まだ冬の寒さ真っ只中の二月。けれど、最後の学年末テストも終えた三年生が登校するのはこれが最後だ。残りは数回の登校日だけで残りは自由登校。友達と会えるのも片手で足りるほどの数しかない。
「高尾」
遠くから声が聞こえる。ぼんやりする意識をなんとか浮上させると、目の前には緑。
あれ、オレ何してたんだっけ?確かホームルームで担任の話を聞いて、それで……駄目だ。その先の記憶が完全にない。つまりオレはホームルームの途中から今までずっと寝ていたってことか。
「真ちゃん、今何時……?」
「ホームルームが終わったばかりだ。お前はずっと寝ていたのか」
「んー……途中までは起きてたはずだけどあんま覚えてねーや」
ふぁあと欠伸をして体を伸ばす。少しずつ頭も動いてくるが、まだ暫くは使い物になりそうもない。だけどホームルームが終わっているのなら特に問題はないだろう。あ、この後部活に行くなら不味いか。でもこの間行ったばかりだし、ロッカーの片付けも登校日で良いもんな。やっぱり今日の予定は帰るだけだ。
ああだから緑間がオレの目の前に居たのか。帰るのにオレがいつまでも寝ているからわざわざ起こしてくれたと。それは悪かった。それとありがとう。
とりあえずそれを口にすると、帰るぞとでも言われるかと思っていたのに次に出てきたのは予想の斜め上の言葉だった。
「寝不足なのか?」
体調の心配をされて「そんなことはねーけど」と答えながら、でも昨日は遅くまで起きてたかもしれないと昨晩のことを思い出す。昨晩――といっても日付は超えていたんだけど、ふと時計を見た時はとっくに零時を回っていた。寝る時には確認していないから分からないけれど、それなりには起きていた気がする。まぁ、言わないけど。
「最後くらいきちんと話を聞け」
「実際はまだ最後じゃないだろ。本当に最後の時はちゃんと聞くって」
一番最後のホームルームは卒業式の後。今から約一ヶ月先、正確には一ヶ月を既に切っている。
早いなとしょっちゅう言っている気がするけれど本当に早い。片手で数えられるだけしか教室に来ないなんてな。後ろの黒板には大きな文字で“卒業まであと二十四日”と書かれている。きっとクラスの女子が書いたのだろう。毎日数字を書き換えているのを見た。
そういえば中学の時にも同じようなものが教室にあったな。その時は紙に数字を書いていた。クラスの一人一人が一枚ずつ担当して作ったものだ。中学は自由登校なんてなかったからそうだったのかもしれない。高校で同じことをやっても使われない日が多過ぎる。
「ってかさ、置いてっても良かったんだけど」
「そうしたら誰がリアカーを漕ぐのだよ」
「ジャンケンだからな!?」
オレが漕ぐ前提になってるけどそれは違う。ほぼ間違いなくオレが漕ぐことになるんだけどさ。ジャンケンをする前なんだから可能性としては五分だろう。実際はこれまでの勝率からしてオレが勝てる可能性なんてないけれど。
冗談だと訂正した緑間は、放っておいたらいつまででも寝ていただろうと言った。それは確かにそうかもしれない。少なくともこんなに早くは起きなかっただろう。学校が閉まるまでは居られないけれど、少なく見積もっても後一時間は寝ていたんじゃないだろうか。……起こしてくれて助かった。
「あ、そうだ。真ちゃんって登校日以外は来る?」
「行かないのだよ。他にもやることがある」
だよな。いくら高校生でいられるのが一ヶ月もないとしても自由登校になってから学校に来る奴なんて殆どいないだろう。まだ受験を残していて勉強をする奴とかは居るだろうけど。かくいうオレも合格発表はまだだ。遊びに学校に来る奴なんていないだろうし、そんな理由で勉強している奴等の中に入れないだろう。
「じゃあ真ちゃんと会えるのも数回だけだな。信じらんねぇ」
だけど卒業したらもっと会うことはなくなる。それこそ年に何回かといった数になるのだろう。お互いの生活があるのだからそれも当然だ。いつかはお前が隣にいないことも当たり前になってしまうのかもしれない。
……いや、それはないか。緑間が隣にいるのが当たり前になったのは高校に入ってから。だけど、それが今の当たり前であることは間違いない。そうではない生活に戻ってそれが当たり前になるのだと普通なら考える。でも、オレにはそう思えなかった。緑間が隣にいない生活はもう忘れてしまった。つい三年前のことだというのに思い出せない。
