8.



 目的地は分かった。けれど他のことはどうなっているのだろうか。
 今から飛行機に乗って行くことははっきりしているし、それについては緑間が既に手配していることだろう。だがその先は。昨日の今日で大した準備もなくここに来ただけに疑問はまだ結構ある。


「住む場所は行ってから決めんの?」

「そうなるな」


 それはそうだよなと思いながら、そういえば大学生だった時には就活をしていたんじゃなかったかと尋ねた。すると緑間は平然と「オレは最初から就活をしていない」と答えてくれる。考えてみれば、就活は大変だという話をしただけでそれ以上深く話をしたことはなかったなと思い出す。本当にずっと考えていたんだとこういうところで改めて思い知る。
 そういうお前はどうなんだと聞き返されて、こちらは就活をしていたものの内定はまだもらっていなかったからと答える。就職が難しいと言われる世の中なだけあって周りの友人達も就活には難航していた。結果論ではあるがこれで良かったのかもしれない。


「今更だけどオレ、お前に酷いことばっかしてきたよな」

「別に気にしていない。それをいったらお互い様なところもあるだろう」

「真ちゃんに何かされた覚えなんてないけど?」

「お前がそう思っているだけだろう。だから気にするな」


 要するに緑間も高尾に何かされたとは思っていないということなのだろう。その返答は想定内だが、緑間に何かをされた覚えなど全くない高尾はなんだか腑に落ちない。聞いたところで答えてもらえそうにはないから追及はしないけれど。
 すっと伸ばされた手が高尾の頬に触れる。色素の薄い瞳とぶつかって小さく笑う。


「色々と考えていたのだろう。この四年間はオレ達にとって必要だった。それは間違いない」


 離れてみて初めて分かったこともある。それはあのまま一緒に居たら気が付けなかっただろう。だから二人にとっては必要な時間で、そのことを高尾が一人で気にすることはない。
 四年という時間でお互いが色々なことを考えた。そして結果を出して今ここに居る。何の力も持っていなかった四年前とは違うことが沢山ある。もう子供でもない。だからこの選択を選ぶことが出来るのだ。


「一度距離を置いても答えは変わらなかった。つまり、オレにとってお前はそれだけ大切な存在だということだ」


 さらっと言われて返答が遅れた。そうなんだ、と僅かに視線を逸らしてしまったのは翡翠を見ていられなくなったから。そんな高尾に緑間は微笑みながら頬に触れていた手を下ろす。


「元々、大学を卒業するまでは一緒に暮らすつもりもなかった。それだけの経済力もなかったからな」

「これから頑張って探さないとな」

「この四年で最低限の資金は貯まったが、暫くは厳しい生活になる」


 申し訳なさそうに話す緑間に「二人でバイトでもすればとりあえずはやってけるだろ」と高尾は笑う。就活をしながらバイトをして、そうすればなんとかやっていけるはずだ。部屋だって高級なところでなくて構わない。二人で生活出来るだけのスペースがあればどうにでもなる。
 最初はバタバタしてしまうかもしれないけれど、二人分の貯金を合わせればなんとかやりくり出来るだろう。高尾も大学に在学中、幾つかのアルバイトを経験しながら給料は貯金に回していた。勉強にバイト、それも空いた時間の大半をバイトに充てていれば周りが連絡をしても捕まらない訳である。


「お前の家族には申し訳ないことをしてしまったな」

「それもお互い様だろ。大丈夫、オレはもう迷わないから」


 実は高校生の頃、自分達のことを親に話そうとしたこともあった。たった一度だけのことで、その時は結局離さずに終わってしまったけれど。
 あれは二人が別れるよりも数週間前ぐらいだっただろうか。このまま関係を続けていくとすればずっと隠し通すことは出来ない。というより、隠したままという訳にもいかないだろう。そう思ってバレない程度にそういった話題を振ってみたことがある。
 やはりというべきか、直接的なことは言わなかったが認められないものなんだと実感するには十分だった。それが別れるきっかけの一つだったかもしれない。

