「やっと終わったー!」


 木ノ葉隠れの里の中心となるこの場所で、一つの声が響いた。腕を天井に向かって伸ばし、疲れた体を楽にしている彼の前には、紙の山が見られる。
 そう、此処は木ノ葉を収める火影の執務室だ。



 




 沢山の書類が積み重なっているのを見ながら溜め息を一つ。どうしてここまで書類が溜まってしまうのかと言いたいが、この火影にそれは愚問だ。仕事が終わったと肩の力を抜いた火影の隣に居た青年は、呆れたように口を開く。


「お前がさっさとやらないからだ」

「だって、大変なんだからしょうがねぇじゃん」


 今、目の前にある紙の山はたった今終わらせたばかりの仕事だ。数時間ほど前までは手を付けられてさえいなかったが、早くやれと言われて渋々行動に移して終わらせたもの。もし催促をされていなければ、今もまだ終わっていない状態の紙の山が此処にあったことだろう。
 それなのに、この人物ときたら大変だから仕方ないと言っているのだ。それにはつい呆れてしまうというものだ。自分の仕事なのだから大変でも何でもやるしかないというものではないのか、と言いたくなってしまう。


「それがお前の仕事だろ」


 思ったことの全てではなく、それだけを言う。
 けれど、本人は特に反省をする様子もなく「そうなんだけどさ」と人事のように話しているものだからどうしようもない。これには「里の長がそれでどうするんだ」と溜め息混じりに尋ねた。すると、少し答えに悩みつつもゆっくりと口を開いた。


「あーえっと、それはサスケがいるから大丈夫」


 明らかに他人任せの返事には、もはや何と言うべきか。それすらも分からなくなりそうだとサスケは思う。一体、何をどう考えてそういう答えが出せるのだろうか。


「火影はお前だろ、ナルト」


 サスケは、目の前のナルトにそう言い切った。
 下忍の頃から、自分の夢は火影になることだと話していたナルトは、今となっては木ノ葉隠れの七代目火影になっていた。あれから幾つもの任務をこなし中忍になり、そして上忍へと昇格をした。そして、やっとのことで夢を叶えて今、火影として里を守っているのだ。
 実力は十分あり、火影に相応しいと思われるほどに成長したナルト。けれど、彼はデスワークが苦手な為に日々書類の山と向き合う羽目になっているのだ。効率の良いとはいえない行動に、こうした言い争いは毎日のように行われている。


「サスケはその補佐だろ?」


 この場でサスケがナルトとこんなことを話している理由。それはナルトの言う通り、サスケが七代目火影の補佐であるからだ。
 七代目火影の就任がナルトに決まった時。火影補佐にサスケになって貰いたいとナルトが話したのだ。サスケはナルトと同じく実力のある上忍として、木ノ葉で活躍をしていた。火影補佐としては問題のない忍であり、里の上層部の意見、そしてサスケ本人も了承した為にこうして火影補佐として仕事をしている。
 そうはいっても、補佐はあくまでも補佐である。実際に仕事をするのは火影であるナルトなのだから、こういったことになっているのだ。


「オレはお前の補佐だが、火影はお前だ。大体、人にばかり頼るな」


 火影が補佐を頼ってばかりでどうするのか。それは正論だろうけれど、一方のナルトは「いいじゃん」と改心する気はないらしい。おまけに「でもサスケだからだってばよ?」とまで付け足してくれた。
 ……全く、困った火影様だ。
 そう思いはするが、それはナルトがサスケを認めているからこそでもある。そのことは素直に嬉しいけれど、少しくらいは自分でやる努力も忘れないでもらいたいものだ。


「あー……もう外には星が沢山出てるってばよ」


 ふと、視線を窓の外へ向けた。青空だったはずの景色は、いつの間にか暗く変わっていた。暗い中に里の家の光が所々で見られ、上の方には星がその何倍もの数で光っている。此処で仕事を始めた時はまだ青空が広がっていたはずで、時間は気づかない間に随分と流れていたようだ。


「そういえばさ、覚えてるか?」


 言いながらナルトはサスケの方に向き直る。抽象的な言葉に、何を指しているのか分からずに「何をだ」とサスケは聞き返した。


「オレ達がまだ下忍だった頃。波の国に行った時にした約束のこと」


 あれは下忍になってから間もない頃だった。初めての経験を沢山した、橋作りの名人であるタズナの護衛をする任務。下忍だった二人に様々なことを教えてくれたこの任務は、ナルトやサスケにとって大きな意味を持った任務となった。
 その任務が終わり、里へ帰る前日。コッソリとタズナの家を抜け出して、二人はある約束を交わしていた。海を見ながら、沢山の星達の下で。


