16.



 この世界に永遠なんてものはない。始まりがあれば終わりもある。当たり前に存在している日常だっていつ壊れたっておかしくはない。世界とはそんなものだ。
 それでも人は当たり前を信じていて、それがずっと続けば良いと願ってしまう。ほんの一瞬で変わってしまう世界を信じて進むしかない。


「けど、これは流石に厳しいよな……」


 視界に広がる光景にそんな言葉が零れた。深く考えずともこの状況がいかに不味いかは誰にでも理解出来る。理解出来ない訳がない。自分達のやっていることと照らし合わせれば、辿り着く答えは一つしかないのだ。
 いずれこういう日が来るだろうとは思っていたけれど、とうとうその日が来てしまった。やれることをやるしかないと頭では分かっているのだが、どうしたものか。悩んでいたって答えは出ないし、そんなことを悩むくらいならこの状況を打開する方法を考える方が良い。現にその為の方法を頭の中では幾通りも考えている最中だ。


「海軍相手に弱気にでもなったか?」

「そんなんじゃないっすけど。実際問題、厳しい戦いになるっしょ」


 海賊なんて稼業をやっていれば海軍と対立するのは必然だ。剣を交えることは避けて通れぬ道だろう。今までも海軍に出くわしたことならあるが、海の上で一対一というのは何気に初めてだ。これまでは町で見かけたり、そういう時に見つかって少しやりあった程度しかない。むしろよく今まで海で会うことなく過ごせていたなと今なら思う。
 出会った場所が陸であろうと海であろうとやることは一つ。ここで戦うという以外に選択肢はない。自分達の正義を貫くにはこんなところでやられる訳にはいかない。世間一般的には向こうが正義なのだろうが、こちらにもこちらの正義がある。それを曲げることはこの先もないだろう。


「それでどうするんだ」


 どうするとは勿論作戦の話である。戦場で味方に指示を出す司令塔は高尾なのだ。ここでも高尾に指示を促すのは自然の流れである。
 そうっすね……と呟きながら作戦を幾つか考えてはみるものの、現在進行形で攻撃を仕掛けられているような状況だ。このまま撒くのは不可能。戦うにしても状況からしてこっちに乗り込まれるのは見えている。
 結局高尾の出した結論は、攻めてきた敵を片っ端から片付けて行くという単純な方法。というより、この状況ではそれしか選びようがない。今だって戦闘準備を整えながら話をしているぐらいだ。戦いが始まるまでもう五分もないだろう。


「要するに目の前の敵をぶった切れってか。まぁそれしかねーよな」

「この状況じゃ正直それしか出てこないっすね」


 どう戦うかと作戦を立てるにしても、船の上で、しかも海軍相手にだ。数だって向こうの方が多いのは目に見えている。ここまでくると現時点で言えるのはそれだけになってしまう。後は戦っている最中に指示を出すくらいだろう。


「じゃあ、そういう感じで頼みます」

「おい高尾――――」

「高尾。ちょっと来い」


 宮地の言葉を遮って名を呼んだ緑間は、そのまま他のクルー達と離れたところまで高尾を引っ張っていく。その様子を見ながら高尾のことは緑間に任せることにする。どうせ言いたいことは同じだろう。それに、緑間の方が事情は詳しいだろうから。

 敵が襲ってくるという時にどうしたんだよといつもと変わらぬトーンで高尾は尋ねる。取り繕ったところで先輩にも気付かれていたようだが、と思いつつ色素の薄いその瞳を見る。まぁ、気付いているのはあの人達くらいで他には隠せているだろうが。


「あまり感情に流されるな」

「別に流されてねーよ。ちゃんと考えてるだろ?」

「目は口ほどにものを言う、という言葉を知っているか?」


 緑間が言った瞬間、高尾は黙った。意味は知っていたのだろう。感情のこもった目つきは話すのと同じくらい気持ちを表している、というその意味を。
 そう、今の高尾は正にそのことわざ通り。上手く隠したつもりだったのだろうが、その目にこもった感情までは隠せていない。だから緑間も宮地も気付いたのだ。いつも通りを装っている高尾が冷静さを欠いていると。そして、冷静さを失えばまともな状況判断が出来なくなるということも知っていた。


「一度落ち着け。海軍と何があったかは知らないが、そればかり考えていたらまともな判断は出来ないのだよ」


 どうして、と目を見開いた高尾は問う。見ていれば分かるとだけ答えたのは嘘ではない。出会った当初、何もないと否定されたけれど本当は何かあったということくらい気付いている。気付いた理由もそれだけではないが、その辺のことは良いだろう。

