高尾和成が居なくなった。
あの日、公園で話をしたのを最後に忽然と姿を消した。いや、この表現はおかしいかもしれない。オレは高尾から直接話を聞いたのだから。もうこの世界に居られないと、目の前で高尾が消える瞬間を見た。
それからどうなったかといえば、オレ達の日常には何の変化もない。それは不思議なほど。クラス、部活、どこにも変化はなかった。教室でも皆の中心に居るようなムードメーカー、強豪バスケ部の一年レギュラー。そんな奴が居なくなっても全く何もないのだ。
周りの連中が薄情だとかそういう話ではない。例えどんな人物だとしても転校をしたとなれば少なからず話題には出るだろう。教師の口なりどこかで触れる機会があるものだ。それすらないのは、正にオレが見たままのことが現実に起こっているからだとしか説明のしようがない。
そう。オレの見た通り。
高尾和成という男はこの世界から消えたのだ。何も残さずに、誰の記憶にも残っていない。クラスメイトに尋ねてみても誰だと疑問を返される。どうなっているんだと最初は思った。だが、考えてみれば不思議でもないのかもしれないという答えに至った。それも、アイツが。
『子どもの間しかオレはお前と一緒に居られない』
大人になったら忘れてしまう。高尾はそう話していた。実際、オレも忘れていた。それとこれとでは違うけれど、何か特殊な力でも働いたと考えるのが妥当だろう。現実的ではないなど今更だ。
クラスメイトもチームメイトも高尾のことを覚えていない。オレはまだ覚えているけれど、時間が経てば他の奴等と同じように忘れてしまうのだろうか。忘れていた身で言えることではないかもしれないが、それでもオレは高尾のことを忘れたくはない。
夢うつつの世界 7
お疲れ様でした、と挨拶をしたところで本日の部活は終了。このまま着替えて帰る者も居れば、残って自主練を続ける者も居る。居残り練をするメンバーの中でも、ギリギリまで残る者や途中で切り上げる者など様々だ。
緑間はいつものようにコートに残ってひたすらボールを撃ち続けた。まだ今日の分のノルマを達成していない。すぐ横にあるボールを手にとってはゴールに放ち、全部のボールがなくなったら拾って同じことの繰り返し。
『まだやんの? 真ちゃんも飽きないね』
居残り練をしていると時折声を掛けられた。もう帰らないと怒られるぜと練習に関係あることから、そういえばさと雑談を始めたこともあった。お前も自分の練習をしろと言えば、分かってると答えて再び練習に戻る。そんなちょっとした休憩を織り交ぜつつ、毎日遅くまで残って練習をしていた。
休憩といっても、大抵は話し掛けずに黙って緑間のことを見ていた。緑間を、それから高いループを描くボールをその目は追い掛けていた。そういえば、高弾道のこのシュートが好きだと言っていた。コートの上でボールを追い掛けるのは当たり前だが、緑間の武器であるスリーポイントを見ている時は特別だった。尤も、ソイツはボールだけではなく敵も味方も全員を見ていたけれど。
「おい、緑間。聞きたいことがあるんだけど」
淡々とシュートを打ち続けている最中、近くで声を掛けられて手を止める。聞き慣れている声ではあるけれど、居残り練習中に話し掛けられるのは珍しい。
つい数分前まではお互いに練習をしていたのだが、どうしたというのだろうか。聞きたいことと言われても思い当たることはないけれど、それは話を聞けば分かるだろうと緑間はそちらを振り向いた。
「何ですか」
「お前さ、ウチの十番のこと覚えてるか?」
秀徳の十番。その番号を背負ってコートの上に立った男こそがこのチームの司令塔。そして、緑間の相棒と呼ばれたその男。
勿論、緑間は覚えている。忘れられる訳がない。
だから宮地の質問には肯定を返す。けれど、そこで疑問が生まれる。緑間はクラスメイトやチームメイトに高尾のことを尋ねたけれど、誰も何も覚えていなかった。レギュラーである先輩達ならと話を聞いたりもしたのだが、その時は知らないと否定をされている。
けれども今。
宮地が聞いているのは間違いなく高尾のことだ。知らない筈の男のことをどうして尋ねられているのか。
「覚えていますが、どうしてそんなことを聞くのですか」
