これが相手の為になるだとか、そう決めたことならだとか。そういう考え方も確かに必要だろう。けど、それで本当に大切なモノを失くしたら意味がないんじゃねぇの?
それしかないのなら仕方ないで片付ける。受け入れる努力をする。本当にそれで良いのか。本人達が納得していれば良いのかもしれないな。本当に、心の底から後悔しないと思えるのなら。
でも、違ったんだろ。
言いたいことだってあったと思う。伝えたいこともあっただろう。何より、一緒に居たいと願ったのはどちらか一方だったのか。そんなことまでオレの知ったことじゃない。
だけど、なんでだろうな。本人達が選んだなら放っておいても良いんだろうけど、分かり易いんだよアイツ。それ見てたら、きっと向こうも同じなんじゃねぇのかとか思って。ここまでしてやる必要なんてないんだろうけどオレはアイツ等の先輩で、生意気でもアイツ等はウチの大切な仲間だ。
後輩だからっていうのもあるけど、放っておけなかった。昔のオレに似てるところがあったから。どっちが、とは言わねぇけど。
間違ったのならやり直せば良い。間違った道に進んだ後輩を正しく導いてやるのも先輩の役目だ。それに、コイツを連れ戻してやれるのはオレぐらいだったし。
ま、言い分は後で聞くとして最初は好きにさせてやろう。オレにも言いたいことはあるけど、それより前にやるべきことがあるだろうから。そのくらいは自分で気付けるだろ。
夢うつつの世界 8
早朝の体育館。一時間も早く来ては鍵が開いていないのではないかという心配は不要だったようだ。副部長も朝練の一時間前に登校してきたようで鍵は開いていた。
その副部長は体育館の前で緑間が来るのを待っていたようだ。緑間の姿を視界に捉えるとやっと来たかと呟いて、遅いぞと声を掛ける。実際は約束に遅刻した訳でもなく、時間には間に合っていますと答えれば、相変わらず可愛くねぇななんて言われる。可愛いと言われたいとも思っていないからそれは構わない。それより、早朝に呼び出した理由を尋ねる。
しかし宮地は質問に答えることはせず、すぐ横にある扉を指さした。とりあえず入れ、ということだろう。意図は分からなかったが緑間はそれに従った。
そして、その意味は体育館に入った瞬間に理解した。
ボールがバウンドする音、バッシュのスキール音、それからネットを潜る音。聞き慣れた様々な音が一気に耳に入ってくる。ネットを通り過ぎたボールはそのまま独りでに跳ねていたが、何回目かのバウンドの後に手の中に大人しく収まった。
手の中といっても緑間のではない。緑間以外にこの体育館に居るもう一人の人物。
「もうバスケなんて出来ないと思ってたんだけどさ、オレやっぱバスケが好きみたい」
聞き慣れたテノール。振り向いた黒髪は真っ直ぐに緑間を捉えた。そのまま手の中にあったボールを緑間に向けて投げる。受け取ったボールは高いループを描いて綺麗にリングを潜った。
何の為にボールが渡されたのかは明確ではなかったが、それが普段のパスと同じだったから緑間は躊躇することなくボールを放ったのだ。どうやらそれは正解だったらしく、綺麗なスリーポイントを見届けた高尾は「流石だね真ちゃん」と言うなり微笑みを浮かべた。見慣れた表情な筈なのにどこか遠くに感じるのは気のせいではないだろう。
「……この世界には居られなくなったと言っていなかったか?」
「うん、そうだよ。オレにはこの世界で人間の姿を保つだけの力がなくなった」
「それなら、どうしてお前は今ここに居るのだよ」
緑間の疑問は尤もだ。どうしてだろうね、なんて口にしないけれど内心では高尾もいまいち状況を呑み込めていないのが現状である。一つずつ話すにしても本人が理解をしきっていないから難しい。だが、この場には自分達二人しか居ないのだから、必然的に高尾が説明をするしかないのだ。
頭の中で昨夜の出来事を振り返る。本当、どうして今自分はここにいるんだろうと疑問が残っていない訳ではない。誤解しないように言っておくが、この体育館に今も居られることは幸せだ。もう足を踏み入れること等ないと思っていただけに、またこの場所に来て、唯一無二の相棒にパスを出せることは嬉しい。同時に、その気持ちをきちんと伝えなければいけないのだということを思い出す。有無を言わさずに連れてこられて思うことは沢山あるけれど、素直に感謝だけしておけば良いとあの人は言うのだろう。