 海軍と何があったのか。
 多分、どこにでもある話なんだとは思う。だけどそう多いことでもないとは思う。それでもどこにでもあると思うのは、海軍はそういうこともしているんだろうなとある一件以来思うようになったから。国の組織に裏があるなんて、考えてみればおかしなことではない。


「緑間ってさ、鋭いっつーかなんつーか……」

「お前が分かりやすいだけだろう」


 そんなことはない。どちらかといえば隠すのは得意なんだけど、とは流石に言わないけれど。ポーカーフェイスは得意分野だ。それに気付く緑間が鋭いだけだろうと高尾は思う。
 そうした会話をしていると「来るぞ!」とキャプテンの声が響く。話をするのはここまでだ。ここからは、それぞれの信念をかけた戦いが始まる。


「行くぞ」

「分かってる。んじゃまぁ、さっさと終わらせるか」


 しっかりと剣を構えてアイコンタクトを交わすと、二人は既に戦いが始まっている中へと飛び込む。
 海軍との全面戦闘の始まりだ。

 剣と剣のぶつかる音、仲間達に向けて指示を飛ばす声。どちらもひるむことなく一進一退の攻防を繰り返す。
 相手は流石海軍といったところだろうか。みんな基本という基本がしっかりしている。そうでなければ軍になんて入れないのだろうが、これはこれで戦い辛いものがある。よく訓練されているといえば良いだろうか。隙も殆どない。時折見せる隙を見落とさないよう、確実に攻撃をすることで一人ずつ確実に倒していく。


「どいつもこいつもエリートか。やんなっちゃうな」


 剣を握り直し、背中越しに声を掛ける。余裕なんてないけれどちょっとぐらい愚痴らせてくれても良いだろう。そうでもしなければやってられない。後ろでは呆れたように溜め息が零されたけれど。


「無駄口をたたく暇があるのならさっさと終わらせろ」

「分かってるって。だから話し掛けたんだろ?」


 いくら高尾でもこの状況で意味もなく話をしたりはしない。話し掛けたのは確認の為。
 これだけの人数差がある状況だ。片っ端から一対一で片付けていくのでは時間が掛かる。どうせ同じくらい時間が掛かるとすればもっと効率的に、友好的な戦闘手段を用いた方が良い。
 一人より二人。技の選択肢が多ければ多いほど、相手を翻弄することが出来る。これまで別々に戦っていたけれど、ここは協力して戦おうと暗に提案する。最初の攻撃での対応を見る限り、そうやって複数人を相手にする方が効率は良さそうだと判断した。自己流の剣の使い手同士、向こうが対応するのはそう簡単ではないのだ。


「大佐はどうする」

「このまま行く。多分それが一番早い」

「分かった」


 周りを片付けてから道を開くことも出来るが、それでは意味がない。高尾が見た限り、道を開いたところですぐにそちらへ迎えるヤツは居ない。それだと道を開いたところで無駄になってしまう。かといって全員を倒し終えるには時間もかかる上に人数差があることからも体力はかなり削られるとみる。
 そうなると、残るのは自分達で道を開いて大佐の首を狙うのが手っ取り早いだろう。相手の頭さえ押さえてしまえばこの戦いも終わる。

 そう判断した高尾に異論はない。二人は相手が動き出したのを合図に同時に地を蹴った。
 瞬間、近付いてきた奴等を見事な連携で倒していく。必要最低限、無駄な戦闘を避けるようにして一人離れたところから高みの見物をしている大将の元へと駆ける。


「悠長なモンだな。助けるでもなく逃げるでもなく、ここに留まってるなんて」


 次々に向かってくる奴等を倒し、それからここまでくるのにそう時間は掛からなかった。
 正直、拍子抜けした。海軍の大佐であるこの男は、最初からずっとこの場所でただ見ているだけ。今も高尾が剣の切っ先を向けているというのに余裕の表情を浮かべている。何のアクションも取らなければ二人がここにやってくるのは分かっていただろうに何もしない。抵抗する気すら見せないのはどういうつもりなのか。
 もしかしてこれも作戦だったりするのだろうか。作戦だとすればこれは罠。だが、罠だとしてもどんな。剣を突き付けられている状況で何が出来るのか。それとも、もっと前から何かを仕掛けていたか。考えても答えなんて出ない。


