僕 2




「真ちゃんさ、そんな宿題出さなくても良くね?」

「言うほど出していないだろう」

「いや、そうでもなくね? あ、でも少ない方ではある……のか」


 食卓を囲みながら本日の授業の話。宿題は別に毎回出しているという訳ではない。出しても量は多いというほどでもないくらいだ。授業中に出来なかったものをやってくるように言う程度で、全教科の中でも多い方ではない。一般的な宿題の量である。


「それより和成。進路希望調査は何と提出するつもりだ」

「うっ……それ聞くのかよ」


 明らかに嫌そうな表情を見せた弟に、聞かないでどうするのだと言い返す。緑間は高尾の保護者になっているのだ。どういう道に進みたいのか。進路を話し合う必要があるのは当然である。
 話さなければいけない話というのは、この進路希望についてだ。職員会議で生徒に配るように渡されたプリントを見ながら、まだ進路の話をしたことがなかったと思い出した。だから話をするのならこの話もしなければいけないなと思ったのが本日の昼休み。
 だが、高尾はあーとかうーとか言いながら曖昧に誤魔化そうとする。今言わずともいずれは話さなければいけない問題であり、どっちにしろ進路希望調査を提出すれば緑間の目に入る。要は時間の問題だ。隠そうとして隠せるような事柄ではない。


「お前のしたいようにすれば良い。進学でも就職でも、お前の人生なのだからな」


 話したくないらしい弟にとりあえずそれだけ伝える。金銭面の心配も要らないと付け足して。
 だが、高尾は表情を曇らせる。やはり金銭面を気にしていたのか、とは心の内に留めておいた。金銭問題については本当に気にしなくて良いのだが、収入は緑間が働いた分だけ。高尾自身も買い物をする時にお金に触れているのだから、そのくらいの事情は分かっている。高校生の頃から部活と両立してバイトをしていた兄の姿を知っているだけに、高尾にも色々と思うところがあるのだ。


「真ちゃん、オレ」

「こちらの事情は気にするな。変に気を遣うことはない」


 それでも、この子は気にしてしまうのだろう。兄に負担を掛けないように、自分のことは自分でどうにかするのだと。血の繋がりがなくとも家族であることに変わりはないのだが、どうも相手のことを気にしすぎてしまう。それは、互いに唯一の家族が大切だからである。緑間に迷惑を掛けないようにと、勿論緑間は気にしてなどいないのだが。上手く噛み合わないとはまさにこういうことを言うのだろう。
 弟の好きにさせてやりたいと思う兄。兄に迷惑を掛けないようにしたいと思う弟。根本にあるのは同じなのに、どうしてこうもすれ違っているのか。それは本人達にさえ分からない。


「ごめん真ちゃん。オレまだ進路ははっきり決めてない。ちゃんと決めた時には話すから」


 これは逃げだ。まだ決められていないというのも事実だが、この話から逃げたかったのが一番の理由。
 高尾だって進路希望を出さなければいけないのだから少なからず考えている。考えてはいるが、気にしないで良いと言われても気になってしまう。これまで色んな面で助けてくれた兄に自分は何をしてやれるのか。まだ子どもに分類される自分に出来ることは非常に少ない。
 あの頃、緑間はどんな気持ちで高校生活を送っていたのだろうか。漸く同じ立場に立てたのに、さっぱり分からない。それは緑間が社会人になったからだろう。力のない子どもが幼い自分と生活していくのにどれだけ苦労したのか。隣で見ていたとはいえ、あの頃の緑間の心情を高尾は到底理解出来ないのだろう。


「分かった。だが、提出期限は守るのだよ」

「それは大丈夫。提出日までには、ちゃんと話すから」


 提出期限まで一週間。長いような短いような時間しかない。たったそれだけの期間で決めるのも難しいのだが、提出しない訳にもいかない。それこそ緑間に学校で呼び出しを食らう羽目になるだろう。
 とりあえず、何かしら決めて話さなければならない。高尾ももう高校三年生だ。進路問題はそう先延ばしに出来る事柄ではない。


「あのさ、真ちゃん」

「何だ」

「…………ううん、やっぱ何でもない。あ、オレ食器片付けるから先にお風呂入っちゃってよ」


 そう言いながら立ち上がると、高尾はキッチンへと消えていった。その姿を目で追いながら、片付けは高尾に任せることにすると緑間もリビングを出た。
 その頃、キッチンでは食器洗いながら先程の話を高尾は思い返していた。


(分かってるけど、どうするのが一番良いんだろうな)


 現在教師をしている兄は、勿論大学を出ている。緑間自身は高卒で就職も考えていたのだが、高尾が進学を薦めたのだ。自分のことは気にしなくて良いから、やりたいことをやってよ、と。
 だから、緑間が好きにしろと言うのなら好きにすれば良いというのも分かっている。だが、進学を選べばどうしたって金銭問題がついてくる。奨学金があるからそれは良いにしても、どの方面に進むかが問題だ。高尾の好きにするにしたって、その方向性は結構重要だ。緑間は教師という道を選んだが、その背景に何があったかも気付いている。高尾は、緑間が元々進もうとしていた職業を知っているから。


(何選んでも怒られないんだろうけど)


 普通に進学して欲しいとは思っているんだろうな。高卒とか色々と厳しい面もあるし。進学にしてもオレのやりたいことをやらせてくれるんだろうけど。
 そこまで考えて止める。洗い物をしながら考えに没頭して食器を割っても大変だ。この件はまた後で考えることにする。とはいえ、緑間のようにこれといった夢もない高尾には結構時間が掛かりそうだ。高尾に限らず、誰もが大いに悩む進路問題。
 ゆっくり、時間を掛けて悩んでいくことになるのだろう。