暗に先輩は知らないでしょうと言っているのが分かる。前の時にそう答えているのだからその反応も納得は出来る。だか、正直それに答えるのは面倒でどうでも良いだろうと流す。宮地はそれで良くても緑間からすれば全然良くないということも承知である。どうせ話をしていけば分かることなのだ。
とはいえ、それを分かっているのはやはり宮地だけだ。緑間は不満そうな表情を見せるが、いいから話を聞けと強引に先に進める。先輩にこう言われてしまえば緑間も黙るしかない。
「アイツ、お前になんて言ってた」
「何、と言われても正直困るのですが」
あの日、話をしていた時間はあまり長くない。どんな話をしたのかもしっかりと覚えている。簡潔に纏めるなら、高尾は自分が人間ではなくもうこの世界には居られないという話をしたといったところだろう。けれど、宮地の求めているものが分からない以上。何と答えたら良いのか困るのは事実だ。
そんな緑間を知ってか知らずか。宮地は「なんでも良いんだよ」と答えを促す。どうせ謝るか何かしてないんだから、と続いた筈の言葉は声に出さなかった。高尾和成とはそういう男だと宮地は思っている。本当に馬鹿だよなと内心思いながら。
「このチームでするバスケは楽しかったと言っていました」
返答に迷った末に選んだのはこれ。教えたくないとかではなく、何を言えば良いのか分からなかったから無難な答えを口にした。
それを聞きながら、そういや今年の後輩は似た者同士というかどっちも生意気だったななんてこの場に関係ないことを考える。いや、その後輩の話をしているのだから関係がないとも言い切れないが。どちらも素直じゃないというかなんというべきか。似ていないように見えるのに意外と似ている、そんな二人に振り回されてるよなというところまでいって今更かと思考を放棄した。
似た者同士。きっと当人達は揃って否定をするだろう。でも、第三者からしてみればそう見えるのだ。仲が良いよなと言ったのなら、違った反応を見せてくれるに違いない。そんな後輩二人は、揃いも揃って人に頼ろうとしない。
まぁ、今回はこっちが悪かったと自覚しているからこうして今話をしているのだけれど。
「オレ達と、つーよりはお前とだろ。それも嘘じゃねぇだろうけど。んで、そういうお前はアイツとバスケしたいとか思わねぇの?」
「それは…………」
出来るのならしたい。これからも、少なくとも卒業するまでの時間。同じコートの上に立っていたい。バスケをなしにしても、大切な友人と一緒に居たいと思うのは誰だって同じだろう。
けれど、所詮叶わぬ願い。高尾はもうこの世界に居ないのだ。ここでバスケをしたいと答えたところでどうにもならない。語るだけ空しいだけだ。
「思っていることは全部言え」
「……言ったところで何も変わらないでしょう。意味のないことをするつもりはありません」
「オレが言えって言ってんだから言え。じゃねぇと轢く」
宮地は先輩という立場をフル活用する。こんなの横暴じゃないかといわれようとも関係ない。これくらい言わなければ話さないコイツが悪いということにしておく。理不尽だろうと知ったことではない。
ここで答えなかったとして、本当に轢く訳ではないことくらい知っている。発言は物騒だがそれを実際に行うことはしないのは部員の誰もが知っていることなのだ。まぁ、その発言の多くは実際にやったのなら犯罪者になるようなものばかりだが。
とはいえ、やはり先輩相手。
答えないという選択肢が存在していても、緑間はその答えを口にした。もしかしたら、心のどこかでは誰かに聞いて欲しいと思っていたのかもしれないがそれは本人にも分からない。
「アイツは、高尾は、オレ達の仲間だ。アイツが居なければ秀徳ではないのだよ」
緑間も高尾もまだ一年生。三年の先輩達からすれば経験の浅い子どもだろう。だが、先輩や同期のメンバーと共に練習をこなしながら一つ、また一つと季節が流れた。経験が浅いことに変わりはないけれど、一年生だって立派な秀徳バスケ部の一員だ。
ここまで来る間、何十人もの部員がバスケ部を去った。今ここに残っているメンバーはそれを乗り越えて日々バスケに向き合っている。その仲間が居なくなって何も思わない訳がない。加えて、緑間にとって高尾は同じ一年レギュラーであり相棒でもあった。緑間だけではない。宮地や他のレギュラーだって、高尾が居てこそ今の秀徳であると思っている。
