13.



 今日は朝から自由行動で良いと言われたかと思えば、それなら出掛けようと引っ張られた。どこに行くつもりなのかも分からず、ただ先を行く背中に付いて行く。
 場所は小さな島。その島を地図もなくただ進む。普段なら何かしら話をしている男が今日は珍しく静かだ。波の音が遠くに聞こえる。こんな場所に何があるというのか。答えは全て何も言わない男が握っているのだろう。


「前さ、今度付き合って欲しいって言っただろ?」


 歩き始めてどれくらい経っただろうか。漸く口を開いた高尾は、ひと月ほど前の約束を持ち出した。勿論その話は覚えている。どこに、何に付き合って欲しいのかは言わなかったけれど、今ここでその話を持ち出したということはこのことを指していたのだろう。
 だが、それでも疑問はある。あれから幾つかの町を回ったが、どうして今その約束の話になったのか。あの時点でこの場所に来るとは決まっていなかった筈だ。場所に意味があるのではなく自由行動の方に重点があるとすれば話は変わってくるが、とてもそうには聞こえない。一日丸々自由にして良いと言われることは滅多にないが、自由行動がない訳ではない。そうなると、やはりこの場所に意味があるのだろうか。

 考えているうちにふと高尾は歩きを止め、緑間もつられるように足を止めた。ここが今日の目的地なのだと高尾は言った。
 山奥のひっそりとした村。いや、村だった場所。
 人の気配はない。誰も住んではいないのだろう。家というにはお粗末な小屋が幾つかある程度。その小屋も半分は朽木してしまったようで壊れているような状態だ。まず人の住めるような場所ではない。


「毎年この時期は宮地さん達がオレに気を遣ってくれんの。気を遣うことなんてないんだけど、オレもなんだかんだで甘えてる」

「お前は、この場所に何か思い入れがあるのか……?」


 思い入れもなければこんな何もない場所になんてやって来ないだろう。それくらいのことは分かっていたが、高尾にとってこの場所はどんな意味を持っているのか。それが気になった。
 どんな意味があるのかと聞かれても大したことはない。どこにでもある、ありふれた話だ。だから気を遣われる必要もないのだけれど、それでも高尾にとっては特別な思い入れがあるこの場所。何も言っていないというのに、この時期になると宮地は勝手に船をここに向かわせてくれる。それから一日だけ自由時間をくれるのだ。


「ここがオレの故郷なんだ」


 今はもう殆ど形も残っていないけれど、昔は多くの仲間達とこの場所で一緒に暮らしていた。宮地達と出会ったのはそれよりももっと後。あの船に高尾と同じ出身の者は居ない。ここで一緒に暮らしていた仲間達が今どこで何をやっているのかは知らない。唯一分かるのは、もうこの場所には居ないということ。それだけ。


「昔、まだ宮地さん達に会う前はここで暮らしてた。今は海賊として盗みを働くけど、あの頃は生きてく為に盗みをしてた」


 見ても分かるようにここは何もない山奥だ。村といっていいのかも分からないような小さな村。お金なんて全くなかった。そこで生活をしていくのには、生きていくには盗みをする必要があった。
 出来る限りは自分達で食料を集めたりもした。けれど、それにも限度がある。だから近くの町まで行ってこっそり食べ物を盗ったりなんてことは割と日常的にやっていた。いけないことと分かっていても自分達が生活していくにはそれしかなかった。


「……それが今では義賊をやっているんだな」

「本当、人生何があるか分からないよな。あの人達に出会ってなかったら、オレは今でも盗みをしながら生きてたと思う」


 故郷を失くし、帰る場所も無くなって、この世界でたった一人。どうすれば良いのかも分からなかった。それでも、生きていくことだけを考えて生きていたあの頃。本当、ただ生きることしか考えていなかったと思う。目的も何もなく、ただ時間が流れていた。
 昔の仲間達とはあの日以来会っていない。故郷を失ったあの日、高尾は仲間達と別れて行動した。それが最善だと思ったけど、本当にそれで良かったのかは今でも分からない。だって、結局故郷は守れなかったのだ。せめてあの頃の仲間達は元気でやっていてくれれば良いとは思うけれど、自分の生活が生活だっただけに他も大丈夫だろうなんて楽観視は出来なかった。アイツが居れば大丈夫だとは思うんだけど、と思ってはみてもその後どうなったかを知らないから何とも言えない。


