14.
「一人なんて珍しいな」
甲板で風に当たっていると後ろから声を掛けられた。いつも一緒に居る訳ではありませんと答えると、それでも一緒に居ることが多いだろと言われた。それは一緒に仕事を回されているからでしょう、と声には出さずに突っ込む。そうでなければ常に一緒ということはない。それでも部屋が同じだったりと一緒に行動していることは多いけれど。
「アイツは?」
「もう寝ました」
アイツ、というのはよく緑間の隣に居る男のことだ。喧嘩になるからと同じベッドを使っている為、就寝する時間も自然と同じになる。今日もそれは変わらなかったのだが、眠れなくて夜風にでも当たろうと甲板まで来たところを見つかった。
起きてるなら酒くらい付き合えと差し出されたグラスを受け取りながら、宮地さんはこんな時間にどうしたんですかと尋ねる。ついさっきまで仕事してたんだよと答えが返ってきて、とりあえずお疲れ様ですと労いの言葉を掛けた。何も言わないけれど、この人は見えないところでいつも船の為に尽くしている。航海士として、副キャプテンとして。多くのことを一人でこなしているのだ。
「今日は高尾に付き合ってたんだろ。どうだった?」
「……普通でしたよ。いつも通り騒がしかったでしょう」
「本当にな。少しくらい静かに出来ねーのかよ」
飯時の様子を思い出して溜め息を吐く。喋っていないと死んでしまう生き物なのかというくらいよく喋る。そしてよく笑う。未だに何が高尾のツボなのかは宮地にも分からない。ツボが浅いということだけは理解しているけれど。いつまで笑ってんだよ轢くぞと怒鳴り声が響くのも日常茶飯事である。
「宮地さんは、どうして高尾をこの船に誘ったんですか」
昼間、高尾の話を聞いた時から気になっていた。なんとなくという気まぐれではないけれど、気になったからというだけの理由ではないだろう。後から高尾もその理由を聞いたらしいが、実際たまたま町で会っただけのような人を誘うなんてそう簡単に出来るようなことではない。その理由までは聞いていなかったから気になって本人に聞いてみた。答えてもらえなくてもそれで良いと思った。
緑間にそんなことを聞かれるなんて予想外だったが、宮地はぼんやりと昔の記憶を辿る。もうアイツと出会ってから十年は経つのかと気が付いて早いものだなと思う。
「何でだろうな。なんとなく、気になったのもそうだけど放っておけなかった。アイツは自覚なかったと思うけど酷いモンだったぜ」
取り繕ったその表情が引っかかったのは本当にたまたまだろう。なんせ相手は初対面だ。どんな奴かも知らないのに違和感を覚えるなんておかしな話で、ただの勘で動いたといっても過言ではない。
けど、町で会った高尾を見つけて話をした時。やっぱり気のせいではなかったと思った。同じ人に声を掛けられたことに驚いてはいたけれど、アイツはすぐに笑って見せた。無理して笑っていると気付いてしまったのも偶然。話をしていくうちにアイツは取り繕うのを止めた。
これ以上構うな、放っておけ。
言葉だけじゃない、全身がそんな雰囲気を出していた。どうして見ず知らずのアンタがそんなことを言うんだと。あの時の高尾は今にも泣きそうな顔をしていた。
「これは後から聞いたことだけど、一人で辛かったんだと思う。大事なモン全部失くしてさ。でもまだ目は死んでなかった。アイツはアイツなりに頑張ってたんだろうな」
このまま一人にさせてはいけないと思った。だから一緒に来ないかと誘ったのだ。
大切なものを守ることも出来ずに失うことはもう嫌だと言うのはそれだけ大切だったから。今度は守れるように強くなれば良いだけの話。そんな簡単なことではないけれど難しい話でもない。オレ達と一緒に来い、そう言って差し伸べた手を高尾は掴み取った。
「今は普通だけど、出会った頃は表には出さなかったけど結構警戒されてたな。自分でここに来ることを選んだけど、本当にそれで良かったのかとかくだらねーこと考えてたんだろうよ」
それもあるきっかけで溜まっていたものを吐き出してからは吹っ切れたんだろう。宮地は高尾の過去なんて知らないけれど、その時に断片的に話を聞いたことならある。
故郷も仲間も守れなかった。
もう何もない。どうしたら良いのか分からない。
あの日も夜の海だった。今よりも遅い時間で他のクルーは寝静まっているような真夜中。目が覚めてしまって少し外の空気でも吸おうと甲板に出た時に見つけた小さな背中。
どうしたんだと聞いても何でもないと答えられるだけだった。けど、出会った時のように泣きそうな顔をしていた高尾を放っておくことはやっぱり出来なかった。かといって無理に話を聞くことも出来ない。それは高尾が話したいと思った時に聞いてやるべきだと思っていた。
だから、無理はするな。泣きたい時は泣いて良いし、辛い時は辛いと言って良いんだ。あまり溜め込むなと言ってやった。こうでも言わないとコイツはまた無理に笑うんだろうと思ったから。
