特別な関係の君と僕
「なぁ真ちゃん」
「高尾、学校では名前で呼ぶなと言っているだろう」
「えー? 真ちゃんは真ちゃんだから良いじゃん」
良くないから言っているのだが。そう思いながらも、言ったところで現状が変わらないのは目に見えている。このやり取りは既に何十回と繰り返されているのだ。言えば多少は改善されるのだが、すぐ元に戻る。要するに言うだけ無駄という奴だ。
仕方なく溜め息を溢せば、幸せが逃げるから駄目だと注意される。誰のせいだと思っているんだ、とは緑間の心の内である。
「真ちゃん、今日は何食べたい?」
「何でも構わない」
何でもっていうのが一番困るんだけど、と主婦のようなことを言っている高尾は食事担当だ。毎日、朝昼夜と三食きっちり準備をしてくれる現役高校生。
部活の後で食事を用意するのは大変だろう、という意味で話した緑間は料理以外の家事をやっている。とはいえ、そちらも高尾がやってしまうことが多い。緑間が忙しいと、すぐに進んで家事をしてくれる子なのだ。
さて、高尾と緑間。この二人の関係だが、兄弟でも親戚でもない。血の繋がりはないが、まるで兄弟のような関係である。親同士が仲が良く、二人は小さい頃からよく一緒に遊んでいた。初めは近所のお兄さん的な存在だったのだが、これまでに色々なことがあり現在は一緒に暮らしている。
二人の両親は現在この世に居ない。交通事故だった。身寄りのない二人だったが、緑間が高尾を引き取って生活していくことに決めた。高尾も施設に預けられるより、緑間と一緒に暮らすことを望んだ。だから、二人は今一つ屋根の下で暮らしている。二人にとって、お互いが唯一の家族なのだ。
「それより、宿題は終わらせたのか」
言えば明らかに表情を変えられて、宿題の状態を瞬時に把握した。念の為に聞いただけだったが、どうやらこれは聞いて正解だったらしい。
「先生、期限ちょっとで良いから延びませんか?」
「都合の悪い時ばかり先生と呼ぶのは止めるのだよ。それと、期限は延ばさない」
ケチ、なんて言われても期限は期限だ。一人だけ特別扱いをすることは出来ない。部活に家事、それから宿題となれば時間が少ないのは分かるが、中には一人暮らしをしているような生徒も居るのだ。休み時間だってあるのだから、宿題の期限を延ばすことは絶対にしない。
高尾も緑間が折れないことは分かっているのだろう。せめて授業終わりまでは待って、なんて言いながら教室に走っていく弟を見つめる。廊下を走るのはいけないんだがと思いながらも、この場は見逃しておくことにする。
「随分と仲が良さそうだな」
「険悪でも困るだろう」
「それもそうだな」
後方から歩いてきた同僚を振り替える。赤い髪を揺らしながら小さく笑みを浮かべたこの男は、緑間の中学時代からの友人でもある。当然、緑間と高尾の関係も知っている。何かと相談に乗ってくれたりもするのだが、時々何を考えているのか分からないこともある。そう、今も何を考えているのかさっぱりだ。表情が全く読めない。
「それで何の用だ、赤司」
「偶然見掛けただけだよ。用がなければ話してはいけない、なんて決まりはないだろう?」
それはそうだが、何か腑に落ちない。用がないと言うからにはないのだろうが。深く考えるだけ無駄かと判断して、緑間は思考を中断する。
ざわざわと騒がしい廊下。現在は昼休み真っ只中だ。先程高尾が走り去った後を見つめながら考える。小さな背中が少しずつ大きくなっていく。順調に成長しているのは良いことだが、緑間には気になることがある。成長するに連れて、胸の中の何かが膨らんでいく。これは不安や心配といった類のものだ。
「何か悩みでもあるのかい?」
赤司の言葉ではっとする。一先ず「何でもない」と返すが、赤司はじっと目を見て逸らさない。ずっと見つめられて耐えきることも出来ず、緑間は本日二度目の溜め息を吐く。
「少しアイツが心配になっただけだ」
「真太郎が心配しているのはいつものことだろ」
そんなことはない、と言いかけて寸前で止まる。赤司への相談事といえば、高尾絡みが多かったのだから仕方がない。
とはいえ、主に赤司が緑間を気遣って話させていたという感じだ。初めは全て一人で解決しようとする友人に手を焼いたものだ。誰かに相談するという考えがないのだからどうしようもない。その点は、緑間に限らず。というよりは緑間に似てしまったというべきか。彼の弟も同じなのだ。尤も、当人達は気付いていないけれども。それでも、相手にそういう部分があるということくらいはどちらも分かっているだろう。逆にそれもそれで厄介だが。
「気になることがあるのなら本人に聞くのが一番だぞ」
「それくらい分かっているのだよ」
「なら良いが、お前達は似た者同士だからな。拗れる前にちゃんと話をすると良い」
拗れる前とはどういう意味だ、と緑間が聞きたくなってしまったのは無理もないだろう。一体人のことをなんだと思っているのか。いや、これまでにもあまり話をしなかったせいでややこしいことになったことがなかった訳ではないのだが。それはそれ、これはこれだ。それでも一応、友人の忠告は肝に銘じておくことにする。
話を終えたところでさっさと歩き始める赤司。不意に立ち止まって振り返ったかと思えば「そういえば、お前のクラスメイトが職員室に来たぞ」なんて言い残して去って行った。何も用事はなかったんじゃないのかと思いながらも、緑間は職員室に向かうことにする。すぐに言わなかったということは急用でもないのだろう。そもそも、今から行ったところでその生徒が職員室に居る訳でもない。プリントを提出するように言っておいたクラスがあったから、おそらくそれだろう。
(今夜、一度話をしてみるか)
話をしないまま過ごして、何かあってからでは遅い。それは身をもって経験しているだけに良く分かっている。話す時間くらい結構あるのだが、その多くは高尾が好きに話をしている。学校のことであったり部活のことであったり。同じ学校に通っているだけあって共通の話題もあるのだが、立場が違えばその分見えているものも違う。そんな話をしているうちにあっという間に時間は流れ、作ろうと思わなければ話をする機会なんて出来ないだろう。
(そういえば、あの話もしておかなければならないのか)
職員達には既に渡っているプリントのことを思い出す。それは帰りのHRで生徒達に配る予定のプリントだ。時期的にそろそろだとは思っていたが、考えてみればその話をあまりしたことがないと気付く。ただ単にこちらから触れなかっただけであり、向こうも触れられたくなかったのだろう。だからといって避けられることでもない。
緑間は自分のデスクで赤司が言っていたであろう生徒が持ってきたプリントに目を通しながら、午後の予定を頭の中で確認する。それから今夜はどうしようかということを考える。話す時間なら十分にあるのだから、そう心配することもない。ちゃんと話をする時間をこちらから作れば何の問題もないのだ。 そう結論付けると予鈴のチャイムが鳴り響いた。その音を聞きながら次の授業の準備をして、次のクラスへと移動する。
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