オレ達らしくて良いんじゃないか。バスケがなければ出会うこともなかった。けれど、オレ達はそのバスケをやっていたからこうして出会って友になれた。それで十分だろ。

 最後は緑間がスリーポイントで十点目を決めた。結果は十対三で緑間の勝ち。
 緑間から三本取ったなら上出来じゃないか?もっと渡り合いたかったけれどオレにはこれが限界だ。だけど、何も出来なかったあの頃よりは確かに進歩していた。惨敗であることに変わりはなくてもオレにとっては意味のある結果だ。本当、出会ったのがお前で良かったよ。他のキセキだったらまた違っていただろう。


「オレの負けか。でも、それなりに善戦しただろ?」

「そうだな」


 だがオレの相棒ならそれくらい出来なくてはなって厳しいね。オレもお前と対等でいたかったから張り合うように居残り練してたりしたんだけどさ。

 クラスメイト。チームメイト。シューティングガードとポイントガード。エースと司令塔。友達。相棒。主将と副主将で親友。あ、下僕とか言われてた時期もあったか。

 明日からは友達、親友という関係だけになる。きっと大学の友達と一緒に歩きながら町で会ったら、高校時代の友達だって説明するんだろう。バスケだって辞めてしまう。
 オレ達だけじゃなくて他の部員も違う部活の奴だって多くがそうだろう。卒業するのだから当たり前で自然なこと。だけど寂しい。今日で全部終わってしまうことが。それでもオレ達は今日で卒業だ。


「正直、スリーもありでお前がここまで点を取るとは思わなかったのだよ」

「伊達に秀徳で三年間もスタメンやってねーよ。それに、お前のことならある程度分かるしな」


 あとはお前のお蔭でオレのスリーの成功率も上がったし。三本取った内の一つはスリーポイントシュートだ。
 ここで辞めたくはないけれど、オレはバスケを将来の職にするつもりはないしそれは出来ないと思ってる。だからこれからは趣味の一つとしてバスケを続ける。バスケが好きなことに変わりはないから。

 それに、チラリと隣の緑を見る。高校でコイツと組んだからそれ以上の相手にはもう会えないだろう。新しいチームに入ればそこに順応していくんだろうけどさ。だから辞めるんじゃないけど、緑間は中学を卒業する時そんな感じだったのかなとは思う。
 だってこれまでは天才ばかりとプレーしてきたんだ。高校に入って同等の選手がいるなんてまず有り得ないだろ。黒子と比べる訳じゃないけど、シューターの緑間は自分にパスを繋げる選手を探していただろう。実力が黒子には及ばないとしても。そこで出会ったのがオレだなんてとんだ運命だよな、全く。


「今日で本当に最後だから言うけどさ、三年間ありがと。お前と高校三年間一緒に過ごせて楽しかったぜ」


 もう何度か繰り返しているその言葉。だけど今日は本当に最後だ。だから繰り返しになろうが何度だって言う。今伝えなければいけないことだから。次に会うのがいつかなんて分からない。今しかないから。


「オレもお前に出会えて良かったのだよ。三年間ありがとう」


 こうしてオレ達の高校生活は幕を閉じる。友達……親友として、またいつか会った時はこれまでのように笑いあえたら良い。最近調子はどうとか聞いて、時々連絡を取り合うのも良いかもしれない。何回かに一度くらいは返事をしてくれたら良いな。毎回返事をしろとは言わないけどさ、お前も忙しいだろうし。
 普通に友人としてこの先も付き合っていこう。うん、きっと大丈夫。これまでだってそうして来れたんだから。これまで通りにすれば良いだけだ。


「この後どうしよっか。どっか行く? それともまだバスケする?」


 まだ遅い時間ではないけれど、今日は卒業式だったから部活帰りのような時間に帰るのは遅すぎるだろう。それでも太陽が高いこの時間ならまだ寄り道も出来る。どこかに行くとしてもマジバとかそんくらいしかないんだけどさ。それならバスケをしていた方が良いか。
 二人しかいないからやるなら1on1か練習だけど、ここにきて練習することもないよな。この先だってバスケに触れてはいくだろうけれど練習は違う気がする。かといって1on1は結果が見えてるか。緑間だけに制限を付けるのはオレが嫌だし、でもこのまま帰るのもまだ早いよな。それでも良いんだろうけど、残りちょっとの高校生活を緑間と過ごしていたい。