「簡単に説明すると、オレの力がある程度回復したからここに居られる。まぁ、時間が限られてるってのは前と変わらないかな」
休めばその分だけ力を回復出来る。しかし、高尾の場合は力の使い過ぎでそれすらもあまり望めない状態だった。もうこれはダメかもしれないとさえ思ったくらいだ。だが、高尾に力を分け与えてくれた人が居た。大した量ではないけれど、お蔭でこうして話を出来るくらいには体力も回復した。ずっと留まっているだけの力はないけれど、それなりに話をすることは出来るだろう。
そう、今回も時間は限られている。話さなければいけないこと、話したいこと、相変わらず色々あるけれど下手に脱線させている場合ではないことくらいお互いに分かっている。それこそ、無駄に時間を使ったのなら後で何を言われるか分からない。
最後に別れた時は、本題に入り辛くてつい話を遠回しにしてしまった。けれど、今回は寄り道せずに伝える。思っていることは、言葉にしなければ相手に伝えることは出来ないのだから。
「真ちゃん。オレまだ真ちゃんとバスケしていたい。お前の相棒で居たい」
この前は言えなかった。言ってはいけないと思っていた。別れなければいけないのに余計なことを言って辛い思いをさせたくはなかったから。どんなに願っても叶わないことを伝えても意味がないと。
それは違う、と言われても最初は分からなかった。何が違うのか。言うだけ迷惑ではないのかと。そうじゃない、変なことを気にするくらいなら本心を話すべきだと教えられた。それで何が変わるのかと思ったが、本当の気持ちを打ち明ければ自然と本音で話し合えるだろうということらしい。変に気にしてお互いに本音を隠してそれで良いのかと聞かれて、高尾は頷くことが出来なかった。
それはそうだろう。本音を隠しあうよりも本音で語り合う方が良いに決まっている。バスケだって本気でやり合った方が楽しいのだ。言ってはいけないとかそういう思考を取っ払って、今は思ったままに言葉を並べる。
「守りたいってのも本当。でも、そういうの関係なくお前と一緒に居たいんだ」
最初は助けて貰ったから今度は自分が緑間の力になりたいと思った。ずっと傍で見守っていくうちに、その成長が嬉しいと同時に別れが近付いている事実が辛くなって。自分との過去を忘れたとしても緑間の隣に居たいからと一緒に高校生になって、バスケに打ち込んで。守りたいという気持ちも本心だけれど、ただ一緒に居るだけの時間がいつしか大切になっていた。
迷惑かもしれないけど、それでもお前の隣は居心地が良くて、他の誰にも譲りたくなくて。
纏まらない思考をなんとか形にして紡いでいく。段々と声が小さくなっていくのは、いきなりこんなことを言われても迷惑だろうと思う心があるから。それでも、きちんと伝えると決めたから。
「これからも、真ちゃんの隣に居たいよ……」
最後の方は聞き取れるかも分からないくらいのか細い声だった。
それから暫くの間を置いて。ごめんやっぱ迷惑だよな、今のは全部忘れてと高尾は笑顔を取り繕った。だが、緑間は最後の言葉まで全部聞いていたのだ。今更これまでの話を全部なかったことになど出来ない。なかったことにしたくもない。
勢いよく高尾の手を掴んで自分の方に引き寄せると、胸の中で「真ちゃん!?」と名前を呼ぶ声が聞こえた。
忘れろ? ここまできて今更何を言い出すのか。
「一人で勝手に決めつけるな。誰が迷惑だと言った」
迷惑だなんて一言も口にしていないのにどうしてそう考えるのか。せめて人の話を聞くまで待って欲しい。お前はオレの気持ちを知らないからそんなことが言えるのだ。
「戻ってきたのなら、オレはお前を離すつもりはないのだよ」
高尾は緑間と一緒に居たいと話した。ここに居られる時間は限られているけれど、本当はこの先も一緒に居たいのだと。
だが、それは緑間だって同じ。時間が限られていようがそんなの知ったことではない。ここに居るのなら、もうこの手を放す気はない。素直になれと言うのなら、もう同じ間違いは繰り返さない。
「正直、昔のことはあまり覚えていない」
「覚えられてた方がビックリだって」
「だが、あの頃も今もオレにとってお前は大切な存在だ」