「そういうのは本人に言ってやれよ」
はぁ、と溜め息を一つ吐いてから宮地は言った。仲間だとは前から思っていたのだろうが、緑間はそれを言葉にしない。どちらかといえば高尾を適当にあしらうことが多かったし、高尾も慣れているようで全然気にしていなかった。それでも春に比べれば随分と変わったが、ここまで素直に口にするのは珍しい。高尾が聞いたらどうな反応するだろうなと考えて、普通に五月蝿そうだななんて勝手に想像する。
本人に言ってやれと言ってもそれが無理なのは百も承知だ。別に思ったことはその時に伝えておくべきだったんじゃないのかという話をするつもりもない。緑間の考えが分かれば十分だ。
全く、面倒な後輩を持ったもんだな。
果たしてどちらのことをいっているのか。もしくは両方のことをいっているのか。
高尾が秀徳バスケ部の一員であることは変わらない。勝手に居なくなるなんて何を考えているんだと文句をぶつけたい。アイツは自分自身のことをあまり分かっていないのだ。そのことも分からせてやらないといけないだろう。これからの為にも。
「次会ったら言いたいこと全部言えよ。どうせアイツ、自分のことばっか喋ってたんだろ」
「次と言われても、高尾は――――」
「だから、連れ戻してくるって言ってんだよ」
何を言っているんだ、と思った。連れ戻すとかそういう話ではないだろうと。
だが、宮地の目は真剣だった。ここで冗談を言う意味もない。本当に高尾を連れ戻してくるつもりなのだろうか。
けれどどうやって?
まずどこに居るのかも分からないし、高尾は人間ではないと言っていた。非現実的ではあるが、この世界に居るかすらも分からないというのに。
そういえば、どうして宮地が高尾のことを覚えているのかという疑問がまだ解決していない。話の流れからして、一度レギュラーメンバーに聞いた時に知らないと答えていたのは嘘だったのは明白だ。
なぜ宮地は高尾のことを覚えているのか。これがキーワードであると理解するのに時間は掛からなかった。つまり、宮地は緑間の知らない何かを知っている。
「宮地さんは何を知っているんですか」
細かいことは気にするなとは言わず、後輩のことぐらい知ってて当然だろと答える。結局答えになっていないのですがと顔を顰めた緑間に、先輩に任せておけとだけ言っておいた。
面倒な後輩共が何を考えているのかなんて分からないし分かりたくもないが、相手のことを思い相手の意見を尊重させてやろうとした気持ちを間違いだとはいわない。でも正しいとは思わない。噛み合っていない訳じゃないのにのに擦れ違う。何が悪いとか決まっていないのだから自分の気持ちも大切にして伝えれば良いのに、というより伝えるべきだ。くだらないことを考えている暇があるのなら思っていることを言葉にしておけ。それだけでもっと通じ合える筈だから。
世話の焼ける後輩だが、それでもなんだかんだで可愛い後輩なのだ。桜が咲く前までは宮地も自分がこんなポジションに立つことになるとは思わなかった。
だが、先輩として後輩の手助けくらいはしてやる。それも自分の役目だから。
「明日、朝練が始まる一時間前に体育館に来い。良いな」
「……分かりました」
宮地が何をするつもりなのかは分からないけれど、先輩には先輩の考えがあるということだけは分かった。ただでさえ早い朝練だが、自分達の為に何かをしてくれる先輩に素直に頷いた。
じゃあオレはもう帰るから鍵はちゃんと片付けろよとだけ言って宮地は体育館を出た。扉の向こうではまた黙々とシュート練習を始めているのだろう。
あれだけの武器を持っていて更に努力を重ねる、そんなエースだから部員達も認めているのだ。その隣に騒がしい男が居ないということに違和感を抱くくらいには、あの二人は一緒に居るのが常だった。
(さてと、早いとこ連れ戻しに行くか)
沈み始めた太陽を眺め、暗くなっていく世界にそっと姿を消した。
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