「お前はどこか寄りたいところでもあるのか?」

「寄りたいことはないけど、最後なんだからもう少しくらい一緒にいたいかな」


 お前が帰りたいっていうんならそれでも良いけど、と手の中のボールを放てば緑間はちゃんとキャッチしてくれた。それをどうするか迷うことなくシュートを選ぶ辺りが緑間だ。それからあまり遅くならなければ大丈夫だと先程の返事も飛んでくる。それなら良かった。

 結局どこに行くかも決まらずにそのままパスをしたりシュートをしたり。時々ボールを奪ったりしながらバスケをするオレ達はとことんバスケ馬鹿だ。
 お互い今日で最後だからかもしれない。高校生っていうのもそうだし相棒というのも含まれていて、あとは今日を最後にバスケから離れるという意味合いも。何を伝えるにしてもオレ達にはこれが一番だ。

 日が沈む手前まで続けた頃に漸く時間に気が付いて、そろそろ帰ろうかと帰り支度を始めた。ここに来るまでのリアカージャンケンはオレの負け。結局オレは高校三年間、緑間に負けっぱなしだ。あれはもう運で決まるゲームではないと思う。
 最後もジャンケン、といこうとしてたまには歩いて帰ろうかなんて言ってみる。これが最後だから。今日は大抵何にでもその言葉が付く。嘘ではないから緑間もそれを許してくれる。

 夕焼けに照らされる帰り道。
 いつもと何ら変わりのない他愛もない話をしながら歩く。家に着かなければ良いのにと考えていると歩くペースは自然にゆっくりになる。けれど差が開かないというのはそういうことなんだろう。とはいえ、たとえ少しずつ進んでいたとしてもいずれは辿り着いてしまうのだ。


「こうやって真ちゃんと帰るのも最後か」


 緑間と書かれた表札の前で立ち止まる。気が付けばもう緑間の家だ。ここで別れたら高校生活は全部終わり。長かった三年間に終止符を打つ。
 また明日。何気なくそう言ってきた言葉も今日ばかりは掛けられない。次の日がオフの時はまたなと言っていたけれどもう“また”ではないのだ。ついうっかり言いそうになってなんとか留まる。癖って怖いな。何より明日からは緑間と会うこともなくバスケをすることもないっていうのが怖い。自由登校期間も会わない日が続いたが、それでもその時は数回の登校日には会っていた。その程度で会うことすらなくなるなんて。


「たまには連絡しろよ?」

「あぁ」

「オレからばっかりとか寂しいから止めろよな」

「分かっているのだよ」


 本当に?と聞き返すのは止めておいた。連絡頻度がこちらからの方が高かったとしても、そう答えたってことは緑間だって連絡してくれる気はあるってことだ。それならこれ以上聞き返す必要なんてないだろう。
 歩きながら色んな話をして、学校でも話したかったことは全部伝えてきた。これ以上話すこともない。でも別れるのは惜しい。かといってこのまま立ち話を続ける訳にもいかない。
 そんな考えが頭の中をぐるぐるしながら、口を開いて出てきたのは。


「真ちゃん」
「高尾」


 呼びなれた名前。見事なまでに被った。そしてまた訪れる沈黙。
 言いたいことあるなら言えよ。お前が先に言えば良いだろ。オレのは大したことじゃないから。けど言いたいことがあったのだろう。
 平行線上のやり取りが数度交わされる。このままでは埒が明かない。つーか、オレ達ってそんな譲り合いとかするタイプだったっけ?でも、同じタイミングで名前を呼ぶなんて息が合ってるなとか少し外れたことを考えたりしながら翡翠を見つめる。


「真ちゃん、オレはお前の相棒になれて良かったよ」


 感謝してる。それはもう色んなことに。挙げ出したらキリがないくらいに。ありがとう。伝えたかったことは全部伝えられただろうか。今日この瞬間までに。
 分からないけれど、きっと伝えられたんだろう。言葉と文字と、バスケを通じて伝えられたはず。そう信じて緑間に背を向ける。


「今日はありがとな。オレのワガママに付き合ってくれて」

「あんなのはワガママの内に入らん」

「真ちゃんが言うとそれっぽく聞こえるよね」


 怒るなよ。オレはお前のワガママは嫌いじゃなかったぜ。最初の頃はまた言ってるとか思ったけどさ。しかもその度に先輩と言い争いしてたし。
 でも、オレはちゃんとそのワガママの真意も分かってるし徐々にワガママを使う回数が減っていたことも知っている。部活でのワガママなはずなのに何故かオレに対して使われたこともあった。まぁ、あれはオレが悪かったんだけど。

