18.
海軍。帝都に本拠地を構える国の組織。セキュリティも万全。潜入するのは容易ではない。
けれど、内部構造を全て把握しているのであればそう難しいことでもない。まさかこんなところで海軍本部の内部構造の知識が役に立つとは思わなかったけれど。使えるものは有効利用するだけだ。
緑間の立てた作戦は見事だった。何事もなく海軍本部に潜入し、そこから高尾が捕えられていると思われる部屋まで行く道も海軍連中に出くわすことなく突破した。海軍の構造は緑間の話していた通りだった。移動をしながら本当に海軍の人間だったんだなと思った。そしてやっぱり、嘘など吐いていなかった。疑ってもいなかったが、実際にこの光景を目にして改めて思う。
捕まえた賊はここにある部屋のどこかに居る筈だと手分けをして探す。この中のどこかに居るのは間違いない。その予想通り、何個目かの部屋で探し人を見つけた。
「高尾!!」
「緑間……!? 何でお前がこんなトコに居るんだよ」
「話は後だ。ここから逃げるぞ」
悠長に話をしている時間はない。今は気付かれていないにしても見つかるのは時間の問題だ。早いところここを去るに越したことはない。
だが。
「まさか本当に海賊と一緒に居るとはね」
聞こえてきた声に二人は同時に振り向く。そこに立っているのは、海軍の中でもトップクラスの男。赤司、と小さくその名を呟くと、男は冷たい笑みを顔に浮かべながらそれでも声は穏やかにどういうことだと尋ねる。
どうしてお前がそんな奴と一緒に居るんだ、真太郎――――と。
船が事故にあったと報告は聞いていたけれど、その後連絡を一切せずに海賊なんかと共に行動をしているなんて思わなかった。海賊の中に緑間の姿があったという報告も信じ難かったのだが、本人が目の前に居るのだから報告は正しかったということだろう。
「赤司、海軍は間違っている」
「海賊の方がよっぽど間違っていると思うよ。世間を脅かす存在だ」
「全てがそうとは限らない。それに、世間を脅かしているのは海軍だって同じだろう」
そんなことはない。海軍は立派な国の組織だ。市民に感謝はされど怖がられる理由なんてない。海軍は、世界の平和を守る為に動いているのだと。
確かに表面上はそうだろう。けれど、本当にそうなのか。その裏があることは赤司も知っている筈なのだ。だが、知っていたとしてもこれが海軍の正義。綺麗事ばかりではやっていけないことは誰もが知っていること。その上で海軍という組織は世界の平和を守っている。海賊は、世界にとっての悪だ。
「お前からそんな言葉が出てくるとはな」
「おかしなことは言っていないのだよ」
お互い自分の考えを曲げずに意見をぶつけ合う。どちらも自分が間違っているとは思っていない。そもそもの考え方が違うのだ。本音で言い合えば意見が割れるのは必然だった。
そんな二人の様子に、一人ついていけていない高尾は正直混乱していた。赤司とはここに来て話をさせられたので多少の面識がある程度。相手は海軍なのだから面識があってもおかしいのだが。
そう、面識がない筈の二人がどうして目の前で言い争いを始めたのか。ただの言い争いなら気にしないが、会話を聞いているとどうも知り合いのように聞こえるのだ。けれど、知り合いだとしたらどういう関係なのか。
戸惑っている高尾に気付いたのか、赤司は視線を高尾へと向けた。ああそうか、と何やら納得したようなことを口にする。
聞いてはいけない気がした。けれど、聞いてしまった。真実は赤司の口から告げられる。
「知らなかったのか。真太郎は海軍の人間だ」
最初、言われた言葉の意味が分からなかった。
緑間が海軍の人間?そんな訳ない。だって、それならどうして今まで……。
混乱していた頭が更に混乱する。海軍の人間だったのならどうして今まで一緒に居たのか。なぜ言わなかったのか、という疑問はない。海賊の前で自分が海軍だなんて言える訳がないのだから。だけど、それ以外の疑問は次々に浮かんでは消える。
「……本当に、ホントに緑間は海軍なのか?」
「………………あぁ」
赤司と緑間のやり取りを思い返してみれば、確かに海軍同士の会話かもしれない。そうか、緑間は海軍だったのか。と、そんな風にすぐに受け入れることは出来なかった。
信じていたんだ。誰よりも、ずっと信頼していた。
それなのに、本当は海軍の人間で高尾からすれば敵に値する立場の人だった。信頼していたからこそ、真実が重い。そうだったのかと軽く流せるほど薄い関係ではなかった。
「何で、今まで騙してたのかよ」
感情が高ぶって口調が荒くなる。何で、何で、なんで……。
気持ちが抑えられない。ここが敵陣で、しかも海軍のトップクラスを目の前にしているというのに周りのことを考えている余裕がない。落ち着かなくちゃいけないと分かっているけれど止められない。
緑間が何も答えないせいで余計に苦しくなる。無言は肯定と見なして良いのだろうか。そう思いながらも、そうとは限らないと考えてしまう部分がある。敵は敵、そう割り切らなければいけないと分かっているのに気持ちの整理が出来ない。頭では分かっていても心がついていかないのだ。
「何か言えよ、緑間ッ……!」
こんなに近くに居るのに、その距離は遠い。これまで一緒に過ごしてきた時間は幻想なのか。いや、その時間は確かに在った。けれど、緑間が何も言ってくれないから分からないのだ。何を信じれば良い?
