『真ちゃんはすぐに大人になっちゃいそうだね』


 小さな光が宙を舞う夏のある日。こんな時間まで外で遊んでいれば、小さな子どもは親に怒られてしまう。
 しかし、今日は特別だった。町のお祭りが開催されるこの日だけは、唯一遅くまで遊んでも良い日だ。勿論、子どもだけでは危ないからと親も一緒である。今はちょっとした言い訳をして別行動中だけれど。


『オレは早く大人になりたい』

『真ちゃんならすぐだよ。今だって大人っぽいからね』


 男はくすりと笑みを浮かべると、徐に掌を宙に伸ばす。沢山の光から一つを包み込むと、目の前まで持ってきてそっと光を解放した。目の前で輝く自然の光は、とても神秘的だった。
 男はこれを見せる為にここまで案内してくれた。いつか見せてやりたいと話していたのが、ここで漸く叶ったのだ。彼は自分の知らないことを山程知っている。そんな彼に追い付く為にも、同じ土俵に立つ為にも早く大人になりたかった。他にも色々と理由はあったが、主な理由はそんなところだ。


『…………本当、すぐ大人になりそうだよ』


 ポツリと零れた言葉。この場所が静かだったから辛うじて聞き取れた程度の音。
 この時、男は何故か悲し気な表情を浮かべていた。どうしてそんな顔をするんだと問うても、何でもないと首を横に振られてしまった。
 だが、次の瞬間には「真ちゃん、流れ星!」といつも通りに戻っていた。願い事した?と尋ねてくる男は、大人でありながら子どもらしい無邪気な姿だった。また流れないかなと話す男を見ながら、先程の表情は頭の中に残っていた。








「どったの、真ちゃん。今日は十二位じゃなかったよね?」

「別に何でもない」


 授業の合間の十分休み。椅子の背凭れを前に、後ろの席を振り返りながら高尾は尋ねる。いつもと少し様子が違うエースが気になったのだが、本人には何でもないと否定されてしまった。何かありそうだから聞いてるんだけどな、とは心の内にだけ留めておく。
 さてと、一体どうやって聞き出すべきか。緑間が何でもないと言う限りは無理なのだが、そう頑なに喋ろうとしない訳ではない。しつこく聞けばウザがられるだろうが、その辺のさじ加減は分かりきっている。

 諦めずに尋ねること数十秒。溜め息を吐きながらも緑間は口を開いた。


「ただ昔の夢を見ただけだ」

「昔の?」

「時々見ることがあるのだが、それが誰かは分からない。いや、分からないというよりは思い出せないといった方が正しいかもしれん」


 何か考え込んでいるのは分かっていたが、それがまさか夢の話だとは予想外だ。緑間もそんなことで考えるのかと、些か失礼なことを思っていたりする。だが、この珍しいことに高尾が食い付かない訳もなく。


「へぇー、真ちゃんの初恋の人?」

「それはないのだよ」

「えー分からねーじゃん。相手は分からないんだろ? あ、それとも初恋はまだだったりする?」


 言い終わるなり緑間は右手で拳を作り、そのまま高尾に落とした。何も殴ることはないだろうと僅かに涙を浮かべて訴えるが、お前が馬鹿なことを言ったのだろうと聞き入れては貰えなかった。勿論加減はしている。
 相手が分からないのだから、可能性としてはゼロではないだろう。先程の発言ように初恋がまだではない限り。
 しかし、緑間はそれだけはないと否定する。


「大体、相手は男だ」

「そうなの? 誰かは分からないのに男ってことは分かるんだ」


 男ならどっちにしろ初恋はないかとぼやいている辺り、そうだったら面白いのにとでも思っていそうだ。本当にそうだったなら、どんな子なのかとしつこく聞いたことだろう。
 一方、緑間はまた何かを考え込んでいる。高尾もそれに気付き「真ちゃん?」と名前を呼ぶ。その声に「何だ」とだけ返したものの、まだ考え事をしているなということは一目瞭然だった。そんな緑間に高尾は溜め息を吐くと、もう一度「真ちゃん」と名前を呼んだ。


「そんなに気になるの? その夢の相手」

「分からなければ気になるだろう」

「まぁ、それりゃあな」


 何度か見ている夢。どんな夢だったのかは覚えているのに、そこに出てくる人物だけがどうしても分からない。昔の夢なのだから緑間自身も会ったことがある筈で、何度か見ているのにそれだけ思い出せないことが引っ掛かる。これだけ思い出せないと逆に何かがあるのかと思ってしまう。相手が分からないのだから、それ以外の全ても謎に包まれたままだけれど。
 その一点だけが分からないのがモヤモヤする。そういう気持ちは高尾にも分かる。けれど、このことばかりは手を貸してやれることはない。緑間が記憶の奥底から、その思い出の引き出しを開けることが出来ない限りは無理なのだから。
 でも、そのきっかけを一緒に探すのは出来るかもしれない。


「昔の夢なんだよな。それなら、アルバムとか探してみたら?」


 記憶の中には残っていないかもしれない。あったとしてもなかなか見付けられていないのが現状だ。それならば、しっかりと形に残っているアルバムであればどうだろうか。その人が写真に写っていたなら、それを見ることで何か思い出すかもしれない。
 そう思ったのだが、緑間は首を横に振った。それは既に試したのだと。他にも思い出せそうなアイテムを引っ張り出しては試してみたのだが、結果は全て同じだった。


「思い付くことは一通り試した。だが、結局相手が誰なのかは分からなかったのだよ」

「そっか……。もしかして、その人が実在しないとかって可能性は?」


 夢とは曖昧なものだ。昔の記憶と重なる部分があるから、その人も実在していると勘違いしているだけかもしれない。その可能性もあるのではないかと思ったのだが、緑間はきっぱり否定をした。それは絶対にないのだと。
 どうして言い切れるんだと聞いても、そんな気がするとの答えしか出ない。それなら分からないんじゃないかと尤もな意見を高尾は述べる。だが、緑間はその人物が実在するという考えを変える気はない。
 あの緑間がこんな不確定要素の多いことを絶対と言い切る。普段なら有り得ないだろうことに、実在しないという考えはなかったことにする。その可能性を捨ててはいないけれど、緑間がここまで言うのだからそちらを信じる。


「相手は分からないっていうけどさ、何度も見てる夢なんだろ? それだけ記憶に残ってるなら、いつかは思い出せるんじゃねーの」


 一回や二回ではないという緑間の言葉から考察してみると、今は思い出せなくとも記憶の奥底にはしっかり残っていることではないかと思う。現に緑間もこんなに悩んでいる訳で、この状況に一番合っているだろう考え方はこれだろう。

 それほどの記憶ならいつかは思い出せるのではないだろうか。きっと、思い出せないから繰り返し夢を見続けているのだ。

 そのような結論を出した高尾に緑間は肯定も否定もしなかった。おそらく彼の中でも考えを纏めているのだろう。暫くして、出て来た言葉は「そうだな」と同意を示すものだった。どうやら相当気になっているらしい様子に「案外すぐ思い出せるかもしれないんだからさ」と前向きに声を掛ける。それに対しては短い相槌だけが返されて、次に声を発しようとしたところで始業のチャイムが鳴り響いた。
 どうしてこのタイミングで鳴るかなと理不尽なことを考えるが、チャイムは決まった時間に鳴るものだ。高尾は開きかけた口を閉じて教卓の方を向いた。