 気持ちが溢れそう。伝えたい、けれど伝えてはいけない。
 この関係を崩さずにいたいのなら、この気持ちはなかったことにしてさよならしなければ。ごめん、こんな相棒で。こんなオレをずっと隣に置いてくれてありがとう。これからも友達のままよろしくな。

 第二ボタン、どうせなら欲しかったななんて女々しいことを考えながら振り返って笑う。


「バイバイ、真ちゃん」


 さよなら、オレ達の高校生活。
 さよなら、真ちゃん。
 さよなら、オレの恋心。

 全部纏めて捨ててしまおう。次会った時に自然でいられるように。綺麗な思い出はそのまま残して。不要なものは消し去ってしまおう。
 それが一番。そうするべきなんだ。


「高尾!」


 名前を呼ばれたのと同時に腕が掴まれる。えっと、これだとオレが家に帰れないんだけど……まだ何か言い残したことでもあったのか。
 自分だけ言いたいことを言って行こうとするなって、そういえばまだ緑間の話を聞いてなかった。何、と先を促すとどうしてか緑間は言葉に詰まる。話したいことがあるならそれをそのまま言えば良いのに。あ、ツンデレだから?……それはねーか。そんなのオレが一番知ってる。


「しーんちゃん、オレに言いたいことって?」


 手助けをしてやることくらいならオレにも出来る。つまりは手助けしか出来ないのだが、緑間に必要なのはそれだけだろう。
 次の言葉を待つこと数秒。幾らか視線を彷徨わせた後にこちらを真っ直ぐに見つめた翡翠は言う。


「高尾、オレはお前に言っていないことがある」


 言ってないこと?まぁ、誰にでもそういうことぐらいあるだろう。話題に出したからにはそれを言うということなんだろうけど、そんな真剣な目で何の話をしようというのか。
 この時のオレは何の話をするんだろうぐらいにしか考えていなかった。卒業式も終えて最後って時に言うくらいなんだから大切なことなのかもしれないとは思った。でも、続く言葉は予想外というレベルを通り越すようなもので。
 ゆっくりと深呼吸をした緑間が口にしたのは。


「オレは、お前が好きだ」


 オレがずっと心の中で抱き続けていたソレだった。


「は? え? あ、あーあれか! 友達としてってヤツだよな! いつもオレばっか言ってるからって気にしなくても――――」

「高尾」


 そういう意味じゃないって、真剣すぎるお前の見たらすぐに分かった。だけど信じられなかったオレは、普段自分が逃げ道にしてるそれを持ち出してお前の気持ちまでなかったことにしてしまおうとした。


「ごめん」


 オレの言葉に暫くの間を置いてから緑間は「そうか」と切なげに笑った。
 違う、そんな顔をさせたいんじゃない。おそらくその後に続くだろう言葉を予想して、オレの腕を放した緑間の手を掴む。いきなり済まなかった、と続いたのは予想通り。違うんだ、そんなこと言わせたいんじゃない。


「ごめん。いや、違うんだ真ちゃん」


 それは誤解だ。オレが謝ったのはそういう意味ではない。勝手にお前の気持ちや覚悟をなかったことに対してだ。この状況では誤解されても仕方がないどころか、誤解される以外にないような発言だったことに対しての謝罪が今。だけどそれもやっぱり誤解に取れるから違うと言葉で否定する。
 なんていうか、頭が付いていかない。緑間の言っていなかったことというのが予想を遥かに超えたことで全然頭が整理出来ない。それを必死に整理しながらなんとか言葉を探す。


「好きって、どういうこと……?」

「そのままお前が好きだという意味だ。気持ち悪いと思うかもしれないが、オレはお前のことをそういう意味で好きなのだよ」


 要するに恋愛的な意味で、ってことなんだろう。一体いつからそんな風に、というかあの緑間がオレをそういう意味で好きだったなんて。驚いたというより信じられなかった。
 だって、嘘だろ。こんなの漫画の世界や夢じゃなければ有り得ない。こんな都合の良い展開があって良い訳がない。もしかしてこれは全部夢だったりするんだろうか。そんな訳がない。緑間が冗談を言わないのも分かってる。それはイコールで嘘ではないという意味にもなる。
 けど、やっぱり都合が良すぎる。オレ達はクラスメイトでチームメイトで、相棒で、親友で……そういう関係だったはずだ。それがこんな、最後の最後に。