「オレが火影になったら――」

「また波の国に連れて行く、か」


 ナルトの声にサスケが続けた。ナルトは「覚えてたんだな」と言ってはいるが、その表情は忘れているとは微塵にも思っていなかったような雰囲気だ。「一応、約束だからな」とサスケが話すと、ナルトはあの時の様子を思い出して小さく笑った。


「お前ってば、あの時はオレが本当に火影になるなんて信じてなかったよな?」


 星から夢を連想して、夢について語ったあの場所。火影になると話すナルトに、精々頑張れとだけ言ったサスケ。今はその夢が叶っているのだが、当時はまるで夢でしかないかのように話していた。勿論、ナルト本人は絶対に叶えるつもりだったけれど。
 本当に夢を実現させたぜ、とでも言うようにナルトはサスケのことを見た。けれど、返って来たのは予想外の言葉だった。


「オレは信じてたぜ?」


 何を、と聞き返すよりも先にサスケが続けた。お前が火影になることを、と。
 それを聞いた途端、ナルトは「え!?」と間の抜けた声を上げた。それから「だって、お前ってばあの時……」と戸惑いながら波の国でのことを思い返す。
 あの時、サスケは全くそんなことを言っていなかったはずだ。ナルトは自分の記憶を頼りに答えを導き出す。それならばどういうことなのか、ナルトは一人でぐるぐる考える。すると、サスケは口の端を上げるように笑みを浮かべながら言った。


「ちゃんと答えを出した覚えはない」


 伝えたのは、頑張れという一言だけ。他には何も言っていないのだ。ナルトは夢を叶えるだろうとも、実現出来ずに終わるのだろうとも。


「何だよそれ」

「お前ならきっと夢を実現させるだろうと信じていた」


 なんとも言い難い発言に文句を付けるが、返ってきた言葉にこれ以上の文句など言えなくなってしまう。逆に、顔は熱を帯びていくばかり。鏡を見なくても、ナルトは自分の顔が赤くなっていることが容易く想像出来て、更に頬を染めた。


「お前は、そういう奴だからな」


 その声は優しくて温かい。ナルトの好きな声。その声に、やっぱり優しいような微笑んだ表情で、真っ直ぐに伝えられる気持ちは、言葉に表現できないほどに嬉しくて。ナルトはなかなか言いたいことを言葉に出来ずに、やっとのことで「ありがとう」の一言だけ声にした。
 恥ずかしさのあまり顔を背けるナルトにサスケは視線を向けたまま。そもそもこの話の元であった話を再び持ち出した。


「それで、波の国に連れて行く約束だったか?」


 疑問系で尋ねれば、遠慮がちに「連れて行ってくれる?」と聞き返してくる。昔は遠慮なんてしなかっただろうけれど、これも成長したということだろうか。根本的には全然変わっていないけれど。
 それでも約束は約束。守ることこそが道理というものだ。そうはいっても、ナルトは里の長。仕事の数だって相当なものだ。それを踏まえて考え、見つけた答えはただ一つ。


「約束だからな。ただし、お前がちゃんと仕事をして休めるようにならないと無理な話だが?」


 その話の意味を理解するまで数秒の時間を要した。それを理解し終えると、ナルトはぱあっと表情を明るくし、凄い勢いで口を開いた。


「本当に!? 約束だってばよ!!」

「仕事をきちんとやれなければ、いつまでも行けないけどな」

「ちゃんとやるってばよ! 絶対すぐに波の国に行ってやる!」


 嬉しそうに話す姿からも、この先の仕事は順調に進みそうかとサスケは予想する。目的があれば、それを目指して真っ直ぐなのは今も変わらない。
 それは、まるであの約束をした時のように。あの頃と同じように。


「期待してるぜ? 火影様」


 今度は、約束を叶えようと努力をするという火影のナルトに。頑張れとは言わないけれど、言わなくてもきっと近い未来に実現されるだろう約束に掛ける言葉。
 勿論。ナルトの返答は決まっている。目の前に叶えるべきものがあるというならば、やることは一つしかないのだから。


「おう! 任せとけってばよ!!」


 必ず近い未来に約束を叶えると、誓う。サスケもまた、ナルトの言葉を信じている。ずっと近くで見ていたからこそ分かる。その約束が実現する時はすぐそこにあるということを。
 二人は笑みを浮かべながら、改めてあの時の約束の言葉をもう一度交わす。静かな火影室で。

 真っ暗な世界に、里の家から沢山の光が溢れている。その内の一つは、この火影室からの光。そこから見える景色は、数え切れないくらいの里の仲間の光。
そして。
 見上げたそこにあるのは、星という光の数々。その星達に、もう一度願いを掛けよう。数年前と同じように、この大きな星の海に一つの約束を。



 波の国に、二人で一緒に行けますように。
 そう遠くない未来に……。










fin