特別な関係の君と僕 12
「オレさ、真ちゃんが好きだよ」
生まれてこの方、何度も口にしたことのある言葉。だから軽いなんて宮地には言われて、言葉に重みがないと周りにも言われる。
でも、これは紛れもない本心で軽い気持ちではない。それこそ、無邪気に好きだと告げていた頃よりも重みは増していて。
「兄弟とかそういうの関係なしで、オレは真ちゃんが好きなんだ」
兄弟や家族としてじゃない、一人の人間として好きになってしまった。それを自覚したのは最近のことだけれど、自覚をしてから考えてみればそういう意味で好きになったのは最近ではないのだと気付いた。兄弟や家族としての好きという気持ちもある。けど、そんなこと関係なしに好きになっていた。他の誰とも違う、特別に向けられていた感情は徐々に変化をしていた。
伝えてしまえば壊れてしまうかもしれない。それが怖くて踏み出せなくて、今だって握った拳が僅かに震えている。こんなことを口にして嫌われるのが怖い。だけど、言わずに終わってしまえばそれはそれで後悔する。後から悔やんでも意味がないのだと、痛いほどに知っている。
「こんなこと急に言われても困るよね。でも、伝えずに後悔だけはしたくなかったから」
「和成……」
「今だって怖いけど、後悔してからじゃ遅いって分かってて。どうすれば良いのか分からなくて、だけど後悔するくらいなら嫌われたとしても伝えなくちゃいけないって思って」
纏まらない気持ちを必死に伝えようと並べて、けれど上手く纏まらずにちゃんと話せなくて。いつも通りに振る舞っているけれど、声にも若干変化が出ている。すんなりと声が出てこない。それでも、気持ちは言葉にしないと伝わらないからと言葉を紡ぐ。
迷惑、だよね。そう自嘲気味に言った高尾を緑間はじっと見詰める。暫くの沈黙の後に名を呼ばれた時、声色がそれまでと変わったと気付いた。いつも通りを取り繕うとしていても、僅かな変化を緑間は見落とさない。だから、この言葉に嘘や偽りなんてものが混ざっていないことも分かっている。必死に伝えようとしているこれは、全て弟の本心なのだと。
「真ちゃんがオレを引き取ってくれたこと、凄く感謝してる。こんな感情を持つなんて間違ってるだろうし、引かれると思うけどダメなんだ。自分じゃどうしようもないくらい、真ちゃんのことが好き」
目を合わせない。それはただ単に怖いのだろう。気持ちを伝えることにしたとはいえ、その答えに怯えてしまう。どんな答えが返ってくることも覚悟しているつもりだけれど、怖いと思ってしまうのは心があるのだから仕方がない。痛くて苦しくてどうしようもないくらい、好きになってしまった。
好きで、大好きで、そんな愛の言葉で表しきれないくらいに好きという気持ちが大きくて。愛しくて、傍に居たくて、この先もずっと一緒に居たくて。兄弟愛や家族愛を勘違いしているのではない。それ以上の気持ちが溢れている。
「オレなんて真ちゃんからすればまだ子どもだろうし、いつまで経っても子どもなのかもしれない。でも、オレだってもう高校生なんだから色々と分かるようになったよ。勘違いでも嘘でもないから、真面目に答えて欲しい。真ちゃんは――――」
言葉が止まる。
温かなものが体を包む。小さい頃から良く知る温もり。大きな体に抱き締められる。今では昔ほど体格差はないけれど、それでも未だに抜かせない身長のせいで体はその腕にすっぽりと収まった。
「そんな顔をするな。お前は何でも考え過ぎだ」
すぐ傍から聞こえる声。ぎゅっと抱きしめられながら、緑間の言葉に耳を傾ける。そんな顔ってどんな顔なんだろうと思いながら、緑間が口にしたということは相当なんだろうなと思う。そして、次の行動がこれというのは小さい頃から一緒に居たからだろう。
癖というほどのことではないけれど、一人家で帰りを待って居た高尾のことを緑間はこうして抱きしめてくれた。その時に言ったのは、寂しい思いをさせて済まないという謝罪だった。そんな素振りを見せたつもりはなかったけれど、どこかにそれが出ていたのだろう。そういう時、安心させるように緑間はこんな風に高尾を抱きしめた。
「考え過ぎ、なんてことないと思うけど」
「それなら何故、答えが決まっているという前提で話をしている」
緑間がそう言うと高尾はきょとんとする。そんな弟を見ながら、自覚がないだけなのかただの気のせいだったのかと考えるが後者ということはないだろうと考える。そうなると残るのは前者だが、そう言い切ることは出来ない。
だから「違うのか?」と尋ねてみた。暫くの沈黙の後に返ってきた答えは「そんなつもりはないけど」とこれまた曖昧なものだった。そこから読み取れることといえば、決まった答えがあることを前提に話してはいなかったけれど答えはなんとなく予想していたといったところだろうか。それも全部、高尾がいつもの癖で勝手に出した答えでしかないが。
「お前はいつも真っ直ぐだな」