「宮地さん達に会うまではどうしていたんだ」

「適当にふらふらしてたかな。家もなかったから一つの町に留まることもなかった。盗みとかやってたから見つかってもマズイしな」

「それで偶然拾われたという訳か」


 拾われたって犬じゃないんだからと笑ったが、向こうからしてみればそんな感じだったのかもしれない。初めて声を掛けられた時はただ道を聞かれただけで、どこの町でも見掛けるようなありきたりな会話をした。それっきりだろうと思っていたのに、数時間後にまた会った時は驚いたものだ。それも偶然ではなく明らかに高尾自身に用があった風だったから余計に。
 そこで幾つか質問をされて、何でそんなこと聞くんだと思いながらも答えていった。改めて考えてみて思ったが、何であの時答えたのだろうか。無視する気にもならなくて、聞かれたからという理由で答えて。一緒に来ないかと言われた時は流石に「は?」と聞き返してしまったけれど。


「最初は断ったんだ。自分が海賊になるとか想像も出来なかった。それに…………」


 自分が居ても迷惑だろうと思った。力もない、何もない自分がそこに行ってどうするのか。大切な人を守ることも出来ない。余計な繋がりなんて作らない方が良い。
 誘われた瞬間、様々な考えが頭の中に過ぎった。その中に一緒に行くという選択肢はなく、どちらかといえば何で自分なんかを誘うんだという疑問の方があった。誘いを断って何でと聞かれたのには一緒に行く理由がないからと答えた。そのついでに何でオレを誘うんだとも言った。確か、あの時はなんとなくという適当な理由を返された覚えがある。意味が分からなかった。

 でも、結局高尾はその手を取った。

 放っておいてくれと言ったのに心配されて、まず自分達は初対面だっていうのにどうしてそこまでしてくれるのかと思った。気になるからだと先程よりはマシな理由で、だけどそれだけ。
 お人好しというかなんというか。色々考えるのも馬鹿らしくなって、最後には一緒に行くという答えを出した。そのお蔭で今はこうして楽しくやっているのだから先輩達には本当に感謝している。大して理由もないように思えたあの言葉だが、実は別のしっかりした理由があったのだと知ったのはそれから数年が経ってからだった。


「良かったな」

「うん。今のオレがあるのはあの人達と、ここで暮らしていた頃の仲間のお蔭だ」


 今の生活も楽しい。でも、苦労はあったけれどただ仲間と笑い合って過ごしていたあの頃も楽しかった。十年以上も前のことだから覚えていることは少ないけれど、それでもあの日々が楽しかったと言い切ることが出来る。それだけ充実していたのだろう。もう全員の名前や顔も覚えていないけれど、あの頃の気持ちを忘れることはないと思う。
 会えなくても良い。元気でやってさえ居てくれれば。でも、アイツが今どうしているのかが気にならないと言えば嘘になる。アイツはどうしているんだろうと、時々考える。傍からすれば、名前も顔も覚えていないというのにどうしてそこまで気になるのかと思うかもしれない。それでも、高尾の心の中にはずっと残っているのだ。遠い日の記憶が。


「覚えてないのに何言ってんだって思うだろうけどさ、そういうんじゃないんだよな。オレにしか分からないと思うけど」


 誰かに理解して欲しい訳ではないからそれで構わない。話を終えた高尾は緑間の方を振り向くと、付き合ってくれてありがとなとニコッと笑って礼を述べた。
 やることもないし戻るかと元来た道に行こうとする高尾の腕を引くと、その体はすっぽりと緑間の腕の中に納まった。唐突過ぎる行動に腕の中の高尾は「緑間?」と疑問の声を上げる。だが緑間は何も言わずに自分よりも小さなその体を抱き締めた。どういう状況なのか理解出来ず戸惑う高尾だが、とりあえず今は緑間の好きなようにさせてやることにする。なんだかよく分からないけど、そうしてやるべきなんだろうと思った。


「…………高尾」

「ん?」

「お前は今、幸せか?」


 頭上から聞こえてきた声にきょとんとする。どうしてそんなことを聞かれるのかと思ったが、さっきまでしていた自分の話を思い出して合点がいった。気にすることなんてないのになと思いながら、高尾は「幸せだよ」と答えた。

 この場所で過ごして居たあの頃も楽しくて幸せな日々だった。
 でも、今あの船で宮地さんや木村さん。大坪さんに他のクルー達。それから緑間。みんな大切な仲間で、馬鹿やったり怒られたりもするけれど毎日が楽しくて仕方ない。あの時声を掛けてくれた先輩達には感謝しているし、この選択を選んで良かったと思っている。

 だからはっきりと言う。オレは今、幸せだと。


「ありがと。緑間って優しいのな」


 久し振りに故郷に来たからだろうか。それとも抱き締められるのなんて久し振りだったからだろうか。ぎゅっとされるのが心地良い。なんだかとても懐かしい匂いがした。