5.
こちらが何か言うよりも先に電話を切られてしまい、片手に持ったままとなった携帯電話のディスプレイを眺める。切る直前にちょっと待てよと止めようとしたが間に合わなかった。
電話を切る前、緑間はもう連絡をしないと言っていた。それはどういう意味だったのか。もう二度と連絡をするつもりはないという意味なのか、それとも年に一回だけの連絡以外は無暗に連絡をしないという意味だったのか。どちらにしてもそう言わせてしまう原因はこちらにある。
「……繋がらねーか」
駄目元で折り返してみたけれどやはり繋がらない。繋がったとしても何を話せば良いのかも分からないが、こちらが言うよりも先に切られたからまともに話も出来なかった。
こうなったのも自分のせいかと思うと溜め息が零れる。後悔をしてからでは遅いとはその通りだなと今さっきの会話を思い出しながら電話を諦めて携帯を放り出した。その携帯がメールの着信音を鳴らしたのはそれから間もなくのことだった。
(そういやメールするって言ってたな)
ということは携帯の前に居ながら電話に出なかったということになるのだが、一先ずそのことは置いておくとしよう。ある場所に来て欲しいと言っていたが、一体どこに行けというのか。
「…………なんだよ、これ」
件名はなし。本文には場所と時間だけが書かれていた。礼儀的な挨拶も何もなし。本当に用件のみだ。部活の業務連絡でさえもう少しマシなメールを送っていた。
これは本当にさっきの電話が最後になるのかもしれない。連絡を取ろうと思えば取れる、なんて連絡する手段があるからこそいえることだ。携帯番号やメールアドレスぐらい簡単に変更出来るご時世だ。最後にしようと思えば容易に最後に出来る。緑間の言う最後がどういった意味合いなのかは分からないままだからそうと決まった訳でもないけれども。
「友達でも、友達ではいられるのか」
自分で言っておきながら友達って何だろうという疑問が湧いてくる。一緒に遊んだりするような親しい人、だなんて辞書には載っていたけれど。今の自分達を当て嵌めるならこれで間違ってはいないだろう。
だけど、本当はただの友達以上の感情を持っている。緑間が友達という関係でいてくれるというのなら自分達の関係はこれからも友達のままだろう。どの程度の友達かは分からないが友達ではいられる。それを望んでいたはずなのに、画面に表示されている文字を見ながら高尾は携帯を強く握った。
「どこに行くつもりだよ、アイツ」
そしてどこに行って欲しいというのか。本文に示された場所は空港。これだけでは行き先はさっぱり分からない。国内空港だから海外まで行くつもりはなさそうだが北海道から沖縄、日本列島だってそれなりの広さだ。会えない距離ではないにしても国内のどこに居るかも分からない相手と偶然出会う可能性なんて限りなく低い。このまま別れて自力で日本中を探すなんてまず無理だろう。
一緒に居ることを選ぶか、二度と会わないことを選ぶか。
最後という言葉の真意は分からないが、気軽に会える距離でなくなるのは確かだ。気軽に会える距離に居ようと会おうとしなかったのだから、その点は考えなくて良いのかもしれないが。
どうするべきなのか、どうしたいのか。
緑間もそれを考えていたのだと言っていた。その選択を今度はこちらが迫られている。自分がどうしたいかは分かっている。どうするべきかも分かっている。その上でどちらを選択してきたのかは緑間も知っての通りだ。
「一緒に、か」
昔はただひたすら勝つことだけを目指して一緒に頑張っていた。テストが近くなれば勉強を教えて欲しいと頼み、その度に嫌そうにされながらもなんだかんだで付き合ってくれて。たまには遊びに行こうと誘った時も同じような反応だったか。ああでも、付き合うようになってからは少し変わったかもしれない。
今は不幸なのかと問われれば、そんなことはないと答えるだろう。大学生活はそれなりに充実した日々を送っていた。それは嘘ではない。多少の物足りなさを感じてはいたけれど楽しかった。高校生だった頃は練習がキツくて苦しいこともあったけれど毎日が本当に楽しくて、というのは思い出補正もあるのかもしれない。けど、それは隣にアイツが居たからであったことははっきりしている。
「どうすれば良いんだろう……」
答えはとっくに出したはずだった。けれど今、高尾は迷っていた。ごろんとベッドに寝転がりながらそっと目を瞑る。
おそらく、これが自分達にとっての最後の分岐点になるだろう。ここでの選択がこの先の未来に繋がって行く。二つの選択肢があって、今まではお互いが別の選択肢を選ぼうとしていた。友達でいることを選んだ自分に彼は合わせてくれただけ。本当はずっと、もう一つの選択肢を選びたかったのかもしれない。彼は今、その選択肢を選ぼうとしている。自分の気持ちに正直に、後悔しないように。
『もし、お前がオレと同じ気持ちでいてくれるのなら』
(ずっと、好きでいてくれたんだよな)