高尾が取り乱してしまうのも仕方がない。だから最後まで伝えないつもりだったのだが、まさか赤司に会うことになろうとは思わなかった。落ち着かせようにも今の自分に出来ることは、赤司と話をして時間稼ぎをすることだけ。あと少し、数分だけ時間を稼げば良い。
「真太郎、海賊なんかの話を聞く必要はない。僕達の役目を忘れた訳じゃないだろう」
「……お前はいつも海軍に忠実なのだな」
「当然だ。それが僕達の正義だ」
その正義を信じて疑わない。疑ったとすれば、それは国を裏切る行為。それがどういうことか分からない訳ではないだろうと伝えているのが分かる。
そんなことは分かりきっている。それでも、国の正義に動くのではなく自分の守りたいものの為に動きたい。もう、大切なものを守れずに失いたくはないから。そんな経験は一度だけで良い。二度は繰り返さない。
「戻って来い。今ならまだ間に合う。お前はこっちの人間だ」
「赤司、オレにも譲れないことはあるのだよ」
まだ引き返せると赤司は言いたいのだろう。けれど、引き返すことは出来ない。海軍とやりあうことを承知でここに来ているのだ。間に合うとしても戻ったりはしない。
それに、こうなることはずっと前から予想していた。
外で音がするのを聞いて隣に小さく「走れ」と告げると「は?」と疑問が返されるがそんなことは気にしていられない。バンッ、と音がするなりその手を引く。力任せに手を引けば、同じ男でも体格差がある分引っ張ることが出来る。
「緑間! 高尾は――――」
「無事です。このまま脱出してください。それと、コイツのことを頼みます」
「え、宮地さん!? 何で宮地さんまで…………」
「お前を助けに来たからに決まってんだろ。それより走れ」
次々と変わる状況に高尾はついていけていない。けれど、一つずつ説明している時間はないのだ。細かい話は全部後回しにして今はとにかく走れと宮地は緑間に変わって高尾の手を引いた。まだ頭は理解をしきれていないけれど、高尾も宮地の手に引かれるまま足を進める。この場から逃げるべきなのは間違えないから。
二人が行くのを確認して、緑間はもう一度赤司を振り返る。
「あくまでも海賊に手を貸すつもりか」
「オレは自分の守りたいものを守っているだけだ。お前もそうだろう」
各々の信念の為。守るべきものを背に対立している。その為なら利用出来るものは利用してその後どうなろうと関係ない。大切な今を守りたいのだ。
まさかここまで意見が割れるとは思わなかったが、ある意味想定の範囲内でもある。緑間と赤司の付き合いはそれなりに長い。どうしたものかと思案し、何を考えているのかは後でゆっくり聞いても良いだろうという結論に落ち着いた。
今ここで剣を抜く必要はない、と。
「行くのなら早くした方が良い。話は後で聞かせて貰うよ」
まるで自分はこれ以上関わらないとでもいうような口ぶりだ。赤司は口角を持ち上げて「行かなくて良いのか?」と尋ねる。この男は本当にこれ以上関わる気がないのだろう。その後に続いた言葉について突っ込む気にもならない。
一体その目には何が見えているのか。どうせおもしろそうだからというような理由でこの場を見逃すつもりなのだろうが相手をしなくて済むのならその方が良い。本気でやり合ったのならかなり厳しい戦いになるだろうから。避けられるのなら避けるべきだ。
そう判断すると、緑間は先に行った二人の後を追う。潜入した時点で退路の確認も済ませている。その辺のことは心配ないだろう。
残るは海軍とどれだけ戦うことになるかだ。高尾は武器を持っていないから戦えないが、宮地ほどの実力があればある程度は突破出来る筈だ。とはいえ、数によっては実力の差なんて埋められてしまう。ここに居るのは全員海軍に所属するだけの実力はあるのだ。一刻も早く合流するように海軍内部を走る。
