意識が遠のいていく。そんな感覚に失敗したと頭の隅で思う。だが今となっては手遅れだ。結局見つけられないままだったか。それが唯一の心残りだが今更どう足掻こうとオレに出来ることはない。
 そう結論付けて、そのまま意識を手放した。








 重い瞼をゆっくり持ち上げた。そこに広がった光景が予想していたものと違うことを理解すると、オレは慌てて体を起こした。それから周りを見回す。見慣れない家具、ここはどこかの部屋らしい。
 どうしてオレはこんな所にいるんだ。
 その答えを探すべく頭を回転させる。昨晩、オレはあの時、もうダメだと覚悟をした。あの状況で逃れる術をオレは持っていなかった。だから諦めと共に意識を手放してしまった。だがオレは生きていて、どこかの家に連れて来られたらしい。一体誰が、何のために?


「起きたのか?」


 考えを中断させたのはその声だった。声をした方を振り向けば、ドアのすぐ横に一人の男が立っていた。今の言葉から考えればここはこの男の家という訳だが。


「お前、何者だ……?」

「まったくよぉ、人が助けてやったって言うのに第一声はそれか?」


 こちらが質問したのに向こうも疑問で返してくる。少なくともオレを助けたのはこの男らしい。見たところ一般人のようだ。そんな男がなぜオレを助けたのか。オレのことを分かっていて助けたとでもいうのか。
 否、それはない。オレを助けたのであればオレのことは知らないはずだ。知っていれば絶対に助けるなんてことをするはずがないのだから。


「なんで余計なことをした」

「あのな、さっきから初対面だっつーのに失礼だぞ。しかも助けてやって余計なことってな」

「余計なことは余計なことだ。答えろ」


 誰も助けろなんて頼んでいない。なぜ人間はそんな無意味なことをしようとするのか、オレにはさっぱり分からない。オレなんかを助けて何になる。得することなんて何もない。むしろあるのは損。オレと関わって良いことなど一つもない。それなのに余計なことを言わずになんと言うのだ。
 暫くの間沈黙が続く。男の瞳が少し細められてこちらを見た。睨んだという方が近いかもしれないがどうでも良いだろう。


「生憎、困っている奴を放っては置けねぇ性質でね」


 そうとだけ答えられ人間のお人好しさに呆れる。これはオレには理解の出来ない範囲だ。なぜ他人を構うのか。何の繋がりもない他人を助けて、何になるというのか。自分のことは自分でやっていくしかない。自分自身で道を開いていくしか、生きていく道はないというのに。


「……そうか。世話になったな」


 人との馴れ合い。そんなものは必要ない。助けられたというのならまた自分で歩いていくだけのことだ。礼を言うべきかは迷ったが、相手は一応好意でやったことらしいから礼儀はきちんとしておく。
 出て行こうと立ち上がったオレに男は「待てよ」と言って腕を掴んだ。まだ何か用があるとでも言うのだろうか。


「何だ」

「これからどうするんだ?」


 そんなことを聞いてどうするつもりなんだ。コイツの意図は分からないが思った通りの言葉を返す。


「お前には関係ないだろ」

「さっき、オレはお前の質問に答えた。だから、お前も答えたって良いんじゃねぇのか?」


 そう言われて口篭る。そう言われてしまえば、それは正論でもある。オレも先程質問をしたのだから同じようにコイツの問いの一つには答えてやるべきかもしれない。だからといってどうするも何もないのだが。何も言わなければ納得しないだろうと思い、諦めて適当に言葉を紡ぐ。


「別に。帰って今まで通り、普通にやっていくだけだ」


 それらしい言葉を選んで並べる。一般的な答えだろう。
 だが、漆黒の瞳はずっとこちらを見て外れない。どこにも疑う要素などないはずだ。それなのに、コイツは何を思っている。人間の黒色がオレの何を疑問に思うというのか。


「嘘を吐くな」

「何を根拠に嘘だと言うんだ?」


 どうせ根拠などないのだろう? 所詮はそんなものだ。なんとなくそんな気がする、とか曖昧なことばかり。はっきりとした理由もなしにオレの言葉を嘘だと言える訳がない。
 答えは予想通り。なんとなくだけど、と返される。そんな風に言う意味がどこにあるのか。放って置けばいいというのに、面倒な生き物だと改めて思う。


「それなら嘘だとは言い切れない。だから、オレは行く」

「だったら、本当だって言える根拠はあるのかよ」

「それを証明出来るものもなければ、嘘とも本当とも分からない。ならば、本人の言葉が正しいに決まっているだろう」

「それこそ、ここから出て行くための口実じゃねぇのか?」


 ああ言えばこう言う。正にそんなやり取りだ。何を理由にコイツはオレを引き止めようとする。何も知らない奴がオレのことに口出しをする必要はない。


「とにかく、お前にとやかく言われる筋合いはない」


 これで話に終止符を打つ。これ以上ここにいても無駄に長い話が続くだけだ。そう結論付けて足を踏み出そうとした時。隣から「あるって言ったら?」と、小声で呟かれた。
 コイツ、何が言いたい? どういう意味だ、と思ったことをそのまま口にする。


「そんな睨むなって。とりあえず、行く当てがないなら家にいろよ」


 結局、その意味は分からない。何かが本当にあるのかもしれないし、ただ言葉だけなのかもしれない。オレのことを知らないような人間が前者であるとは考え難いが。


「寝床は確保出来るし、問題はねぇだろ?」


 問題はないと、これもまた何を根拠に言っているのか。せめて根拠がある上で話をして貰いたい。
 そう思うが最早考えるだけ無駄だろう。このまま話をしたところでこの男に押し切られるであろうことは想像が出来た。あまり腑に落ちないが仕方ない。コイツの言う通り、寝床を借りるということでこの場は納めよう。
 出来ることなら早くにここから出て行きたい。だが、それは今でなくても出来ることだ。


「……分かった」


 了承の返事を出せば、長かった話も漸く終わりを告げた。
 こうして、オレは少しの間。コイツに世話になることになった。