同じ気持ちでいてくれるのなら、同じ気持ちに決まっている。女性と長続きしないのも全部緑間の言った通りなのだ。自分で別れようと言っておきながら割り切れていない。そもそも忘れる気がなかった。忘れられるとも思っていなかった。緑間が普通の幸せを手に入れられるのなら、自分はこの気持ちを抱えたまま一人で生きていくことになっても良いと思っていた。
酷い奴だよなと改めて自分の行動を振り返りながら思う。だけど彼は未だに自分を好きでいてくれて、こちらの気持ちを考えてくれて。もう一つの道を示してくれた。
(なんでアイツは)
違う。そうじゃない。気付かない振りはもう終わりにしなければならない。ちゃんと、しっかり向き合わなければいけないんだ。
向こうはこちらの気持ちにも気付いている。どちらの選択をしたって彼は何も言わないだろう。高校時代はアイツの我儘に何度付き合わされたか分からないけれど、たちの悪さはこちらの方が上だ。我儘、ではないけれど似たようなものだ。この四年間、よく普通の友達として付き合ってこれたななんて、言わないけれど両者が思っているだろう。
(オレが思ったままに選べば良いだけだ。でもきっと、選んで欲しいと思ってるんだろう)
駄目だ、こんな考え方では。これでは緑間が言ったからになってしまう。それは卑怯だろう。自分で考えて選ばなければならないんだ。
と、そう思っても考えはなかなか纏まってくれない。いや、分かっているんだ。答えなんて本当は最初から一つしかなかったのだと。だって、その答えから逃げたから今。
「ああ、そっか」
アイツは、緑間は、いつだって真っ直ぐで強い人間だった。緑間が居てくれたからいつでも前を見て進むことが出来た。
誰にだって悩みの一つや二つくらいあるだろう。バスケは好きだけれどもうやりたくないと話した友人がいた。辛くて苦しくて、やめたくなったことがないとはいわない。でも本気でやめようとは思わなかったし、努力をすれば結果に繋がると信じていた。周りの視線なんて気にすることはない。そう思ったのは、そう話したのは。
「羽田空港、多分最終便だな。つーか、来てくれとしか言われてなくね?」
せめて何が必要かくらい電話で言えとはいわないけれど、メールの文末に書き加えることは出来なかったのか。それだけいっぱいいっぱいだったのか、必要最低限の連絡がないなんて珍しい。うっかりそれを書き忘れて部活の連絡をした時に注意をしたのは誰だったのか。
思わず笑みが零れる。人のことを馬鹿だと言うけれどそっちも大概だ、なんて言ったら間違いなく否定されるだろう。でも馬鹿なんだろう。緑間も、高尾も。
「ま、適当に必要そうなモンでも詰めれば良いか」
言いながらゆっくりと体を起こす。そのままベッドから降りると、机の上に飾ってある写真が目に入ってそちらに手を伸ばした。今より七年前、高校生だった頃の写真。その中で自分達は笑っている。当たり前のように隣同士に並んで、三年の先輩達と一緒に映っているこれは高一のウィンターカップ。
準決勝では洛山に負けたけれど三位決定戦では海常を相手に見事勝利を収めた。優勝は出来なかったけれどこのチームで三位という結果を残せて嬉しかった。勿論、優勝は高校三年間の内にしっかり取ってきた。あの時は本当に嬉しくて緑間に飛びつきながら泣いた。普段なら怒られるのにその時だけは緑間も何も言わず、優勝の嬉しさを噛み締めた。
あの頃の思い出はどれも眩しいほどに輝いている。まさに青春というやつだ。そんな風に思ってしまう辺りはもう年なのかもしれない。二十歳を過ぎると時間の流れが早く感じる。そういえば先輩達とは何年も会っていないななんて思いながらコトリと写真を机の上に戻す。
そのまま視線を窓へと向ければ、無数の星が輝く中に丸い月を見つける。七夕の夜には星を見ながら星座のことを教えてもらった覚えがある。緑間に出会わなければ知り得なかったことは沢山あるだろう。星の話もその一つ。これに限らず緑間の知識は豊富で、ことあるごとに色々なことを教えてくれた。
「……オレを好きにならなければ、お前はきっと」
もっと別の輝いた未来があったのではないだろうか、なんて思ってみたが二人は秀徳高校で出会いチームメイトになった。もっと遡れば、中学で試合をしていなければ自分達の関係はなかった。こんな考えこそが馬鹿げているのだけれど。
好きになるのに理由なんてない。気が付いたら落ちていた、その通りだ。本当、アイツのスリーもゴールめがけて綺麗に落ちていたなと思い出す。目を閉じればすぐにあのループが浮かぶ。
「もう、逃げないから」
もし緑間が高尾を好きになければ恋人という関係は有り得なかった。それは逆もまた然りで、高尾が緑間を好きだったからこそ男同士だとか関係なしに付き合っていた。それを後悔したことはない。
高尾は緑間真太郎という人物に出会えた奇跡に感謝している。そしてきっと、逆もまた――――。
決めたんだ。もう迷ったりしない。逃げるのはやめる。
こんな自分をまだ彼は待っていてくれるのだから。
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