4.



 全く、どうして最近はこうもよく出会ってしまうのだろうか。これは偶然というより、コイツがこの辺りにでも住み着いたと考えるべきなのだろうか。以前はこんなに出会うこともなかったのだから、むしろそう考えるのが自然だろう。
 それにしたって、出来るなら会いたくないことに変わりはない。会ってしまったものはどうしようもないが。


(どうしてこういう時にアイツはいないのだよ)


 アイツ、というのは高尾のことだ。いつもなら自主練を終えてから一緒に帰るのだが、今日は用事があるからと練習後に先に帰ったのである。


(いや、アイツがいたらそれはそれで五月蝿かっただけか)


 五月蝿いというより面倒だったというべきかもしれない。いつかの昼休みでのやりとりからして、猫と仲良くなる努力をしてみたらどうだとかそういう話になった可能性は捨てきれない。
 そう考えると、今回は一人で良かったと思うべきだろうか。それはそれで失礼かもしれないが、とりあえず今は目の前のコイツをどうするかだ。


(家の前にいるだけならそのまま通り過ぎれば良い、か)


 冷静に考えてみれば、別に今回は家の中に入ってきたというわけではない。ただ家の前に猫がいるというだけの話だ。こちらが何もしなければおそらく何もしてこないだろう。猫はそんな凶暴な生き物ではないのだから。
 普通に通り過ぎて家に入ってしまえば良いだけ。そう思ったところで、ちらっと猫はこちらを見るなりそのままどこかに歩き始めた。


「……何だったのだよ」


 家の前に居座っていたと思ったらどこかへ行ってしまう。勿論、いなくなってくれるのならそれに越したことはない。だが、それなら初めからそこにいないでくれと思ってしまう。
 とはいえ、いなくなってくれたのだからそれで良しとしよう。早いところ家に入ってしまおうと緑間は足を進めた。

 ――ドサッ。
 しかしその直後。そんな音と同時に黒い影が沈むのが視界の端に映った。


(猫なんて、オレには関係ない)


 そう思いたいけれど、このまま見て見ぬ振りをしてしまって良いのか。そう思っている自分もいる。
 別に猫は好きではないし、嫌いだとはっきり言い切れる。けれど、その猫だって生き物なのだ。これが気付かなかったのなら放っておいたが、気付いてしまったから放っておくのが憚られる。
 もしこのまま見ない振りをして、明日の朝も猫がそこで倒れていたら。そんな考えが頭を過り、たとえ自分に責任がないとしても寝覚めが悪くなるだろう。


「…………」


 玄関の前で暫し悩んだ末に、結局緑間は踵を返した。
 見ない振りをするのは簡単だ。だけど、そのせいで一つの命が失われてしまうのは気分が悪い。好きとか嫌いではなく、猫だって生きているのだから。
 少し様子を見て大丈夫そうならそのまま放っておけば良いんだ。そう思いながらその猫の元へ向かった。



□ □ □



「やっぱりさ、その猫は真ちゃんのことが好きなんじゃねーの?」


 次の日。学校で昨日の出来事を高尾に話すと、そんな風に返された。


「馬鹿を言うな。大体、今までの猫だって全部同じ猫だったとは限らないだろう」

「でも別の猫だったとも言い切れないんだろ?」


 それはそうだが、そう言い切れるだけの根拠がない。全部黒猫だから、なんて根拠というには弱すぎる。
 結局あの後、猫の様子を確かめた緑間はそのまま猫を連れて家に戻った。動物には詳しくなかったのだが、怪我をしていることくらいは見てすぐに分かった。
 命に別状はないのだろうが、怪我をそのままにしておくの良くないだろうと手当てをしてやったというところまでが昨日の話だ。


「まあそれは置いといて、これから飼い主探しってこと?」


 今も猫は緑間の家にいる。大きな怪我ではなかったからすぐに元気になるだろうが、問題はこの猫がどこから来たのかである。飼い猫でも野良でもこのままずっと家に置いておくつもりはないし、猫が嫌いな緑間にそれは難しいことだ。


「あの猫が勝手に出て行ってくれたら話は早いんだが」

「どうだろうな。真ちゃんが好かれてるなら、出て行かないと思うけど」

「オレは猫に好かれるようなことをした覚えはないのだよ」


 それでも猫が好きになる場合はあるだろう。緑間自身に何かをした覚えがなくても、猫にとってもそうかは分からないのだから。
 だが、猫に好かれていたとしても緑間に猫を飼うつもりはない。猫が緑間を好きだろうと、緑間が猫を好きではないのだ。これではどうしようもない。


「この機会に猫嫌いを克服してみたら?」

「……お前に相談したのが間違いだったか」


 言えば真面目に聞くからと言われたが、それはつまり今までは真面目に聞いていなかったということになるのではないだろうか。そう指摘すれば、そういうことじゃないと否定される。一体何だというのか。


「けど、まずはその猫の怪我が治ってからだよな」


 飼い主を探すにしても、その猫が勝手に野良に戻るのだとしても。怪我が治らないうちに無理をさせるのは良くないだろう。
 それは緑間も同意見らしく、短く「ああ」と返された。その様子を見ながら、高尾は「でも意外だな」と呟いた。何が、とは勿論猫のことである。


「あんなに猫嫌いだって言ってた真ちゃんが、猫にそこまでしてやるなんて」

「あのまま死なれても嫌だろう」

「それはそうだけどさ」


 それでも意外だと、高尾は心の中で思う。嫌いならそのまま見捨てても良かったのにと思うわけではないが、手当をしてやってその後もちゃんと面倒を見てやるなんてと。
 だけど、手当をしたらそこで終わりにするような奴ではないかと思い直す。好きとか嫌いとか、そういう理屈ではない。そのお蔭で現に彼のもとにいるという猫は助かっている。


(そういうもの、か)


 分からなくはない。ただ頭で理解していてもそれを実際に出来るかといえば、別の話であるということも多いだろう。それが出来る緑間は凄いというか。


「高尾?」

「え? あ、ごめん。聞いてなかった」


 名前を呼ばれて初めて考え事に没頭していたことに気が付く。素直に謝れば、溜め息で返されたが聞いていなかった自分が悪いのだから仕方がない。
 ごめんと謝りながらもう一度聞けば、日直なんだから職員室に行かなくて良いのかと呆れたように言われた。そういえば、次の授業の担当に日直は職員室にノートを取りに来るようにと言われていた気がする。


「やべ、まだ平気だよな?」

「さっさと行って来い」


 まだ昼休みの時間は残っている。だが忘れないうちに早いところ行ってきた方が良いのは間違いない。
 ちょっと行ってくると言って高尾は教室を後にした。そのまま職員室に向かう――つもりだったが、ふと気になったことが出来て空き教室に立ち寄る。


(……大丈夫、か)


 そっと胸に当てた手を下ろし、視線を窓の外へと向ける。ここから見えるのなんて校庭と広い空ぐらいなものだが、その空はどこまでも繋がっている。


(帰ったらちょっと調べてみるか)


 今頃どこで何をやっているのか。
 そんなことを思いながら、空き教室を出て職員室へと向かう。次の授業が始まるまであと十数分。