「いやー見事なものだね。海賊だけあって戦うことも慣れているのかな」

「少しは身の危険を感じたらどうだ。今の状況が分からん訳ではないだろう」


 この余裕はなんだ。何を企んでいる。頭をフル回転させてもこの男の考えが全く浮かんでこない。部下を戦わせているのだから自分達を捕らえるか何かしようとしているのはまず間違いない。それにしてはすんなり行き過ぎている気もするが。
 考えられる可能性の一つとして、この船は海賊を見つける為ではなく別の目的で海に出ていたところを偶然海賊と鉢合わせてしまった。だからあまり戦力を乗せておらず、無理な戦いをしないつもりだから抵抗もしない。というのは安直すぎる考えだ。大体、攻撃をしてきたのもこちらさんからなのだ。いきなり大砲を放たれたりしなければ、こんな戦いに応じることもなかっただろう。
 けれど、海賊を見つける為に出した船でないとは考えても良いだろう。それにしては戦力が少なすぎる。海軍として海賊は見過ごせなかったということか。


「どうする。引かないのならこの剣を振り切る」

「さあて。本当にそんなことが出来るかな?」

「逆に聞くけど、この状況でアンタには何が出来るんだよ」


 何も出来る訳がない。そう思うのにこの違和感はなんなんだ。男がどう動こうと高尾が剣を振るうことはないだろうが、相手には分からない筈だ。
 海賊を討伐する目的ではない船。余裕たっぷりの男。別の目的でここに居る船にある物。目的によってそれは違うのだろうが、男が余裕で居られる何かがこの場にあるとしたら。それは……。


「高尾、離れろッ!!」


 叫んだのと同時に腕を引く――――が、遅い。がくんと膝が折れると、高尾はその場に崩れた。鋭い目が男を睨む。男は同じ場所で下品な笑みを浮かべている。


「テメ、何しやがった……!」

「何、心配はいらないさ。少し眠って貰うだけだよ」


 つまりは催眠薬ということか。どうして海軍がそんな物を持っているかなんて考えたって分かることではない。徐々に遠くなっていく意識に内心クソッと悪態をつく。
 またこんな、どうしていつも守りたいものを守れない。なんでオレは……。
 そう思ったところで完全に意識を飛ばした。緑間が高尾に強く呼びかけるが、二人を離すように頭上から剣が降ってくる。まだ船に一人残っていたかと思いながら高尾の体を抱えて素早く飛び退いたものの、気付くのが遅れたせいで剣が腕を掠めた。


「どういうつもりだ。まさか全員にそれを使うつもりではないだろう」

「そんな面倒なことはしないさ。生憎、こちらは君達全員を捕まえるだけの戦力はないからね」

「だったら何を――――」


 するつもりだ、と続く筈だった言葉は声にならなかった。刃に毒が塗ってあったのかと理解するのに時間は要らなかった。


「死に至るようなものではない。君達に仲間意識があるのなら、今ここで全員を捕らえる必要はないだろう?」


 仲間意識があれば君達の方からやってくる。そんなものがなくても一人捕まえれば情報を聞き出せる。だから全員を捕らえる必要などない。今ある戦力で海賊に対応するのならこれがベストだと考えた。大佐が高みの見物をしていたのも、全力で戦う必要などないという前提があったからだったのだと今更気付く。
 毒が体に回ってきたせいか、緑間は膝をついて男を睨んだ。男は相変わらず汚い笑みを見せている。毒で痺れたせいで体が思うように動かない。


「緑間! 高尾!」


 周りが気付いて二人の元へ来るよりも前に、毒を塗った剣を手にしていた男が動けない緑間から高尾を奪うとそのまま軍の船へと戻った。それに続けて大佐が引き上げると、他の兵士達も戦いを止めて一気に船へと乗り込む。


「アナタなら来てくれると信じていますよ」


 待て!と痺れた体を必死で動かそうとするが、やはり体は動いてはくれなかった。最後に振り返った大佐はそんな言葉を残して去って行く。
 どうしていつもこうなんだ。今度こそ守ると、そう決めた筈なのに。
 離れて行く軍船に手を伸ばしても届かない。いつもその手を掴むことが出来ない。体を痺れさせていた毒は体中に回り、やがて意識が保てなくなって倒れた。

 どこか遠くで、名前を呼ばれた気がした。