いつだって真っ直ぐなのだ。高尾自身はそんなことをないというが、いつもこちらを見詰める目は真っ直ぐで。そんな素直なところが高尾の良いところだろう。
素直に言葉に出来ない緑間に対し、高尾はちゃんと形にする。どちらも思っていることは口にするようにしているが、何かあった時に大抵先に口を開くのは高尾の方である。今回もそうだ。
「辛い思いばかりさせて済まない。お前がそうやってすぐに言葉にしてくれることには助けられている。だが、勝手に悪い方に考えるのはよくない」
「……悪い方になんて考えてないよ」
「お前とどれくらい付き合ってきたと思っている。お前のことくらい分かっているのだよ、和成」
ずっと小さな頃から付き合ってきているのだ。七歳差ある二人で、両親が仲良かったことから高尾が幼い頃よりずっと見てきた。それこそ、高尾の記憶にはないくらい小さな頃も緑間は知っている。高尾が生まれた時に緑間は既に七歳で、生まれたばかりのことでさえ記憶に残っている。
それから一緒に遊んだり面倒を見たりしてきたのだ。高尾にとっては物心ついた時から傍に居たお兄ちゃんであり、緑間からすれば生まれたばかりの時から知っている弟のような存在。大抵のことは分かるくらいの長い期間、二人は傍に居るのだ。
「伝える時に伝えなければいけないと分かっている。それは良いが、オレからの答えまで決めつけているだろう?」
つい悪い方向に考える。悪いことを考えて、それを考えた上で話をする。今だって悪い方に考えてその答えを覚悟して話をしたに違いない。物事で悪いことも前提に考えることが間違っているとはいわないけれど、悪いことを考え過ぎるのは頂けない。
黙ったのは肯定を意味する。高尾は緑間の答えを予想しながら、それでも伝えなければ後悔をするだろうと口にした。否定をしても嘘になるし、緑間にそんな嘘も通用しないのだから黙るしかなかった。
そんな高尾を見ながら緑間は小さく笑みを浮かべ、左手を頭の上に乗せた。もうそんな子どもではないのだから、と反論されることもなく緑間はそのまま高尾を撫でた。
「やはり子は親に似るものなのだよ。素直で明るく育ったのも両親のお蔭だな」
「じゃあ、オレは真ちゃんにも似てたりすんのかな」
「どうだろうな。似ていると言われたことはあるがオレには分からん」
周りはこの兄弟を似ていると話す。この通り、本人達に自覚はないが似た者同士だろうと周りは言う。一緒に暮らしているだけあって、色々と似ている部分があるのだ。性格も違うように見えて、何気に同じような部分が多々ある。
「お前は年齢的にはまだ子どもだが、和成は和成だろう。変に考え過ぎるな」
もっと小さかった頃は、幼い高尾のことを守っていかなければならないと思っていた。今もそれは緑間の中にあるけれど、それは高尾が子どもだからではない。高尾が高尾だから、守っていきたいと思うのだ。
最初は大切だからと思いながらも、この小さな子どもを守ってやらなければとばかり考えていた。けれど、高尾はいつだって笑って緑間の傍に居てくれた。高尾を育てていくことにしたけれど、彼に救われたのは緑間の方。何でも自分でやって、緑間ばかりに大変なことはさせまいと率先して家事をやり。どちらかといえば、周りの子どもよりも早いうちから大人びていた。子どもだと思うこともあれど、子どもだという目で見ることは大分前に止めた。
「前にお前のことを嫌いにならないと言っただろう。それは、お前のことが好きだから嫌いになることはないと言ったのだよ」
好きだから嫌いになることはない。大切だから守りたい。好きだから一緒に居たい。
心配をするのも、高尾の幸せを願うのも。全ての答えはそこにある。
「家族だからでも兄弟だからでもない。和成だから好きだ」
家族や兄弟としても好きで大切にしたいと思う。けれど、一人の人間として好きで大切にしたいと思うのだ。
素直にならないと失う。友はそのようなことを言ったけれど、強ち間違ってもいない。素直に言葉にしなければ、大切な人を失ってしまうことになる。言葉にしきれずに喧嘩をしたのがいい例だ。言える時に己の気持ちを伝えるということは大事なことである。素直に気持ちを伝えれば、相手もそれに応えてくれるのだ。逆もまたしかりで、素直な気持ちにはこちらも素直に答える。
「誰が間違っていると言った?確かにこんな感情、伝えるべきではないのかもしれない。だが、それでお前が苦しむくらいならちゃんと言葉にするのも一つだ。答えなど幾通りもあるのだから、決めつけるものではない」
考えられる答えは一つではない。それこそ何百通り、何千通りだってある。そこから高尾は悪い答え一つを選び取ってそうなると思っていたが、相手も人間ならそうなるとは限らない。
人の気持ちは、どんなに親しい間柄だとしても計りし得ないものだ。それだけは、この先どんなに技術が進んだ未来だとしても道具で分かることの出来ないものだろう。
「和成、嫌なら嫌と言え」
