7.
現在時刻、午後六時四十分。場所、羽田空港。
メールで指定された時間と場所にやっては来たものの、あのメールの欠点は持ち物や目的が書いていないことだけではなかった。空港を指定されても空港のどこかまでしっかり書いてくれなければ困る。この広い空港のどこに行けば良いというのか。空港中を探せとでもいうつもりか、と携帯に向かって文句を言ったのは三十分前。
今なら連絡をしても繋がるだろうか。淡い希望を持ってボタンを押した電話はやはり繋がらず、はあと溜め息が零れた。言いたいことは沢山あるけれどその相手に会うことすらままならないこの状況をどうすれば良いのか。
とりあえず空港内を歩きながら探すことにする。あれだけ目立つ容姿ならいずれは見つかるだろうと思いながら広い視野を活用していたものの、これだけの広さでは無理がある気がした。埒が明かないなと思った結果、最終手段に出るかと空港内を歩いていき。
「あのさ、呼び出すのは良いんだけど少しくらいオレのことも信用してくれない?」
やっとのことで見つけた緑間に会って一言、高尾は文句をぶつけた。最低限必要だと思われる連絡事項も書かれていないメール、こちらから連絡を取ろうにも繋がらない携帯。こっちにも非はあるけれど一言くらいは文句を言っても良いだろう。
高尾が緑間を見つけたのはここ、空港の入り口付近。ここに居れば絶対に会えるだろうと広い視野を活かしながら探して漸く見つけた。それから話をするために場所を移して今に至る。
「……悪かった」
「まあちゃんと会えたから結果オーライだけどな。でも、会えなかったらどうするつもりだったんだよ」
どうやって落ち合うつもりであのメールを送ったのか。それは純粋な疑問だったのだが、あっさりとそこまで考えていなかったと返されて拍子抜けする。けれど会えると信じていた、なんて言われたらそれ以上は何も言えない。ここまで苦労したけれどもう良いかとさえ思ってしまった。
元からそこまで怒っていた訳でもない。会うのに苦労はしたけれど、これでも約束の時間より前に二人は再会していた。だから空港内を歩いたところで出会えないのもおかしくはないし、どちらかといえば突っ込みどころの多いメールやその前の電話の話をしたい。話さなければいけないことは幾つもあるから。
「一応、聞くけどさ。オレをここに呼んだのは何で?」
大学を卒業したから旅行にでも行こう、といった話ではないことは分かっている。どういう意味で呼ばれたのかは分かっていたけれど、念の為に確認しておく。
問われた翡翠は真剣な瞳で真っ直ぐに高尾を見つめる。変わらないな、とどこか場違いのことを思いながら緑間の口から出てきたのは予想通りの言葉。
「高尾、オレと一緒に暮らして欲しい」
単刀直入。遠回しに言われることはないだろうと思っていたが、こうもど真ん中でくるところは緑間らしい。大体は昨日の電話で言っていた通りなのだろう。余計な言葉など必要ない。
一緒に暮らして欲しい。高校時代の同級生に、同性の友人に向ける言葉として普通に考えられるのはルームシェアをしようという話だ。その頃の友人といっても、滅多に連絡も取っていなかった相手に向けられるような言葉ではないが、緑間の言うこれがそういう意味でないことは理解している。文字通り、そのままの意味で言っているのだ。
「……今ならまだ引き返せるけど、本当にオレでいいの?」
「お前でなければ意味がない。それに、オレはどのみち引き返せないのだよ」
言われた言葉に「は?」と聞き返した。何で、と尋ねるよりも先に彼は言った。両親には話をしてきたからどちらにしても戻れないのだと。
緑間の発言に高尾は目を大きく見開いた。自分達のような関係が世間に認められる可能性なんて殆どないのだからこうなることも分かっていただろう。それなのに何で、とは思っても聞けなかった。たとえ認められなかったとしても自分を育ててくれた両親に対する彼なりのせめてもの礼儀なのだろう。勝手なことを言う酷い息子だが、何も伝えずに行動するのはいけないことだと思った。