 あれから約四年。今は考えが変わっているかもしれないなんて楽観的なことは考えられなかったから、高尾は置手紙だけを残してここへやって来た。緑間の方は隠したままにも出来ないだろうと話したようだが、高尾も親と話していたら同じようなことになっただろう。
 家族には悪いという気持ちもあるが、それでもこの道を選びたかった。それだけ大きな存在だったのだ。人生で一度、出会えるか分からないような特別な相手。世間一般的には異性との間で見つけるものなのかもしれないが、同性であることを悔やんだりはしていない。自分達はバスケがなければ出会ってすらいなかっただろうから。


「正直にいえば、まだちょっと考えちまうんだけどさ。けどこの先、真ちゃん以上に好きになれる人はいないと思う」


 前にも言葉にはしなかったけれど同じことを思ったことがある。それも一度や二度の話ではない。けれど、それは緑間にしても同じだ。同じ男を、友達でもあり相棒でもあるような相手を好きになって、これがそういう意味の好きなのだと理解して暫くしてからだろうか。付き合っている最中にそんなことを思った。別れてからも同じことを考えた。そして今も。
 たかが四年離れただけで忘れられるような恋なら最初から付き合ってなどいない。男女の恋愛ならまだしも同性と付き合おうなんて普通は考えないだろう。思ってもすぐに行動に移せるようなことでもない。まだ子供だったあの頃でさえ、色んなことを悩んで考えて出した答えだったんだ。


「でもオレが彼女と続かない理由が真ちゃんを好きだからだろ、ってすっごい自信だよな」

「実際そうだっただろう」

「まあそうなんだけどさ。なんかオレばっか好きみたいじゃん」


 緑間が自分を好きでいてくれることは分かっている。それでここまでのことをしているのだから分からない訳がない。けれど、緑間にはそういうことはなかったのか。
 暗にそのような意味を込めて言えば、すぐに「そんなことはない」と否定された。否定されるのは分かっていたけれど、そういう経験はあるのかどうか。じっと見つめる瞳の意図に気付いたらしい翠は呆れたように溜め息を零しながら、一度だけならあると面倒そうに答えた。付き合った時間は高尾と似たり寄ったりで長続きせず、結局かつての恋人が好きなんだと再認識して終わりとなったと補足して。


「これで満足か」

「じゃないって言ったらどうすんの?」


 ただの興味本位で聞き返しただけだったのだが、当然のように「分からせてやるまでだが」と返されて次の言葉に詰まった。そんな高尾の様子に緑間は小さく笑みを浮かべ、そろそろ行くぞと声を掛ける。
 待てよ、と言いながら先に歩き出した緑間の背を追い掛けて高尾もすぐ隣に並ぶ。数年前までは当たり前のようにあったその場所が、これからも当たり前の場所になるのだろう。やっぱりコイツの隣が落ち着くなとか、そんなことを思ったのはどちらだろうか。


「なあ、真ちゃん」


 歩きながら僅かに抑えた声で呼びかける。すぐに気が付いた彼は翡翠の双眸をこちらに向けて、昔から変わらないその色に微笑む。


「これからもずっと、お前の隣に居させて?」


 ――オレと一緒に来て欲しい。
 昨夜、緑間が電話越しに伝えてきたそれにまだ答えていなかったことを思い出して告げる。ここに来るまでに随分と遠回りをしてしまったけれど、今はちゃんと自分の気持ちに素直になれる。


「お前が嫌だと言ってもオレは離すつもりはないのだよ」

「オレだってここを誰にも譲る気はねーよ? ここまでしたんだから責任取れよ」


 冗談交じりのそれに彼ははっきりと頷いてくれた。
 友達として過ごそうとした。友達として付き合っていこうとした。けれど無理だった。ここにきてやっぱり友達でいようなんて言われたら友達にすら戻れない気がする。それこそ、本当に一生会わずに暮らしていくのかもしれない。
 だがそんな心配は不要だ。二度とこの手を離したりしない。

 大丈夫。きっとこの先は高校生だった頃よりも大変なことばかりだろう。けれどもう決めたんだ。愛しい人と共に生きていくことを。
 後悔はしない。