「すまない。お前を困らせるつもりはなかった」


 謝った真ちゃんは空いている方の手でオレの頭を撫でた。いくら身長が二十センチ近く離れていても、オレも高校三年生なんだけどな。これが嫌じゃないから手におえないけど。
 最後に気持ちだけでも伝えたかったとか、そんなこと言うなよ。迷惑だなんてオレは思ってない。緑間の口から出てくる言葉をオレは一つずつ心の中で否定していく。声に出せなかったのはまだオレの頭の整理が追い付いていないから。でも、そんな言葉ばかり並べられたらちゃんと否定をしないと。


「っ!?」


 もう何が何だか分からなかった。だけどこれが一番早いと思った。
 オレは掴んだままの腕をいきなり引いて緑間の体制を崩すなり自分は目一杯に背伸びをした。それは、いつか秋の海でしたのと同じ。
 あの時は信じられなかった自分の気持ちを確認する為、今回はオレ自身の気持ちを手っ取り早く伝える為。正直、あの時のことは悪かったと思ってる。いきなりごめんな、でも何も聞かないでくれてありがとう。あの時もした謝罪を胸の内で繰り返す。


「好きだよ。ずっと前からお前のことが。好きで、どうしようもなくて、でもオレは相棒でいたかった」

「……もっと早くに言ってやれば良かったな」


 嫌われたくなかった。お前の隣に居られなくなるのが嫌だった。
 言葉にしなかった言葉まで分かったかのように緑間は大きな腕でそっとオレを抱きしめた。温かくて安心する。人肌が恋しいというよりあれも緑間だったからなのかもしれない、といつかの出来事を思い出す。思わず次の日には熱のせいで何か変なことを言っていなかったかと緑間本人に聞いてしまった。記憶が曖昧だったから余計なことまで言っていないか焦った。
 緑間は何も悪くないのに自分が悪いみたいに言う。だからオレは首を横に振った。お前が悪いんじゃない。


「真ちゃんは悪くねーよ。オレが怖くて逃げてただけだ」

「それはオレも同じだ。言っているだろう、自分ばかりを悪く言うな」

「でも、」

「高尾。もう黙れ」


 そう言って今度は緑間から唇を重ねた。何とも強引な口封じだ。こういうのは卑怯ではないかと思いつつ、やっぱり嫌だとは思わないのだからどうしようもない。


「オレはお前が好きだと言っただろう。そのお前が自分のことを悪く言うな」


 一体どこでそんな言葉を覚えてきたのか。真ちゃんって一度言えればその後はすらすらと出てくるんだな。でも考えてみれば納得だ。いつだって真っ直ぐに自分の意見を通す。言葉にするのが下手なだけで、一度言ってしまえばその後はどうということはないのか。


「……あのさ、真ちゃん」

「何だ」


 オレの性格については少しずつ直していく努力はする。だから、真ちゃんも普段でももう少し素直になれるように努力をしてみないか?っていうか、お互い知らないこともまだ沢山あるだろうしさ。


「オレは春から一人暮らしするんだけど、真ちゃんも家出るって言ってたよね?」

「あぁ。自宅から通うには少し遠いから探そうとは思っているが、それがどうかしたのか?」

「それなら、ルームシェアしようよ」


 すぐ近くにいれば間違っても指摘してくれるだろ。それに、一人で住むより二人の方が家賃も安い。あと、出来るならオレはこの先も真ちゃんと一緒に居たいんだ。お前の隣で毎日過ごしていたい。高校生活が終わったらそれは無理だと思っていたけれど、これならそれも実現できるだろうから。
 悪い条件ではないと思う。家事については分担すれば良い。料理はオレが全部やるから真ちゃんには洗濯とかそういうのを担当して貰って。これなら生活面でも困ることはないと思うんだけど、どうかな。


「親も真ちゃんのことは知ってるし、むしろ歓迎されると思うんだけど……」

「お前が良いのならオレは構わないのだよ」


 本当に、と思わず聞き返しちゃって「こんなことで嘘をついてどうする」と呆れられた。それはそうだ。ここで嘘を吐いたって何の得にもなりはしない。


「だが、その前にお前の返事を聞かせろ」


 返事?と思っていると緑間は抱きしめていた腕を解いてこちらを見つめた。綺麗な翡翠がオレを映している。


「高尾、オレはお前が好きだ。これからも一緒にいて欲しい。オレと付き合ってくれないか」


 それはなんとも典型的な告白だった。男が男に向けるものとしては不適切かもしれないけれど、好きになったのがたまたま男だっただけ。恋に落ちるのに男女は関係ない。それはオレ自身が分かっている。オレだって男が好きなんじゃなくて、緑間だから好きになった。
 返事ってそういう意味かと思いながら、さっきも好きだとは伝えたんだけどなと小さく笑みを浮かべる。さっき伝えようが何度だだって伝える。これまで言えなかった分も全部。