「受験結果くらいは教えろよ? 真ちゃんなら心配ないだろうけどな」
「それならお前も連絡しろ」
「おう。合格が出たらすぐに連絡してやるよ」
もし駄目だったら慰めて、なんて言ったら「お前が落ちるわけないのだよ」と返ってきた。人事を尽くしたのだからと続けられて、本当お前ってそういう奴だよなとか思って。
「真ちゃんのそういうトコ好きだわ」
どうせいつも言っていることだ。いつものことと適当に流してくれるだろう。好きなんて男が男に使う言葉ではない。友達としてはなくもないだろうけれど。冗談で好きだとか言って笑ったりしてさ。オレ達の場合は緑間がスルーして終わり。一年の時からずっとそうだ。
ずっとそう。
だから気付かなかったし、気付かれなかった。オレが緑間を友達という枠を越えて好きになってしまったということ。オレ自身でさえずっと気付かなかった。
気付いても信じられなかった。嘘だろって思って、相手は大事な相棒なのにとか考えて。それでも好きなんだと自覚したのは去年の秋。お前が理由を追及しないでくれて助かった。
「何を馬鹿なことを…………」
「えーこれでも本気だぜ? マジエース様愛してる」
いい加減にしろと怒られるまでいつも通り。自分がこういう性格で良かったとこんなにも思える日がくるなんて思いもしなかった。そういうアレじゃなかったはずなんだけどな。でもこれはこれで良かったと思ってる。
ごめんな。こんなこと考えるような相棒で。
こんな気持ちはオレを信じてくれている緑間への裏切りだ。だからオレはずっとこの気持ちを隠して緑間の隣にいた。相棒としてなら何の問題もなく隣に並んでいられるから。そうして今日まで来た。今日までではなく、この先もずっとそうしてお前の隣にいたい。
「起きたのならいい加減帰るぞ。見回りの教師が来る」
「まだ余裕だろ。残り少ない高校生活を楽しもうぜ」
「教室でなくても楽しめるだろう」
それはそうかもしれないけれど、この教室は卒業したらもう来ることはない。遊びに来た時に少し見たりは出来るだろうけれど、この教室で過ごせる時間は限られている。
だからこそ今は教室で過ごす方がそれ以外のどこかで過ごすよりも高校生活らしさを感じられるとオレは思う。考え方は人それぞれだから緑間にとってはそうでないのもおかしなことではないけれど。
「真ちゃんならどこが良いの?」
「どちらかといえば体育館だと思うが今は部活中だろうな」
「この時間だからな。後輩扱きに行っても良いけど」
「今から行くのも変だろう。それに…………」
そこから先は止まったまま。どうしたのかと名前を呼べば何でもないと一刀両断された。そのまま鞄を持って教室から出て行こうとするからオレも鞄を掴んで追いかける。
気になるけど答えてはくれないだろう。こういう時は特に。一体お前は何を言おうとしたんだよ。いやでもしつこく聞いて答えてくれたこともあったっけ。けどあの時は確か……。
「高尾、さっさとしろ」
「だからお前のコンパスで早歩きされると追いつかないんだよ!」
悲しくなるから言わせんな!何回目だよこれ。何かある度にこんなやり取りをしているから覚えてもいない。平均以上あるにしたってバスケでは小柄だから気にしてるっていうのに。ポイントガードに身長は必要ないけどさ。それでも周りがデカいと気にするんだよ。後輩にも結構抜かれてるしな。
つーか、結局この後どうすんだ。自転車置き場まで行ったら必然的に止まってジャンケンするんだからその時で良いか。いっそ高校生らしくカラオケにでも寄って帰るか。コイツとなんて行ったことないけど、だからこそ。まぁ、緑間の意見も聞いてちゃんと決めよう。
長い長い高校生活ももうすぐ終わり。終わってしまうんだ。ずっとこの時間にいたいなんて生きているオレ達には無理な話。
いつか大人になって再会した時に今と同じやり取りが出来たらそれで十分なのかな。高校生のオレにはまだ分からない。
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