4.
十一月に入り、いつものように誕生日前に連絡を取り合って当日の約束を取り付けた。数ヶ月振りに再会した二人だったが、前回に会った時のことなど何もなかったかのように普通に会って誕生日を祝いながら近況報告をした。卒論に苦労しているとか内定がなかなか取れないとか。杯を交わしていつもと変わらぬやり取りをして数時間後にはさよなら。なんてことのない友人との食事だ。
七月から十一月までがあまり離れていない分、そこから七月までの時間は長い。年賀状だけは礼儀的に出しているもののそれ以外の連絡は一切しないから相手が無事に卒業出来たのかさえ分からないまま夏に会う。緑間は勿論、高尾とて成績は良かったからその心配は不要で、夏にもう一年大学生をやっているなんて報告は聞かないと思っていた。このご時世だから内定がもらえなくて就活中という可能性はあるかもしれないけれど、いつものように夏になってから連絡を取り合うものだとばかり思っていた。
だから、ディスプレイに表示された名前を見た時には驚いた。滅多にどころか年に一度しか連絡をしてこないような相手だ。それ以前だって殆ど向こうから電話などしてこなかった奴だったから。
かといってその着信を取らない理由もなく、何コール目かの呼び出しで高尾は通話ボタンを押した。
「真ちゃんが連絡してくるなんて珍しいね。どったの?」
『高尾、卒業は出来たのか?』
「そりゃあ勿論。真ちゃんも卒業した?」
『ああ』
やはり心配無用だったらしい。どちらも無事に卒業し、春からは社会人である。おめでとうと言い合って、それで通話が終わりということもないだろう。それだけならメールで事足りる。とはいえ、メールも電話も含めて大学に入ってからは年に一度の連絡しかしていなかったけれど。
一体何の用事があってこんな時期に連絡をしてきたのか。気になって待ってはみたものの次の言葉がなかなか出てこない。けれど何かがあるのは間違いないから「他にもなんか用あんの?」と話を促す。このままではただ通話料金が嵩むだけだ。それは特に気にしないが無言のまま時間が過ぎて行くのも辛いものがある。何もないなら切るけど、と告げようとしたところで受話器の向こう側から小さな声が聞こえてきた。
『…………ずっと、考えていたのだよ』
「真ちゃん?」
考えていたって何が? そう疑問に思ったが聞くより先に緑間は続けた。オレはどうすれば良いのか、どうしたいのか。それを考えていたのだと。
呟きにも取れるようなそれが意味することは何なのだろうか。卒業の話がついでであることは分かっていたから、こちらが電話をしてきた目的だろう。お互いに大学を卒業したこのタイミングで連絡をしたことにも意味はあるのだろうか。
「本当にどうしたの、急に。何かあった?」
先の言葉を予想することも出来ず、とりあえず疑問形で尋ねてみることにした。自分達にとっての悩み事といえば、無事に卒業も出来た今となっては就活のことぐらいか。
もしかして就活が上手くいかないとかそういう話か、と考えてみたけれど高尾は自分でその可能性を消す。おそらくそれはないだろうと。仮に就活が難航しているとしてもその程度のことで緑間が自分を頼る訳がない。その程度といってしまうのもあれかもしれないが、高校時代でさえ緑間から連絡が来ることは殆どなかったのだ。あの時以上に互いに連絡を取ること自体が減った今、そのような理由でとは考え難い。
『高尾』
聞き慣れた低音が名前を呼ぶ。真剣な声が受話器を通して聞こえてくる。一呼吸ほどの間を置いて、それから緑間ははっきりと告げた。
『オレは今でもお前が好きだ。お前は友達という関係のままでいたいのかもしれない。だが、やはり本当の気持ちも伝えずに終わらせたくはない』
終わったのだと彼は言った。自分達は友達でかつての相棒で、それで良いと言った。そうあるべきなんだと。だからこの関係を終わりにしよう。
なぜか言った本人が苦しそうにしながら話していたのだ。あの時も、あの時も。理由なんて考えるまでもない。それが彼の本心ではないから。いや、それも本心ではあるのだろうが自分の本当の気持ちとはイコールでなかったのだろう。
