3.
「それは大変だったな。ってか、家に帰ってすぐだったらオレのこと呼べば良かったじゃん」
どうせお前の家の近くに居ただろうし、と昨日の出来事を聞いていた高尾は言う。それも考えなかったわけではないが、お前を呼ぶほどのことでもないと思っただけだと答えておいた。呼び出したらそれで五月蝿そうだと思ったことは心の内に留めて。
怪我するぐらいなら呼んでくれた方が良かったけどとは言わず、別にそれくらい構わないけれどと言いながら噛まれたというその場所を見る。噛まれただけで大した怪我ではないとはいえ、繊細なコントロールを必要とするシューターの彼には大きな怪我だろう。すぐに治るとしてもそういう問題ではない。まあ、実際に呼ばれていたならそんなことで呼んだのかよと笑っただろうけれど。
「けど、猫嫌いな割によく猫絡みのことにあってるよな、真ちゃんって」
「好きでアイツ等と関わっているわけではないのだよ」
むしろ誰が好き好んであんな奴等と関わるか。そんな風に話す緑間にそこまで言うことはないだろうと高尾が宥める。しかし、猫に良い思い出がないどころか悪いことしか起きていない緑間にしてみればそう言いたくなるというもの。
だが、高尾にしてみれば猫を飼っているわけでもないのにそれだけ猫と関わるのもあまりないのではないかと思うのだ。近所で猫を飼っているから見掛けるとかではなく、ここまで猫と何かあるなんてそうあることではない。頻繁に起こっているわけでもなければ、偶然起こったに過ぎないこととはいえ。
「あれかな、真ちゃんは猫嫌いだけど猫は真ちゃんが好きみたいな?」
猫に好かれるタイプだからこうも猫と何かあるんじゃないのかと高尾は言うけれど、それはないと緑間はきっぱり言い切る。猫に好かれているのだとすれば、こんなに迷惑を掛けられたりはしていないはずだ。引っかかれたり噛まれたりしていて好かれているなんて誰でも思えないだろう。
そう説明すれば高尾もそれもそうかと苦笑いを零した。これで好かれているのならどんな愛情表現だというのか。こんな愛情表現など誰も嬉しくない。
「んー……となると、やっぱりただの偶然か」
「それ以外に何がある」
「猫にしてみれば何かあるのかもしれないだろ」
「あってたまるか」
大体、猫だって毎回同じ猫というわけではない。
そんな当たり前のことを言おうとしたところで不意に言葉を止める。そういえば、おは朝の途中で邪魔をしてきた猫も勝手に人の部屋に入っていた猫も。見掛ける猫はいつも黒猫だったなと思い出す。
「どうした?」
何かを言い掛けたまま口を閉じた緑間を色素の薄い瞳が映す。何でもないと言えば不思議そうな目を向けられる。
そんなに気にされるようなことはないのだが、はあと溜め息を吐きながら緑間は諦めて口を開いた。
「大したことではない。いつも見掛けるのは黒猫ばかりだと思っただけだ」
「へぇ、それはまた偶然だな。まあ世の中には黒猫なんて沢山いるだろうけど」
「だから何でもないと言っただろう」
たまたま何かあった時に見る猫が黒猫なだけ。ただそれを今思い出しただけであって深い意味など初めからなかったから言おうとしなかったのだ。
結局言ってしまったが、高尾も言った通りのことを緑間自身も思った。こういう偶然というのも起こり得るものらしい。確率的には限りなく低くともゼロではないのだからおかしなことではないだろう。あまりないことであるのも確かだろうけれど。
「まさかとは思うけど、それ全部同じ猫だったりはしねーよな?」
「猫には詳しくないから分からんが、それは流石にないだろう」
だよな、と高尾も頷く。幾ら猫の種類が分からなくとも全部が同じ猫だったらもう偶然ではないだろう。仮にそうだったとすれば、どう考えてもその猫が緑間の前に現れていると考えるべきだ。
勿論、それも百パーセントではない。猫の気紛れでたまたまそこに居ただけという可能性もないわけではない。だがまず同じ猫という確証もなければその可能性は低いのだからこうして考えるのも無駄だろう。
「やっぱ猫には好かれてたりするんじゃね?」
「……好かれていても困るのだが」
「一回苦手意識しないで触ってみろよ。案外いけるかもしれねーじゃん」
それでまた引っかかれたりしたらどうするのか。その時はその時だなんて無責任にもほどがある。
何なら学校帰りに猫でも探してみるかなどと言われたが、わざわざそんなことをしたいとはとても思わない。やりたいのなら勝手にやれと言ってやれば、それじゃあ意味がないだろと返ってくる。
だが緑間にしてみればそんなことをする必要性を感じないし、猫が嫌いだからといって困ることもないのだから構わない。猫可愛いのにな、とはそれを聞いた高尾の意見である。
「お前は猫が好きなのか」
「好きか嫌いかって言われたら好きだぜ。猫も犬も。動物って可愛いだろ?」
「そこで同意を求めるな」
猫が嫌いと言っているのだからそう問われたところで「はい」とは言わない。好きか嫌いかではなく可愛いかどうかなのだが、まあいいかと最後のひとかけのパンを口に入れた。これまでの緑間の発言からして否定されるのはほぼ間違いない。
「まあ苦手意識を持ちすぎるのもよくないんじゃね? 動物ってそういうのに敏感だろ」
「たまたま会うだけの奴にそれは関係ないだろ」
それはその通りなのだが、そんなに猫に振り回されているなら少しでも苦手意識がなくなれば違ってくるのではないかと思うのだ。苦手なものはそう簡単に克服出来るものではないだろうから難しい話でもあるけれど、苦手だと思わなければ多少は。
――なんて思ってみたが、これまでの話を聞いているととても緑間が猫と分かり合える日が来るとは思えない。言えば分かり合う必要などないときっぱり言われそうなものである。
「なんか猫が幸せでも運んできてくれなかったら、一生真ちゃんの猫嫌いは直らなそうだな」
「……どんな状況なのだよ」
ほら、幸せの青い鳥とかあるじゃん?
そう例に挙げればそれとこれとは全くの別物だろうと突っ込まれた。どちらかといえば、黒猫は不吉だと言われているとも。
そうやって猫の悪いところを探すなよと言えば、お前が言い出したことだろうと返される。どちらかといえば良い方向に関することを言ったはずだったのだが、どうしてこうなったのだろうか。おそらく考えるだけ無駄だろう。
「とにかく、今度会った時は思い切って触ってみるっていうのは?」
「やりたければお前がやれ」
「オレがやっても意味ねーんだけど」
猫が苦手なのは高尾ではなく緑間なのだ。しかしやはり猫と触れ合う気にはなれないようで、次は移動教室なんだからさっさと戻るぞと言われてしまう。これでも色々考えてみたのだが、そんなに苦手なら仕方ないかと高尾も立ち上がる。
「ま、また何かあった時は呼べよ」
「ないことを願っているのだよ」
そんな話をしながら二人は屋上を後にするのだった。
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