□ □ □
「宮地さん」
「あ?」
走りながら声を掛けられ、適当な返しをしながら隣を見る。喋ってる暇があるなら走れと言うところだが、横目に見た高尾が俯きがちに苦い表情をしているのに気付いて止める。
話は後でするつもりだったが、急に色んなことが起こりすぎて頭の中が整理出来ていないのだと思うと脱出にも支障が出かねない。気持ちを整理するのに必要だというのなら、質問の一つくらい答えてやる。
「緑間のこと、どこまで知ってるんすか」
一番気になるのはやはりそこだった。緑間が海軍で、だけど自分のことを助けてくれて。もう何が何なんだかさっぱり分からない。宮地は緑間が海軍だと知っていて協力しているのか、知らずに仲間として動いているのか。知っていたとしたら、いつから。
「お前は緑間のこと、疑ってんの?」
はい、とは言えなかった。でも疑っているのだろう。信じているのなら移動中にこんな質問をしたりしない。明確な答えが欲しかった。
高尾が戸惑っているのは分かる。宮地だって緑間から話を聞いた時は驚いたし疑いもした。しかも今は状況が状況だ。気持ちは高尾を早く助けに行かなければと焦っていたけれど、同じ真実でも船という落ち着いていた場所で知った宮地と高尾では感じ方も違うだろう。突然の告白ではあったけれど、あの場で話を聞けて良かったと今なら思う。
「海軍だってことはここに来る前に聞いた。お前が疑うのも分かるけど、オレも緑間もお前を助けたいって気持ちは同じだ。オレはアイツも仲間だと思ってる」
そう伝えると高尾はそうですかとだけ言った。走りながらの質問はそれで終わり。
これだけで何か変わったのかと聞かれたら、分からないと答えるだろう。分からないけれど、ここから逃げる為の手引きを緑間がしてくれているというのは分かった。緑間が裏切った訳ではないということは、赤司との会話でも分かっていた筈だ。
そして、緑間のことを宮地は仲間だと言った。海賊だろうと海軍だろうと緑間は緑間だ。ちゃんとした話はここを出た後で聞くとして、一度気持ちの整理は出来た。
「大丈夫か」
「はい」
声が落ち着いた。とりあえずは大丈夫そうだなと思いながら、けれどこれから海軍を何人も相手にするのかと考えてとんでもないところに乗り込んだものだと思うのだ。別に海軍と戦うことになったとしても負けるつもりはないけれど。
この短期間で乗り込むことになるとは誰も想像していなかっただろう。それを船員に伝えた時の反応はみんな同じだった。きちんと体制を整えてから乗り込まないと不味いんじゃないかと宮地が最初に言ったのと同じ言葉ばかりを投げ掛けられた。それらに作戦があるから大丈夫だと言い切って、助け出すまでは結果的に成功している。
後は、これを片付けて脱出することが出来るか。
「敵の本拠地だけあって結構な数が集まったもんだな……」
室内から出たところ、海軍の皆さんがご丁寧に待っていてくれたらしい。予想はしていたけれどこれだけの相手を一人でするとなると厳しそうではある。
それでも、ここを切り抜けなければならないのだ。負けることなんて考えたりはしない。要は全員倒してしまえば良いだけの話だ。
「その目があるとはいえ、気を付けろよ。コイツ等を片付けるまで大人しくしてろ」
「けど宮地さん、この人数相手に――――」
「余計な心配すんじゃねーよ。お前は武器持ってねぇんだから戦おうとすんなよ」
聞き慣れた波の音。戦いはいつだって突然始まるのだった。
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