それが分かっていたからこそ緑間は別れの言葉も友達でいることも聞き入れた。でも本当にそれで良いのかは疑問だった。どうすることが正解だったのか、自分達の本心を押し殺してまで世間の目を気にしなければならないのか。あれから四年間、色々なことを考えた。そして今日、答えを出した。
『この四年間で必要最低限の物は揃えた。勿論、お前が嫌だというのならそれで良い。けれどもし、お前がオレと同じ気持ちでいてくれるのなら』
別れようと言われて別れた。高尾の言いたいことはよく分かっていたから。緑間自身もそのことについては何度も考えた。ただ、出した答えは正反対だった。双方の意見が食い違ったまま関係を続けることは出来なかった。だけど、諦めることも出来なかった。かといって気持ちを押し付けるようなこともしたくなかった。
そしてこの四年間、結局何も変わらなかったのだ。去年の自分の誕生日に言ったことは全て本心だったが伝わることはなかった。だが、あの時は酒の席ということもあった。だからこそ、あの時の言葉を実行に移した。酒のせいだと信じられないというのなら。
緑間は一度言葉を区切り、それから告げる。
もし、お前がオレと同じ気持ちでいてくれるのならば。
『オレと一緒に来て欲しい』
無理にとは言わない。たとえお前がオレのことを好きでいてくれたとしても嫌なら構わない。友達のままの関係をこれからも続けていこう。ただの友達でいられる自信はあまりないけれど、お前がどうしてもそれを選ぶというのならこれ以上は何も言わない。
けれど四年間、碌に連絡も取らず離れていてもこの気持ちは変わらなかった。自分の隣には高尾が居る、そんな未来しか想像出来なかった。世間から冷たい目を向けられようと、一般的な幸せを手にすることが出来なくとも。高尾と一緒に居たい、二人で一緒に居られる未来を選びたい。それが、緑間の出した答えだった。
電話越しに伝えられたそれら言葉は、緑間がこの四年もの間で溜めてきた想い。その中のほんの一部なんだろう。
何せ四年だ。会ったのは八回、連絡をしたのも同じだけ。連絡をすれば会いたくなってしまう。会ってしまえば別れたくなくなる。また一緒に居たいと望んでしまうからと自然に出来上がった形。
男同士での恋愛なんて気持ち悪がられるだけで誰にも言えなかったけれど、その気持ちは勘違いでも何でもなく本気だった。誰かがこの話を聞けば冗談だろと笑うかもしれないが、二人は間違いなく本気で恋をして愛し合っていた。
「……真ちゃん、本気で言ってんの?」
本気に決まっている。分かっているのにそうとしか言えなかった。案の定、緑間は本気だとはっきり言ってくれた。これだけ真っ直ぐにぶつけられて分からないほど鈍くはない。
でも、他に何が言えるのか。最初に逃げたのは自分で、それを知った上で緑間は全部受け入れてくれた。ただの友達に戻ることも何もかも。嘘を吐いて気持ちを隠して、けれど隠しきれなくて。それでも友達でいることを突き通そうと偽りばかりを並べた。今更、何を言えるというのか。
『困らせたい訳ではない。だが、お前が望むからと全部お前のせいにしたくはなかった』
「そんなこと……!」
『それに、言わないで後悔するくらいなら伝えた方が良いと思ったのだよ』
後で悔やんでもどうしようもない。数年後、やっぱりあの時と思ってからでは遅いかもしれない。そうなるくらいなら玉砕覚悟でも今伝えておくべきだと思ったのだ。そして伝えるとしたら大学を卒業した今しかないと思った。新生活が始まる前、まだ道を変えられるこの時しかないと。
『答えは要らないが、お前がもしオレを選んでくれるのなら。明日ある場所に来てほしい』
「ある場所?」
『ああ、後でメールを送る。用はそれだけだ。いきなり連絡をして悪かったな』
別に連絡は年に一回しかしてはいけないなんて決まりは初めからない。お互いに一回ずつしか連絡をしていなかっただけだ。だからそんなことは気にすることはないのだけれど、そうしたのは他ならぬ高尾自身だ。
「いや、それは全然良いけど。真ちゃん、オレは…………」
『もう連絡はしない。すまなかった』
おやすみ、と最後にそれだけ言って電話は切れた。耳に当てた携帯からはツーツーと機械音だけが聞こえていた。
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