「オレも真ちゃんが好き。この先もオレをお前の隣にずっと居させてよ」

「そもそもお前以外に譲るつもりはないのだが」

「ぶはっ、真ちゃんらしいね」


 でもそういうところも好きだ。何でも好きなんだろって、正直に言うとな。でも、こんな風に言ってくれる真ちゃんがやっぱり好きなんだ。
 「あ、そうだ」と思い出したように制服の上から二番目のボタンに手を掛ける。力を込めれば簡単に取れたそれを緑間に差し出す。


「第二ボタン。好きな人に渡せっていうだろ?」


 受け取った緑間も同じようにしてボタンを取ると「馬鹿め」と左手でメガネのフレームを押し上げる。


「それを言うなら好きな人の第二ボタンを貰うだろ」

「どっちでも良いじゃん。結果的にそうなってるんだし」


 結果的に同じことになっているんだから何の問題もない。細かいことは気にしなくても良いだろ。まぁ、第二ボタンなんてなくても大学生活も一緒に居られる約束が出来たけれどな。
 本当、こんな幸せで良いのかな。認められない恋をしたはずだったのに、まさか意中の相手の方から告白してくれるなんて。今なら死んでも悔いはない。いや、漸く通じ合ったのにここで人生が終わりなんて悔いしか残らないからやっぱ駄目だ。


「またメールするから一緒に不動産屋に行こうぜ」

「そうだな」


 流石にリアカーはもう引退だ。大学まであれを漕いで行くのはない。学校も違うしな。
 だから歩いて駅まで行って、それから電車に乗って大学生活の準備をしよう。二人で過ごす大学生活の準備を。

 そう話しているとポケットに入れていた携帯が鳴る。メールは母さんからで、遅くならないで帰ってくるようにといった内容だった。なんだかんだで話し込んでいるうちに太陽はすっかり沈んでしまっていた。
 そういえば、道の真ん中で何してるんだろうなオレ等。誰も通らなかったけど、ご近所さんに聞こえてたりしないよな?大声で話してた訳でもないしその辺は大丈夫か。


「真ちゃん、もう遅いし今日は帰るわ」

「気を付けて帰るのだよ」

「おう。あ、また明日な」


 いつも通りの別れの挨拶。だって、早く住むところを決めないと四月から始まる大学生活に間に合わないから。後ろで真ちゃんも「またな」と返してくれたのが聞こえた。ちっぽけなやり取りが凄く嬉しい。今日までなんだとずっと思っていたから。それがまだこれからも続いていけるんだって思うとさ。本当に幸せだなって思うんだ。

 見上げた空には無数の星。まだまだオレ達の未来は続いていく。オレはいつまでお前の隣に居られるんだろう。
 卒業したくない。まだ真ちゃんの隣に居たい。
 そう思っていたんだけど、どうやら星に願ったそれは叶えてもらえたらしい。これからも真ちゃんとずっと一緒にいられますように、と夏の夜に願ったのは懐かしい思い出の一つ。まさか現実になるなんて、七夕の願いっていうのも馬鹿には出来ないなと思った。


 三月一日、秀徳高校卒業式。
 今日でオレ達の高校生活は終わった。三年前の四月から始まった長い高校生活。思い返せばバスケばかりの日々で、オレの隣にはいつだって真ちゃんが居た。
 いつの間にか認められて、相棒になって、親友と呼べるくらいの仲にもなって。エースの相棒、秀徳バスケ部の主将としてエース兼副主将と一緒にチームを引っ張っていった。多くの仲間達に支えられて一年の頃からずっと夢見ていた全国制覇を果たした。先輩、後輩、同輩と沢山の仲間に巡り合えた。
 何より唯一無二の相棒と出会って、毎日が楽しい高校生活だった。その全てにありがとうと伝えたい。

 そして。


「やっぱりお互いの大学の真ん中ら辺で探す?」

「まずはそこからだろう。なければ他も探すことになるだろうがそれが一番ではないか」

「それもそうだな。じゃあ、早く電車に乗ろうぜ」


 元相棒であり親友であり、そして恋人でもある彼にはこれからもよろしくと伝える。
 これからもずっと、一緒に歩いて行こう。やっぱりオレの未来にはお前がいるのがしっくりくる。お前のいない未来なんて考えられないんだ。

 それほどまでに愛してるんだぜ、真ちゃん。

 高校三年間が終わり、新たな未来を共に切り開いていこう。










fin