気のせいで流さずにあの時ちゃんと聞いていれば何かが変わったのだろうか。今更考えても無意味だが、過去は変えられなくても今に活かすことは出来る。
幼き日、緑間が高尾を助けたから高尾は緑間の傍に居た。そして、本人は話さなかったけれど力がなくなった理由というのもおそらくは緑間を守ったからだろう。高尾はその為にずっと近くに居たのだから。どうしてそんなことをしたんだとは言うはない。思ったのは事実だ。けれど、高尾は今この場に居て、そのお蔭で緑間自身もこの場に居られる。今はそれだけで十分だ。
「答えろ、高尾。お前がこの世界に居るにはどうすれば良い」
方法があるのならどんなことでもする。高尾が自分を助けたせいで力の大半を失ったというのなら、今度は緑間が出来ることをしてやりたい。
助けて貰ったから助ける。それではいつまでたってもループになるのではないか。それならそれで構わない。助けたいと思うのに理由なんて要らないだろう。それこそ、一緒に居たいというのに理由など必要ないのだ。一緒に居たい、そう思っているのならそれで良いのだ。
一方。急に抱き締められた上に予想外のことばかり言われて、高尾は緑間の腕の中で静かになっていた。まさか、緑間に自分がこの世界に留まる方法を聞かれるとは思わなかった。人生何が起こるか分からないな、なんてぼんやり考えながらその方法を記憶から掘り起こす。
残り少ない力しかないのにこの世界に残る方法は、決してない訳ではない。ただ、それを言うかは高尾もずっと悩んでいた。言うだけ言ってみるのは有りだろうか。どっちみち二度と会えない筈だったのだから会えただけでも満足だった。言うだけなら、そう思っていたけれど。
「真ちゃん、オレと契約してくれませんか」
「それで、お前はこの世界に居られるんだな」
「……うん。ただ、真ちゃんがオレと一緒に居ないといけなくなる」
契約をしてしまえば、この先はずっと一緒に居ることになってしまう。高尾が昔、それをせずに緑間の傍に居たのは自分に何かあった時に巻き込みたくなかったから。高尾自身に、というよりは同じ種族の奴等が何かを起こしたとしてそれに巻き込ませたくはなかった。元々緑間は不幸体質だったから、巻き込んで大変な目に合わせたりは絶対にしたくなかった。
今もそれが気がかりではあるが、この年になればなるようにはなるだろう。どちらかといえば、この先の人生を共にしていくことになる方が重要だ。高尾は人間ではないから、契約をして一緒に居ることになっても緑間が誰かと結婚をするのは自由だし、どのような道を歩くのも自由だ。常に一緒に行動をする訳ではないが、契約をすれば離れられなくなる。勿論、契約を破棄するという方法はあるが。
俯いた高尾が何を考えているのかは緑間にも分からない。だが、緑間が出す答えなど一つしかない。
もし今後一緒に居なければいけないということを問題視しているのなら、お前は人の話を聞いていたのかと問うところだ。緑間は高尾をもう二度と離すつもりはない。一緒に居ないといけないからといってどういということはない。むしろ、一緒に居ることを選びたいから尋ねたのだ。だから。
「馬鹿め。オレはお前と一緒に居たいと言っただろう。お前こそ、オレから離れられなくなっても良いのか?」
誤解をしているのならそれを解くだけだ。これが緑間の出した答え。
そして、高尾の答えは。それこそ、決まった答えで。
「オレだって、真ちゃんと居たいって言ったじゃん。後悔しても知らねーからな」
「有り得ん。お前はもう少しオレを信用しろ」
「すっげぇ自信。信用ならとっくにしてるっつーの、エース様」
お前こそオレを信用しろよ、と笑う。
ああ、やっと笑った。笑っている方が高尾らしい、と緑間は思う。それから、あんな表情はもうさせたくないと。こんな思いをするのは一度だけで良い。緑間自身もそうだが、高尾にも二度目を味あわせたくない。こんなことはこれっきりで終わりにしよう。
ちゃんと話し合うことさえ出来れば擦れ違うことはない。意見が食い違うことこそあれど通じ合える筈だ。思っていたことを隠さずに話したら良かったのだともう気が付いた。
だから、これからは思ったことをちゃんと伝えよう。そして共に歩いて行こう。一緒に居たいと、そう願ったのはどちらも同じだったのだから。
夢うつつの世界ではなく、この世界を。
この先の未来を共に。
fin
←