そっと手が離れたかと思えば、その手はそのまま頬に添えられた。何を言いたいのか分からなかった高尾だが、次の行動で全部理解した。
嫌ならってそういうことか、と。
それから、嫌だなんて言う訳がないのに、と。
そこでまた気付く。怖いと思うのは自分だけではないということ。本当の気持ちを曝け出すというのは、それなりに勇気が必要なことなのだ。子どもだって大人だって、素直に自分の気持ちを表に出すのは簡単ではない。緑間も高尾と同じなんだと、今になって気付かされる。
「…………後悔はしないか?」
「する訳ないじゃん。オレだって、真ちゃんと同じ気持ちだよ?」
好きだと思うのも、だから伝えるのが怖いと思うのも。伝えなければ後悔すると思いながら、その道を選んだなら後悔をするのではないかと考える。相手のことが大切だから、困難な道を進んで幸せを失わせてしまうのではないかと不安になる。
それでも、好きだから一緒に居たいと願ってしまう。何もせずとも家族なのだから一緒に居られるとはいえ、溢れる気持ちを伝えずにもいられなかった。
伝えたことを後悔していない。
これから進む道を選び取ることだって、後悔なんてする筈がない。
そう答えて笑みを浮かべた弟に、つられるように兄も微笑む。余計なことを考えることはない。選びたい道が同じならば、他にどんなことを考えたところで答えはもう出ているではないか。
「好きだよ、真ちゃん。これからもずっと、一緒に居させて?」
「当たり前だ。尤も、お前を離すつもりなどないがな」
言いながら今度は高尾の方からそっと唇に触れる。
好き、大好き、溢れる気持ちを行動で示す。併せて出てくるのも愛の言葉。素直に表現することの出来なかった言葉が、それぞれの口から紡がれる。
「オレだって真ちゃんから離れるつもりなんてないよ」
「それなら問題ないな」
「真ちゃん。オレ、すぐに真ちゃんの隣に並べるようになるから」
「楽しみにしているのだよ」
いつも隣に在る。そんな高尾が選んだ進路というのが、緑間が高校時代に選び取ったのと同じだった。つまり、教師になることを目指すことにした。
理由はやはり緑間である。高尾の人生は緑間が大いに関わっている。これだけ近くに居るのだから、そうなってしまうこともあるだろう。バスケを始めたきっかけも、教師を目指すきっかけも全部緑間だ。どうして教師を選んだのかといえば、緑間と同じ立場になりたかったというのと、教師をしている姿を見ながら自分もやってみたいと思ったから。そして、同じ目線で隣に並んでみたかったからでもある。
それだけあれば高尾にとっては十分な理由で、緑間は高尾の好きにさせようと思っていた。だから高尾が教職を目指すことは反対されることもなく決まった。これからはその進路を目指して勉強をしていく。勿論、部活の方も大会を目指して練習だ。
「ねぇ、真ちゃん」
今すぐにって話じゃない。いつかのことだけど。
そうやって話を切り出した高尾に、緑間は「何だ」と先を促す。翠を見上げた瞳は澄んでいて、柔らかな声が続きを口にする。
「いつか、真ちゃんの苗字を頂戴?」
その言葉が意味することを理解出来ないほど、緑間は幼くない。それが本当に養子として縁組をして欲しいという意味なんだか、海外にでも行って籍を入れたいという意味なのかは分からない。けれど、共通していえるのは本当の家族になりたいということだ。
今だって二人は家族である。本当の家族だと思っている。だが、いつかは戸籍上でも本当の家族になりたい。そんな小さな願い事。
「ああ、分かった」
珍しい弟の頼みを緑間はすぐに受け入れた。断る理由がまずない。それに、やはり思うことは同じなのだ。今だって互いを家族と思っているけれど、いつか本当の家族になれたら良い。そうして一緒に過ごしていくことが、二人にとっての幸せ。
「約束だからね」
「分かっているのだよ」
「絶対だよ」
何度も繰り返し確認しながら、高尾は幸せそうに笑う。そんな高尾の笑顔を見ることで緑間も幸せを感じる。
昔からずっと傍に居た人。とても大切な人。
小さな頃から家族同然で一緒に暮らしてきた。家族として、兄弟としても大切だけれど、それ以上に一人の人間として大切だと思うようになっていた。
君が好き。ああ、僕も君が好き。
その口が紡ぐのは愛の言葉。
大切なんだ、何よりも。特別なんだ、貴方のことが。
「しーんちゃん! 大好き!!」
「オレも好きだ。だが、いい加減宿題を片付けないと困るのはお前だぞ、和成」
いつからか減っていったスキンシップも気持ちを伝え合ったことでまたこの通りだ。
仲が良いと周りに思われている兄弟でも、成長するにつれてそれは減っていたらしい。本人達には分かっても第三者からしてみればとりあえず仲が良いのは分かったといったところだろうか。
特別な関係の二人は、違った意味でも特別な関係に。
これからも二人で幸せな日々を綴っていく。
fin
←