いつだって真っ直ぐなんだ。それはもう眩しいくらいに。
ワガママ三回などというとんでもないルールが認められていた当時の秀徳バスケ部。そのワガママを彼は必要なことの為には惜しみなく使った。一見ただの自分勝手に見えるそれは、実のところ彼にとっては必要なことであり間違ったことを主張していた訳ではない。全体とは違う練習メニューをしたいと言った時も緑間にとってはそちらの練習が必要だった。分かってしまえば納得出来ることも多かった。
まあ自分勝手な都合に使うワガママもなかった訳ではない。ラッキーアイテムがどうとか、というのも彼にとってのおは朝占いというものの重要性を理解すれば自分勝手とも言い切れなかったが。とにかく、緑間真太郎という男はいつも真っ直ぐなのだ。
「………………」
色々と言いたいことはある。言わなければならないこともある。しかし、何から話せば良いのか。まず謝るべきだろうか。何に対してと聞かれても困るくらいには、緑間に謝らなければならないようなことをしてきた自覚はある。本人はそう思っていないかもしれないし、むしろ謝るなと言われそうだから出かかった言葉を飲み込んだけれど。
人通りが少ないところへ場所を移したとはいえ、ここはあくまでも公共の場だ。あまり大きな声で話は出来ないのは勿論、こんなところでそういうことをする訳にもいかない。
「高尾?」
白くて長い指。かつてはコートの上でしか見せていなかったそれがあのシュートを作り出していた。今はテーピングの下に隠れることもなく晒されている。
その手を取った高尾に緑間は疑問を浮かべている。この左手がどれだけ大切なものなのか、高尾は分かっている。緑間自身も大切にしていたそれを彼以上に特別に思っていたかもしれない。けれどそれは緑間にしても同じことだ。人とは違うこの目を高尾以上に気に掛けていたのは相棒の方で。
「……あの時からずっと、好きだったよ」
そう、あの時から。今も好きだ。自分にも相手にも嘘を吐いて隠していたけれど本当はずっと好きだった。
あの時、それがいつを指しているのかを緑間はすぐに理解した。前に一度本人の口から聞いている。もう大分前のことになるが忘れる訳がない。たった一言に込められた意味もきちんと伝わっている。だから「知っている」とだけ答えておいた。外で伝える分には十分すぎるほどだ。
掴んだ手をそっと放し、色素の薄い瞳は翡翠を見上げる。高校の頃よりも多少は縮まったそれは結局追いつくことはなかった。あれからも身長は伸びたのだが、でもこれが自分達には合っているのかもしれない。
「なあ、これからどこに行くんだ?」
「知り合いの居ない場所に行くつもりだ」
近隣の県では知り合いが居なくても知り合いに会う可能性が高い。だが北や西に行っても高校時代にバスケで知り合った人達には会うかもしれない。秀徳はインターハイやウィンターカップにも出場していたし、その時の対戦校には緑間と同じキセキの世代である紫原や赤司の属する学校もあった。今は東京に戻ってきているらしいが、彼等の通っていた学校のバスケ部員とは顔見知りでもしものことを考えると別の場所の方が良い。
そうなると必然的に飛行機を使って移動するような距離になってくる。東京近郊は駄目で秋田や京都の方面もよろしくない。それよりも先といえば北海道か九州、沖縄方面しか残っていないのではないだろうか。あとは四国とかその辺だろう。
「つまり北か南、南の方に飛ぶのか?」
「九州だ。それくらい離れれば十分だろう」
同じ世界で暮らしている以上、どこかで偶然出会ってしまう可能性をゼロにすることは出来ない。それでも、出来るだけその確率を低くしておくくらいのことは出来る。
確かにそれだけ離れていれば知り合いに会うことなど殆どないだろう。どこか行きたい場所がある訳でもなく、断る理由なんてない。そもそも断るくらいならまずこの場には来ていない。どこだって良いのだ。二人で一緒に居られるのなら。それが二人の願いだから。
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