5.



 怪我をしていた猫を助けて一週間ほど経っただろうか。
 今では怪我もすっかり治り、元気に動き回れるようになった。そのまま出て行ってくれないかとも思ったのだが、どうもそういった気配は見受けられない。
 やはり飼い主を探すなりしなければいけないだろう。そう思う反面で、最初こそ手当以外で近付くことを避けていた緑間は、以前と違って猫にも触れられるようになっていた。それでも自ら触れようとはしないけれど、ただ近くにやってくるソイツを不思議と遠ざけようとする気は起きなくなった。


「だが、いつまでもこのままでも困るのだよ」


 そう話す相棒に「でも仲良くなれて良かったじゃん」と言えば、別に仲良くなってはいないと返された。
 だけど、あんなに猫嫌いだったはずの緑間がそこまで猫と近付いたというのなら大きな進歩だろう。仲良くなったという表現も的外れではないだろうし、世話をするのに険悪よりはその方がよっぽど良いだろう。


「そのまま飼うっていうのは?」

「なしだ」

「せっかく仲良くなったのに?」

「それとこれとは関係ないだろう」


 それに仲良くなったわけではない、と繰り返された。けれど仲が悪いという風には聞こえないし、引っかかれたりとかそういうことがないのはこれまでの話で分かる。
 試しに今でも猫は嫌いなのかと尋ねてみると、好きではないと返ってきたからそこに変わりはないようだ。どうやらその猫には慣れただけで、猫自体はやはり好きとは言えないらしい。


「飼い主探しっていったら、よくあるのはポスターとかだよな」


 話を戻して、時々見掛ける迷子ペットのポスターを思い浮かべる。迷子だけではなく、沢山産まれた子猫や子犬などの親を探しているものもあるだろうか。
 とにかく、そういったものはポスターやチラシなどで多くの人に見てもらうようにするものだろう。飼い主にしろ引き取り手にしろ、探すのならそういった手段が無難なところだと思われる。


「ポスターか」

「とりあえずその猫の写真撮って、あとは適当に……」


 適当とは具体的にどんなことだ、と言われても高尾だって犬や猫のポスターを作ったことがあるわけではない。猫の特徴や連絡先が書いてあるような、どこかで見たことのあるようなものを作れば良いんじゃないかと言っているだけである。
 そこは真ちゃんが適当に工夫してと話せば、お前も手伝えと言われる始末だ。こういう話を振られた時から、なんとなくこの展開は予想していたけれど。


「オレだって作ったことないから分からないんだけど」

「オレも作ったことがないから言っている」


 ここで何と言おうが最終的に辿り着くところは同じなのだろう。はあ、と溜め息を吐きながらも「じゃあ今度真ちゃんちに行った時な」と答えておいた。ポスターをどうやって作るにしろ、まずその猫が分からなければどうしようもない。
 緑間が分かったと頷いたことでこの話は終わり。ところでさ、と次の授業の話を持ち出せば早々に宿題は貸さないと言われてしまった。


「飼い主探し手伝うんだし、ちょっとくらい貸してくれたって良いじゃん」

「この前も見せてやっただろう。毎回人を頼るな。大体、宿題を出されたその日に片付ければ良いだけの話だろう」

「部活終わって帰ると宿題のこととか忘れちまうんだよな……」


 それなら出された日の昼休みにでも片付けろと言われる。
 緑間の言い分はもっともだ。だが、高尾だって好きで忘れているわけではない。忘れているのなら同じことだと目の前の男には言われそうだけれど。


「次は忘れないから、今回だけ!」

「……その台詞を聞くのも何度目かになるんだが」


 お願いだと頼み込んで、溜め息の後に緑間はノートを貸してくれた。次はないからな、と言われたから次がないように気を付けよう。とりあえず今日出された宿題は家に帰ってからさっさと終わらせてしまおうと高尾は心に決めた。



□ □ □



 一日の授業が終わって放課後。
 いつもなら真っ直ぐ体育館に向かって部活に励むところだが、今日は体育館の点検があるという理由でオフになった。こうして時間が出来たことにより、高尾はこのまま緑間の家に行くことになる。例の猫の飼い主を探す為だ。


「飼い主探しか。真ちゃんには懐いてるんだよな」

「……懐かれてもオレは困る」


 だから飼い主探しをするわけだが、これから見ることになるとはいえどんな猫なのかは気になる。見た目は黒猫だと聞いているが、それ以外の猫の特徴は聞いたことがなかった。緑間の家に着くまでの間、高尾はそれらを緑間に尋ねた。
 そうして話をしながら緑間の家までやってくると、二人はそのまま緑間の部屋に上がった。猫は彼の部屋に居るらしい。別にそこから出るなとは言っていないのだが、猫の方がそこで大人しくしているのだ。


「それって、かなり好かれてると思うんだけど」


 話を聞いた高尾がそんな風に言えば、怪我をしているからあまり動き回らないだけだろうと緑間は答えた。今はその怪我も治っているのだから関係ないんじゃないか、とは思ったが突っ込まなかった。
 ガチャ、とドアを開ければ部屋の端の方に黒猫が丸くなっていた。それを見た高尾は目を見張り、それから緑間を振り返って問う。


「あれが、真ちゃんの言ってた猫……?」

「そうだが」


 どうかしたのか、と聞くよりも前に猫がこちらに気付いたらしい。ここに来てからずっと大人しかったその猫だが、二人を視界に捉えるなり立ち上がってすぐさま緑間の後ろに移動した。


「お、おい」


 猫の扱いに慣れていない緑間はその行為に戸惑うが、猫の方はどうやら隠れたいらしい。
 この猫との付き合いは短いが、人見知りをするようなタイプではないと思っていたからこの行動は意外だった。人見知りをするなら、緑間が手当てをしてやろうとした時だってそれなりに反応を見せたはずだ。だが、現に今は高尾から隠れようとしている。


「……そういうことか」


 その様子を見ていた高尾はぽつり、そう呟いた。
 緑間にもその声は届いていたようで「高尾?」と彼の名を呼んだ。猫は相変わらず緑間の後ろにいる。どういう状況なのか飲み込めていない緑間に対し、高尾の方は漸く状況を理解した。


「これも何かの因果かな」


 言いながら腰を下ろし、猫を呼んでみるがやはり駄目らしい。嫌われたものだなと自嘲するように笑うと、再び立ち上がって翡翠を見る。


「悪い、真ちゃん。迷惑掛けてたみたいで」

「お前の猫、だったのか……?」

「いや、オレの猫ってわけでもないんだけど」


 何て説明すれば良いのかなと考えるが、上手い説明が出てこない。この猫は高尾が飼っているわけではないのだが、この猫が迷惑を掛けたのであればそれは高尾に責任がある。高尾にはそれだけこの猫と密接な関係があるのだが。


(まさかこんなことになるとは思わなかったな)


 緑間が猫を嫌いなように、高尾にも嫌いなものがあった。その嫌いなものというのが、この猫に関係しているのである。
 どうしてこうなったんだろうなと、思い返すのは今より半年と少し前の出来事。