それだけ言って後はそっとしておくつもりだったのだが、戻ろうとしたところで裾を掴まれて歩みを止めた。
『なんで、宮地さんはオレに声を掛けたんですか』
あの時も今と同じように、夜甲板に出たらこんな質問をされたんだ。それが今のことではなく出会った時のことを言っているというのはなんとなく分かった。確かあの時も緑間に話したように答えたんだったと思う。
初めて会った時とは逆で高尾の質問に宮地が答えていった。何個目かの質問を終えたところで、耐え切れなくなった涙が零れた。宮地が高尾の泣いているところを見たのはこれが最初で最後。涙と一緒にずっと一人で抱え込んでいただろうことをぽつぽつと零した。
オレは何も守れなかった。故郷も、仲間も、友も。もう失いたくない。あんな思いはもうしたくない。
アイツに会いたい……。
文脈も何もないような言葉の羅列。それらを宮地はただ聞いていた。幼い子供のように泣く高尾を抱き締めて、静かに聞きながら相槌を打った。お前は出来ることをやったんだろ、それならそんなこと考えるな。そうして宥め、落ち着いた後はすぐに寝てしまった。
当時は本当にまだ子供だったのだから無理もない。それから高尾は何かが吹っ切れたように笑うようになった。ほんの少しだけ頼ることも覚えて、今のように明るく元気にやっている。
「でもあれだな。やっぱタメのが気楽っぽいな。別にアイツに気を遣われたことねぇけど」
「最初は同い年だと思っていなかったようですが」
「それは身長のせいじゃねぇの? 同い年に見えないのも分かるけどな」
かといってそこまで年が離れているように見える訳ではない。同い年だと言われればああそうなんだと納得出来るくらいではある。
そういう意味では二歳しか離れていない宮地も同い年だと言っても第三者には分からないだろう。年齢なんてそんなものだ。もしそんなことを言ったのなら怒られるのは目に見えているけれども。
「そういえば、次の目的地は決まったんですか?」
この前の島では次の目的地、つまり今いる島へ行くことは決まっていたと言っていたがその後のことは決めていないと話していた。それを聞いた高尾が南に行きたいと言い出して、やたら宮地と言い合っていたのは記憶に新しい。
その話は流されて終わったのだが、この次の目的地はどこに決めたのだろうか。明日には出発するのだろうから場所はもう決まっているのだろう。そう思ったものの決まったのはついさっきらしい。次の目的地と航路を確認してひと段落ついたところで甲板に出たら緑間と会った、というのが宮地の今に至るまでの状況だ。
「どうしようかと思ったんだけど、特に目新しいこともないし南に向かう」
「南、ですか」
ここから南の方角を頭の中の地図で把握する。ちなみにこの前の島とこの島とはそれほど離れていない。南にどんな町があるのかは前回と同じ考えで問題ない。
つまり、最終的には高尾の気持ちを汲んだのだ。祭りの時期なんかに行くべきではないとも思っているが、一度だけで良いから言ってみたいと強く言われて気持ちが揺らいだ。宮地とて祭りなんてものは昔に数回経験があるぐらいだが、それがゼロというのは興味を惹かれもするだろう。一回くらい経験させてやるかと思ってしまった宮地もやはり高尾に甘いのだ。
「何か言いたそうだな」
「何もありません。ただ、まだ決まっていないなら南に行くのはどうかと聞こうと思っただけです」
「お前、騒がしいところは苦手って言ってなかったか?」
「付いて行くとは言っていません」
全く、どいつもこいつも。身内には甘いとでもいえば良いのだろうか。それだけ仲間のことを思いやれる人達が集まったと考えておこう。出歩いていた緑間達は知らないが、昼間は大坪や木村にもどうせ決まってないなら少し寄るくらい良いんじゃないかとまた言われていたのだ。
その先のことなどを考えていたらこんな時間になってしまったけれど、それを伝えるのは日が昇ってからでも良いだろう。次の目的地を告げたらやっぱりお前も甘いじゃないかと笑われるのだろうけれど。みんな同じなのだから人のことは言えないとその時は言い返してやろう。
「高尾はお前を誘うと思うけどな」
「それを言うなら宮地さんだって同じでしょう」
「オレは他にやることがあるからパス。つーかもう寝ろよ。何時だと思ってんだよ」
この場に時計はないけれど、部屋を出た時間からしても結構遅い時刻になっているのではないだろうか。起きれないということはないだろうが、睡眠はしっかりとっておくべきものだ。 ほら戻るぞと言って船内に入る宮地の後を緑間も遅れて追いかける。明日も朝は早いのだ。今日はこのままゆっくり休もう。
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