『真ちゃんはどうして早く大人になりたいの?』
夏祭りが終わった数日後。男は祭りの時の話題を持ち出してきた。別に隠すような理由はない。だから思ったままに答えた。お兄さんに早く追いつきたいのだと。この年齢差が縮まることはないけれど、せめて大人になって少しでも近付きたいと。
そんなオレの答えを聞いた男は目を丸くしていた。こんな理由で大人になりたいと言ったとは思っていなかったらしい。けれど、オレにとってはそれが一番の理由だった。
『オレに追いつきたい、か。それは嬉しいな』
『すぐに追いつくのだよ』
『それはどうだろうな。だけど、オレみたいな大人にはならない方が良いかもよ?』
どうして、と尋ねた。男は見ての通りだと答えた。
見ての通りと言われても幼い子どもには理解出来ない。分かるように言って欲しいと頼んでみると、昼間から小さい子どもと遊んでるような大人なんて居ないだろと説明された。言われてみれば両親は仕事に出掛けているけれど、この男はよく自分とこの場所で一緒に遊んでいる。こうして一緒に過ごすことをこちらは楽しんでいるけれど、世間一般的にこれは普通ではないということにここで初めて気が付いた。
これが当たり前になっていて、全然気が付かなかったのだ。だが、今でこそ気を許してはいるものの最初は随分と疑っていたような気がする。
『なーんてな。ほら、そろそろ帰る時間だぜ』
茶化して話を逸らす。さっきまでのは冗談だとでも言うような口調はいつもと何ら変わらない。
夢うつつの世界 2
今思えば、それは何かを隠そうと誤魔化しているだけだったのかもしれない。幼い自分は特に気に留めなかったけれど、今の自分ならそれに気付けるだろう。
「…………高尾」
「冗談だって。そんなことあるワケねーじゃん」
どうして幼い自分はそのことにも気付けなかったのだろうか。そう思いながらも、まずは目の前の男のことだ。こうやって笑ってやり過ごすことで先程の発言をなかったことのようにする。全部冗談なのだから真に受けるなと笑って誤魔化して、けれどその裏には何かがあるのだということに気付けないとでも思っているのか。思っているのだろう。そうでなければまずこんな真似をしない。
気付いていても気付かないフリくらいは出来る。けれど、今の緑間にその選択肢はない。これも夢の中の誰かと重ねてしまったからだろうか。それとも、同じことをしようとしていると気付いてしまったからだろうか。そんなことは本人も分かっていないけれども。
「冗談でも言って良いことと悪いことくらいあるだろう」
これは言ってはいけないことに部類される。言えばゴメンと謝罪されるけれど、やはり適当に誤魔化そうとしているのは見て取れた。それを追求するべきなのか、しないでおくべきか。そう考えている間にも「だけどさ」と高尾は言葉を続けた。
「一緒にバスケが出来るのって今だけだろ?」
高校卒業したらみんなバラバラになるんだし、と話す高尾が何を言ったのか。発端は「オレがバスケを出来なくなったら、少しは悲しんでくれる?」などというとんでもない発言だった。何か病を抱えている訳でもなく、怪我をしたという訳でもない。だけど何かあるのかと心配した緑間に対し、高尾はもしもの話だと訂正して先程の会話である。
これはあくまでも“もしも”の仮定話。けれど、そんな話を持ち出すからには何かがあるのではないかと緑間は思ってしまった。というのも、高尾が何かを隠すかのように取り繕うから。それで今のこの発言とくれば疑うなという方が無理な話だ。なんせ、現在二人が居るのは保健室なのだから。
「まだ先の話だろう。それとも、お前はすぐにでもバスケをやめるつもりか?」
「まっさか! でも、先の話たって数年だぜ? 気付いたら卒業する年になるぜ、きっと」
やめるつもりはない。けれど、卒業なんてものは先の話のようで意外と近い未来のことだ。いざその時が来てみればもう卒業なのかと実感するのだろう。
それでも、一年生である彼等にとっては緑間の言うようにまだ先の話である。言いたいことは分からなくもないが、話の意図が見えてこない。そもそも、何かしらの意図があるのかさえ定かではない。
「結局お前は何が言いたいのだよ」
単刀直入に尋ねる。こうするのが一番早いだろうとこれまでのやり取りで判断したからだ。どうやらその判断は間違っていなかったらしく、ちらりと色素の薄い瞳が緑間を見た。
「んーなんだろうな。やっぱこの先も真ちゃんとバスケしていたい、ってコトかな」
この先もずっと。一緒にバスケが出来たら良いのに。
それらは声にならなかったものの、心の内でひっそりと呟かれていた。突然引っ越すことになったり何かとんでもないことでも起らない限り、二人はこの秀徳高校で一緒にバスケをしていく。今は保健室なんて場所に居るが、それは高尾が体調不良で倒れたのに緑間が付き添って来ただけだ。他にどこか悪いところがある訳でもない。
何を当たり前のことを言っているんだ、と緑間は思う。高校を卒業してからは分からないにしても、少なくとも在学中は一緒にバスケをしていくのだ。その先もバスケを続けるかは分からないが、それで二人の関係が変わる訳でもない。相手が緑間でなくても何を突然言い出すのだと思うだろう。
「話に脈絡がない気がするのだが」
「気のせいじゃね? それか熱のせい」
「お前の話に脈絡がないのはいつものことだったか」
「どういう意味だよそれ」
聞かずとも熱のせいでないと言いたいだろうことは分かるけれど、納得出来なかったから問うてみた。さあなと流されてしまったが、こんなやり取りはよくあることだ。
「それより真ちゃん、そろそろ戻って良いぜ。ここまで付き合ってくれてありがと」
「別に構わないのだよ。体調が悪い時くらい大人しくしておけ」
分かってると答えて、早く戻らないと授業終わっちまうぞと保健室から緑間を送り出す。緑間は高尾のことを多少は心配しているようだったが、大人しく寝てるから大丈夫だと伝えるとそれならさっさと寝ろなんて言い残して保健室を後にした。
授業開始から四十分。この時間は体育で、あとはミニゲームでもやるのかななんて考えながらゴロンとベッドに背を預ける。
授業が終わるまであと十分。
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