6.



「……どうしても、行かなくちゃダメなんですか」


 そう口にした高尾に、目の前のその人は「当たり前だろ」と即答した。そう言う決まりなのだからと。これが決まり事である以上、それはどうやったって避けられない。


「大体、何の為にオレがわざわざここまで来てやったと思ってるんだよ」

「それは、そうなんですけど」


 何の為かといえば、高尾の為である。それは高尾自身も分かっているのだが、それでも気が進まない。決まり事なんだから割り切れと言われても、心というのはそう単純なものでもない。避けようがないのだから、どうにか整理を付けるしかないことも分かってはいる。
 そんな高尾の様子にはあ、とその人は溜め息を零した。高尾がこういう反応をする理由も知っているけれど、他の選択肢がないのだから決心してもらうほかないのだ。


「世の中、そういう奴ばかりじゃねぇぞ」

「それも、分かってはいます」

「お前なら、なんだかんだで上手くやれると思うけど」


 とはいったものの、そういう問題ではないのだろう。実際、今のまま決まりだからと強引に連れて行っても彼の性格なら上手くやっていけそうではあるが、心の内は穏やかでないだろう。そうやって生活を続けたところで、余計に嫌になるだけだ。そんなことはないと言いたいのに、それでは本末転倒である。


「……いっそのこと、それを切り離してみたらどうだ?」


 思わず「え?」と聞き返してしまった。それを切り離すとはどういう意味なのか。
 目でそう訴えれば、その人は「そのまんまの意味だ」と答えた。そのまま、嫌いだという感情を自分から切り離してしまえば良いのではないかと。


「それって、根本的な解決にはなってないですよね?」

「こうでもしないとお前が頷きそうにないからだろうが」


 根本的な解決が出来るというのならそれで良い。むしろその方が良いに決まっている。それが出来そうにないから、些か強引な方法ではあるがこういうのはどうかと提案してみただけである。


「どうせ向こうに行くのは一時的なモンだろ。その間だけ切り離すことくらい、お前には簡単なことだろ」


 難しいとはいわないが、それは簡単とも言い難いと思う。だが、出来ないことはないからあえて否定はしなかった。やろうと思えば今ここでも出来ることだ。
 でも、本当にそれで良いのか。そう思う気持ちもあったが、どの道自分が行くことは決定事項だ。そこで上手くやっていく為には、それくらいのことをするのは有りだろうか。その方が双方にとっても都合が良いのかもしれない。


「それに、いざ行ってみたらそうでもないかもしれねぇんだ。そうだったらさっさと元に戻せば良い」


 何も向こうに行っている間、ずっと切り離しておく必要もない。逆にいえば、ずっと切り離しておくことも出来る。高尾が受け入れられなかったのなら、期限までそのまま過ごしたって良いのだ。そこは高尾自身の判断で動けば良い。


「……そうですね」


 それを捨てるわけでも消すわけでもない。一時的に切り離して解決するのなら、それでも良いかと思った。何より、自分の為にここまで来てくれたこの人に迷惑を掛け過ぎるのも悪い。
 小さく詠唱を紡ぎ、ふわりとシャボン玉のようなものが浮かぶ。それはゆっくりと形を変えていき、全てを唱え終えた時には小さな体が高尾の腕の中に収まっていた。


「また意外なモンにしたな……」

「可愛いでしょ?」


 高尾がそう言った後に、腕の中の猫も小さく鳴いた。どうして猫なのか、というところに深い理由はない。ただ生き物の方が安定させやすいというだけだ。そこで思い浮かんだのが猫だったというだけの話である。


「まあいいけど。それじゃあ行くぞ」


 はい、と頷いて漸く出発する。何かあったら言えよ、と気に掛けてくれるこの人はなんだかんだで面倒見が良い。自分を見てくれるのがこの人で良かったと思う。
 そうして高尾は生まれ育った地を離れた。自分を見てくれるその人と、小さな猫と一緒に。



□ □ □



「真ちゃん、ソイツちょっと貸してくれる?」


 ソイツとは猫のことを指しているが、肝心の猫が緑間の後ろから出て行こうとしないのだ。貸せと言われてもと、緑間も猫に視線を落とすだけでどうしたら良いのか困っている。
 それに高尾も困ったように笑いながら「しょうがねぇか」と言って、そのまま何かを唱え始めた。高尾が何かを唱え始めたのと同時に、猫の体が淡い光に包まれる。

 そして、高尾が何かを言い終わった時。そこに黒猫の姿はなかった。


「高尾、何をした……?」

「大したことじゃねーよ? ただ、その猫は本物の猫じゃなかっただけ」


 っていうのもちょっと違うんだけど、と高尾は言葉に迷う。
 あの猫は確かに生きていたのだ。それを本物でなかったというのは違うかと言ってから思い直した。でも、普通の動物と違っていたのは事実だ。だからこの部屋からその猫は姿を消した。


「あー……どっから説明すれば良いのか分からねぇんだけど、オレがこの世界の人間じゃないって言ったら、信じる?」


 信じるか信じないかと言われたら、突然そんなことを言われて信じろという方が無理だろう。何を根拠に信じれば良いんだという話である。まず何を言っているんだと思うし、この世界の人間でないなら何なんだと疑問が生まれる。
 普通ならそうなるのだろうが、根拠と呼べるものは今目の前で見せられたばかりだ。逆にあの現象を説明するなら、この世界の人間ではないと言われた方が納得出来るかもしれない。勿論、疑問は当然あるが。


「信じさせる為に、何かをしたんだろう」

「まあな」


 話が早くて助かる。言葉で言っても信じてもらえないと思ったから、手っ取り早く行動で示したのだ。百聞は一見にしかず、という言葉もある。非現実的なことをいきなり言われても信じられる人なんていない。


「一応説明すると、アイツはもともとオレの一部だったんだよ」


 それをオレが切り離して、猫という生き物にしていた。その一部というのも体の一部という意味ではなく、高尾の中にある感情の一部を切り取って別の形にしていた。
 それをどうやっているのかを説明するのは難しいというより、説明しても緑間には理解出来ないことだ。緑間に限らず、普通の人間にはまず分からない。そういうものだから原理については説明しない。しても意味がない。


「結局、お前は何者だ」


 普通の人間でないことは分かった。だが肝心のその部分がまだ分からないままだ。
 そう尋ねると、高尾は少し考えるようにしてから真っ直ぐに翡翠を見て答えた。


「簡単にいえば魔法使い、かな」